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旧第8軍東京教育センターホール解体 [売文稼業]

明日5月1日から、旧第8軍東京教育センター内オーディトリアムが入ったビルが解体されます。

と、記したところで、恐らくはこの駄文をお読みのほぼ全ての方が、なんじゃらほい、と思われるだけでしょう。そんな施設が存在したことを伝える資料もほぼ皆無。興味深いことに、ネットの海を検索しても、一切記述がありません。現在なんとか入手可能な日本語文献でこの施設について触れているのは、拙著『ホールに音が刻まれるとき』(ぎょうせい、2001)の66-7ページだけなんじゃないかしら。

これが、本日夕方の旧第8軍東京教育センターが入っていたビルの様子です。暫く前から立ち入りは不可能になっています。どうしても本日の日暮れまでに最後の姿を眺めたくて、かちどき橋越えて晴海通りをチャリチャリ日比谷まで走り、見物して参りました。

なんだ、三信ビルじゃないか、って。あ、そーでした。この場所をTokyo Educational CenterとかCIE図書館とか呼ぶ人は、今を去ること60年も前にほんのちょっといただけでしょう。
そう、三信ビルを「東京教育センター」と呼んでそれとお判りになる方は、小生にもひとりしか思い浮かびません。今はワシントンDC郊外のアーリントンにお住まいの名ヴィオラ奏者、河野俊達先生。アーニーパイル響でボレットの指揮で演奏していた俊達先生は、1947年5月18日に、ここ三信ビルの1階に入った東京教育センターのオーディトリアムで、東京弦楽四重奏団(無論、東京クァルテットじゃあありません)として登場、「雲雀」、モーツァルトのニ短調、ベートーヴェン作品18の4を弾いています。敗戦から2年目の新緑の頃。

発効直後の日本国憲法を祝う祝日はあったのかしら。

小生はとっても小賢しく現実的な人間だから、三井不動産さんに「三信ビルを保存しろ」などと経済の理屈に合わないことは言いません。三信ビルの解体で日比谷に残る20世紀の匂いは日比谷公会堂だけになったことを、嘆きもしません。ああそうなんだ、と思いましょう。

でも、同時に思うんですね。ああ、豊洲のららぽーとも、次々と建て替えられる丸の内の三井村も、まあ、あと半世紀もしないうちにみんな「21世紀初頭の古びた建築」になって、ジジイどもが保存を叫び、バリバリの連中が「あんなもの保存するなどソロバンに合わぬ」というのだろう。どれもこれも、22世紀初頭までもちゃしない。

だから、すっからかんと晴れ上がった春の終わりの夕方、第8軍東京教育センターと、その向こうのGHQビル(リメイク版ですけどね)が並ぶ姿を、とっくりと眺めておきましょ。あたしなんぞ、21世紀の半ばまでだってもちゃしない。

ラ・フォル・ジュルネにお越しの皆様、演奏会の間に時間が出来たら、有楽町駅と反対のお堀端まで出て、GHQビルの前から日比谷公会堂の方を眺めてみてください。解体が始まるとはいえ、まだ数週間はSanshin-Buildingの西端は目に入るでしょう。ほら、じっと眺めていれば、その向こう、帝国ホテルの隣には鹿鳴館が見えてくるし、さらに向こうには飛行館、おや、NHKホールだって見えてくる…わけないじゃないの。

三信ビルにあった東京教育センター内オーディトリアムで1947年頃に行われていた演奏会シリーズや、米軍軍属によるアマチュア演劇に関する資料をお持ちの方、情報下さい。もう、アップデートすることは不可能な拙著ですが、あの部分、ホントに資料がない。今となっては、ホントにあったことなのかも判らない気すらする。


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