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プロの仕事のバーンスタイン《ミサ》 [現代音楽]

NYCはアッパー・ウェストサイド、リンカーンセンター主催の「モストリー・モーツァルト・フェスティバル」2018年音目玉のひとつは、生誕100年が世界中で祝われるレナード・バーンスタイン《ミサ曲》の上演であります。
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http://www.lincolncenter.org/mostly-mozart-festival/show/bernstein-mass

この上演、どういうわけか昨年くらいから盛んに出版社のブーシー&ホークスが盛りあげてる「バーンスタイン生誕100年」イベントの一覧表の中に記されておらず、小生としましても某一般誌に昨年の大阪の井上道義プロデュース公演の記事を書いたときに「この作品、来年に向けてシカゴ、ロサンジェルス、ロンドン、パリなど世界中で上演されることにあっているが、何故か作曲者に所縁の深いボストン、ニューヨーク、そして初演されたワシントンDCでは上演は予定されていない」ってなことを記してしまった。そしたら、シンガポールでのマレー半島初演はあるは、この夏のニューヨークでの上演はあるわ…あさかブーシーさん、1年前に状況を把握していなかったとは思えないんだけど、どういうことなんでしょうねぇ。

てなわけで、遙々大平洋跨いでマンハッタンまでやって来た次第。

NYフィルだって、昨年から「バーンスタイン交響曲全曲演奏」とか、それなりにこの作曲家祭りに参加しているわけだが(メトが《キャンディード》やったり《クワイエット・プレイス》をやったりするかと思ったら、やりませんでしたねぇ。シティオペラが生きてたら《キャンディード》やったろうになぁ)、ヤープ新監督が喜んでやりそうなこの作品、何故かやらない。で、手を挙げたのは夏の風物詩、モストリー・モーツァルトでありました。
この音楽祭、長く「夏のシーズンオフにモーツァルトやって涼みましょ」ってもんだったわけだが、数年前に「リンカーン・センター・フェスティバル」という、シュトックハウゼン《光》の「木曜日」のミカエルの世界旅行とか、ヴァインベルクの《旅行者》とかをやってた今時のインな演劇なんぞをメインにした夏の芸術祭を取り込むような形になったようで、今年はなぜかニナガワ・マクベスなんかもやってます。

プロダクションも「リンカーンセンター・フェスティバル」のやり方を踏襲して、自分らでオリジナルを作るのではなく、どこかでやったものの引っ越し公演が基本。今回の《ミサ曲》は、その意味では「モストリー・モーツァルト」の色彩が強いもので、数ヶ月前にロスフィルがデュダメルで定期でやったプロダクションを持ってきて、オケはモストリー・モーツァルト管で、指揮は音楽祭の監督のルイス・ラングレー、というもの。会場はリンカーンセンターからセントラルパーク挟んだ反対側のアーモリーかと思ったら、エヴリー・フィッシャー・ホールあらためデヴィッド・ジェフィン・ホールって、NYPのホームグラウンドじゃあないかい。

そんなこんな、2日間ある公演の初日が先程終わり、大雨が降って一機に涼しくなったけど湿度は100%みたいなブロードウェイを歩いて戻ってきたわけでありまする。ま、明日のNYTに批評が出るでしょうから、それはそれであとで貼り付けるとして、ヴィーン、大阪、シンガポール、そしてニューヨークとこの作品の上演を眺めてまわったやくぺん先生としますれば、寝る前にひとこと言っておきましょうぞ。乱暴に言っちゃえば、今回の紐育版、極めてプロっぽい上演でありました。

コンツェルトハウスという空間での上演を真後ろから聴いたんで、なにやってるか判らんままに終わった感が強かったクリスチャン・ヤルヴィ&オーストリア放送響公演、井上道義という強烈な個性に演奏者がともかく引っかき回されてあれよあれよで終わった大阪公演、最良の意味でのアマチュアっぽさと司祭役(DGのヤニック録音でも同役をやってる方)及びフィリピン人キャストのミュージカル型演技が意外なほど説得力のある舞台を創り上げたシンガポール公演、と眺めてきたあと、「自分らが何をやっているか完璧に判っているプロがやる演奏とはこういうものだ」と見せつけるような、良くも悪くも取っても整理された、判りやすい演奏でありました。

歌手は司祭からストリートシンガー役までオペラ系歌唱で、マイクは一切使わない。オーケストラはニューヨーク地区の腕っこきのフリーランスを集めたモストリー・モーツアルト管で、なんとなんとコンサートマスターには、懐かしやボロメーオQ創設第2ヴァイオリンのルッジェロ・アリフランキーニが座ってるじゃあないかぁ!うぁぁ、お久しぶり、すっかりオッサンになったなぁ。
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指揮は音楽祭の監督のルイ・ラングレーで、なんせメトなんぞも振ってる堅実なオペラ指揮者さんでもあるわけで、デュダメルやらヤープのカリスマ性はないかもしれないが、オケは必要な部分をしっかり鳴らし、バランスも完璧。ドナ・ノビス・パーチェムの修羅場で長いクレッシェンドを作って音楽的に大きな盛り上がりを作り、その後の司祭の狂乱の場に繋げていく手腕は流石でありました。

このように水準が高いプロっぽい演奏で、フラワー・ジェネレーションから1970年代初頭を思わせる衣装やダンス、そしてなによりも「ミサ曲」とは何かが判った演奏家や聴衆…ってわけで、「ミサを執り行う司祭が、自分の行うミサという祭事行為に対しいろいろ考え、疑問に思ってることを、さらけ出す」という演劇という色彩が強くなる。そう、みんな悩んでる、僕だって司祭だから判ったような顔をしているけど、ホントは悩んでる。だから、そんな悩んでいる僕が居ると言うことでみんな、疑問に思って入ることは許して欲しい。君も僕も、みんな悩んでるんだよ…

無論、ベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》で悩んだことをナポレオン戦争からヴェトナム戦争に背景を変えてやっちゃった、ということは誰が聴いても判る。中身も、まるで《モーセとアロン》みたいなもんだ、というとこも誰にだって判る。ただ、バーンスタインがバーンスタインである所以は、黄金の羊の踊りで疲れて寝てる人々の前で無力感を表明して終わりになるのではなく、「みんなおかしいと思ってるんだ、だから、そう思ってない若い人達に託そうじゃないか」と宣言しちゃえるところ、なんだろーなぁ。

つまり、この上演、ひとつの時代を背景にした悩める司祭の物語としては、とても良く出来てた、ということです。

じゃ、それが21世紀の10年代も終わろうとする今のわしらになんなのか、といわれると…ま、それは眺めた人それぞれ、ということでありましょう。

今日の上演でいちばん面白かったのは、狂乱した司祭役が聖書をぴりびりにするシーンで、客席から拍手が揚がったこと。へええ、このシーンにこういう反応が出来るんだなぁ、ってちょっと吃驚したですね。

本日は3階最後列から、舞台全体を眺める形で俯瞰しておりました。
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明日の公演は、レッジェロに手を振れるくらいの平土間前の方ですので、どんな風に観えることやら。

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内藤雅子

酒井淳が来日、来年10月、フオークレ3重奏のメンバーで来日公演
希望でどうしたらいいかなあ、、動きから御教授あれ、、、
by 内藤雅子 (2018-07-22 22:35) 

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