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ルンデ最期の響きはニールセン [弦楽四重奏]

思えば初めてイースターの頃のロンドンで出会ってからもうあしかけ5年、4年前の冬のメルボルンでの圧勝、2年前の暑いレッジョでの衝撃の結果など、いろんな時間をなんのかんの過ごしてきたパイゾQが、いよいよ本拠地コペンハーゲンを発って、シベリア上空を通過、明日の昼には東京湾岸地区に到着します。長いといえば長い、短いといえばあっと言う間だったなぁ。うん。

さても、最後までバタバタしていたルンデでの演目と、来る火曜日昼の日比谷第一生命ビル1階ホワイエでのロビコンの曲目が決まりました。

「ナゴヤってニールセンばっかりだっけ」なんてノンビリしたことをちょっと前にコペンハーゲンから連絡してきて、なにやらすったもんだしたらしいが、結局、日曜日のルンデの演目は、「ニールセンのト短調とホ短調、その間にベートーヴェン作品18が挟まる」って、来る水曜日の東京晴海以上にぶっ飛んだ、いかにもルンデらしいプログラムになりました。名古屋方面も喜んでるそうです。案内はこちら。http://www.pippo-jp.com/tower/y07/0603_paizo.html

ちなみに来る日曜6月3日午後3時開演の「パイゾQを聴く会」主催スタジオルンデ演奏会は、栄光の歴史に彩られたスタジオルンデの最期の演奏会になるそうな。ルンデの会を主催していた鈴木さんが引退してからは、ルンデに集っていた名古屋圏の室内楽愛好家の方々が主催し、スタジオルンデを使って幾つかの演奏会をやっていたのですが、ビルそのものが取り壊されることになり、今回がこの中部地区で最も濃厚にして最も信頼できる室内楽の殿堂に鳴る最期の響きになるとのこと。
名古屋地区は次々と個人経営の小規模ホールが出来ていて、それら新しい方は盛んに紹介もされるけれど、やっぱり世界の室内楽界で名古屋といえばルンデ以外になかった。どうしてそうだったか、どんなに立派な会場やホールがあろうが、結局は人であり主催する組織なのだ、という事実を証明しているようなもんですな。
ああ、あのスタジオルンデからひとブロック南の、なんとも形容のしようがないだらしないすっごく普通の(ってか、ホントいえば中の下の)饂飩屋、もうあそこに行くことないだろなぁ。絶対にわざわざ行くような店じゃないもん。

もとい。で、5日火曜日昼の日比谷第一生命ビル・ロビコンは、いつものようないろいろな曲のあちこちさわりを弾くのではなく、ドカンと一発、ニールセンの弦楽四重奏曲ヘ短調のみ。全楽章やる予定です。水曜日の晴海はト短調の方ですから、今、デンマークで最も上り坂の連中のニールセンを両方聴きたい方は、火曜水曜と晴海通り沿いにお通い下さいませ。これが前回、パシフィカQのときの様子。天井高い。

……って書いて、ルンデのホームページを眺めたら、なにやら6月末まで公演はあるようなことが記されてる。あれぇ、あたしが聞いてる話と違うけど…まあ、ともかく、「最期のひとつ」だし、「名古屋地区の弦楽四重奏の聖地に響く最期のクァルテットの音」であることは確か。なんにせよ中部地区の皆々様、世界に名を轟かせた名古屋文化の誇りたるルンデの最期を見届けてあげてくださいな。


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ゴールドベルク翁ソナタ教室の伴奏専門家 [シモン・ゴールドベルク・メモリアル]

ご紹介が遅れましたけど、先月の終わり頃から、ホームページ上に「シモン・ゴールドベルク・メモリアル音楽祭」の公式ホームページが完成しており、情報がいろいろ上がっています。こちら。
http://www.szymon-goldberg.jp/index.html

さて、今年もまた行きがかり上の勝手連的ボランティアでいろいろと当湾岸の電子壁新聞でも情報を出させていただきますので、よろしく。ネタはいくらでもあるけど、まずは、講師陣の中で読者諸氏が全く知らないであろう名前を紹介させていたきましょう。ピアニストのリュウ氏です。経歴を音楽祭公式ホームページからまんま引用すると以下。

「マンチェ・リュウ 劉孟捷(ピアノ)
1971年台湾生まれのピアニスト。6歳でピアノを始め、直ぐに頭角を現し、12歳のころにはアジア太平洋地区の数多くの青少年音楽コンクールで優秀な成績をおさめた。13歳で渡米、カーティス音楽院で8年間学び、ジョージ・ボレット、エレノア・ソコロフ、クロード・フランクなどに師事。この間、室内楽の勉強のため、シモン・ゴールドベルクの教室で盛んに弦楽器との合奏を行っている。卒業直前にアンドレ・ワッツのリサイタルで代役を務め、その華麗な演奏は絶賛を受け、センセーショナルなデビューを果たした。
しかし、1995年のスポレト音楽祭出演後、原因不明の病気で手が不自由となり、長い闘病生活と苦しいリハビリテーションを経て、1998年末、リサイタルで奇跡の復活を果たした。
近年、北アメリカやヨーロッパ、日本などの東アジアで数多くのリサイタルやオーケストラとの共演を行っている。2002年にはエィヴリー・フィッシャー財団のキャリアグラント賞を受賞した。1993年からカーティス音楽院で教鞭をとっている。」

あちこちで見るような経歴だなぁ、とお思いでしょうけど、実はこの中にさり気なく猛烈に重要な事実が記されているのですね。 お判りですか。そおおお、この方、シモン・ゴールドベルク翁がカーチス音楽院でニックやらヴェスナやらパムちゃんやらを教えていた頃に、弦楽器の学生たちの相手をしてピアノを弾く専門家だったんです。ニックに言わせれば、「マンチェはゴールドベルク先生のレッスンで全部ピアノを弾いてて、誰よりも先生が室内楽について仰ることを吸収していた奴だよ」とのことです。これほど「ゴールドベルクの考えていたこと」を知っている人は現役世代ではいない。ですから、セミナーという意味では、最高の人材なわけですな。こういう人がいるんだなぁ。

ちなみにマンチェ氏、腕が恢復してからは極東にも屡々いらしていて、昨年夏は台湾のエヴァーグリーン響(長栄交響楽団)とブラームスの第2協奏曲を録音し、緩徐楽章の長大なチェロ独奏のために首席にはどうしてもボロメーオQのイーサン・キムに来て欲しいと要請、イーサンはバタバタと台北に向かっておりましたっけ。あの録音、どうなったのかしら。ラ・フォル・ジュルネにも来てるオケですから、日本でも少しは情報は入ってるかな。

ゴールドベルク・メモリアル・セミナーのご案内は、音楽祭公式ホームページからどうぞ。


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ご紹介「指定管理者は今どうなっているのか」 [指定管理者制度]

現物を頂いてからあれよあれよと1ヶ月以上も経ってしまい、今更新刊ご紹介でもないでしょうけど、もしやご存じない方がいたら困るので、記させていただきます。

指定管理者制度、それもスポーツ施設やら駐輪場じゃなくて、文化施設関係の指定管理者に関する現時点での問題点なりを纏めた書物が4月末に世に出ました。指定管理者問題の裏も表も現場も理屈も知り尽くされた中川幾郎先生と、関西方面の事情を現場でご覧になっている日本アートマネージメント学会関西部会長松本茂章氏の共編、題名はそのものズバリ、「指定管理者は今どうなっているのか」(水曜社)です。詳細はこちら。
http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?prodid=200&act=prod&corpid=1

内容は、昨年7月最終土曜日に大阪ビジネスパークに満員の聴衆を集めて行われた同名のシンポジウムの中身を選び、充実させたものです。この記事の下半分。
http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20060729
あのシンポジウム、小生が直後にゆふいんにまわってドタバタしたり、中身があまり整理されておらずいろいろ纏めなければいけない部分が多かったりで、結局、当電子壁新聞には内容をお伝えしないままになっておりました。こういう形できちんと出てきてくれて、とっても安心しましたです。この写真で発言者側にズラリと並んでる方々が執筆者です(判らん、ってに!)。

内容は2007年春という時点を踏まえたもの。ですから、長期的にスタンダードとなる指針を示すものではなく、この瞬間の現状報告です。中身も「指定管理が導入されるぞ、大変だ」じゃなくて、「本来はどう考えても馴染まない文化施設などに指定管理が導入されたぞ、どうなってるのか、第2期に向けた動きはどうなっているのか」というスタンス。現状分析、現場報告、それに第2期に向けた業績評価の問題、それぞれを最も適当と思われる方が執筆しております。

編者ゆえでしょうか、具体例が全体に関西に寄っている感もあり、東京湾岸を拠点とする筆者とすれば、鎌倉だとか東京特別区の一部だとか、いろいろ問題があったところのレポートがないのはちょっと残念(東京圏は民間文化施設が充実しており公共文化施設が相対的に貧弱なために指定管理者制度があまり問題とならない、という現状を示しているだけなのかも)。大阪の会場ではパネラーに名を連ねていらした栗東関係者の報告がないのも、個人的にはとっても寂しいですねぇ。栗東の事例はなんらかの形できちんと分析して貰いたいなぁ。そろそろ栗東騒動、アートマネージメント大学院博士課程前期くらいの研究対象にならないのかしら。

興味深いのは、アートマネージメント学会などではパネラーとして壇上に登ることがあまりない「指定管理を取った民間企業」の側の声が拾われていること。民間企業が指定管理について発言する際は、どうしても資本主義の理屈バリバリの環境となる。このような一種の学術的な環境での発言は案外貴重でしょう。これまたあと2、3社、それもバックグラウンドが違う企業の発言が欲し気がするものの、現状の概観を把握するためにはあまり事例が多すぎても読者が混乱するだろうから、こんなものなんでしょうかね。

それぞれの発言には、いろいろ突っ込みたい部分やら言いたいことはいろいろ。ま、読者の皆様もそれぞれの立場からいろいろご意見があるでしょ。なんにせよ、お買い上げになって、お読みになって下さいませ。文化の指定管理者問題に文化のフィールドから関心のある方は必読ですし、アートマネージメント研究者とすれば将来的には貴重な歴史資料となる書物でしょう。関係者の皆様、労作、ご苦労さまでした。

それにしても、本書をパラパラと紐解くに、日本国に於ける行政と文化の関わり方はつくづく特殊だなぁ、と思わされますね。文化と行政(国家権力=国民から強制的に徴税した資金を再分配するシステム)を論ずるとき、「組織」や「人事」ではなく、「施設」即ち「土地、場所、不動産の総合体」が対象となり大問題となるなんて、日本国だけの極めて特殊な状況です。この事実、お忘れなきよう。

そもそもホールや劇場なんか無くったって、文化はあり得るんだからね。うん。


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バーニーの弟子 [演奏家]

一国の総理大臣の判断力と決断力のなさが現役大臣を首吊りに追い込むなんて日本国憲政史上空前の言語道断な状況に呆れ返って脱力するばかりの今日この頃、「美しい国」にお住まいの皆様はいかがお過ごしでしょーか。それにしても、この総理様のお陰で「美しい」という形容詞が薄汚い色の付いた怪しくもみっともない言葉になって使えないのは、日本語を商売道具にしている人間としてホントに困る。今や「美しい○○」って、ギャクにしかならないもんね。それだけでも、この美しい総理大臣、日本語を醜くした責任取って辞めて欲しいものです。いやはや。

もとい。で、そんなバカげた騒動も知らずに、国会議員宿舎からさほど遠くない場所で幸せにインタビューをしていたチェロ青年が印象的だったので、紹介することにいたします。リプキンというイスラエル人の30歳になった青年です。紹介はこちら。欧文公式頁、凄く重いけどやたらクール。
http://www.concert.co.jp/artist/gavriel/profile.html
http://www.lipkind.info/

まだ発表前のインタビュー内容を記すわけにもいかないので、恐らくはこの後の某全国紙のインタビューなどでも話されないだろうことをちょっとだけ(疑惑大臣首吊り騒動で、文化欄が飛ばないと良いんですけどね)。

小生にとって興味深かったのは、この青年が我が嫁さんが敬愛するバーナード・グリーンハウス翁の弟子であると特記していたこと。まあ、なんとも面白い奴で、誰かに何かを習って先生を尊敬している、なんてタイプじゃ全然ないんだけど、そいつがプロフィルに上げている3人の名前がイスラエルでの師匠と、アントニオ・メネセスと、それにバーニー・グリーンハウス翁だった。
へえええ、って思うでしょ。誰でも分かるでしょうが、この2人の共通点は、「ボザール・トリオの歴代チェリスト」だもんね。ロストロポーヴィチだとかなんとか、いくらでも習った先生にあげる名前はあるだろうに、どうしてわざわざ室内楽の専門家の名前なんてあげるのかしら。

結論から言えば、リプキン君はケープコッドのグリーンハウス老のお宅に出かけては泊まり込んでいたそうな。ケープコッドの景勝地の真ん中にある「カーサヴェルディ」と刻まれた翁の自宅には、地下に若いチェリストが滞在して個人レッスンを受けられる部屋があります。彼もあそこに泊まって、ボストン湾に沈む夕日を眺めていたのか、と思うと、なんだかとっても近しく感じられてきました。グリーンハウス老から得たものは、テクニックだとか室内楽の仕方じゃなくて、もっと人間的なものだ、という言葉に、「おおし、こいつ、信用出来るやっちゃ」と思わず肩を叩きそうになったやくぺん先生だったとさ。

人間が人間を信用できるって、結局は、こんなもんです。この人の偉大さを語れる奴ならば信用できる、というよう共通の相手が持てるかどうか。

リプキン君の演奏会は6月1日にあります。彼が帰国し、シュトゥットガルトのお城で半年の間共同生活を送った8名の作曲家たちの作品を一挙初演する(!!)音楽祭に向けて最後の準備にかかる頃、師グリーンハウス翁は入れ違いに日本に向かい、列島を通り越しソウルに到着。韓国に設立されるグリーンハウス翁の名を冠したチェロのための財団の設立記念会に参加なされます。90歳越えての太平洋横断はキツイだろうけど、お元気でいて欲しいなぁ。

予言します。このガブリエル・リプキンというチェロ青年、ある意味で近い将来のクレーメル的な存在になるやもしれません。音楽ビジネスやメディアの質的変貌もしっかり視野の中に入れて活動するこの男の名前、お忘れ無きよう。


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佃二丁目で最も汚い場所は [新佃嶋界隈]

5月も終わりの日曜日、朝もはよからすっかり初夏の気配の東京湾岸地区、本日は中央区一斉クリーンデーであります。
我らが佃二丁目町会も、午前8時から長老集まり倉庫開け、区支給の箒と文化ちりとり引っ張り出し(蓋が付いてると「文化」になります)、「クリーンデー」って旗たててセッティング。9時ともなれば100名弱の町内老若男女寄り集い、道端履いたり、歩道の隙間から生え出たぺんぺん草毟ったり、露地の空き缶拾ったり、歩道に張り付いたガムひん剥いたりするです。

さても皆々様、この狭い佃二丁目界隈で、所謂「ゴミ」というものが最も多い、最も目立つ、最も酷い場所はどこだとお思いかな。裏露地ではないよ。露地というのは人が生きている場所だから、誰かがなんのかんのいつも掃除してるものです。ドカンドカンと天を突く高層マンション周囲の公共区画も清潔です。だって、お高い管理費を徴収してるであろー大京マンションさんやらが、掃除のオバチャン雇ってきっちり掃かせてますからね。

そんなこんなで、ガムのひっつきを別にすれば、町内は案外と綺麗です。幸いにも我が町内は、月島二丁目みたいに派手に廃墟化した露地は殆どないので、通り全体が巨大なゴミ、なんて地域はない。

で、一番酷いのはどこか。何を隠そう、月島駅4番出口からエネオス、やくぺん先生佃オフィスが入る安ビル、厄偏庵の露地越えて、某著名デザイナーマンション前の都バス月島駅前停留所までの、清澄通り沿いの植え込み近辺。ここが一番酷いんだわ。
植え込みの間を眺めると、吸い殻は山のよう、空き缶、弁当のカラ、ペットボトル、漫画本、ビル風で郵便受けから流れ着いた広告の切れっ端、使用済みバッテリー、何故かバイクの左バックミラーまで、いろんなものが植わってら。
よーするに、この場所は「清澄通り通りすがりの車からのポイ投げ」と「バスを待っていた乗客の煙草吸い殻ポイ投げ」が極めて多い。かてて加えて、吹くときには猛烈なビル風に煽られあっちこっちから飛んできた紙切れがブッシュに引っ掛かり、奥に入り込んでやっと落ち着く。ほれ、掃除した後の美しい姿を見よ。この植え込み下が、今朝まではまるでゴミ捨て場状態だったんだから。違法駐車バイクの裏辺りが特に酷い。

露地生活では、自分ちの引き戸前の公道は自分ちです。今くらいの季節、縁台引っ張り出して新聞読んでたりする。だから、勿論、ちゃんと掃除します。だけど、表通り、それもマンションの前やらガソリンスタンドの前の車道側は、誰も生活空間としていない文字通りの「パブリック」な場所。結果としてだーれも面倒をみないことになる。深夜に巨大清掃車がガーガー音立てて走ってるけど、あんな乱暴な掃除じゃ植え込みにゴミを追いやるだけだもん。

斯くなる現実を前に、トウキョウ下町住民(あたしゃ佃は絶対に下町じゃないと思ってますけど、まそれはそれ)にとっての公共性とはなんぞや、なんて大上段に振りかぶった都市論的な床屋話をするのは簡単だけど…ま、したところでポイ捨てゴミが減るわけでもない。だから、やらん。

さて、11時からは来月10日にトリトンで開催される「消防ポンプ大会」の練習だ。町会夏戦闘服のまま、佃大橋下の大川端まで行き、昼過ぎまで訓練であります。町会のポンプなんか要るときには誰も生きちゃいないよ、と惚れ惚れするような完璧な江戸弁で啖呵を切る長老の眺める前で、苦笑しながらの防災訓練。ううううん。

植え込みに 繁る枯れ葉と 折り広告


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筒井康隆版『大魔神』には日本音楽集団希望 [現代音楽]

昨晩、異様な盛り上がりを見せた晴海古戦場に於ける伊福部昭追悼演奏会。日本音楽集団のスタッフは、「集団結成当初の熱気を感じます」と感動ひとしきりだったそうな。

詳細はボランティア仕事のTANモニターに譲るとして(細部は意図的に一切ブラッシュアップしていない荒っぽい原稿でありまするhttp://tanmoni.exblog.jp/)、ひとことだけそっちには言えないことを。

ええ、ピリオド楽器愛好家の皆様がモダンオーケストラを批判して屡々主張なさる「楽器そのものの生き物としての不安定さも音楽の味わいのうち」というご意見、いやぁ、それいうなら、やっぱりここまでやらんとなぁ。香港チャイニーズオーケストラやら、シンガポールチャイニーズオーケストラが機能和声がちゃんと出来てからの洋楽オーケストラ曲を本気でやったらどーなるのか、小生は寡聞にして知らぬ。が、少なくとも、箏がズラリ並び、尺八やら篳篥、笙なんぞが管楽器でメロディラインを担当する日本音楽集団の昨日の編成、あなた、そもそも篳篥や尺八にヨーロッパ的な意味での音程なんてあるわけがなく、レガートな旋律線を担当できる弦楽器群もなければ、ある程度きちんとした音程を縦に重ね和声を示せるセクションがあるわけでもない。当然のことながら、今時の「ちゃんと合ってるオケ」の視点で言えば、ぐっちゃぐっちゃです。でもねぇ、これがやってる音楽への批判にならない。このグチャグチャさこそが、なんとも伊福部テイストなんだわなぁ。編曲なさった秋岸寛久氏、さぞかし大変だったことでしょう。

尤も、作曲家御本人がいらしたらどう思ったかは知りません。ま、それはそれ。この辺については、ここではあんまり書きません。悪しからず。

で、日本音楽集団版「SFファンタジー」(題名に「交響」も「第1番」もありません)に、客席から数十メートルのところをかつてお通りになられた怪獣王と、ここ晴海の新第一生命ホールにも、はたまたマンモスフラワー咲き誇ったお堀端の先代ホールにもいらして下さった伊福部老を偲びつつ聴きながら、つくづく思ったのは以下。

ええ、企画がその後どうなってるのか知らないけど、かの筒井康隆の台本まで出版され一頃リメイクが騒がれた『大魔神』、ホントにやるなら、是非とも音楽は伊福部翁の旧作を転用、そして演奏はモダンオーケストラじゃなく、日本音楽集団でお願いしたい。
「完成度」という意味で現代オーケストラにはどうやっても太刀打ちできない邦楽オケ、商業映画用の録音なんぞ猛烈に大変だろうし、ヘタすりゃ経費はワルシャワフィルハーモニーよりもかかっちゃうだろうけど、でも、プロデューサーさま、あの霧の向こうから響いてくるような茫漠たる和声進行と絶対に揃わない32分音符の強烈な上下行こそ、究極のオリジナル楽器を聴く喜び。『ゴジラ』だったらモダンオケの非情さの方がしっくりくるだろーが、『大魔神』こそは邦楽オケでやるべきでしょーに。

どなたか、お知り合いにあの映画のプロデューサーや監督がいたら、このアホな意見、お伝え願います。『大魔神』リメイク決定の際には、音楽には日本音楽集団、日本音楽集団をよろしくお願い申し上げます!


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今晩8時前ゴジラ晴海上陸! [現代音楽]

日本列島内で「ゴジラのテーマ」を吹き鳴らすに最も適切な場所があるとすれば、それはもー、晴海埠頭近辺であることは一億二千万国民の誰にも異論のないことであろー!
それすなわち、プラハのカレル橋袂の芸術の家で「モルダウ」を奏でる、ドヴォルザークの「新世界より」をカーネギーホールで演奏する、ローマの新ホールで「アッピア街道の松」を吹き鳴らす、はたまたグランドキャニオンの真っ直中にハリウッドボール響を連れてって「大峡谷」を轟かす、なんてのと同じなのであーる。

なにせ、晴海埠頭といえば、品川沖から上陸した初代ゴジラがなぜか銀座通りを通り最終的に海に出て行ったところ。以降、「晴海通りを埠頭側に曲がった辺りの倉庫棟の横にメーサー砲をズラリ一列に並べ一斉掃射」は我らが東宝自衛隊に於ける「203高地への乃木将軍の突撃命令」に近いバカのひとつ覚え必殺防衛戦法。初代ゴジラがオキシゲンデストロイヤーで東京湾の藻屑と消え、何代目かのゴジラが核融合炉暴走であえなく世を去ったのも晴海の向こうお台場。晴海沖は歴代ゴジラ終焉の地でもあーる。怪獣王がかくもご愛顧なさって下さったお陰もあり、以降、ここ晴海の地は「世界で最も怪獣が頻発する場所」となった。そー、晴海は怪獣聖地なのであるよ、オタクの皆さん。

東宝に敬意を表したか、円谷怪獣どころかウルトラの星の方々もこの場所がお好きなようで、バルンガは浮かぶは、スカイドンは落ちてくるは、それどころかものの本に拠ればウルトラマンタロウが地球に帰化する宣言をした場所だったり(この辺になるともー判らん)、最近では怪獣やっつけ隊の基地が目の前に浮かんでいたりもしたそーな。ふう。
怪傑ズバットや仮面ライダーなど等身大ヒーローだって山のように晴海で闘ってる。今も散々撮影隊が来て新作のロケがあちこちでされていて、この地の怪獣聖地としての伝統はしっかり生きている。うん。なんか誇らしいぞ。うん。

もとい。さても、本日午後7時より、その晴海、東宝自衛隊尖鋭メーサー砲中隊が怪獣銀座侵攻を食い止める最終防衛ラインに設定する黎明橋近傍(なんじゃ、わしら佃月島晴海両人工島住民は帝都死守のための捨て石、沖縄県民状態なのかい…なんて愚痴りません)、トリトンスクエアは第一生命ホールにて、ゴジラのテーマが響き渡るのじゃ。おお、これはもう、とるものとりあえず行かねばならぬっ!それも、なんとなんと、西欧のオケじゃあなく、邦楽器編曲。もー面倒なのであれこれ書かぬ。こちらをご覧あれ。http://www.promusica.or.jp/04ticket/187-20070525.html PDFファイルになった裏側もじっくりお読みのことを。
              

ゴジラ様は晴海界隈ではとてつもなく有名人。ゴジラ様が通ればイヤでも響く伊福部ゴジラ音楽は、その辺のじいちゃんばーちゃんだって知ってる。こちらにMIDIファイルあり。偉いなぁ、こういう方は。http://ramroh.2kki.com/mididatas/anime/tohosfx.html

実際、ホール主催者側スタッフが、笙を温める電熱器をホール舞台上に置くため「危険行為解除願い」を臨海消防署に出しに行ったところ、こんなもんをやるんですとチラシを渡された消防署の担当者、「おおおお!」と叫び、いきなり「♪ゴジラ・ゴジラ・ゴジラトメカゴジラ」と歌い出したそーな!昨日のリハーサルでは、日本音楽集団の皆々様、その臨海署様が現場視察にいらした姿を見るや、メーサー砲一斉照射のように「♪ゴジラ・ゴジラ!」と煽ってお出迎え、担当者は感動大爆発だったとのこと。

さあぁあああ、邦楽器合奏のゴジラ、晴海通りを蹂躙せよっ!ゆけえええα号とβ号、モゲラをやっつけろぉ!闘え、メーサー戦車、どう考えても重すぎて黎明橋が落ちそうだけど、それも許すっ!そして怪獣王と尊師伊福部を敬愛する世界の人々よ、晴海に結集せよっ!♪タンタンタン・タララ~、タララ、タララ、タララッタッタッタ…


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どーするマッカーサー道路 [新佃嶋界隈]

DCでいきなり液晶が真っ白けになってしまったニコンの小さなデジカメを修理させるため、いい加減に行き詰まった原稿ひとつほーり投げてチャリチャリと西仲通り抜け、晴海通りを銀座のニコンサービスセンターに向かってると、煉瓦色の住生ビル横に飛行船がふたつ浮いてら。ひとつならともかく、2艘(飛行船って、どーやって数えるのでしょーか?)タンデムで浮いてるのは珍しいなぁ、「パトレイバー2」みたいに拝島の日飛から来るのかしら、それとも調布、館林…なーんてボーッと勝ちどき橋上から眺めりゃ、ひとつは皇居に向け右旋回(てか、やっぱり面舵、って言うのかな)。もうひとつはそのまま真っ直ぐ、銀座汐留上空を突っ切り、品川沖に向かいましたとさ。

ああ、空はきっぱりと五月だ。湿った海風が南から吹き付ける、帝都の出口、杢太郎が愛した初夏の大川。

さても、この画面の真っ正面に、御上は環状2号線の橋を架けるという。無論、右手の築地市場は潰します。んで、豊海のリチャードギアマンションの横を抜けて、晴海埠頭を突っ切り、橋はそのまま豊洲へと向かう。そー、あの、豊洲。300万弱都民が支持した知事さんのドタバタぶり、こんなことになってます。http://www.zakzak.co.jp/top/2007_05/t2007052412.html
この記事、言うこときかない三大全国紙に対抗させるために経団連が三流業界新聞を全国紙にでっち上げた「産業経済新聞」、我らが都知事さん翼賛メディアのウェブサイトのものですからね。念のため。

戦後レジュームはなんでも排斥がインの今日この頃、環状二号線を「マッカーサー道路」って呼ぶ奴は、まだいるのかしら。これが御上の言い分。http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/cpproject/traffic/19/toshishisetsu19.htmlそりゃまぁ、新橋から日本財団前までが貫通したら、JTアートホールやサントリーに通うに銀座の雑踏抜けずに済むから猛烈に楽だけど…トンネルじゃあチャリチャリ行けんわい!

マッカーサー道路延長橋予定地


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遅すぎる訃報:一之瀬康夫 [演奏家]

昨日、太平洋上で目の前の4畳半ほどの公共空間に次から次へと人がやってきてはたむろしているのを無視しながら作業していたミュージック・イン・ミュージアムの原稿をなんとか昼前に入れ(それにしても、デンマーク国立博物館資料の束たち、紙屑としてコペンハーゲン近傍の焼却炉の灰と消えるふつーの末路を辿らず、1月の朝にコペンハーゲンを出て、大嵐のアムステルダム空港で一晩留め置かれ、大西洋を渡ってミネアポリスに連れてこられ、「エンパイアビルダー」でシカゴまで運ばれ、太平洋を越え東京湾岸佃に4ヶ月逗留、まさかと思うが再び太平洋を越え、またまた「帝国創設者」号に揺られもいちどシカゴにやって来て、勢いついでにワシントンDCまで行き、太平洋を越える日付変更線近辺でやっと原稿作業に用いられる……かくも波瀾の運命に翻弄されるとは)、10日分溜まった郵便物などを処理。おお、「ストリング」最新号が来てる、わあミドリさんのヴェトナム・ツアー原稿、写真いっぱい入ったなぁ。流石にプロは良い瞬間を捉えるなぁ、恐れ入りました…なんてページを捲っていて、手が止まりました。

ニュースページの訃報欄に、良く知った顔が出ている。

ロイヤル・オペラの首席第2ヴァイオリン奏者、一之瀬康夫さんが、3月27日に劇場で練習中に心筋梗塞でお倒れになり、急逝なさったとのこと。知らなかった。日本語メディアでの報道は、今まであったのかしら。

この歳になると、知り合いの訃報に接するのはある意味で仕方のないことだし、本日も調布に蟄居していた大学院時代にほんのちょっとだけご縁があった熊井啓監督の訃報があって、「帝銀事件死刑囚」か「海と毒薬」のDVDがどっかにあった筈だっけ、と思っていたところ。でも、一之瀬さんの場合は、なんだか昨日「ではどうも」もちゃんと言わないままに、いつものように先程まで要らした席からスッといなくなっちゃって、どうせまた2年もすればロイヤル・アカデミーのデュークホールでお会いするだろうって当然のように思っていたし、なんか、今でもそう思えるし…

別に一之瀬さんと親しかったわけではありません。小生が一之瀬さんにお会いするのは、3年ごとの春。ロンドン国際弦楽四重奏コンクールの予選ラウンドでのことだった。90年代の半ば前、今は亡き「過去に最もイギリスらしくないイギリスのクァルテット」ヴェリンジャーQが衝撃的な優勝をした年から小生は通ってるわけだけど、室内楽コンクールとしては異常なまでに予選ラウンドが長く大きいこの大会、決して満杯とはいえない予選にヒョイっと顔を出し、暫く見物し、去っていく東洋人の現場っぽい紳士がいた。
あるとき、ヴァイオリンを抱えているので話をしたら、「コヴェントガーデンのオケに乗ってて、練習の合間に覗きに来てるんです。みんな上手いもんですね」などと仰る。それからは、お顔を合わせるたびに遠くから眼でご挨拶をし、ときには演奏を巡ってもちょっとは雑談をするようになった。要するに、音楽家、というよりも、取材現場で情報交換やら無駄話をする大先輩である。勿論、相手は海千山千のプロ中のプロ、評価は的確だし、ときに小生などにはまるで理解不可能なイギリス趣味やら聴衆の評価の訳も、この方のちょっとした一言で小生なりに納得させていただいたりもしたものだ。

昨年の4月、やっぱりロイドホールでお目にかかりご挨拶した際に、「いよいよオケが隠居でしてね」と、特に感慨もなさそうに仰ってた。それよりも、やっぱりヴァイオリニストの娘さんやらご家族もいらしていて、どうやら娘さんの仲間らしい団体を熱心に聴いていらっしゃったりして、へえ、この方にはこういう背景があるんだなぁ、なんて漫然と思ったりしたものだった。会場の評論家やら関係者も、まるで年期の入った蕎麦打ち職人みたいな、作務衣が似合いそうな静かな東洋人を、はっきりと「ものの判った人」として遇してたっけ。

リタイア後も隠居生活というわけにはいかず、なんのかんのオケに乗ってらっしゃったらしい。練習の最中に急逝なされるなんて、指揮者なら感動的な最期の逸話なんだろうけど、オケマンとしてはどうなんだろうか。音楽家として本望なのか、それともプロ職人とすれば体調管理が出来ていない恥ずべきことなのかしら。

自分の仕事とは直接関係のないクァルテットのコンペを熱心にご覧になり、コンクールの空気全体を造っている方がひとりいなくなった。次回のロンドン大会は、なんだか寂しいものになるだろう。

65歳って、偉大な聴衆となるには、まだ若すぎるじゃないですか。


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「北米阿房列車」最終路線は300㍍ [たびの空]

ポトマック河畔のナショナル空港を月曜朝の10時過ぎに離陸、デトロイト経由で成田到着火曜日午後4時過ぎ。で、夕方5時半頃に、無事に佃厄偏庵に戻りました。さっそく留守を守って下さっていた佃二丁目町会警備班副主任を務めるお隣の魚河岸ご隠居あにいに、敬意と感謝を込め、定宿の2ブロック隣に聳えるFBIの観光帽子をプレゼント。冗談は判って下さったようでありました。これから佃二丁目で「FBI」と書かれた帽子を被るご隠居をご覧になったら、それこそが我らが二丁目町会警備の重鎮だっ!

さても、ポートランド市電に始まり、アムトラックで総計3000マイルを走破、ついでに打ち合わせでDCメトロブルーラインの終着駅まで至った北米阿房列車のたびの空。今回の北米大陸で最後に乗車した列車は、なんとなんと、走行距離わずか数百メートル、デトロイト空港ターミナル内部を走る真っ赤な空港内連絡列車でありました。

アムトラック内で「のぞみ」と「アチェラ」の側面追突強度の違いを論じ合ったニュージャージーのオタク青年、モンタナでの熊本交響楽団の演奏会を手伝ったグレイトフォールズ響ヴィオラ奏者のお母さん、フロリダからパナマ運河を抜けるクルーズでヴァンクーバーに至りシカゴからは飛行機で1ヶ月の旅を終えるというご隠居夫妻、南欧系若い美女を連れ周囲に「社交一切拒否光線」をバリバリに照射するインチキ・ヘミングウェイみたいな熊オヤジ、閉所恐怖症で絶対に飛行機に乗れないカリフォルニアの黒いオバチャン、鉄道に乗ってきたというとビックリする東海岸の人々…ネタは満載なんだけど、ま、小生の商売ではどこに出すでもないし、この私設電子壁新聞に綴ったところで読者もいまい。気が向いたら、忘れた頃にポロリポロリと記すかも。
そんななかで、誰よりも印象的だったのは、グレイシャー国立公園の夜明けを食堂車の合い席で眺めたシアトルのご老人。「妻は朝飯はいらないとな。そう、これからシカゴまで行き、そこからは車でDCじゃ。たぶん、これがわしらにとって最後の大きな旅になるじゃろなぁ…」

どんな旅にも終わりはある。

戻ってくればもう皐月も下旬。ミドリの記者会見やら、パイツォQのツアーやら、嫁さんのソウル一泊緊急出張やら、いろんなことがある3週間が嵐のように過ぎれば、今度は遙か欧州の地にて「独伊枢軸帝都連結阿房列車」再度走行予定。今年はホントに滅茶苦茶で、どこにいるやらやくぺん先生、まだまだ終わり見えないたびの空。幸いにも、当面は戻る場所あるたびの空。だから、町会対抗防火ポンプ大会の練習にも、真面目に参加しなきゃね。

路地裏の 警備も堅し えふ・びー・あい!


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