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モルティエ追悼画像 [音楽業界]

Facebookにもアップしましたが、こちらにも。最近、こういう感じのエントリーが多いなぁ。案外と読者層が被らないみたいなんですよねぇ。

さても、今朝、毎朝の日課の深夜に送られてくるメールをわああああっっとチェックする中に、またまたマドリッドのテアトル・レアルの真面目な公報さんからのものがありました。内容は、モルティエ追悼の映像です。フランス語がスペイン語に吹き替えてあるのは当然ですが、ま、故モルティエ御本人が何を喋ってるかはともかく、彼が関わった舞台の抜粋が次々と出てくるので、飽きないと思いますよ。

関心のある方はご覧になって下さい、で終わりなんだけど、うううん、なかなか面白いなぁ、と思ったです。

追悼videoを面白がるなんて失礼な気もするけど、興味深い、ってこと。なによりも感じたのは、「あああ、すげええヨーロッパだなぁ」って間抜けな感想。

考えてみたら、モルティエが制作にきちんと関わったプロダクションって、日本では共同制作として舞台にかけられたことってなかったんじゃないかしら。
日本の聴衆やオペラ愛好家が接し得たモルティエの業績といえば、なんといっても文化村でやったパリ・オペラ座の引っ越し公演での《トリスタンとイゾルデ》に尽きるでしょう。ある意味で禁じ手を全面的に使った、実質上、ピーター・セラーズの演出というよりもビル・ヴィオラの映像作品とヴァーグナーのコラボレーションという舞台だったことは皆様よーくご存じの通り。眺めた方のほぼ全員が思ったでしょうけど、あれって演奏会形式で歌手はオケの前に立って歌い、後ろで映像流せば、もうそれでほぼ完璧にどこでも再現出来るものだった。実際、ロッテルダムかなんかで一部の幕をそういう形でやったという話もある。そうそう、トロントのカナディアン・オペラ・カンパニーでもこの演出でやるぞ、ってリリースが去年くらいに盛んに来てたっけ。問題があるとすれば、余りに良く出来た映像のインパクトが強すぎ、最後のイゾルデ昇天の場面など

人によっては完全にこの映像で刷り込まれちゃう危険がある、ってことかしら。一部の人には、《ボレロ》が流れてくると脳内でジョルジュ・ドンが自動的に踊り出す、みたいなもんですわ。

サイトウキネン最初の年に《オイディプス》やって、あの舞台が今もパリ・オペラ座の倉庫に残っているという話があり、あれが恐らくは日本でも世界に売る舞台を作って持ち出した最初だったんじゃないかしら。その後は、今や世界の売れっ子になっちゃった演劇集団に拠る《ファウストの刧罰》がパリからメトへと次々売られていって、しっかり映像としても世界中に商売されるようになったのを筆頭に、いろんなオペラ団や劇場が新演出の共同制作をやるのが常識になっている。考えてみたら、日本独自で作ってどこにもまるで売ってないメイジャーな舞台って、初台のキース・ウォーナー《リング》くらいじゃないの。その劇場だけのために制作する大がかりな舞台なんて、かえって珍しいくらいになっている。

でも、コンヴィチュニーを筆頭にいろんな演出家や、それこそ今やってる『東京春音楽祭』のホーレンダーなりのインテンダント業というかプロデューサーさんが日本での仕事をするようになっているけど、モルティエはやらなかった(違ってたらこの作文、全面削除なんですけどね)。その理由が、この追悼映像を眺めると、なんとなく理解出来るような。

要は、結局の所、モルティエの仕事って、すごーくヨーロッパ・ローカルだったんじゃないかなぁ、って。

モルティエがNYシティ・オペラでダメだったのは、無論、リーマンショックという経済的な理由が最大なのだけど、やっていたところで数年でダメだったろうことは誰だってうすうす思ってるでしょ。それとは同じ意味か、違う意味かはともかく、やっぱりこの映像で次々と流される舞台を受け入れるには、ある種の感性というか、演劇表現に対する感覚というか、テイストというか、そういうもんが不可欠だったんじゃないのか。ものすごおく抽象的に言えば、「肉体」に対する感覚、かしら。

こりゃあ俺たちの感覚と違うな、というだけのことで、もしも日本でこの方が本気で仕事をするなんてことがあったら、恐らくはそれなりに別の回答を探し、別の肌触りのものを作れたんでしょうが…ま、どうなんでしょうねぇ。

全く何の意味もない駄文、結論なんてなにもない。とにもかくにもこういうもんがありました、こういうものを作り続けたオペラ劇場の親分がおりました、ってことです。

などといいながら、この映像に入ってる《ヴォツェック》、正直、来週に初台で出る演出よりも個人的には余程納得がいくのでありますよ。初台の演出って、凄くご立派なので文句言うつもりはないけど、最終的に、どうにも「自分の周りで起きていること」に感じられないんですよね。この映像にあるような日常性をきっちり突き詰めて、例えば舞台を1930年代の陸軍戸山学校の周辺に移し、なーんにも状況は変えずに、軍医学校で人体実験アルバイトさせられてる権作と、新宿か池袋の怪しげな飲み屋で働いている内縁の妻の真理恵の物語にするのは、それほど難しくない。最期は関口の辺りの染物工場から染料が流れ出した神田川に桜が散って、一面真っ赤になった中で溺れ死ぬようにすれば良いんだしさ(神田川の周囲にあんな虫や蛙が鳴いているか、って問題はあるかもしれないが…昭和10年代ならありかな)。そういうことをやってなんの違和感もない数少ないオペラだろーに、なんて思ってました。

そういう風な妄想可能な舞台を作らせたのだから、やっぱり、モルティエは凄かった、ということかしらね。

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NO NAME

これは…、
間に合わなかったことが本当に悲しい。

2008年はオペラを観ようと決意した年で、でも東京には住んでいなくて、そう頻繁に遠征もできない中でスカラのアイーダを選んでしまった。凱旋のシーンでアルバイトのエキストラがいかにもアルバイトのエキストラ然と動くのを長々と見せられた時、自分の見たものが信じられなかった。かえすがえすも痛恨のミス。

ハネケが映っていましたが。彼の映画、すべてが好きなわけではないけれど、あのコジは素晴らしそう。

教えていただき、ありがとうございました。泣きました。
by NO NAME (2014-04-04 20:32) 

Yakupen

No Name様

あの《コシ》は、パッケージ映像になってる筈です。少なくともストリーミングでは一頃流れてました。Youtubeで探すと出てくるんじゃないでしょうか。

by Yakupen (2014-04-04 21:22) 

NO NAME

昭和音大のサイトに講演録があることを思い出し、さわりだけ読んだところですが、やっぱり映像が響いたあとだと言葉の立ち上がり方が違いますねー^^;
「つかみ」って大切。
DVDも見てみます。
by NO NAME (2014-04-05 09:15) 

ほ

それはないでしょう。
ヨーロッパの価値観を押し付けるだけ。
by ほ (2014-04-05 10:16) 

ほ

2014-5は英国ロイヤルオペラがオペラハウス外で行うバロックプロジェクトが興味ありますな。
by ほ (2014-04-05 18:50) 

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