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目覚めよ、目覚めよ、汝ら花々… [演奏家]

『ストリング』編集部にミドリのヴェトナム・ツアー原稿についての打ち合わせに行くべく荻窪駅を出たら、携帯がブルブル震えた。メールが2通。嫁さんからと、若きアマチュア指揮者の侒婆砂君から。内容は両方とも同じで、「ヘフリガー翁がお亡くなりになりました」。

そろそろオッサンからジジイに足を突っ込むくらいの歳になると、今の自分の有り様を決定してくれたいろいろな人がいなくなっていく。で、あるときから、そういうことには鈍感になろうとする。人の死を心から悼めるのは、若者の特権なのだ。若者よ、先達の訃報に大いに涙したまえ。わしらジジイ予備軍には、もう流す涙もない。残念ながら、あたしらは年中泣いてはおられぬ。

とはいえ、ヘフリガーという言葉の芸術家と短いながらも過ごせた時間には、昨日のように覚えている瞬間もある。サントリーホールのオープニングシリーズで、ケント・ナガノがNJPで日本デビューしたときの「大地の歌」。Pブロックに近い下手側があんなに人の声が聴こえない会場だなんてチケット購入時には知る術もなく、嫁さんとふたりで猛烈にフラストレーションばかりを溜めていたあの演奏会。ヘフリガー御大の横顔を延々と眺める1時間。音よりも、声よりも、大オーケストラの咆吼を背負って座っている翁の姿。声のアーティストの記憶が、ただ座っている絵という情けなさよ。

ヘフリガー翁に最期に接したのは…調べてみたら、1997年の5月。もう10年も前のことになるんだなぁ。大植英次指揮するミネソタ管の「グレの歌」で、当時えーちゃんがベートーヴェンの協奏曲チクルスをやっていたアンドレアスのパパが遙々舞台に登場し、この巨大な世紀末タブローの最後の最後で喝采をさらってしまったっけ。音程のある歌ではありません。そう、あの、語り、「ヘル・ゲンセフス…」で始まる、最後のシュプラッヘシュティンメ。声の芸とは音程の正確さじゃあない、なんて当たり前のことを痛感させてくれた、あの言葉たち。どんな巨大な音響よりも遙かに雄弁だった、冬の終わりの宣言。"Erwachet, erwachet, ihr Blumen, zur Wonne!"

終演後のパーティにも、ヘフリガー老はいたはずなのだけど、ご挨拶することは能わなかった。なにしろシェーンベルクの息子さんという伝説の方の側に座らされて、すっかり緊張してしまい、ガラにもなくどうしていいか分からなくなっちゃってたもんでね。

恐らく、ヘフリガー氏の最期の録音も、ロバート・クラフト指揮する「グレの歌」の語りなんじゃないかしら。最期にステージで聴いた声楽家エルンスト・ヘフリガー氏の声が、ドイツ語と生涯対峙してきたテノールが年齢を重ねた結果でなければ発すること不可能な「語り」だったのは、聴き手として最高の幸福だったのかも。

「目覚めよ、目覚めよ、汝ら花々、喜びへと!」


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