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島の上にも10年 [新佃嶋界隈]

「音楽業界」カテゴリーにすべきなのかな。

昨日、東京は銀座から海に向けて通りを真っ直ぐに進んだドン詰まり、今や周辺湾岸地区の開発がジャンジャン進み、あれほど土壌汚染が大騒ぎになった豊洲も市場移転の準備が着々と成される(民主党が都議会でも国政に匹敵する大裏切りをやって下さったお陰です)なかで、唯一開発から取り残された湾岸のチベット(←これ、差別用語かな)、晴海のトリトンスクエア内、第一生命ホールで、夏恒例の「オープンハウス」が行われました。
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フェイスブックでは動員宣伝のために時系列でお伝えしたわけでありまするが、結果的に、なんと1400人を越える入館者があったとのこと。この数字、おこちゃまも含めてであります。

なーんだ、とお思いになるかもしれないが、どっこい、そこが重要なのでありまするよ。見よ、入口に並ぶベビーカーの群れ。ここだけじゃ足らず、別の所にもいっぱい収納したそうです。
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21世紀10年代の今、世界のあちこちに西洋クラシック音楽に特化したオーディトリアム(日本では「ホール」と呼ばれる施設ですね)がボコスコ出来ている。だけど、そこに集う聴衆は、人口構成からすれば極めて偏ったものになっている。ぶっちゃけ、ヨーロッパではご隠居ご夫婦と音楽学生、ヴィーンやベルリン、ミュンヘンなどでは外国人観光客ばかり。北米はご隠居のおばあちゃん(ご主人は死んじゃったか、おっくうなので来ないか)。で、日本では…うううん、よーわからぬが、まあ基本は若いご隠居です。贈り物ご接待文化のソウルは、チケット貰った人の比率が凄く高いのか、案外壮年層が目立つ。若い聴衆が多いのは、なんといっても中国の北京や湾岸部大都市。クラシック音楽聴衆の殆どは、若い夫婦とその子供。子供の多くは楽器を抱えてる。こういう姿を見て、ヨーロッパの演奏家などは「中国には音楽の未来がある」なんて正しい誤解をしちゃうんだよなぁ。

さても、昨日の晴海でありまする。このオープンハウスというイベント、第一生命ホールのソフトを運営するNPOトリトン・アーツ・ネットワークが2001年の始めだか2000年の終わりだか頃に結成されたときからディレクター陣の頭にあった重要な企画。NPOと地域を結びつける「サポーター」と呼ばれるボランティアの皆さんが企画する、アマチュア企画イベントです。ホールを無料開放し地域に親しんで貰う、今や世界中の音楽ホールやオペラハウスでは常識となっている企画なわけですが、そんなもん20世紀には殆どやられておらず、ここは先駆けのひとつです。ホールのハード運営とソフト製作のスタッフがきっちり連携していないと出来ないですからねぇ。基本は、普段は裏方のホールのハード運営スタッフがスターになる年に1度のお祭り。

晴海の場合、このNPOに最初に集まったサポーターが蒼々たる顔ぶれだった。なんせこの地域は東京で最初に都市型ハイライズ(日本語では所謂「高層マンション」ってやつ)がボコボコと建てられたところで、そこには近くの広告代理店やら大企業やらに勤めるエリートサラリーマン層が住んでいた。そういうところの若隠居が自分等の持っていたノウハウが生きているくらいのタイミングでボランティアになったわけです。若手スタッフなんぞを鼻であしらうような、それこそ億単位以下なんて引き受けないなんて仕事をしてた人がいたりもした。

そういう連中に、悪辣なプロデューサー陣がいろいろ業界的な入れ知恵をしたりしながら、サポーター企画イベントが始まり、今に続いている。初期に先頭に立って動かしていた方(その頃は高層マンションに住んでらっしゃった某超大手広告代理店の方で、今はこの地を離れていらっしゃいます)の目標は、「ホールに子供を呼び込むこと」だったそうな。

そんな目論みが上手くいっていたかといえば、ぶっちゃけ、なかなか大変でした。はじめの頃は全然人が来ない。そもそも東京湾再開発で唯一の失敗と言われるこの晴海トリトン、ホールがあることすら周囲になかなか知られず、ホールやNPOと商業施設を運営する共同企業体との関係も面倒。そんなこんな、石の上にも10年ならぬ、人工島の上にも10年、ってかね、それなりに認知されるようになったみたい。
スタッフの顔ぶれは初期とはすっかり入れ替わり創設メンバーがひとりもいなくなったけど、サポーターさんには創設以来の顔が片手とちょっとくらいいらっしゃって、昨日も若いスタッフといっしょに頑張ってらっしゃいました。
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昨日のオープンハウスは、入口はベビーカーで溢れ、ホール内は子供が走りまわる。訪れた人々のほぼ全てが子連れの若いご夫婦、って感じでありました。ホールに上っていくエスカレーターから、大ロビーで演奏する中央区交響楽団ブラスアンサンブルを覗いている人々も、こんな。
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子供ってもいろいろあるけど、小学生とか中学生とかじゃなくて、昨日の主役はベビーカーに乗って連れてこられるくらいから、ベビーカーは卒業したくらいのお子さん。トリトン全体がでっかい幼稚園になったみたい。これが大人気の楽器体験コーナー。
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舞台の上は、山本裕之介ご夫妻が仕切ってた。この写真、あまりのことにビックリして撮った。あたくしめの目の前、画面左ににょっきり聳える物体がなにか、敢えて説明はするまい。ううううん…
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スゴイ聴衆ですねぇ、って楽屋を訊ねたら、まあこんなもんでしょう、と苦笑なさってました。こんなに子供が多いとは思っていなかったので、舞台の内容は特に子供向けじゃあなかったんだけど、大人ギャグが効かないとみるや即座にトークの調子を変えていくのは流石にゆーちゃんでありましたね。

さても、こんなトリトンのオープンハウス、どうしてこんなことになったのか?無論、そういう方面にチラシを配ったり、告知を厚くしたりしたとのこと。ただ、それだけでこんなことになるとは思えない。要は、単純な話で、晴海から豊洲の湾岸地区に30代の若いお父さんとお母さん、それに学校に入るか入らないかくらいの子供たちが猛烈に増えている、ってことなんでしょうねぇ。なんせ、10年前には何にもなかったトリトン周辺も、今は南側の晴海三丁目に500世帯くらいは入るハイライズが2本建ち、その向こうの豊海にも2本建っている。それどころか、かつては廃工場オタクの聖地だった豊洲に面した運河沿いもとうとう再開発が始まり、これまた500世帯クラスのデカイもんが2本くらい建つらしい。トリトンのロビーから眺める豊洲運河も、オープン頃にはまだ修理中の日本海軍のフリゲート艦なんぞが見えたわけなんだが、今はすっかり「銀座東京駅から最も近い郊外」が広がってる。もうすぐ高層マンションで運河自体が見えなくなる。

土壌汚染が心配される上に、放射性物質が薄く振りまかれた湾岸の地に、子供たちがどんどん育っている。今や中央区は人口10万を突破して久しく、向かいの豊洲では小学校が増設されている。少子化なんて言葉はどこの社会の戯れ言じゃ、って場所で、子供らは騒々しく駆け回り、「キラキラ星」変奏曲に目を輝かせ、兎を追う山やフナが浮かぶ川なんぞなかろうが、路地の猫を追いかけ運河に浮かぶクラゲを突っついて、育っていくのだろう。

ひとつの街を定点観測する作業も、10年もやればそろそろ充分かしら。当電子壁新聞上での過去の記録は、これらかな。
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2009-07-24
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2007-07-14-1
http://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2006-07-12

この先、10年単位の変化をどこかの街で見続けることは、あたしにゃもう、不可能だろーなぁ。

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ぽにょにょママ

やくぺん先生が危惧した通りの行動をした息子といると、コンサートを静かに聴くことができない日々です。とはいえ、歩いて行けるところにホールがあるありがたみも感じている日々でもあります。階段の丘をかけのぼり、道いく車を眺め、屋形船に手をふり、花壇から抜け出したダンゴムシと戯れている息子、スタッフさんやサポーターのみなさんのおかげで人見知りしないやんちゃに育ちました。これからの10年も見てくださいな。

by ぽにょにょママ (2012-07-26 10:55) 

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