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ボツ企画書公開:『サイトウキネンの母たち』 [売文稼業]

颱風を心配しながら、松本まで来ている。北アルプスは颱風に向かう真っ黒い雲に覆われ、でも、あちこちちぎれた雲間からときに日が射している安曇野。

松本は、シンドイ場所だ。わざわざ針のムシロに座りにくるようなもの。

フリーのジャーナリストという商売をしている人間の引き出しには、世に出ないままいつまでも眠り続けている企画書がいくつも積み上がっているものである。累々たる死体の数々。
20世紀の終わり頃から、はっきりと出版界内部では構造改革が起きている。本が売れなくなったところに、インターネットやはたまたブログのような基本的には無料の情報伝達手段がいきなり登場し、出版界で細々と生き延びていた業種が人知れず絶滅しつつあるのである。

長編ドキュメンタリー、というジャンルですね。

小生のようなテーマ型の長編タイプの書き手は殆ど商売が不可能になり、構造改革を生き残れたのは、視点の切り取り方で勝負するコラムニスト型のライターだけ。生きるためには仕方ない、小生も21世紀に入ってからは、そんな仕事で細々と食いつないでいるわけである。

で、今年も懲りずに松本に来ているのは、サイトウキネン関係で宙ぶらりんになっている企画があるから。年に一度、関係者の皆様のご尊顔を拝し、「あの企画、まだ殺してませんから、生き返ったらよろしくね」と自らを戒めるためである。とてもじゃないけど、楽屋なんて行きません。恐ろしくてね。なんせ今年は、本来の商売のロバート・マンの室内楽レッスンにまるっきり顔を出さなかったのだから、裏に行く理由もないし。

というわけで、「ブログだからってこんなことしちゃってホントに良いのか」シリーズ、もう第何弾だかわからぬ。ボツ企画公開であります。以下の企画書の内容、ブログをお読みの皆様、関心がありますでしょうか。

この企画、小生がサイトウキネンの当日プログラムを書かせていただいていた1996年頃から弄り出し、98年には多少の見切り発車ながらGOが出て、いくつか取材するところまでは行った。だけど、まだ2合目くらいのところで担当編集者が出版社を辞めてしまい(別の出版社に移ったならばそっちに連れて行くのだが、出版界の状況に見切りを付けて、なんとN編集者は看護士さんになってしまったのです!)、出口がなくなって、完全に宙に浮いてしまったわけですな。松本のサイトウキネンのメンバーが滞在するホテルの部屋の会議室に集まって貰い、「絶対にやりとげますのでよろしく」などと頭を下げたものの、取材はその後数ヶ月で頓挫したっきり。

人生最大の痛恨事なんですよ、ホントに。

なにせ、単行本でドキュメンタリーを出せていた頃は、5000部が確実に売れる見込みがあればGOが出たのだ。だが今は、こういうものは新書フォーマットなど以外には考えられないだろうから、万単位の売上げが前提。音楽関係の長編ドキュメンタリーには、まず常識的に不可能な数字になってしまっている。
それに、今から再開するとしても、取材対象の高齢化が冗談では済まないところまで来ていて、もう無理な部分もあるだろうし。ううううん。やっぱりタイミングを逸した企画なのかもしれないなぁ。
このドキュメンタリー、既に小生が発表している『黒沼俊夫と日本の弦楽四重奏団』(柏の森書房)(わあああ、今、Amazon.comで検索したら、新品がなくて新品中古の市場価格が定価の倍近い7499円になってるじゃあないかぁ!!!湯布院に在庫はいっぱいあるぞぉ!!!)と『ホールに音が刻まれるとき』(ぎょうせい)の間をつなぎつつ背景を成す、日本戦後室内楽演奏史三部作のひとつになる予定で、ライフワークの一部だったんだけどねぇ。

以下のボツ企画書を眺めて、あ、これ読みたいなぁ、という方がホントにいらっしゃるでしょうか。そんな方が少しでもいらっしゃるようなら、来月になって少し日銭仕事が減ったら、また本気で売り込んでみようかしら。いかがざんしょ。

さて、「グレの歌」を聴きに行くまで、少しでも仕事をせねば。今日締め切りの原稿が、まだ全然終わってない。

                            ※※※

                   単行本『サイトウキネンの母たち』企画書(抜粋)

・記述は1945年から1951年までを中心とする。それ以外の部分は、敢えて切り捨てる。記述としては複雑な構成はとらず、一般読者に抵抗なく読める類の、神の視点から史実を再構築する類のドキュメンタリー読み物とする。あまり膨大な書物にはしたくない(いくらでも長くなるし、量も多くなる素材なので、肥大化に注意せねばならない)。最大で400枚程度。
・事実関係の取材8としては大量の関係者にインタビューなどする必要はあるが、書物の流れとしては着目すべき人物らを限定する(さもないと対象が広がりすぎポイントが絞れなくなる)。具体的には、安芸幸子、松田友、江戸紘子、水野裕子、建部多喜子、堀、二宮、田中など、「子供のための音楽教室」からオーケストラの主軸メンバーとなった人々(減る可能性あり)と、教師としての河野俊達が登場人物。齋藤秀雄はあくまでも遠景にとどめ、登場人物にはしない。

◆序章『先生』(約30枚):1945年8月15日、鹿児島で敵の上陸を待ち受けているところで敗戦となった河野俊達は、東京に戻るや親友渡辺暁雄を訪ね、さらに焼け野原になった三番町の齋藤秀雄宅跡地に赴く。戦後、音楽家達が再び音楽をするために集まってくるプロセスを、河野の姿に代表させ描く。やがて三越室内楽での齋藤との付き合い。巖本真理を本物の音楽家に鍛え上げた齋藤が、子供の教育に関心を移していくプロセスを、すぐ側から眺めた河野の口で語らせる(「子供のための音楽教室」が作られる過程に河野は関与していないのだが、この書物での関心は桐朋学園史的なものではないので、この部分を省略するのに河野の視点にのっかることはかえって好都合である)。子供のオーケストラのヴァイオリン・セクションのトレーナーとしての齋藤からの依頼。アンヴィバレントな気持ち。プロとしての疑問など、「子供のオーケストラ」への危惧やら否定的な側面を先に出してしまう。この序章は、河野が1950年の土曜日の午後、市ヶ谷の家政学院の「子供のための音楽教室」で、最初のオーケストラ練習に入っていくところで終わる。
(序章の素材の大部分は、黒沼本の際の取材、去る2月の取材などで、あらかた取材済み。すぐに記すことも出来る。無論、河野による再度のチェックや書き直しは必要。)

書き出しとしては、例えば…

「千代田区の三番町には坂が多い。戦争で焼け野原になってみると、以前この場所に通ったときには感じなかったそんな事実が、やけに気になるものだ。
 齋藤秀雄邸も更地になっていた。柿の木の一本もない。いくら米軍さんでも、測って焼夷弾を投下したわけではなかろうに、道一本隔てたイギリス大使館はまるで無傷なのが、なんとも不思議だった。焼け野原に飛ばされる枯葉が、敗戦国宮城裏の一等住宅地に秋を告げる、唯一のものだった。
 いつ再びヴィオラを持つことができるのだろう。焼け残った門の横に下げられた紙切れに、自分の五体満足な帰還の知らせを書き込みながら、復員二等兵河野俊達はそう考えていた。何人もの先輩音楽家の名前が既に記されている。無論、あって欲しい名前が全てあったわけではない。
 1945年10月のことである。」

 なんて調子でありますな。この後、齋藤秀雄という人物の説明と、河野の説明がある(約10枚)。で、いきなりもう三越室内楽の盛況振り(5枚程度)、齋藤の始めた子供音楽教室を距離を置いて眺めている河野の姿(ここで齋藤の方法論も記す、10枚)。またとんで、子供のための音楽教室が始まって暫くした頃、オーケストラをやるためにトレーナーとして河野に泣きついてくる齋藤。ボランティア仕事はやりたくないので渋る河野も、説得され、子供相手のオケの指導に出かけることになる(5枚)。で、いよいよ教室に入っていくところまで。インタビュー取材で得た生の声を入れた記述にするかは未定。

◆第1章『母たち』(約180枚):1945年8月15日をスタートに、1948年に始まった「子供のための音楽教室」が、1950年に「子供のためのオーケストラ」として練習を始めるところまで。子供に音楽をやらせる決意の理由、という共通のテーマでお母さんの敗戦直後からオーケストラ練習が始まる日までを描く。6人(?)がそれぞれ独立した別の記述となり、お終いはすべて、子供をオーケストラ練習に連れてきて、後ろに取り巻き、河野先生が入ってくるところまでとする。(つまり、オーケストラ練習が始まる日に河野が入ってくるところの描写は、違った視点から総計7回描かれることになる。)それぞれ最大で30枚程度。
◆第2章『子供のオーケストラ』(約100枚):「子供のためのオーケストラ」で最初の曲である「玩具の交響曲」が仕上がるまでの1年間。これ以上は敢えて描かない。どのように描写するかはまだ不明。ここからは、序章、第1章で導入した人々が全員登場する、神の視点からの記述になる可能性大。
◆エピローグ(20枚):内容未定。ただ、1998年の松本での母達は描かれる可能性大。
◆資料及び年表
(当企画書の著作権は渡辺和にあります。無断使用を禁ず。)


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せいさく0319 

せいさく0319と申します。
掲載されている日記を興味深く拝見させていただきました。事後の御連絡となりましたが、当方の記事にリンクをはらせていただき、日記を紹介させていただきました。

リンクをはらせていただいた件について、何か差しさわりがございましたら、その旨、御連絡ください。何分、ブログ初心者なもので、ご容赦ください。

また、よろしければ、今後とも、そちらのサイトを拝見させていただくつもりです。よろしくお願いいたします。

せいさく0319 
サイト名 気になるブログ10件
mail:noguchi0319@mail.goo.ne.jp 
http://plaza.rakuten.co.jp/kininaruburogu10/
by せいさく0319  (2005-09-07 16:52) 

Yakupen

はい、どうぞ。
なお、小生はブログは日記とは思っていません。新しい情報発信媒体のひとつで、これまでは絶対にやれなかったことをいろいろやってみる実験場だと思っています。この記事も、こんなボツ企画をいきなり公開して果たしてこれに意味があるのか問うてしまうなど、10年前には絶対に不可能なことでしたしねぇ。
それでよろしいのでしたら、よろしくお願いします。今のところ毎日書いているのは、毎朝5キロ走るとか、毎日ジムに行くとか、そういう感じでありますな。
by Yakupen (2005-09-07 17:15) 

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