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ハース版の音楽史的位置付けは? [売文稼業]

たまには音楽の話もします。たまには、ですけど。

さても、NJP1月定期曲解のブルックナー第8交響曲の作文を一応初稿入稿。とはいえ、同時に2月のデュティーユなんぞも入稿せにゃならんのだが、まだオケに楽譜が来てるかどうかも判らぬ状態。いやはや。

で、なんであたくしめなんぞがブルックナーについて書くのよ、なんぞ思いながらえっちらおっちらお仕事してた訳です。んななかで、どーしても判らぬことがある。世に数多いブルックナー愛好家の皆様、特に日本では際立って数が多い「版問題」に並々ならぬ関心をお持ちの皆様。ひとつご教授くださいな。

なんのことはない、「ハース版の音楽史的な位置付けは、オーセンティック流行の21世紀初頭現在、どのようになってるのか」ってこと。

今回の作文、長さの関係でカットしたんだけど、ある時点まで原稿に
「ブルックナーの改訂を巡る議論は、「創作にとってオーセンティシティとは何か」なり、「ブルックナーの作品とは改訂者や指揮者との共同作業まで折り込んだワークス・イン・プログレスと捉えるべきではないか」なり、美学や芸術哲学を踏まえる必要があることは確かだ。」
という一文を入れてました。

ご存じの方は良くご存じでしょうが、一応、最低限の説明をしておきましょ。

ロベルト・ハースというブルックナー研究者さんがいました。20世紀前半に活動した方です。19世紀の終わりに没したブルックナーの面倒くさい様々な楽譜を整理し、決定版的な楽譜を最初に作る試みに従事した偉い音楽学者さんであります。ハース先生校訂版の第8番総譜は、1937年だかに出てます。
まあ、普通の歴史的感覚を持った方ならば、よりによってこの時代にブルックナーの楽譜が出ることの意味は、なんとなくお判りになるでしょ。ルキノ・ヴィスコンティの映画『地獄に堕ちた勇者ども』で、ラジオからブルックナーが鳴る場面があったと記憶してるんだけど(4半世紀以上前に今は亡き三鷹オスカーのヴィスコンティ3本立てで眺めて以来ずーっと観てないんで、記憶違いだったらスイマセン)、それがどのように使われていたかを思い出せば、オーストリアが第三帝国に併合されるこの時代のブルックナーの扱いがどういうものだったか、この時代のブルックナー研究者が背負わねばならなかったものはなにか、誰にだって察せられるでしょ。

んで、戦後にノヴァークという先生が、先輩ハース先生の仕事を批判する新しい校訂版を出してくるわけです。ノヴァーク先生の先輩批判を一言で言えば、「ハース先生は、ブルックナーの初稿から改訂稿の間の仕事は本人の意志ではなかったと主張し、これが第8交響曲の在るべき姿だと言い立て、世の中のどこにも存在したことがないハース先生にとっての理想的楽譜をでっち上げたのである」ということでんな。

なんせ「いかにもそうあって欲しい」と聴く者も弾く者も思う、いかにもツボを心得た事が次々と起きる効果的な楽譜なものだから、ハース版が出た頃に若い楽徒だった指揮者などは生涯この版を使ってたわけですわ。どー考えてもノヴァーク先生の版よりも遙かにカッコイイもんね。
いかにノヴァーク先生が「そんなのインチキだぁ」と主張しても、音楽的にこっちが良い、と指揮者が言えばそれまで。例えば有名な逸話とすれば、朝比奈御大は大フィルのヨーロッパ公演でノヴァーク先生臨席の前でいつも通りにハース版をやった、なんて武勇伝も伝わってる。

ブルックナー業界の最先端にはトンと無知な小生とすれば、知りたいのは、今流行のオーセンティックなり、オリジナル楽器なり、作者の意図を尊重しロマンティックな演奏因襲を徹底して破棄する主張の中で、ハース先生のやった作業はどのように評価されているのか、ということ。だってハース版の意味って、まともな神経で捉えれば、「浪漫派の音楽観ここに極まれり」みたいな蛮行だもん。それを敢えて「20世紀前半の美学に則った改訂」として評価しているのか、これがブルックナーを取り巻いていた時代の「オーセンティシティ」と考えるのか、ということ。

つまり、21世紀の研究者からすれば、ハース先生のやったことも、ひとつの歴史の中に入りつつあるのか、ということです。マーラー版のベートーヴェンやらシューマンみたいなものとして、「それはそれ」として捉えるのかどうか。

それにしても、やっぱりハース版には第三帝国的「あるべき理想のドイツ像」みたいな空気を感じてしまうなぁ。ま、考えすぎ、と笑われればそれまでですけど。

さて、ブルックナー床屋談義はこれでオシマイ。デュティーユやらにゃ。


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すみこ

自分が全く知識を持たない分野の事をサーチしたって大した収穫がないのは
当り前、と思いつつちょっと調べてみたら、やはりあまり記述がみつからない
のですが、Wikipediaの仏語サイトではノヴァークの手法の方がハースより
ずっと科学的であり、一般的に言って今日ではその厳格さゆえにノヴァーク版
の方が評価されており、国際ブルックナーソサエティの新版の基盤となってい
る、とあります。それからSalle Pleyelの今年6月のニュースレターにマレク
ヤノフスキーがブルックナー8番を振る(モンテカルロフィルハーモニック)
けど、彼は今回ウイーン初演時の1892年に音楽家(ブルックナーの事です
よね)自身によってオーセンティシティが確認されたノヴァーク版を選んだ、
とあります。ノヴァークは1904年に生まれたんだからこの書き方って誤解
を招きますよね。82年にブルックナー自身が承認、確認した版に忠実に
従って編集されたのがノヴァーク版っていう事ですかね?全然情報になって
なくてごめんなさい。

自分の信じる美を追求する為に何を何処までやって良いのか、ってすごく微妙
ですね。グールドは最終的な産物が完璧であればある程良いのだから、録音
の編集もすなわち創作行為、芸術追求の立派な一環であるみたいな考えでした
よね。でも人の作品を本人からの依頼なしに編集をしてしまうってのは、
どうなんでしょう。勿論19世紀のバレエ音楽なんかあっちからこっちから
平気で人の作品の一部を失敬したりして、著作権なんてアイディアはなかった
みたいだし、現在の常識でハースさんを批判しても可哀想なのかな。おまけに
納得させられちゃう出来であるのなら余計の事。オーセンティックという
とこに胡座をかいていては勿論いけないでしょうし。でも作曲家以外の人が
手を入れてたらその事実は明記されるべきと思います。パッチワークをした
に過ぎないにしても。
by すみこ (2007-11-27 07:52) 

Yakupen

そういえば、マーラーはベジャール(合掌)が振り付けてたり、ノーマイヤーが「さすらう若人の歌」を使ったりしてますが、ブルックナーって殆ど舞踏の世界では縁がないような。やっぱりひっかかるものが違うんでしょうかね。パリでも人気なさそうだし。

さても、ブルックナーの版の問題は、各論はもうやりだすとキリがないようで、日本にマニアの方がいっぱいいる理由も分からなくはない世界だなぁ、とあらためて思わされました。そういう細部はそれとして、一番面白いのは、「作曲家と再現者の関係の取り方」をイヤでも問われる、という部分でしょう。グールドはピアニストという再現者ですから、調律師さんとかエンジニアさんとかいるにしても、まあひとりで作曲家と向き合えるので、そんな風に言い切れるんでしょう。

バレエでの振り付けや演出の保持なんかはどうなってるんだろうなぁ、なんて思っちゃいますけど、ま、それはそれ。「ベジャールのボレロ」なんて、今や細かい版の違いが山のようにあるんでしょ。なんかマニアの世界だなぁ。
by Yakupen (2007-11-27 09:45) 

すみこ

バレエの世界での著作権問題は20世紀の後半それも80年以降に
云々されるようになってきたんじゃないかな。1番しっかり保護されているのは
バランシンで、Balanchine Trustというところが濫用されないよう目を光らせて
いるし、上演の場合バレエマスターを派遣し、バレエマスターが誰が踊るかを
決める権利を持っている、という感じだと思います。マクミランは生き残った夫人が
がっちりと彼のバレエを抱えこんで、上演許可、人選をやってます。こっちの場合
あきらかに私物化された感じで、マーサグラハムの作品も芸術家じゃない最後の
伴侶が作品を私物化した為カンパニーが活動停止に追い込まれるなんて極端な
例もあります。復活したけど。上演の際は入場が有料かとか、ホールの大きさとかも
考慮して値段が決まるんじゃなかったっけかな。。。?

ベジャールのBOLEROはモチーフがいつも同じで(足踏み)、振付にヴァリアントは
多分公式にはない筈ですが、たとえばプリセツカヤはどうしても似通った振付を
しっかり覚えられず、ベジャールが彼女に見えるとこに隠れて新しいフレーズの度に
頭の振りを見せてあげたそうです。フォーキン振付でサンサーンスの「瀕死の白鳥」は
踊る人の数だけバージョンがありそう。プリセツカヤは公然と「毎回変えてる」と言って
います。ロシア人は振付を勝手に変えて得意技を入れる、指揮者にとんでもない
テンポを要求する (例えばここではたーっくさん回るつもりなんだから!みたい
な理由で )事も多いようです。バランシンは同じバレエでも踊る人が違うと振りを変え
たり、「できない」と言うと変えてくれる事もあったりで、作品によっては沢山バージョン
があったりします。因みに「さすらう。。。」もベジャールです。ノーマイヤー(2人は仲良
しでしたが)はマタイ受難曲とか、長ーい地味っぽいバレエも作っているけど、確かに
ブルックナーを使った名作!みたいなバレエには出会った事がないです。踊りが入り
込む隙間を見付け辛い音楽?今度ちゃんと聴いてみます。
by すみこ (2007-11-27 17:06) 

Yakupen

ご指導ありがとうございました。やっぱりブルックナーのバレエってないんですか。まあねぇ、踊れなさそうだもん。8番のアダージョなんて、みんなじーっとしてるだけになっちゃうかも。
by Yakupen (2007-11-28 15:26) 

すみこ

じーっとしてるだけっぽい作品ってコンテンポラリーダンスならうんとこさあります。
それがすごい!(能とか一部の舞踏ダンサーの静止には火傷しそうなものが出てきたり
する)って事もない訳じゃないけど、「舞台でなにも起こらないならせめて名曲を
使ってくれ、目つぶって音楽聴けるから」と言いたくなるものも多い。。。
by すみこ (2007-11-28 16:23) 

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