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今更ながらに…コンクールというもの [音楽業界]

どういうわけか、この数日、周囲で「コンクール」というけったいな才能発掘&広報システムについての議論を突然いくつも目にするようになって、なんじゃろかいな、といろいろ思うところもある今日この頃。頭が全然動かないで、朝の帝都上空を眺めつつボーッとしてるこの瞬間、どーでもいいことを記すです。些か過労状態の頭のリハビリみたいなもの。

どうやら狭い狭い日本語文化圏の音楽業界、このところの大きな話題のひとつは「ショパン・コンクール」なるものだったよーですな。やくぺん先生の周辺の演奏家さんや書き手さんなんかもワルシャワまで出張ってる人が何人かいて、ポーランド航空の成田ワルシャワ直行便、運行テストもかねて一足早く飛ばしちゃえば良かったのに、なんて思ったりして。

どうやら日本語メディア(音楽メディア、だけじゃなくて)の専らの関心は、先頃泰明小学校の裏辺りに引っ越した某大手音楽事務所に所属する若いお嬢さんのピアニスト(っても、もう20歳になってたんだぁ、時の経つのは早いもんです)の動向だったみたいで、彼女がファイナリストまで進んだことが大騒ぎになっていたようで、結果として入賞しなかったみたいだけど、それとは別に某青山学園大学裏のもうひとつの大手事務所からはそんな騒動がなかったかのような「ショパン・コンクールの入賞者リサイタル、トウキョウでもやりまっせ」という速報リリースが流されてきて、「あああこういうものを商売にしてなくて良かったなぁ」とつくづく感じ入る次第でありました。

なんせ、前々回くらいからネットで予選段階からライブ配信されるようになったらしく、ピアノ好きの方々は大いに盛り上がっていたらしく、電脳空間上ではなんのかんの意見が飛び交っており、これまた「こういうものを商売にしていなくて良かったなぁ」と思わされていたわけでありますよ。

今やってることで頭がいっぱいで真面目に眺めてなかったんだけど、その話題のファイナリストお嬢さんって、もしかして数年前からYouTubeで再生が凄い数になったとか、あの大震災にモロにぶつかりなんだかグチャグチャなことになってしまったカーネギーの日本特集年間にサントリーホールさんの肝入りで出てたとか、もうたっぷりとメディア露出もあったお嬢さんであるということを知ったのが、やっと数日前。いやはや…

んで、余りにも物を知らず、このままでは世間の会話に追いつけない(っても、小生の周りでは殆ど話題になってないんだけど)と、せめて経歴くらい知っておかねば(せめて演奏くらい聴いてみないと、とは思わないのは、モロに関心が無い証拠…)というわけでさっくりと情報を漁ってみれば、あああれまあ、なんと、カーチスでマンチェのお弟子さんやってるじゃあありませんかぁ。

マンチェといえば、日本では「パソコン画面でピアノを弾く人」の最初のひとりとして知る人もいるかも。なぜか札幌郊外の北広島でしかリサイタルをやらない(のかなぁ)、なによりも、シモン・ゴールドベルク最晩年にカーチスで室内楽を教える助手をしていた、つまりゴールドベルクの室内楽考え方を誰よりも直接直伝されたピアニストさんであります。

って聴くと、今やネット上では非難の嵐が吹き荒れるみたいなショパン・コンクールのファイナリストお嬢さんも、最終的には室内楽の方に来てくれるのかしら、それならそれでちゃんと関心を追っておかないとマズいかもねぇ、などとぼーっと考えるやくぺん先生であったとさ。

ちなみに、個人的にとても興味深かったのは、「ファイナリストの価値」ですね。やくぺん先生はコンクールには無関心なわけではなく、それどころか平均して年間に数週間は「コンクール」なるものに接しております。ぶっちゃけ、アンサンブルのコンクールばかりで、独奏のコンクールにはご商売でやらにゃならん場合以外は、関心がありません。で、どうやら、独奏コンクールとアンサンブルのコンクールって、まるで在り方が違うみたいなんですね。

独奏はどうであれ、アンサンブルのコンクールでは、「ファイナリスト」になれば充分な価値があります。そこから先、優勝とか第何位とかは、まあ、率直に言って、その日の出来次第。正直、演奏としてはファイナルの出来がいちばん悪いのが普通です。その中でもちゃんとしたものを出せたら、勝てるかもしれない。酷い言い方をすれば、アンサンブル・コンクールのファイナルは「負け比べ」なんですわ。ああああこんな事故が起きてもなんとかする、こんな状況が悪く練習もろくに出来てないときでもここまでやれる、というプロとしての危機管理を眺めるみたいなもんです。←絶対にこんなこと、関係者は口に出して言いませんけど…

ところが、ソロのコンクールって、「勝ってなんぼ」の優勝者総取りみたいなもんなんですな。業界関係者、それも最も厳しいマネージメント業務できっちり飯を喰ってる方などは、「ファイナリストなんて恥ずかしくて経歴に書けない」と仰る。なるほど、そーゆーもんなのか。勉強になるなぁ。
考えてみれば、ソロのコンクールって、ファイナリストが10人もいたりすることがあるみたい(このショパン・コンクールもそうみたいですな)。ミュンへARDなんぞは独奏ヴァイオリンやチェロでもファイナリストはせいぜい5名くらいだけど、ファイナリストが10人もいるとそれはそれで意味が違ってくるのでしょう。そもそもアンサンブルのコンクールなんて、参加団体が10団体を切るのが珍しくないですから、昨今は。

そんなこんな、「コンクール」というのもいろいろだなぁ、と思わされたわけでありまする。


なーんて思いながら、昨日はサントリーホールに出かけて、チョンさんがピアノを弾く室内楽を大ホールで拝聴させていただきました。堤館長とかとの共演だったんですが、曲が変更になってブラームスの最初にして最後という妙な位置付けのピアノ三重奏曲になり、今更ながらにソウルフィルのコンマスのルセヴ君が舞台に出て来たのを眺め、あ、そういえばやくぺん先生がルセヴ君を始めて眺めたのはピアノ・トリオだったよなぁ、と思い出した。そこまで忘れてたのもアホこの上ないですけどさ。

思えばあれは20世紀も終わり、場所は遙か南半球のメルボルン。場所はメルボルン大学のオーディトリアム…じゃあなくて、ホントはメルボルン大学の学寮です。メルボルン国際室内楽コンクールの取材で参加者らと同じ大学の寮に泊まっていたやくぺん先生は、部屋での個人練習禁止というお達しを誰も守らずに深夜までラヴェルのトリオやらの断片を弾きまくってる隣近所のピアノ・トリオ連中にぶち切れしそうになっていたのじゃ。どうやらそいつら、熊みたいにでっかいロシア人のチェリストと、フランス人らしいあんちゃんなんかがやってるトリオ・ラフマニノフという連中らしい。
これで酷い音楽やったら俺はホントに怒るぞ、と思って予選のステージに接したら、前後関係時系列はすっかり忘れてしまったけど、ともかくもう壮絶なショスタコのトリオをやってくれた。これ、恐らくはやくぺん先生が過去に接したこの曲の中でも、最も音がデカイ演奏だったんじゃないかしら。そんな音楽の一方でヴァイオリンさんはやたらと繊細で、色気のあるフレージングの人で、へえ、バカみたいな音楽やるけどオモシロいじゃん、これなら深夜練習も許してやるか、と思った次第。

結果は、確か、ファイナリストにはなったように記憶しています。いずれにせよ、優勝はしなかった。でも、あのときのピアノ・トリオで覚えているのは連中だけだった。続けられるのかなぁ、ダメそうだよねぇ、この顔ぶれだと、って思うばかり。

その後、何年か経って、ルセヴ君になんかの雑誌のためにインタビューしました。仙台の優勝者のその後、みたいな内容だった。ずーっと新しく買ったオーディオの話をしていて、ついでにやたらと多彩な仕事の仕方の話を挟んでたみたいな印象で、「ああ、こいつ、フランスの豊嶋氏だな」と思ったっけ。←敬愛の表現ですっ

で、恥ずかしや、そのときにはこのルセヴ君がトリオ・ラフマニノフのヴァイオリン君だったとは、これっぽっちも気付いていなかった。だってさ、経歴のどこを眺めてもメルボルン・コンクールのことなど書いてないんだもん。そりゃ、ピアノ三重奏団のヴァイオリンとして出たコンクールで優勝してない、ましてやもうその団体はやってない、ということになれば、書かないわな。

あるとき、その事実に気付き、あれえぇ、と思い、それ以降はきちんとウォッチしようとは思ってるのだが、ソウルフィルのコンマスになったとか、フランスの放送管でセカンド頭の田中ちゃんのひとりおいて隣にコンマスとして座ってるとか、そんなところでは見るものの、ピアノ三重奏はぜーんぜんやってくれなかった。

てなわけで、昨晩は、やくぺん先生とすれば演目変更になったお陰で10数年の時を経て再び聴くことが出来た、個人的には世界最高のピアノ三重奏のヴァイオリニストに再開することになったわけであります。

結果的に言えば、メルボルンのコンクールの結果は、ルセヴ君にプロとしてのピアノ三重奏を本気で続ける道を断念させて、今に至らせたわけですね。

これもコンクールの「才能を発見する」という大事な効果のひとつなのでありましょう。


以上、とりとめもないコンクールネタあれやこれ、のつもりだったのだが、もうひとつ飛び込んでしまったぞ。
https://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201510/0008504791.shtml
さあ、神戸近辺に五千万円をボンと出せるスポンサーがあるか?はたまた頑張って集められるボランティアがいるか?正念場だぞ。

コンクールというものは、経済状況によっていつ無くなっても不思議はない。裏方はそう思わせない努力をしているから、そう見えないだけ。

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もぐら

ピアニストに聞いたところによると、ピアノ弾きの方の中には幼い頃からレパートリーの中心にショパンに据えて、このコンクールを取るべく教育をされる「ショパン弾き」と目される方々も結構いるそうな。そのような人はピアニストだからショパンを弾けるのは当たり前どころか、ショパンを弾くためにピアノを弾いていますというアイデンティティの方もいるでしょうね。そういう意味では、受賞のためにやるべきことが極めてハッキリして変わらないコンクールなのかもしれませんね。
(室内楽の場合は、その基準が極めて流動的、、、)
by もぐら (2015-10-24 08:09) 

Yakupen

めんどーだから書かなかったけど、実はいちばん問題なのは、今回のファイナリストの一覧表を見ても誰の目にも明らかなように、「音楽産業中心出身の才能のある人は、コンクールなどリスキーなイベントには関わらないし、周囲も関わらせない」という事実ですからねぇ。

今回のショパン・コンクールで興味深いのは、そういう今の常識からすれば、この日本出身のファイナリストのお嬢さんがショパン・コンクールなんて失敗リスクの高いイベントに出ようとしたら、銀座もレコードやさんもとめる筈だろう、という世界の潮流とは違っていた、ということ。それどころか、このコンクールがキャリアにとって凄く重要だとみんなが思っていたことですね。

つまり、これを言ったらオシマイだが、日本語文化圏は音楽業界の情報戦では超後進地帯である、ということ。今更ながらの結論なんだけどねぇ…

by Yakupen (2015-10-24 09:56) 

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