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空前絶后 激情告別 [弦楽四重奏]

2008年7月16日北京時間10時半前、アンコールの「カヴァティーナ」を以て、ABQ最期の公演が終わりました。こっちのプレスでは、この後が南米公演とか、台北から来たとか、14日に記者会見をしてる記事そのものに訳の分からぬ怪しげな情報が上がっていて、広報ちゃんに確認してもなにやら要領を得ず、ホントにこれが最期の最期の演奏会なのか今ひとつはっきりしない、って中途半端で妙てけれんな状況の中で開催されたんだけど…終わってみれば、やっぱり今日が最期でしょーに、って内容でした。
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事実としてそうじゃなかろーが、あたしにゃこれが最期です。

9月売りの「ストリング」誌に2週間とちょっと前のキールでのヨーロッパ最終公演とセットにして「アルバン・ベルク弦楽四重奏団最期の演奏会追っかけレポート」を入れますので、こんな金にならぬ電子壁新聞になんのかんの書きません。でも、ひとことだけ、そこには絶対に書けないことを記しておきましょ。

結論から言えば、今回の大阪、横浜郊外、溜池、北海の旧軍港、そしてオリンピックに向け大いに盛り上がる毛沢東の巨大ポートレートが架かる巨大門の真横まで追っかけたのは、自分のためというよりも、ABQの皆さんのために良かった。だってね、溜池で終えてたら、「ううううん…」でオシマイだったわけだから。

ぶっちゃけた話、今回、K音楽事務所が煽り、狭い狭い日本のクラシック音楽マスメディアも大いに盛り上がろうとしたABQ最期の日本ツアーをお聴きになられた方には、小生と同じ感じで終わった方も多かったことでしょう。なんせ、演奏会の出来不出来がでかすぎた(どうも日本に来る前のヨーロッパでの最期の四重奏のみでのツアーも似たようなものだったらしく、パリは凄く出来が良かったけど、ベルリンはどーもなー、って感じだったそうな)。ってか、もう始まった瞬間に「今日は×」みたいな日が何度かあったようだ。
演奏家という肉体労働者が歳を取るとは、フィジカルな安定性を失うことなのは誰にだって判ってるわけで、だからそんなことは考慮の上なのは、「名演奏家最期の演奏会」には当たり前のことなんだろう(ちなみに、同業者には老巨匠大好き系の方はたくさんおりますが、あたしとか和彦さんなんかは、典型的な老巨匠無関心系です)。それにしてもねぇ…ってことですわ。判ってる方には判ってるでしょうから、これ以上は記しません。はい。

そんなこんなの日本公演、今、出ている音楽メディアの評価はまるっきり予定調和的に大絶賛なわけで、それはそれ。そーゆーもんです。

だけど、その後のキールから今回の北京、これはもう、掛け値なしに立派でした。日本公演でのピヒラー氏の不安定ぶりはすっかり影を潜めておりました。←この話、業界関係者にすると、みんな「うそおおおおお!」って言うんだよなぁ。でもね、ホントなんだからしょーがない。

それがどうしてなのか、いったいABQとは何だったのか、いろいろとある。幸いにも小生はこの団体を最初に聴いたときからいまひとつ関心が薄く、シューベルトの大ト調の第3楽章トリオでべたべたのヴィーン節ギリギリの本音を見せちゃって(特にエルベン)、終楽章に突入しても、幸か不幸か、「音楽の喜びと寂しさに踊り狂うようなロンドの中に、アルバン・ベルクQとの時間の数々が走馬燈のように駆け巡る」なんてことは全然なくってさ。

北京の聴衆1600人くらいの総立ちの拍手がどういう意味だったか、それは判らん。でも、アルバン・ベルクQを愛し、いっぱい聴いてきた音楽ファンの皆様、ご安心下さい、彼らはこの最期の数週間、とっても立派でしたよ。彼らのプロとしての意地と、高いギャラを取ってる人の誇りとを、しっかり見物させていただきました。

さあ、燕の街を去って、湾岸に戻りましょ。月曜には「俺たちはABQにならんぞ」と叫んでる男の結婚式で乾杯をせにゃならん。去る者を愛おしんでるんじゃなく、これから来る者らを追いかけることこそ、やくぺん先生のホントのお仕事だったっけ。

追記:湾岸に戻って調べたら、やっぱり南米ツアーは6月末から7月頭で、16日の晩がホントの「さいちぇん演奏会」でした。終演後、オーストリア大使らしきオッサンが勝手に舞台に上がり、メンバーと抱き合い、その後も客席で号泣してました。それにしても北京の英字新聞、だいじょーぶなんじゃろか。こんな程度の精度で、Beijing発の人権関連やら政治情報やら上がってるとしたら、おっかないことであります。冗談じゃなく。

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