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原作をどうやって忘れるか [現代音楽]

世間で大いに話題の(ホントか?)初台の西村新作オペラ《紫苑物語》を、2度目の上演で見物して参りましたです。
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わざわざ遙々モントリオールから昨晩到着したという評論家ロバート氏は、「なんでプレミアじゃないのに今日はこんなに音楽関係者が多いんだ」と、ロビーで挨拶引きも切らぬ状況に驚いてました。確かに、なんでかしらね(某マネージメント関係者さんは、「音楽業界人は週末よりも平日夜の方が来やすいからでしょう」と説明してましたけど)。ぐるりと見渡す視界の中に、業界関係者1ダース以上+指揮者1名、なんて状況でしたからねぇ。

さても、ぶっちゃけ、西村オペラの幕間にイタリアから「この9月に演奏会が東京でやれないか」という某演奏家からの超緊急電話連絡の続きが朝からあり、更に某同業者氏が原稿落っことしてくれたお陰で緊急で今日中にやらねばならぬ作文仕事がこれまた西村オペラ上演真っ最中に入っていて、なんなんだ、西村せんせはやくぺん先生に(金になるかは別として)面倒な仕事を呼び込む恵比寿様かい、と呆れつつも、忘れちゃわないうちに感想になってない感想を書いておかないとなぁ。んで、ひとことだけ。

ええ、この作品、日曜日の初演直後から盛んにあちこちで論じられているように、最大の問題は台本であることは確かですねぇ。ぶっちゃけ、良くも悪くも、普通の意味で「話になってない」。これはもう、誰の目にも明らか。それ故に、真面目でお節介な方は「劇場に行く前に石川淳の原作本を読んでおきましょう」と盛んに繰り返すわけです。

誠に以て仰る通りなんだけど、そういう真面目な意見は真面目な意見として、敢えて乱暴な意見を言わせてもらえば、「ああ、この舞台は、石川淳の《紫苑物語》という原作小説とはまるで別のものとして眺めるべきなんだろう、だから、かえって原作を知らずに来た方が良いんじゃないかい」って。何を隠そう、終演後に「お前はこの話を知ってるのか」とロバートに質問されて、「昔に原作小説を読んでるけど、この舞台はそれを知らないあんたの方が素直に楽しめたかもよ」と申した次第。

そもそもこの舞台、敢えて日本文化圏ではない人達を衣装や美術のスタッフに並べているのを見た瞬間に、「おお、日本ではない架空のどっかの国の話にするのかぁ、その方が良いかもねぇ」とやくぺん先生は勝手に思い込んでました。結果として出て来た舞台の絵面は、狩衣みたいなもんを着たり、烏帽子被ったりしてて、日本列島の平安だか室町だかの時代みたいになってたけど、正直、話としては日本である必要はまーったくない。芸術を職業とする家系が地方領主になる社会なんて世界中にどこでもあるし、フィクションの世界ならごく当たり前の設定。芸術(アーツ)に限界を感じ「生と死(性と詩?)」を直接に感じられる武芸(マーシャルアーツ)の世界に惹かれていく、なんてのも全く普遍的な話。クライマックスが分離した己との対決みたいになるのも、どの文化圏にもある王道展開。要は、この話、「どことも知らない遠い国の物語」でなーんにも問題はない。

だからといって、結果として今上演されている初演版の「ストーリーの破綻」や「主人公のモーティヴェーションの不明瞭さ」、はたまた「結末の意味のわからなさ」が緩和されるわけではないけれど、「まあ、こういう訳の判らない連中の生きてる妙な世界なんだな」と納得する、というか、諦めて虚心坦懐に眺めていられるよーにはなるだろーに。

オリジナルストーリーに引っぱられず、この音楽と台本だけで眺めていくと、それはそれでなんかちゃんとしたもんとして観られるんじゃないかなぁ、ってこと。

なんせ、日本全国津々浦々のブラバン少年少女にもお馴染みの西村節炸裂の婚礼の場で始まり、弦楽四重奏第5番《シェーシャ》のオシマイをフルオーケストラにしたような終曲に至るまで、音楽としてみれば猛烈にパワフル。油の乗り切るときまでフルサイズオペラに手を付けなかったお陰もあってか、溜まりに溜まっていたもんが全部出て来てるなぁ、って音楽なんだから、妙なストーリーやらに捕らわれず、絢爛豪華、カール・オルフやストラヴィンスキーくらいに娯楽の要素に満ち、シュレーカーくらいいやらしー(官能的では無いなぁ、もっとストレートにいやらしい)音楽を喜んでれば、2時間半はアッという間に終わります。これホント。

ちなみに、ロビーにいらした都響の某偉い方に、「どうして当日プログラムにリブレット付いてないの?」と尋ねたら、「3週間の練習の間にあちこちカットしたり、書き換えたりしてますので。字幕を見て下さい…」とのこと。なる程、となると、勝手に推察すれば、練習に入る前の台本では細かい台詞で物語の整合性を維持するような箇所があったけど、なんのかんので結局捨ててしまった、という可能性もあるわけでんな。

てなわけで、いつも以上に「感想になってない感想」、初演版は音楽的には一聴の価値がありますので、あと2回の上演が《金閣寺》と被らない方は、是非どうぞ、ってことでんがな。3月にはNHKでテレビ放送もあるみたいなんで、細かく眺めたい方はそちらも必聴。次の上演があるときには恐らく(ことによると大幅な)改定が入るだろうし、貴重な資料になるんじゃないかな。

個人的には、舞台をどことも知らぬ国(《ペレアスとメリザンド》でペレアスが旅しようという遠い国とか、《魔笛》のタミーノの故郷の国とか)にしたドイツ語改定版で、演出はカリスト・ビエイトが担当するベルリン・コミーシュ・オパーあたりでの上演を期待しちゃうなぁ。指揮者さんがまだブリュッセルとかリヨンにコネがあるなら、そっちが現実的なんだろうけど。更に言えば、ホーミー歌唱を披露した主人公のドッペルゲンガーの仏師を、3Dボカロイドにしてくれれば最高なんだけどさ。

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