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『アウトリーチハンドブック』本日発売 [音楽業界]

お知らせです。昨年、晴海のNPOトリトン・アーツ・ネットワーク活動開始5周年を目標に出版が進められていた『アウトリーチハンドブック』(TANアウトリーチハンドブック政策委員会編)が、1ヶ月ばかり年を越し、なんとか㈱パンセ・ア・ラ・ミュージックから発売になりました。

って、一般書店での流通があるのか判らないんだけど、ともかく本日のSQW会場では販売されます。まだ出版社のホームページには記載がないですね。http://www.panse.co.jp/#

アウトリーチという言葉が日本で使われ出して10数年、こんな言葉絶対に嫌いだとか、もうアウトリーチなどという時代じゃないとか、いろいろ言う方も出てきている。だけど、音楽のアウトリーチというジャンルで、自慢話や苦労話(こーゆーのはいくらでもあります!)にとどまらない記述を体系的に纏め少しでも普遍化しようとした試みは、これまでまるでありませんでした。
この冊子は、受け入れ先と現場の状況が違えばまるっきりあり方が違う「アウトリーチ」という生き物を、なんのかんの言われつつも特定地域で5年間せっせと続けてきた東京湾岸のNPOが、「うちはこんなやり方しております、こんな面倒があります、こんな評価の仕方をしています」などなど、その手の内をどっさりと晒したガイドブックです。

実際にこの冊子を使ってアウトリーチをやろうとしても、東京都中央区湾岸地区でなければ不可能でしょう。そういう意味では、マニュアル本じゃあありません。だけど、じゃあ自分らのところとどう違うか、どこが普遍的でどこが特殊な地域の事情なのか、そんなことを考えたくても、ある程度以上まとまった事例がないと議論も出来ない。新聞の地方欄の埋め草に美談として取り上げられるエピソードではない、地に足が付いたアウトリーチの実態と問題点を知りたい方は、是非とも手に取ってみて下さいな。

小生は編纂委員会にも入ってないし、直接は何の関わりもありません(わしが撮った写真、何枚か使ってるけど、ま、ボランティア提供じゃ)。定価1200円也のこの冊子、皆々様が積んでくださったNPO活動予算からの持ち出しで作られていて、印税で懐が潤う執筆者はひとりもいないそうなんで、気楽に宣伝できるのは有難い(苦笑)。

この冊子については、当電子壁新聞の読者がいなくなろうが気にもせず、この先暫くはしつこく取り上げて行きます。なにせずっと作業を横で眺めていたもので、嫁さんの数夜に亘る徹夜とか、完成に至るまでの経緯の壮絶なドラマはいろいろあるんだけど…ちょっとそういう裏話は書けんなぁ。

ともかく、地方ホールの皆様、芸術財団の皆様、指定管理を取りたいと虎視眈々としてる民間企業の皆様、アートマネージメント学生さん、みんなで買ってあげて、貧乏NPOを助けてあげましょー。関係者諸氏、5年間の活動が本に纏まったのでもうNPOが解散しても本望だ、なんて思っちゃあダメですぞ。やっとこれで第一歩。


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オペラ鑑賞に粗筋以上の何が必要か? [売文稼業]

愚痴です。

一昨日から、「ローエングリン」の原稿でのたうってます。3月に、我らがアルミンク監督がNJP定期で演奏する、その曲目解説。

さても、オペラの解説作文というのは、本来は案外簡単なんですね。だって、人々がオペラの解説で欲しいのはたったひとつ。粗筋だけです。よーは、「これから舞台で何をやるかが判ること」。

他人に読ませる作文は、どんなものであれ、TPOがある。当日プログラムの曲目解説というのは、その場で読み捨てられる類の作文なんです。若い研究者さんなんぞが書く楽理の学術研究発表みたいな作文を掲載する某オーケストラや、譜面を多用した猛烈に詳細な専門家向けとしか言えない原稿を載せる某弦楽四重奏団もありますけど、小生はそれは間違った編集方針だと思いますね。
アメリカのオケなんかでは、当日プログラム(ステージビル)は終演後の会場に置いて帰る人が多い。それが当日プログラムの正しい利用のされ方だと思ってます。ヨーロッパではどうだっけ。ベルリンフィルなんかでは、数ユーロでペタペタのプログラム売るおばちゃんやにーちゃんがあちこちに立ってるわけだから、わざわざ買った人は捨てては帰らないだろうなぁ。
殆どの聴衆が公共交通機関でやってきて、会場から家まで戻る間に1時間も列車に揺られる方が多数の東京の場合には、帰路の暇つぶしにさっき聴いた音楽を反芻するためのお土産、という極めてローカルな特殊需要もある。ま、そんな要求は一応は意識してるけど、それでも基本は「本番前に短時間で読み捨てされる文章」であることにかわりはない。書き手としては、「勝負は開演前の20分のみ」と思って書いているわけですよ。

オペラの解説の場合はもっと明快。だって、音楽が始まったらとてもじゃないが解説など読めません。まっ暗くなるし、昨今は字幕が出るから、それを追ってるのが精一杯。「いつ作曲された」とか、「どんな文化的な背景があるか」なんてそんなことどーでも良いから、ともかく20分で粗筋と音楽的なポイントをツルツルと頭に入れさせる、という作文を試みるわけですな。

そんなに明快な作文ならやりやすくていいじゃないか、と思うでしょ。誠にその通りなんだけど…今回はちょっと困る。なぜかというと、曲目解説以外に粗筋のページがあるんですよ!で、それを書いてるのがあたしじゃあない。もう出来上がってる。

じゃあ、あたしゃ何をすればいいというの?

事務局とすれば、聴衆の便利のためにやってくれたことで、確かにその通りなんだろうけど、うううん、どうすりゃいいのか。今更粗筋書くわけにいかないしなぁ。うううううううううん。締め切りは明日だ。うううううん、うううううううん…

いくら私設電子壁新聞の記事としても、これじゃ酷すぎる。で、ひとつだけネタらしいネタを。

ええと、先々週、コペンハーゲンにいたときに新演出で出始めていたデンマーク王立歌劇場の「ローエングリン」、演出は今をときめく奇才、コンヴィチュニー息子でした(かの指揮者のコンビチュニーの息子、という意味です、あたしらの世代からすれば)。
残念ながら日程の関係で見物はできなかったんだけど、コンサートマスターとして乗っていたパイツォQ第1ヴァイオリン奏者ミッケルに拠れば、「設定は現代の学校で、合唱は自分で決めることが出来ない優柔不断な生徒達」だそうです。「じゃあ、ローエングリンは先生なの」と尋ねると、「どうだっけなぁ。ま、俺の所から舞台は良く見えないからなぁ」とのことでした。いずれにせよ、なにごとであれ過激なことは良いことだ、が持論のミッケル氏は、コンヴィチュニーの演出を支持するそうな。ご関心のある方は以下のページの写真をご覧あれ。http://www.kglteater.dk/OplevTeateret/Galleri/Opera/06_07/Lohengrin.aspx
コンマスのミッケル氏とすれば、どうやら演出よりも音楽の方が重要なようで、「それよりもスゴイのは指揮者なんだ。なんにもしてないみたいだけど、凄く求心力のある棒なんだよ」。公式ホームーページを眺めると、フリーデマン・レイヤー(Friedemann Layer)という人ですねぇ。ちょっと調べたら、ロンドンのIMGが事務所で、モンペリエの歌劇場の監督さんで、ハンス・ロットの交響曲なんぞ録音してる人ですな。へえ。まあ、こういう経歴の人は、いつ名前が出てきてもおかしくないですから、指揮者ファンの方は要チェックかも。現場、それもコンマスが誉めてる、というのは大きいですからね。

このプロダクション、指揮者を代えながら3月までやってます。観る価値はあると思いますよ。ハンブルグ市立歌劇場とバルセロナのリセウ劇場との共同制作なんで、そのうちバルセロナの映像がDVDで出そうだなぁ。そういえば数年前のハンブルグ初演ではいろいろ話題になってた舞台だっけ。←普段はオペラは殆ど無関心なんで、こういうアホなことを平気で言う

それにしても、こんなト書きなんぞぶっ飛ばしたような演出なのに、デンマーク王立歌劇場のホームページに上がってる粗筋は「ハンガリーに対抗する軍勢を集めるためにハインリッヒ王はアントワープを訪れる…」なんてノンビリしたことがことが書いてあるぞ。これ読んで、舞台に接したら、お客さんは何が何だか判らんだろーに。これでいいんかいな。いやはや。


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アンコールはコリリャーノ [弦楽四重奏]

題名だけで何の話か判った方は、もーそーとに重症です。

ええと、頭ん中を「ローエングリン」でいっぱいにしながら、上野まで地下鉄ガタゴト乗って行って、モルゴーアQ聴いてきましたです。チャリチャリ行くつもりだったら、気がついたらもう6時をまわってて、こりゃ間に合わんかもしれんと(秋葉原東口再開発完了以降、佃から上野までのチャリ路ではあの近辺突破が大いなるネックになりつつあります)、ラッシュの時間に東京の公共交通機関に乗ったです。いやぁ、人がいっぱいいること。毎日あれに乗ってる人は、ホントに偉いですね。あたしにゃ無理です。あの人間のエネルギーで、発電でも出来ないのかしら。

もとい。で、秋のショスタコ以来のモルゴーア、1月にある定期はいつもCMAコンファランスにぶつかっていて聴けないんだけど、今年はちょっと遅かったお陰で聴けました。なんせ、あなた、カーターの「エレジー」やって、アイヴスの2番やって、間宮の2番やって(拙著『弦楽四重奏の名曲名演奏』に挙げた曲の中で、ライブで聴いたことない数曲のひとつだった)、最後は「セリオーソ」。毎度ながら猛烈に趣味的な演目ですな。
モルゴーアQって、ある意味で東京で最も幸せな団体でしょうね。ポジションがある方々が、年に数回、自分らの弾きたい曲を弾きたいように弾いて、仲間やお弟子さんがお客さんとしてゴッソリ会場に集まってくれるんだから。凄く特殊な状況ではあるが、ことによると東京以外では成り立ち得ない団体なのかもしれないなぁ。こんなやり方してる団体、世界にないもん。そういう状況での音楽だから、場を離れた演奏の評価は難しいですけどぉ、評論家を商売にしてる人以外にはそんな必要もないしね。

「エレジー」は、パシフィカQのカーター全曲演奏会でアンコールででもやってくれるかと思ったけどやっぱやらなかった。なんてことない曲といえばそれまでだけど、やっぱり聴けたのは有難い。それに、こうしてアイヴスの2番と並べると、カーターの2番以降のクァルテットがいかに直接アイヴスの方法論を無慈悲に押し進めたものなのかがよーーーく判る。いや、本職が滅茶苦茶忙しいモルゴーアQ、カーターの2番やら3番をやれとは言いませんよ。そうなんだなぁ、と教えていただいたのに率直に感謝いたします。間宮さんは、ホントに素直な良い人なんですね、と思いました(ニューヨークで東京Qが3番の初演をやったときには、あんまりそんな風には感じなかったんだけど)。先週だか都響で間宮さんの「コンポジション」何番だかをやった矢部氏が洩らしていた感想を思い出した。どんな感想かって?…教えません!

んで、本日最大の収穫は、アンコール。モルゴーアQはアンコールに大娯楽大会をやらかすので有名で、それが楽しみで来てる方も多いようですけど、今日はちょっと違いました。アメリカ編、ということで、コリリャーノの小品、「スナップショット:1909年頃」をやったですよ。この曲、エレメントQ(最後の民音室内楽コンクールで優勝、4回くらい前のバンフでも勝ったアマネットQの第1ヴァイオリンだった柏木響子さんが一頃頭に座ってたNYの団体)が、いろんな作曲家に短い曲をいっぱい委嘱したことがあって、そこで出てきたもの。解説はこちら。http://www.schirmer.com/default.aspx?TabId=2420&State_2874=2&workId_2874=24493
これはブルーグラス系のクロスオーバー小品としては名曲ですね。始まって暫くは、ずーっと第2ヴァイオリンがカントリーの旋律弾いてて、他の楽器は全部ギターを摸したピチカートやってる、という不思議な作りです。なんでそんなことになったのかしら。NYフィルの名物コンマスだったコリリャーノの親爺さんへのオマージュみたいな作品です。これ、アンコール小品に良いから、皆さん、楽譜買って、ジャンジャンやりましょうやりましょう。パシフィカQなんぞにやらせたいなぁ。
コリリャーノって、このところ話題になってるタン・ドゥンやらゴリホフに比べても、職人的な巧さは光る作曲家だなぁ。こういう技巧的に水準の高い人は、曲さえ書いておけば、そのうち誰か「再発見」とかして、やるようになる。そういうもんです。

さても、次回からのモルゴーアの定期は、「ラズモフスキー+チャイコフスキー」だそうな。なんだかありそうでない、いかにも彼ららしいプログラミングだこと。6月に乞うご期待。


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古楽界のフルトヴェングラー [お詫びと訂正]

今、NHKBSで、たびの空の最中で見損ねていた「クローズアップ現代:オーケストラを救えるか」という番組の再放送を見物したです。NHKの公式案内はこちらです、1月17日放送のものです。http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2007/0701-3.html当電子壁新聞で、札響の第2ヴァイオリン首席奏者大森潤子嬢から「テレビが取材に来ててさぁ」という連絡があったというネタを出した話の結果ですな。この日の記事の下の方。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20061218
ま、ご覧になった業界関係者の方々は、みんな揃って「平成30年オジサン」堺屋太一氏の、あまりに素っ頓狂な発言ぶりに腰を抜かし、NHKはなんでこんななーんにも知らんオッサンを識者として出したんじゃ、と呆れ返っていらっしゃるでしょうけど…ううううん、まあねぇ、世間というのはこの業界をこの程度に見ている、この業界でのいろいろ必死の試みを思い入れと妄想で眺めている、ということがよく判った番組でした。ホント、勉強になります。

もとい。さても、久しぶりの「お詫びと訂正」です。もう遅いんですけど、気持ち悪いんで、記します。

昨日、一昨日とすみだトリフォニーホールで行われた新日本フィル定期演奏会の当日プログラム原稿に、大きな誤植というか、間違いがあります。なんでこんなことが起きたのか、どうにも判らない。なにせ最終校正がヴェトナム行き直前だかで、ちゃんと目を通したつもりだったんだけどなぁ。

ええと、1月26,27日の定期演奏会曲解、24ページの上から7行目。シューマン第4交響曲初演稿の曲解の最後の部分。

誤:「なお、2003年ブライトコプフ初演版では、ラルゴの序奏の最後の楽章に管楽器が加わっているが、カルマス初演版にはない。」
正:「なお、2003年ブライトコプフ初演版では、ラルゴの序奏の最後の数小節に管楽器が加わっているが、カルマス初演版にはない。」

であります。読者諸氏及び関係者の皆様、大変に失礼いたしました。

ちなみに、指揮者のブリュッヘン氏が最終的に用いた楽譜は、2003年ブライトコプフ版の貸し譜だったそうです。ですから、4楽章の序奏の最後、アレグロ主題に向けて、些か珍妙なオーケストレーションの濁った響きでブラスセクションがじわりじわりと吹き鳴らす音も、しっかり入っていました。確かにこの部分、ベートーヴェンの第9交響曲終楽章冒頭の管楽器セクションの響きの混乱にも似た感じがありますよねぇ。でも、昨日のブリュッヘン氏の演奏は、あの響きの混濁感はもしかしたらシューマンが狙ったものなんじゃあないか、と思わせてくれましたね。あそこをあっさりカットしてしまうのは、確かにすっきりはするだろうけど、やっぱりマズイでしょ。

蛇足ながら、昨日のシューマンの4番でホルンセクションは1,2番はバルブホルン、3,4番がナチュラルホルンを使っていて、正に楽器がピリオドからモダンに移る時代のありようをまんまに再現してました(譜面から判断して、この選択が現実的だそうな)。で、この選択、練習が始まった最初の日に、ブリュッヘン氏が「やっぱりそうしよう」と言い出して、急に決まったそうです。4番ホルンの方はナチュラルを持ってなくて、慌てて某楽団から借りたそうな。NJPはこういうところ凄くフレクシブルですね。

昨日の演奏、某音楽雑誌編集者曰く、「ブリュッヘンは古楽界のフルトヴェングラーですね」。なるほど、至言でありますな。やってみないとわからない、楽譜はその辺にあるものでいい、練習はよく判らない--正に「古楽界のトスカニーニ」たるアルノンクールの対極でんがな。古楽マニアからの評価もはっきり二分されてるみたいだし。
ま、一般に、古楽系の指揮者の最大の美点は、「何が正しいかを楽団員やファンにこれでもかとハッキリ言い立てる」というところにあるわけです。だって、嫌がる楽団員にこれまでと違うあれやこれれやをさせねばならないんですから、可能な限り明快に、一生懸命説得する必要がある。その点、ブリュッヘンという指揮者は明らかに違う。指揮者の頭の中にあることと、結果として楽団との間で生まれる音楽との間にズレがあっても、それほど気にしていない巨匠タイプみたい(「指揮者の音楽」を論じようとする評論家や音楽マニアは、オケから出てきた音は全て指揮者の産物と思わないと議論が煩雑になってやりにくなるので、ブリュッヘンは案外扱いにくいのかも)。アーチザンであるよりアーティスト、ということかしら。

以上、もう何の役にも立たないお詫びと訂正の駄文でありました。

追記:「プロメテウスの創造物」でチェロ独奏をお弾きになったNJP首席チェロ奏者でエルディーディQのチェロも務める花崎さんによりますと、「いや、意外にもあの棒は見やすいんですよ」とのことでした。へえええ。


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Bear down, Chicago Bears! [音楽業界]

カテゴリーが「たびの空」だか「音楽業界」だかちょっと微妙な、一発ネタです。なんせまだ月末までの大物原稿にひとつ手が着いてない、その前の原稿でひっかかっちゃってる状態。昨晩はブリュッヘン行けず、でも今日は意地でも行くぞ、という状態なもので。お許しを。

さても、「帝国創設者号」の短い旅を終え、先週末にちょっとだけ滞在したシカゴは、街を歩く不特定多数の人々の頭の中をこじ開けると出てくるのはシカゴ・ベアーズのことだけ、というとてつもない状況でありました。なんせ、アムトラックがユニオン・ステーションに到着する摩天楼風景に浮かぶのが、「BEARS」の文字だらけだったんだから。この写真の右端のビル、お判りかな。

んで、シカゴ響のマルサリス定期のアンコールで、なにやらドンガラドンガラとマーチが鳴り出し、うおおおおおお、という怒濤とともに客席総立ちで歌うのが、こんな歌。
”Bear down, Chicago Bears,
Make every play clear the way to victory!
Bear down, Chicago Bears,
Put up a fight with a might so fearlessly.
We’ll never forget the way you thrilled the nation
With your “T” formation.
Bear down, Chicago Bears,
And let ’em know why you’re wearing the crown.
You’re the pride and joy of Illinois,
Chicago Bears, bear down!”

アホか、この街の連中。で、スゴイのはシカゴ響の公式ホームページで、なんとなんと、ショルティが指揮するこの曲の演奏がMP3で無料ダウンロードできるんですよ。こちら、下の方をスクロールして、ダウンロードというところをポチョっと押してください。http://www.cso.org/main.taf?p=11,27

いやはや、なんというかなぁ。そういえば、数年前に文化庁の派遣でボストンのニューイングランド音楽院にスタッフとして1年滞在した甲賀のI嬢が、シンフォニーが大家さんのアパートに身を落ち着けたと思ったらレッドソックスが優勝。その晩はもうフェンウェイ・パークから遠くないシンフォニーからNECにかけての一帯は、世界にはこんなに沢山のアホが溢れているのかと呆れ返り、身の危険も感じるほどの状況だったとか。熱狂的な阪神ファンをしてそう思わしめたのだから、それはそれはスゴイことだったのでありましょーぞ。

それにしても、こんなときにも感じてしまうのが、オーケストラやらスポーツチームの公共性に対する我彼の感覚の違いですな。だってね、数年前にタイガースのリーグ優勝で盛り上がっているとき、大阪のコンサートホールでは、「六甲下ろし」を(おおっぴらには)演奏できなかったんですよ。誰だってアンコールやらなにやらで大合唱したくてたまらないときなんだけど、もしもそんなことをして守銭奴阪神球団にばれようものなら、目の玉飛び出るほどの請求書が送りつけられてくるそうなんですね。

これって、ベアーズやらレッドソックスなら、絶対にあり得ない。著作権の権利意識がとっても強いアメリカでは、本来ならこんな壁新聞にベアーズ応援歌の歌詞を貼り付けるんだって凄く怖いんだけど、今なら絶対に許される。だって、今はベアーズ応援歌は「俺の権利だ」と主張する瞬間じゃあない、街の貧乏人から大金持ちまでが一緒にアホになってミラーライトをぶっかけあいながら歌って踊る社会資産なんだものね。だからこの瞬間は、この曲の権利を持っている人々は社会のために自分本来の権利を放棄している。正に「企業や個人の社会貢献」なんですわ。

それが出来ないタイガースのオーナーは、反社会的と大いに非難されるべきなのであるぞよ。

ちなみに、そんな反社会的な守銭奴阪神球団営業部の存在を知ってか知らずか、どーどーと「六甲下ろし」をやっちゃった団体が大阪に少なくともふたつはあったということです。
ひとつは、我らが大植英次率いる大フィル!やったぁ、えーちゃん!流石にミネソタ・ツインズにマーチ書いて、イチロー相手に始球式やっただけのことはあるぞっ!確信犯だろうなぁ。
もうひとつは、なんと、ちょっと東洋風のニューヨーカー、上海クァルテットでありました。まさか阪神球団がそんな非常識とは知らず、巷に散々流れる旋律をその場で弦楽四重奏版にしちゃったそうな。うううん、なんか判るなぁ。


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宮崎音楽祭はどーなる? [音楽業界]

やくぺん先生が高緯度地方をあちらこちらさまよい歩いている間に、遙か極東のマリネラの如き島国でもいろんなことがあったよーだ。まあ、「政治」がその裏に隠された暴力装置を市民にちらつかせてなにかを迫らなくてもなんとなく事が進む気楽な風土の立憲君主国とすれば、特に驚くべきことではないのかもしれないけど、それにしてもあそこまで無能な(状況把握能力と問題設定能力にビックリするほど欠ける、ということ)総理大臣を支持する人々が半分弱はいるってのは、なんとも不可解な事態であることよなぁ。いやはや。

もとい。昨日、晴海で始まった昼間の演奏会シリーズで矢部達哉氏が弾くんで、慌ててチャリチャリと佃の庵を出ようとしていたら、宮崎の桐原先生から電話があった。ゆふいん音楽祭のシニアスタッフとして長く音楽祭を支える方で、宮崎県立劇場の楽屋真ん前でフルート教室を開いていらっしゃり、宮崎のコンサート主催者としても活発に活動なさっている方。こういう人が日本中の急行が停車するくらいの都市にいらっしゃれば、日本でも室内楽で喰っていける演奏家が出てくるんですけどねぇ。桐原先生のご紹介はこちら。http://www.joyfm.co.jp/personalities/ongaku.html

さても、話の本論はともかく、やっぱりひとこと最後に尋ねておきたい。「でね、知事が新しくなって、音楽祭どうなりそうなの?」

イラク人質事件以降、讀賣やサンケイ、日経は言わずもがな、朝日や毎日に至るまで今やすっかり政府公報御用達、現場の記者も「真実とは御上の発表である」と信じて疑わないゴーマニズム世代よゐこちゃんばかりになってしまった日本国大手マスコミ報道では、すっかり「色物」候補扱いだったそのまんま東氏が、あれよあれよと知事に当選してしまい、メディア関係者がなんとも照れくさそうな顔をしてる感じの宮崎県。音楽関係者なら誰でも思ってる疑問でありますね。

無論、こんな個人運営壁新聞できっちりした取材などもするはずなく、宮崎県立劇場の運営にも市民として参加し、宮崎市のクラシック音楽活動の重要人物である桐原先生に気楽に尋ねただけでありますけど、結論からすれば、「今年は予定通りやるでしょう。直ぐになくなる、とかいうものではないが、細部の歳出見直しはあるはず。あの音楽祭の将来的な問題は、知事ではなく…」とのことです。「…」以降の核心部分は、いくらなんでもこんな場所では書けません。悪しからず。

なんにせよ、ともかく今年のデュトアの音楽祭がなくなっちゃう、とかいうことはなさそうなので、期待している皆さんはご安心を、ということです。無論、今の時点での空気、ですからね。

まあ、あの宮崎の音楽祭、小生が取材に行った2回ほどでは、いろんな意味で「おいおい、こんなお金の使い方するのはマズイでしょう、いくら地元産業にお金を落とすのが大事な目的とはいえ」としか思えない部分がいくつもありました。そういう細部の支出の問題は、突っ込んでいくと「この方が楽だ」とか「そうしないと安全ではない」とか、現場の理屈では筋が通ってしまうところがある。小生は基本的に現場優先の取材スタンスですけど、コストカットやらは現場の声を無視して、現場の混乱など気にしない御上の強引なやり口が必要になる場合もある。さても、ひがしくにばる知事、そんなことが出来るか。興味津々でありますな。

今年の宮崎、行ってみようかしら。まだ公式ホームページには年度末までしか日程が出てないなぁ。へえ、メータ指揮のイスラエルフィル、やるんだ。SS席1万円って、日本の常識ではかなりお安くないかしら。http://www.miyazaki-ac.jp/先々週だかのNYフィルの定期でメータがブルックナーの7番振ってたの、一番高い席が100ドル弱だったはずだから、そう違わんお値段じゃないの。宮崎県、随分財政支援してますねぇ。こんな面も含め、これからどーなる、宮崎県立劇場!宮崎の方、情報あったら、気楽に下さい。


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ローカルということ [音楽業界]

おはようございます。まともな時間にご挨拶してます。ホントに朝です。東京湾岸の冬、乾期とはいえバルト海入口やら北米中西部の水辺に比べれば遙かに湿った中緯度の大都市TOKYOの田舎に戻って参りました。

昨日(一昨日なんだけど、感覚は昨日)は朝のローカルテレビニュースでオヘアに向かうハイウェイが事故車2台あって渋滞と知り、かのラサールQの命名理由となったラサール通り近くのループ内からラッシュと逆方向の地下鉄にデカイ荷物抱え乗り込み(ミッドウェイ空港に行く場合はループに上がらねばならぬが、オヘア空港なら地下鉄に下れば良いから、ちょっとだけ楽)、どーしてこの路線には「ハーレム」という同じ名称の駅が北と南にあるのか、せめて北ハーレムと南ハーレムにしなくて良いのか、と大いに不思議に思いつつ(この路線図、ブルーラインをじっくりご覧あれhttp://www.transitchicago.com/maps/rail/rail.html)、無事空港に到着。

幸運な諸事情で使えるビジネスラウンジに入り、11時発のミネアポリス行きを待ち、アムトラックのコーチクラスとどっこいのDC9のファーストクラスでベッタリ曇った空を1時間ちょっと、ミネアポリス空港に到着。着陸時にはもう東京行きのボーディングは始まってるけど、さすがNWのハブ空港、何の心配もせずに、州空軍の前のスポットから国際線のターミナルまで延々と早足で歩く。走りません。ええ。

ゲートまで来ると既にビジネスクラスとエリートクラスのボーディングが始まっており、おお、久しぶりのジャンボでの太平洋越え、すっかり珍しくなったことよと搭乗。毎度の貧乏人席ながら、諸事情で前に席がないところが取れてるので(別に深い意味はなく、3ヶ月も前に席を指定しちゃったからです)、思いっきりパソコンも開けるぞ。周囲は、一昔前なら確実にビジネスクラスに乗ってたようなオジサンばかり。嫁さんとひとつ席を空けて向こうは、カンボジアまで行くビジネスマンさんでした。わしらがシカゴにいた日曜日、ミネアポリスはまた雪だったけど、子供らが庭で遊べるくらいのもんで、今年は暖かいわ…なんてローカルな会話。

多少向かい風のジェット気流はあったものの、無事に午後5時前にトウキョウ方面に沈む中緯度のノンビリした夕日を眺めつつ成田に到着。エコノミークラスでも、席さえ選べれば、ジャンボはやっぱり余裕がありますね。賢い航空会社さんとすればA330やら777でキチキチに詰めて飛ばした方が良いんでしょうけど、やっぱりこの広さは気分として有難い。エールフランスがかの有名な貧乏人御用達成田発パリ行き夜行便にA380を就航させると言ってるらしい。空いてたらさぞ楽だろうなぁ。ま、MAXやまびこみたいな顔のあの飛行機、なんか悲劇の旅客機コメットの二の舞をやらかしそうで、暫くは乗りたくないですけど。

もとい。で、機内で、というか目の前のスクリーンで、「ステップアップ」ちゅー映画をやってたです。日本で公開されたか、話題になったか、全然知らぬ。あ、まだ公開前みたいだ。こちらが公式サイトですな。http://www.stepup-movie.com/index.html
よーするに、「ストリートダンスの才能がある不良の男の子が、なんのかんのの事情でクラシックバレエの基本をちゃんとやってるダンスの娘とコンビを組まされて、いかにもハリウッド青春映画みたいななんのかんのなんのかんのがあり、最後は2つの異なるパーフォーミングアーツの要素が異質なままに見事に融合したダンスを披露する」、ちゅーいかにもな話です。
舞踏パーフォーマンスの伴奏はライブのオーケストラで、ヘッドフォン被った指揮者は不良仲間でラップなんぞをやってる音楽の才能はある男の子だったり。タキシード着たオーケストラの黒いヴァイオリン君たちが立ち上がって古澤いわおみたいなことしたり(←おお、表現が古い、「のだめ」のコンマス、と言いたいが、名前を知らんし内容を知らん)。

今回の北米&北欧ツアーでハッキリ見えてきた方向性と課題を、最後の最後に、映画という最も大衆的メディアによって確認してくれたみたいでありました。お前、忘れるなよ、ってね。

北米では、「ジャンルの融合」というか、「クラシックというジャンルの超越のされ方」の方向性がある程度見えてきたような感じだった。NYのCMAコンファランスのテーマが「クロノスの影響」で、その実践を眺めた。メトが21世紀にグランドオペラを生き残らせるための実験の、ここまでやってくれれば気分爽快とも思えるほど壮大な失敗を拝見させていただいた。ミネアポリスでは、嫁さんたちが晴海やら富山やら地域創造やらで、ミドリさんがヴェトナムでやってる「クラシック系音楽を生き残らせる手段としてのアウトリーチ」の先輩格の実践を眺めた。シカゴでは、一昨年のCMAコンファランスのテーマだった「ジャズの生き残り方」をクラシックのフォーマットと融合させようとするマルサリスの実験や、「エスニック系音楽をテーマとした美術館とオーケストラの共同制作」の実践を見物した。

その間にも、カーネギーが主宰してNYの地元合唱団がドイツの巨匠から「マタイ」を勉強する伝統的なスタイルや、オペラ座オーケストラが都市生活の中心としてしっかり存在している北欧の都市の音楽家の実情を眺めた。そういう伝統的なあり方も、ある。

さてもさても、「のだめ」現象やらラ・フォル・ジュルネの成功でクラシック音楽が大ブーム、というトウキョウ・ローカルの位置づけは、世界の中ではどうなってるのかしらん?

北米の「エスニックやワールドミュージックの中でのクラシックの再定義」。ヨーロッパの「伝統的都市生活インフラとしてのオケや歌劇場」と「ヨーロッパのエスニックとしての古楽の復興」。それぞれがそれぞれの問題をゴッソリ抱えつつも、21世紀の大きなローカル・トレンドが見えつつあります。
でも、東京ローカルのクラシック音楽業界は、まるっきり先が見えない。シンガポールや中国、韓国のような、「新興中産階級の高級品」としてのクラシック音楽でもないようだし。メディア産業の混乱がそのまま持ち込まれ、声がデカイ奴だけが勝ってるような、妙てけれんな状況。

                             ※

シカゴのフォルダーズでほくほくしながら購入した「エンパイア・ビルダー」なる巨大な単行本を読みつつ、そんなこんなを考えながら、夕方過ぎのTCATに到着するや、水天宮通りの向こうの讃岐饂飩屋にデカイ荷物をひっぱったまま直行。おろし饂飩にブロッコリーじゃない真っ当な野菜の天麩羅乗っけて5ドルほど、コペンハーゲンなら値段が倍、NYなら量が倍だぞ、と喰らい、佃厄偏庵に戻ってくる。
と、早速、「改築をしたいがオタクの方からじゃないとあがれないところがある、いつ戻ってくるか待ってた」と大家さんが、「おお、やくぺん君、これがおらん間の郵便物じゃ、いやはや、お土産なんて気にせんでいいよ」と反対隣の魚河岸ご隠居あにいが、チリンチリンと引き戸のカウベルを揺らす(佃厄偏庵のみならず、大家さんの家とその向こうの改築した家以外、この路地に電気式ブザーはありません!)。戻ってきました、なんて挨拶はひとこともしないうちに、戻って来たとバレバレになるのが長屋生活。
北米から戻ると、数日は無性に朝飯に朝マックが喰いたくなる。で、ぶっ倒れるように寝て起きた朝の光の中、リバーシティのサラリーマンさんの群れに混じって月島駅前上のマックに行こうとすると、1丁目の方からゴロゴロと、荷物を山積みに押してる黒猫ヤマトのタンクタンクローみたいな地域主任のにーちゃん、「あ、やくぺん先生、おはようっす。お戻りですか、ええっと、荷物は特に来てませんね」と声をかけてくる。

そう、こんな場所で、やくぺん先生夫妻は生きてます。東京駅銀座から最も近い田舎町佃ローカルで、大川向こうで起きてることがなんなのか、懸命に考えていくのが当面の仕事なんだろうなぁ。中国語圏やら英語圏に生まれていれば、まるで違った人生だったろうけど。

ガラリ開く 引き戸の音が 伝言板


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歴史博物館の楽しみ方 [たびの空]

あと数時間で、オヘア空港発ミネアポリス経由で成田に戻ります。荷物、まだ詰めてません。数時間寝て、起きて、詰めて、機内は爆睡という予定。

さても、シカゴでは、まずはシカゴ響定期でマルサリス作曲の大作「皆起立せよ!」(というような訳が、内容から、最も相応しいでしょう)を見物。指揮は去年だか都響を振ったタベア・ツィンマーマンの亭主ダヴィッド・スローンで、ヴィオラの頭隣りにはユーシアQ、遙か昔はあの幸田聡子さんなんぞと一緒にクァルテット・サンガサラスバティだかサンスクリット語のトンでもない名前の団体もやってたヴィオラの小倉幸子さんが元気そうに座ってました。ま、商売で書くことはないけど、ネタとしては非常に勉強になりました。最後に、シカゴ響をバックに客席と合唱団が「GO!Chicago Bears!!」と歌うアンコールが付いたのは凄かった(日曜午後3時からの最後のマルサリス定期、スーパーボール進出に向けた試合とシカゴ響本番が重なったわけだが、客は入ったのだろうか)。おっと、リンカーンセンター・ジャズ・オーケストラの連中は弾いてなかったかも。
ついでに、シカゴ響とシカゴ・インスティテュート・オブ・アーツとが組んだ「シルクロード・プロジェクト」のミュージアム内演奏会も見物。こっちは一応、フジテレビ・アートネットのミュージック・イン・ミュージアムに来月更新くらいで書くでしょから、いずれご覧あれ。

ということで、基本はお休み。だから商売系のことは書きません。本日は、シカゴ歴史博物館を見物してたですよ。月曜日は入館無料で、有難いことであります。

考えてみたら、先月のヴェトナム以来、あちこちの街で「歴史博物館」みたいなものを見物してまわってたなぁ。ホーチミン市博物館、コペンハーゲン国立博物館、そしてシカゴ歴史博物館、って。
このような場所は、どんなガイドブックにも必ず掲載されてるけど、実はみんなそれほど面白いとは思ってないでしょ。ま、そりゃそーで、「歴史」ってのは自分と関係ないと、いかな力説されようが、いかな立派なジオラマを見せられようが、「へえ、そうですか」としか言いようがないもんね。

逆に考えれば、自分勝手に関心を持ってるテーマで展示を強引に再構成しちゃえば、それなりに面白いわけです。

例えば、ホーチミン市博物館で一番面白かったのは、やっぱり楽器や楽譜。ヴェトナム人民軍がフランスやアメリカと闘ってるときも、軍歌やら娯楽のための音楽があったわけですよ。そんなところで使われた曲の真っ赤な(!)譜面やら、ボロボロのヴァイオリンやらの展示がある。へえええ、と思うわけですね。この楽器、どこで作ったのかしら、なんてね。

パイツォQがクローズの演奏会をやったコペンハーゲン博物館でも、売り物のヴァイキング時代の展示が改装中でやってなかった。で、何を面白がっていたかといえば、コペンハーゲンの市民生活での古いチェンバロ(アップライトチェンバロ!)だとか、古い楽譜とかです。

さても、本日出かけたシカゴ市内から北に随分と上がっていった公園の隅にある歴史博物館は、無論、ジャズの歴史などすごく立派な展示がありました。ジャズが好きな方は見物に行く価値があるかもしれません。他にも、シカゴに最初に移り住んだフランス系植民者の旅籠でやってたヴァイオリンの音楽、なんて展示もあった。美術館前の今のホールが出来る前、今もオーケストラ・ホールの並びにある古い劇場でシカゴ響前身が弾いてた頃のジオラマも興味深いし。ピットでやってますね。

でも、ホントに一番面白かったのは、これっ。

お判りかな。そう、初期のシカゴからセントポールに至る鉄道の路線図なんです。写真ではお判りになりにくいかもしれませんけど、よーするに、「エンパイア・ビルダー」が走り出す前の道中の説明。
ミルウォーキーは通らず、マジソンまで北西に真っ直ぐ進む。それからおもむろに西に分岐し、ラクロスに至る。この部分は一昨日のやくぺん先生夫妻の道程と同じだね。そこから先は、なんとなんと、水運なんだぁ。ミシシッピー河を遡ってセントポールに至る。なーるほどねぇ、やっぱそういう道だったのね。

以上、歴史博物館を見物させられるときは、強引に自分の趣味で音楽史博物館やら交通博物館に読み替えてしまえ、という観光の知恵でありましたとさ。

追記:火曜日午前10時前、オヘア空港のラウンジにいます。珍しくも何もなく無事に太平洋を越えられそうです。さても、先月20日過ぎからのクリスマス・正月を挟んだ忙しいたびの空もこれにてオシマイ。パシフィカQが晴海にレジデンシィに来る2月が過ぎると、税金の季節だ。おおお。


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帝国創建者号東へ:PartⅡ [たびの空]

おはようございます。曇り空のシカゴ、ベアーズ地区優勝の興奮も醒め、さて、働きましょうという月曜日の朝です。今回のツアーも今日でオシマイ、本日は完全な予備日。昨日も、結果としてシカゴ・インスティテュート・オブ・アートでミュージック・イン・ミュージアムの取材をしてしまい(ブルックリンライダーQというNY下町の超若手団体をちょっとだけ聴けた)、しっかり働いてしまったぞ。結構見上げるべき精神のやくぺん先生であーる、えっへん。

さても、寝る前に入れた駄文の続き。新聞の自動スタンドと、飲み物と袋菓子の自動販売機以外に何もないツィンシティ駅で、ウラウラと昇ってくる中西部の太陽を眺め、行き交う長大な貨物列車の編成数を数えるうちに、遙かロッキー山脈を越えて湖と河の大平原に至った我らが帝国創建者号は2時間半遅れで到着します。思ったより多くの人が下車しますね。さっきから盛んに電話してたオバチャンは、到着する娘親子を待っていたようだ。
んで、やくぺん先生ご夫婦も、デカイ荷物を引っ張り、改札を抜けます。アムトラックは定員制ですが座席指定はなく、でもどうやら同じ車両に同じところで下りる連中を纏めるようで、「左手一両目に乗ってけれ」と駅員さんに言われる。おお、見よ、我らが佃厄偏庵ほどの高さもある、東京の2階建て長屋よりも遙かに高い万里の長城のような車両が、そこに横たわっておるぞよ。これが伝統の名列車、帝国創建者号なのだああああ!

んで、ともかく荷物を入れて、1階席を一応確保し、嫁さんが2階に走る。そんなに混んでない、2階も席がある、というので、おもむろに2階の進行方向左側の席をゲットするのであった。なにせ延々と東行きですから、反対だったらずっと日の光に晒されることになる。アムトラックの座席は、コーチクラス(=エコノミークラス)でも飛行機ビジネスクラスよりも広く、JRのグリーン車など比べものにならない広大さ。もー部屋に入ったみたいなもんです。正直、居住性とお値段を総合すれば、アムトラック長距離路線は世界の乗り物の中で最もお買い得でしょ。前は展望車だし。ま、遅いけどね。

10時2分に警笛もなくツィンシティ駅を発車。暫くは都市部なので警笛を鳴らさず、ゆっくり運転します、とアナウンス。セントポール市内前でミシシッピー左岸に並び、ここからは延々とこの大河に沿って南東に下っていきます。セントポールでいつも泊まるホテルを鉄道路線の真下から見上げるのは、なかなか面白いことだ。で、これが展望車から眺めるセントポールのミシシッピー河上流。都市部の近辺は凍ってませんね。

以下は、車中で開いたパソコンの電池を気にしつつ(アムトラック東海岸線は各席に電源があるのだけど、このロッキー越え車両はそんな設備がないのは、ビジネス特急ではないということなんだろうなぁ)、延々と日記に叩き込んでいった車窓風景のメモまんま。めんどーなので、そのまま貼り付けちゃえ。えいっつ。全くメリハリなく、原稿量の心配もなく、ダラダラと目に入ることを全て記しているだけで、紀行文の技法として最もやってはいけないしろーと作文です。悪しからず。

                            ※

右手は高速道路が張り付いている。やがて、ミシシッピー河の流れをコントロールする施設が見え、その辺りは凍結していた河面に水が見えるのであった。疎らに木が茂る中に雪が広がる原野の中を延々と進む。列車の連結部分が壊れたのなんの、わけのわからん放送があるぞ。うううん。
エンコしてる貨物列車を横に見ながら、11時20分にレッドウィング駅到着。誰も乗り降りしない。河が左に流れている誰もいない街。駅を出て直ぐ、巨大は白頭鷲が2羽、木に留まっているのがが見えた。谷間の感じになって、国道程度の道が併走している。

11時半前くらいに、ダイニングカーから最初のランチの案内がある。右手に観光地っぽい大きな凍った湖が見えてくる。ヨットが走っている巨大看板などあるが、1月ともあれば、とっても寂しい。車内の人々が次々と車両前方に向かっていくのであーる。観光地らしい湖の東側を延々と通過。対岸に町があっても、列車は我関せずだ。

子供がひとり、むずがって泣き始めた。水面が現れた場所を通過すると、2ダースほどの白頭鷲が魚を狙いダイビングしている。今回は長いレンズを持ってないので、皆様、お判りでしょうか。ほれ。

そういえば先程からずっと左手に河が見えている。やっぱりミシシッピー河で、嫁さんによればレッドウィングの前で橋を渡ったそうな。我が愛する妻ながら、ずっと寝てるみたいだけどポイントポイントでは起きてるのはいつも不思議です。

正午を過ぎても、ずっと同じといえば同じ風景が広がっている。12時22分にミネソタ州最後の駅、ワイノナに到着。なーーーーんにもない駅である。放送が盛んに「煙草を吸いたい奴は車両から遠くに離れずに吸うように。置いて行かれても知らんぞ」と繰り返し、実際、ほんの数分の停車で人々が慌ててエンパイアビルダー号に戻っているのであった。

出発すると、この駅から乗ってくるカップルなどもあるようだ。またミシシッピー河に沿って、同じ凍った河原を左に見ながら走る。

左に曲がりながらミシシッピー河を4本の短い橋で越えて、ミネソタ州とお別れ。

ウィスコンシン州ラクロスの町に入っていく。本来ならば10時47分に到着する筈が、もう1時である。ここからは大量の客が乗ってきて満員になるとのことである。恐らくは「ラ・クロス」で、よーするに、「渡し場駅」だ。今は本気でやってるとは思えぬミシシッピーの水運が盛んだった頃には、さぞ重要だった場所なのだろう。
ラクロスの駅に到着し、隣のオジサンが「ここで良いの」と叫びながら焦って下りていくと、黒いお母さんと子供なんぞがドサドサと乗ってくる。駅に止まっていた長大な貨物列車が反対に向けて走り始めるのは、どこかに単線部分があるということだろうか。1時8分に発車。それほど大きな町には思えないんだけど。周囲の一家はみなシカゴまで行くようだ。

いよいよ本格的に東に向いた帝国創建者号は、低い林の間に凍っていない小さなクリークが縫うノンビリした土地をひたすら走る。

ここで展望車下にあるカフェテリアへ買い出しに。14ドル也で、嫌になるほど大きなチキンサラダとバーガーとジュースを買い込む。まるでICEがチューリンゲンからフランクフルトに抜けるところみたいな風景に、次第に白樺が目立ち始める。少し登っているみたいだし。いよいよミシガン湖に向けての山越えなのだろうか。
本来は11時28分に着くはずだったトーマというところに到着する、というアナウンスが1時半くらいにある。なんと、初めてのトンネルを抜けるぞ。分水嶺を超え、惰性で走ってる。警笛を鳴らしながら、トーマの町に到着。谷間、というには平らだが、まあ、谷間なんだろうなぁ。
牛や馬の御飯が転がしてある人の手の入った場所で、サイロがあり、冬なのに牛がいる。嫁さんは先程から盛んに鹿のデコイにひっかかり、鹿だ!と叫んでいる。気の強いディレクターは、「最初に叫んだときのは絶対に生きていた」と主張するのであったぁ。1時42分に到着。平らな、なにもない所でした。1時48分、駅停車中からずっと踏切を下ろしっぱなしにし、1日に2回のトーマの町最大の交通渋滞を引き起こしつつ、帝国建設者号は東進を続けるのであった。

飯を終える頃には、周囲はまるでミュンヘン・ザルツブルグ間のような白樺林になる。電話が圏外である。とはいえ、それなりに牧畜業やら住宅などがあるし、路線が分岐したりしている。

北から下りてくる線のジャンクションでは、猛烈な低速になる。保線は大変だろうなぁ、こういう長距離線は。ジャンクションには車がわざわざ来ている。再びスピードを上げ、車内のパンフレットで景勝地とされているウィスコンシンデール駅に接近する帝国建設者号であった。
2時26分、河を渡って古い町のウィスコンシンデールに到着。白樺林が美しく、紅葉の頃にはニューイングランドのようになるのだろう。なにやらオバサンがヘタウマの絵に描いたようなアメリカの田舎の町で、駅前で雪祭りをやっており、子供らが馬ぞりに乗っている。

遅れは2時間20分程度になっている。続くポーテイジの駅は山のように貨物がいて、駅近辺からずーっと反対路線は長い長い貨物が走っている。CPレイルのカーゴを盛んに見るのである。黒いお婆ちゃんはカップヌードル風のものを喰らっている。定刻12時27分発が2時51分過ぎ発になっている。車を満載にした貨物が行った。

嫁さんは足乗せを全部引っ張り上げて、お婆ちゃん坐りになって寝ている。周囲も静かだ。列車の作る影がドンドン長くなっていく。ノンビリした酪農産業の軽井沢みたいなところを走っていき、3時17分にコロンバスという所に停車。マジソンであるぞよ、世の奥様たち!あの「マジソン郡の橋」で有名で、しばしば飛行機の位置案内で場所が出てくる場所だ。車窓からは、何が産業かも判らぬ。

3時19分コロンバス発。随分夕方になってしまった。次はいよいよ大都市ミルウォーキーである。駅を出ると、ラウンジカーは約1時間先のミルウォーキーでオシマイだぞ、というアナウンスが入るのであった。やがてダラダラした長い下りになって、30分もすると隣りにハイウェイが寄り添い、大都市郊外の町が続き始める。上空に鴎が飛んでいる。真後ろから沈む太陽の光を受けるようになった。ここから先は乗客を乗せないようだ。4時過ぎには、「あと15分でミルウォーキーでラウンジカーは閉店するぞ、コーヒー飲みたかったら今だぞ」と繰り返し脅す車内放送。ダラダラと下りつつ、すっかり夕日の中をミシガン湖に近付いていく帝国建国号であった。

ミルウォーキーに接近、どうやらここはミラーの町らしい。ミラーのデカイ看板やら、ブリューワリーらしきものやらが見える。帝国建国号下りが反対車線を走っていった。

全世界の酔っぱらい大喜び、札幌オリンピックのときの「ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー」でお馴染みのミラー工場の真横で、延々と20分もちょっと走ってはまた止まり、を繰り返す。車内放送が混乱している。どうやら乗務員のミスでディレイが起きているようだ。ミルウォーキーの駅は、まるで廃工場のような赤煉瓦とハイウェイ建設中の真下を潜った、工場みたいなところ。

4時47分到着。あんまり印象のよろしくない、殺伐とした町である。お煙草下車の乗客がバタバタと暗い倉庫裏みたいなホームに出ているのであった。そもそもは2時7分発が、4時53分に警笛が鳴って、ユルユルと動き始める。

駅を出ると、大きく右に曲がり、いきなり運河を越える。向こうに巨大な橋が見え、船も見える。ミシガン湖の湖畔である。あとは湖西岸に沿って南に下るだけだ。車掌が「シカゴまで1時間半」と言いながら頭の上の行き先札を回収している。もうすっかり夕方。車内はすっかり夜になってしまう。ミシガン湖は見えない。あちこちの席では、「まだ着かないの?」という携帯電話の連絡が入っている。

周囲は白い平原が広がるだけで、ろくに家の光もなく、湖も見えない。寂しい世界である。客も全員寝ているみたいな静けさ。誰も電気を付けないのが不思議だ。日本の列車ならまだピカピカに車内を照らしてる時間だろうに。車窓でたまに光っているのはミシガン湖畔の工場くらい。5時半というのに、ホントの光のない、月明かりもない、雪の照り返しだけの世界である。

こういう寂しさに耐えられるかが、この大陸で生きられるかのメルクマールになる。なにもないところで、何かしないと死んでしまう場所で生きること。シカゴとミルウォーキーなんて至近距離の大都市間でこれなんだから。

都市近郊列車区間になったからか、太平洋岸からまるまる2日半の長っ走りもラストスパート、帝国建設者号はゴールに向けてやたらと元気に走ります。イリノイ州フランビューというところには6時に到着。周囲はホントの大都市郊外のようになってきた。あちこち乗り継ぎができない客がいっぱいいるようである。フランビューという駅は降車専用で、ひとつしか扉が開かない。上空を飛行機が盛んに下りていく。オヘアに向けてのアプローチなのか、それとも小型機用空港があるんだろうか。

雪は殆どなく、イリノイ州はあまり寒そうじゃない。シカゴまであと30分とのこと。なんとか8時からのシカゴ響、マルサリスのちょっと困った大作「皆立ち上がれ!」にも間に合いそう。眠いのは仕方ないが、ずーっと緊張の連続だった嫁さんがしっかり寝られたから、アムトラックでの移動は賢い選択だったろう。遠くに摩天楼が眺められる。思ったほど明るくない、赤い点が散在するスカイライン。

かくて帝国創建者号、遅れをなんとか2時間20分程度まで取り戻し(ミルウォーキー駅前の車掌ミスがなければ、2時間まで取り戻せた筈なのだが)、無事にシカゴ・ユニオンステーションに到着。

スーパーボールにシカゴ・ベアーズが出られるか、明日の試合だけしか考えてないマヌケな市民がたむろし、ポッパーの「ナイトホーク」の画面にいつまでも寂しく座る3人から道を挟み20世紀後半の一頃世界一のオーケストラと豪語した交響楽団が聳える、湖畔の「風の街」。見よ、シカゴ・オーケストラホールから、インスティテュート・オブ・アーツの彼方に眺める高層ビルの壁面に浮き出る正気と思えぬ文字群をっ!


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帝国創設者号東へ:partⅠ [たびの空]

シカゴの宿です。月曜の早朝1時過ぎ。今、資料がアムステルダム一泊になったために遅れに遅れた原稿をひとつ入れ、やっと私設壁新聞を入れられます。一部の方にはご心配かけました。なんせ、商売優先ですからねぇ。

さても、北米大陸中西部はピーカンに晴れ渡った土曜日、アムトラックの大陸半分横断鉄道「エンパイヤ・ビルダー」即ち「帝国創設者号」で、ツィンシティからミシガン湖のウィンディ・シティ、シカゴへと到着しました。ってねぇ、アメリカ合衆国に少しでも土地勘のある方なら、なんてアホなことをするんじゃ、と呆れてるでしょうね。だって、アムトラックで8時間のこの道中、飛行機なら1時間20分弱のひとっ飛び。車だってぶっ飛ばして6時間弱くらいかな。まあ、北米ならグランドツーリズモの長っ走りをしない距離じゃあありません。そこを鉄道に乗る奴なんぞ、普通はおりません。

なんでこんなことになったかというと、ええと、まあハッキリ言えば、航空会社との喧嘩です。

シカゴから2時間ほどの大学町シャンペーンでのパシフィカQとの仕事がキャンセルになったとはいえ、既に遙か昔に東京に戻る飛行機は安いフィックスで取ってある。日程を違えると、なんとひとりあたま200ドルかかるという。おいおいおい、夫婦で400ドルですよ。これって、コペンハーゲンから直接東京に戻ることで浮く宿代とそう違わないじゃあないの。なんとかならないの、え、ダメ。それが規定、なんですね。あ、そーですか。

それだったら、どうせ原稿やってるだけなんだから、北米にいた方がまだ良いわなぁ。とはいえ、コペンハーゲンからシカゴに戻る便だと、朝の6時にコペンハーゲン空港発とかいう滅茶苦茶な日程だったから、ここは少し楽にしましょ。ミネアポリスに戻る便に代える。こっちは無料航空券を使ってるので、無料で代えられる(←大いなる矛盾を感じる筈ですが、航空会社のチケット料金制度がそうなってるのだから、文句言ってもダメです)。

かくてミネアポリス到着で北米に一度戻ることにする。シカゴ・オヘア→ミネアポリス→成田という帰国ルートは変更できないために、なんとかミネアポリスからシカゴまで行かねばならぬ。飛行機の片道切符は凄く高い。グレイハウンドバスは安いが、いくらなんでももうこの歳のオッサン&オバチャン夫婦にはキツイ。あ、ミネアポリスとセントポールの間にアムトラックの駅があったじゃないの。で、調べてみると、1日に1本、シカゴまでの列車が走ってる。ひとりあたま50ドルくらい。あ、これこれ、これでいいじゃないの、どーせ忙しい理由はないんだしさぁ。見よ、これがミネアポリス・セントポール駅に掲げられた時刻表。

そんなわけで、中西部の拠点シカゴから、ウィスコンシン、ミネソタ、さらにノースダコタやらモンタナというだーれも住んでなさそうな田舎中の田舎を突っ切り(サウスダコタでヒューイット君、モンタナでバルカン人とのファーストコンタクト、と頭に浮かんだあなたは病人です)、ロッキー山脈を越えて太平洋岸、オレゴン州ポートランド(デ・プリースト御大の前の仕事先)やら、いちろーの街シアトルに至る栄光のアメリカ大陸横断列車の逆向きに、ちょっとだけ乗ることになった次第。

さても、この列車、ミネアポリスの市内から遙かに離れた、正にツィンシティの真ん中、ミッドウェイという身も蓋もない地名の住宅街の駅に停車します。上の時刻表からお判りのように、実質まともな客車が1日に上下1本づつじゃあ、駅にはなんにもないだろうなぁ、と諦めつつ、夜も明けぬ朝7時過ぎにホール横の宿をチェックアウト、タクシーを飛ばします。
東のセントポール側は、高緯度地域独特の、地平線に沿って赤い帯が布かれるような朝焼け。南国の空全体が真っ赤になるような壮大なドーンじゃない、なんとも寂しく、つめたあああい朝の空。

やっぱり何もない駅(自動販売機とトイレはありましたぁ)に到着し、荷物をチェックインしようとすると、駅員のオッサンが、その程度の荷物でわざわざチェックインする奴なんぞおらんよ、という顔をする。それよりも、「2時間遅れで、発車は10時過ぎになるから」と、さり気なくおっそろしいことを宣うのであったぞよ。おおおお。

かくて帝国創設者号、早速、初っ端から波乱含みで東進であります。なんでも機材故障で一昨日の晩(!!)のシアトル出発が3時間程遅れたとのことです。さても、この先どうなるか。まだ列車も着かずに終わっていいのかっつ。でももう眠いので、今回はこれでオシマイ。

あ、予告しておきますが、この先も別に大したドラマがあるわけではありません。なーんにも期待しないよーに。ちゃんちゃん。


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