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千住博の眼、蜻蛉の眼 [たびの空]

蜻蛉というのはあそこまで鈍感な生命体なのか。なにしろ、目の前5糎にカメラが迫っても、まるで動こうとしないんだから。

それとも、あの枝の先は、あの蜻蛉爺がこの世界を最期に眺めている終焉の場所だったのかしら。さあ、ヒヨドリでもカマキリでもやってこい、さっさとわしを喰らえ、って。

浅間山の麓の集落や原生林には、颱風でなぎ倒された白樺の巨木や、飛び散ったままの杉の枝が転がっている。

松の木の天辺にアカリスがいないかな、と目をこらしても、ここ東アジアの島国火山列島の標高1000メートルほどの高原には、どうやらあの松ぼっくり広域配布担当者たちは生息していないようだ。

鳴くのは烏と雀ばかり。四十雀の声すらしやしない。

まるで生命力を感じられない蜻蛉爺の眼が眺めている先には、メルシャン美術館があります。この所蔵品を持たない高原の巨大美術展示室、「千住博の眼」って題で印象派やらバルビゾン派を集めてら。今日は堤剛さんがバッハを弾くミュージック・イン・ミュージアム。なかみについては、いずれフジテレビアートネットの連載に書きますので、そちらをどうぞ。美術館のホームページはこちら。http://www.mercian.co.jp/musee/exhibition/index.html
冬になると閉まってしまうそうなので、お気を付けて。

この特別展の特徴は、日本画家の千住博氏が50点弱並ぶ作品の3分の2ほどに観賞用のコメントを付けていること。タブローの左下隅に記されています。こういうのって、案外、ありそうでない。音楽で言えば、まあ、音楽評論家さんのプレコンサートトーク、みたいなもんですな。学芸員さん曰く、「うち、音声ガイドを作る予算もないので…」とのこと。

たとえば、セザンヌの「オーヴェールの曲り道」への千住コメントは以下。公開されてるものだから、写しても問題はないでしょうね。千住師曰く、「仮面中心の三角形の家とその並びの建物が、画面に安定感を与えています。その周囲は、その分流れるようなリズム感を持っています。屋根の赤色は、手前の緑色との調和を意識してバランスを考えながら配色さています。(千住博)」

おお、まるで美術学校の先生のコメントみたいだぞ。とってもまともなご発言。

とはいえこのコメント、ときに暴走してるのが面白い。バルビゾン派作品をまるでフリードリッヒみたいに説明し、猛烈にロマン派っぽく解釈しちゃったり(おいおいおい、本人そんなこと考えてないだろうに)、女性のポートレートについて「背景がまるで瀬戸内海を思わせて親しめる」ですませちゃったり。アンリ・マルタンの「画家の庭」http://www.fujibi.or.jp/collection/work_detail.php?id=1339にだって、「花や葉、壁の質感までも伝わってきます。それがリアリティーということなのでしょう。そっくりに描くことより、感じ方が伝わる方が大切だ、と教えられます。(千住博)」って、なんかまるで裏の美術好き爺さんの説教みたいだぞ。うううん、すっとぼけた、味わい深いコメントだなぁ。

いやぁ、監修者にプチコメントをさせてそれをだああああっっと貼り付けておくなんて、なんて賢いやり方。より正しく言えば、なんと正しい有名人の使い方であることよ。

でもね、それならあたしゃ、偉い日本画の先生よりも、千の眼球で世界を眺める蜻蛉の爺のコメントが聞きたいなぁ。あの死んでいく蜻蛉爺には、この軽井沢の宇宙がどんな風に見えていたか。千の空、万の風。

千住にも 蜻蛉の眼にも 写る秋


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