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三丁目の長屋が消える [新佃嶋界隈]

久しぶりの佃ご当地ネタ。

来週までの実質的な葛飾お籠もり真っ最中を抜け出し、佃に戻ってきました。理由は、歯医者さんに行くため。

んで、やくぺん先生行きつけの歯医者さん、ちょっと前までは月島1丁目にあったんだけど、アベノミクス(おおお、今や懐かしき死語!)の特定地域不動産バブルで佃月島にまたまたニョキニョキとハイライズが建ち始め、入っていた小さなビルから追い出され、なんと佃三丁目の大川眺める辺りに移転し、かつて文人らがお籠もりした海水館跡の隣なぁんて風流な場所に移った。歯医者さんの診察台に座ると、目の前に大川通う船舶が眺められ、その彼方には商船大学の帆船姿も見えるなんて、こりゃなんとも素敵な歯医者さん。

そんな歯医者さんが並ぶのは、清澄通りを挟んで反対の二丁目側になると佃大通りと名を変える通り。今は信越本線ばりに寂れた大通りだけど、一応は例大祭の八角神輿も通る合同町会地元のメインストリートで、南側のブロックのひとつには、三丁目の表に残された最後の四軒長屋が並んでる。
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その向かい、今や長屋の4分の3が建て替えられて、唯一ケーキの一人前みたいに残ってたお宅があるんだけど、本日、歯医者さんに向かうべく前を通れば
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その表にこんな張り紙が。
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おやまぁ、とうとうここも取り壊しでんねん。これで通りの北側は壊滅といいうわけでありまする。

21世紀になって、イラクに英米軍が侵攻してフセイン像をひっくり返している頃に、目白の徳永さんちの近くにしてタモリ倶楽部の「日本踏切大賞」にもノミネートされた三叉路踏切横のでっかい嫁さん達の会社兼用だった目白厄偏庵から佃に引っ越してきて暦も一巡りとちょっと、その間、土地の話になると億単位が常識の町会の方々に呆れながらも周囲を眺めていると、あちらで欠け、こちらで欠け、当無責任電子壁新聞「新佃嶋界隈」カテゴリーでも「あの家が、あの店がなくなりました」という話はいくつもやっている。葛飾区民に戻って、いまやインチキ中央区在住者としましては、あまり失礼な話題をするわけにもいかず、このところは控えてきたのだけど…やっぱり最後の砦たる三丁目の状況は、知らんぷりは出来んです。

だからって、残念だとかは、敢えて言いません。こうなるには理由があるんだろうし、維持出来ないのは出来ない我々が悪いんだから、文句を言う筋合いじゃあない。うん。

ああ、そういえば二丁目の佃大通り、町会長さんのやってた薬屋さんも廃業になってしまった。
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並びの副会長さんの牛乳屋さんは、まだなんとかやってるみたいだけど。

佃大通りが一丁目の御神域に入って突き当たったところ、元佃の町会案内を眺めると、こんな張り紙がありました。
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へえええ、いよいよ、この明治期からぐちゃぐちゃした辺りを、せめて状況の把握くらいしましょう、ってことなんでしょうかね。

過去が幾重にも重なり、なにが懐かしい昔で、何が歴史で、何が神話かすら判らなくなる場所…

久しぶりに戻った縦長屋で飛びまわってる文鳥たちの攻撃を逃れ、33階の勉強部屋で夏の終わりの帝都を眺めてると、猛烈な驟雨。そして、西の空から刺す強烈な夕方前の光に、大川から門仲へとぐるりと厄天庵が投げるブロッケンの虹の輪が浮かぶ。
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地べた長屋では絶対に見えない、佃新名物縦長屋の独占物さ。

虹の輪を 鴎横切り 夏はゆく

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