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卒寿の《ゴルドベルク》その1 [演奏家]

先程、大分市内iichiko総合文化センター音の泉ホールで、「小林道夫チェンバロリサイタル最終章」と題し、《ゴルドベルク変奏曲》の演奏会が行われ、金曜夜とはいえ祭日の翌日という決して良くない環境にも関わらず、平土間はほぼ満員。ゆふいん音楽祭スタッフもほぼみんな座ってる勢い。
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ゆっくりと舞台に登場した道夫先生、冒頭アリアから第15変奏までの前半45分、15分の休憩とチェンバロの調整を挟み、第16変奏から最後のアリアの繰り返しまでの50分を譜面を自分で繰りながら演奏。拍手鳴り止まぬ中、「この曲はもうアンコールが付いてるみたいなもので、やりにくいんですが…」と苦笑しつつ鍵盤の前に戻り、『アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳』からコラール《 Jesus, Meine Zuversicht》をサラリと弾いて、コロナを挟んだあしかけ7年のこの会場での「クラヴィア練習曲集」ほぼ全曲演奏という偉業が達成されました。

1月3日とされるお誕生日で90歳を迎えた道夫先生、主催者側の大分文化財団も「90歳の巨匠による実質上史上最大のチェンバロ作品演奏」などという本人が絶対に嫌がりそうな宣伝などは一切せず、幸か不幸か地元メデイアもそんな部分を話題にする気配もまるでく、淡々と、とてつもないことが成されてしまった晩でありました。

東京で半世紀の年末演奏をお聴きになっていた方はご存じのように、半分で休憩を入れ、前半は繰り返しをきっちり行う長大な演奏です。そもそもが派手さとは無縁の芸風、ましてやいかな日々練習を重ねているとはいえ腕の筋肉は衰え、「人生で初めて九十肩になりまして」などと冗談めかしながらも痛恨のキャンセルもあったご高齢。本日も、前半はどこか鍵盤の引っかかりがしっくりこない部分があったか、休憩中に楽器の調整が入ったり。とはいえ、チェンバロ一台には些か広い空間に聴衆も楽器も道夫先生も慣れてきた後半は、二段鍵盤で弦を引っ掻くチェンバロでなければ不可能な音色の変化が圧倒的な説得力を持つ演奏が展開され、特に声部が少なくなる変奏でのまるでひとりが複数のギターかハープを奏でているような強烈な音色対比、でもわざとらしさは皆無の、「時代チェンバロを豊かに響かせる」なんて少しも考えない、この撥弦楽器のホントの響きがさりげなくそこにあるような、自然な音楽が広がる。頂点の第25変奏を過ぎ、道夫先生仰る「曲にもう書かれているアンコール部分」たる《クォドリベット》までの5つの変奏での、渋さを極めた先にある闊達さったら。

恐らくは、ご本人はまだまだやり足らないところがあるとお考えなのでしょう。卒寿の《ゴルドベルク変奏曲》、1週間後には、冗談のように広いアジアの大都市福岡はアクロスの巨大空間でもういちど鳴ります。広大な盆地の真ん中にチェンバロ引っ張り出したような場所で、どんな風に響くのやら。
https://www.acros.or.jp/events/12932.html

思えば、道夫先生が普門館近くのお宅から温泉県は由布岳の麓に転居なされてもう20年。環七の雑踏を離れ、朝霧に埋まる盆地や、九重の山並みに沈む夕日を眺めながら熟成した音が、山の向こうの大友宗麟の地で少しづつ紡がれた。それこそデトモルトみたいな田舎で巨匠の言葉を大騒ぎせずに語ることが出来、語る相手がいたなんて、冷静に考えればちょっと信じられないことです。企画を支えた関係者の皆様、本当に有り難いことでした。

全人類必聴、などと叫んだら、道夫先生に怖い顔されそうだから、敢えてそんなことは言いません。お疲れ様でした。今日はゆっくりお休みくださいませ。

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北

4時間かけて行った甲斐がありました。一生ものです。
こちらの告知を目にしなかったら逃していました。
ありがとうございます!
by 北 (2023-02-25 19:42) 

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