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ヒミコは佃端を通わない [新佃嶋界隈]

佃の庵の表と裏を開け放ち、作務衣姿でパソコンの前で延々と山積みの作文作業を処理していると、肌寒さを感じるようになってきた。夜ともなれば、どこに住むか判らぬ虫も鳴く。晴海大橋の向こうに移ってきた嘉悦の学バスが運ぶ娘達の嬌声が月島駅地下鉄コンコースに谺するばかりで、鏑木清方描く『佃島の秋』みたいな初々しいカップルなんぞ見あたらないけど(清方があの絵を描いたときにだってホントはいなかったろうに)、やっぱり湾岸も秋です。

さても、本日5日、初見橋跡の交差点を覆いながら明石町から晴海へと一気に大川と朝潮運河を横断する橋を渡り、古くは仮面ライダーと怪人が決闘を繰り返し、最近では知る人ぞ知る湾岸地区ご当地番組ウルトラマンMAX最終話の舞台にもなった春海橋や貨物廃線跡の産業遺産晴海橋梁を越えた向こう、豊洲の巨大ドック跡に、「ららぽーと」がオープンした筈。筈、ってのは、雨模様の天気とあってか、昨日午後のように取材ヘリコプターの乱舞もないし、隣近所のじーちゃんばーちゃんが買い物袋ぶら下げて橋を渡ってくるわけでもない。だから、筈、としか言いようがありません。

んで、東京駅から最も近い田舎たる佃住民には特にかわったこともないのだけど、実はひとつだけ影響があるんですね。

佃から眺める大川を、毎日何度か、珍妙な姿の船が走っておりました。水上バス会社の虎の子、たった1艘しかない近未来指向の水上バス「ヒミコ」丸であります。この2年くらい、浅草とお台場の間を日に数回往復してます。こいつ。それこそ20世紀末の「船橋ヘルスセンター」お台場にて。

小生の生活時間だと、銀座に打ち合わせに行ったり、秋葉原や文化会館資料館に用事があって少し早めに上野に向けて家を出るとき、午後4時過ぎくらいにチャリチャリと佃大橋やら中央大橋を渡っていると、丁度この「ヒミコ」が橋の下を潜っていく。なかなかインパクトのある風貌のようで、多くの人が橋の上で足を止めて眺めている。
佃大橋とかちどき橋の間、聖路加タワーの麓を大川に波蹴立て、ノンビリ浮いてるカモメを追いやりながら進む勇姿は、佃月島の風景のひとつになってました。我らオッサン世代としては、思わずかの故ジェリー・ゴールドスミス御大作「スタートレックのテーマ」を口ずさんじゃう。♪たんたたああああーん、ちゃん、ちゃちゃちゃちゃああああん、ててええええ~

さて、そんな佃川端風物の「ヒミコ」なんですけど、どうも今日だか明日だかから豊洲に水上バスの発着場が出来、佃の西側を通わなくなるそうな。浅草とお台場を結ぶ水上バス路線が廃止になるのではありませんので、東京観光を予定する全国の皆様はご安心を。ただ、道が替わるらしい。

これまでの「ヒミコ」運行航路は、永代橋を過ぎた佃リバーシティの北端から中央大橋、佃大橋、そしてかちどき橋とぐぐり、築地市場を右手に外洋へと出てレインボーブリッジの彼方お台場へと向かうコースでした。ところがどうやら、これからは大川本流を経由せず、越中島とリバーシティの間で晴海運河へと左折、相生橋の下をくぐり、晴海橋梁を見上げながら、豊洲のドック跡商業施設に入港するみたい。で、豊洲で客を乗せると、豊洲運河を外洋へと直進。晴海大橋をくぐり、晴海埠頭を眺めながらお台場へと向かう。http://www.suijobus.co.jp/Up2/news.php3?id=949

つまり、この写真で「ヒミコ」が進んでる右側じゃなく、奥の方へと向かうようになるわけです。

水上バス公式ホームページ上の記述がどうにも曖昧で、「ヒミコ」大川河口経由ルートは下りはあるけど上りはなくなった、なんて風にも読めるんだが、まあ豊洲の郊外型巨大商業施設を仕掛ける三井不動産がそんな中途半端なことを許すとも思えない。どうなんでしょうねぇ。

いずれにせよ、これからは相生橋下を進む「ヒミコ」という地域住民には驚愕の姿が普通になるのかもしれません。相生橋も春海橋も、大川を渡る大橋やかちどき橋に比べると相当に水面に近いので、迫力はあるでしょう。

あのゴシックモダンな聖路加タワーと、剃刀堤防から突き出す佃煮の天安の看板の間を、ハイパーモダンなボートが抜けていくミスマッチには、暫く出会えないのかもしれないなぁ。豊洲の施設の勢いがある数ヶ月の間だけ…だろうけど。←次から次へと誕生する新商業施設の寂れゆく姿を山のように目撃してきたTokio住民の率直な感想

おっと、こんなことしてられん。「ヒミコ」の目的地お台場の某テレビ局、アートネット原稿、一昨日から難産中。


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