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ようやく時代が代わったのか? [弦楽四重奏]

トッパンホールでは初となるベルチャQの演奏会に行って参りましたです。

舞台の上から、広報部長のクシュシュトフが「この長い強制された隔離が終わり、やっとまたツアーが出来て嬉しい」などと喋って、《ラズモ第1番》&《死と乙女》という来日オケなら《運命》&《大ハ長調》というウルトラ重量級プログラムだったのに、その後に延々と《カヴァティーナ》やって、ショスタコ3番のスケルツォやって、まだまだとばかりにラヴェルの緩徐楽章までやって、3時開演が終わったら5時半に近くなっていた、というオソロシーもんでありましたとさ。

ベルチャと言えば、0年代の半ばからテイト君が辞めるまでくらいは、猛烈に作り込んだ良くも悪くもツクリモノぎりぎりのベートーヴェンを盛んにやっていて、うううむある時期にここまで詰めるのは意味があるのは判るしみんな「凄い」と絶賛するだろうけど、正直ちょっとしんどいわなぁ、という感が否めなかったのだけど、その後にセカンドもローラからフランスの眼鏡君に替わってはや10数年、本日のラズモは、まあ随分と緩くなってきたものだ、と巨匠への道へと入りつつあることを感じさせられましたです。ま、それでも充分に「おいおいおい」だけどね。フレーズの細かいアクセントや引き延ばしって、要は「ソリスト」のやり方なんだろうし、その一方で《死と乙女》2楽章最後の超強烈なピアニッシモ表現とか、相変わらずでんなぁ。やはり英国という「自分でも弾く人が聴衆にいっぱいいる」ことを前提とした些か特殊な趣味、イギリス人と宇野こーほー先生しか褒めなかったリンゼイQ、なんて趣味にジュリアードQ、ラサールQ、ABQ以降の「正確さ」と「楽譜への忠実さ」を前提に対応していくのは、こういうやり方なんだなぁ、なーんて思う東京オリンピック記念日の午後でありましたとさ。やっぱり、疲れるけどね、こういうのにまともに付き合うと。

さても、ま、そんなやくぺん先生のどーでもいい感想はともかく、何を言いたいかと言えば、この演奏会が満員になり、若い弦楽四重奏や室内楽をやってる連中がいっぱい押しかけていた、という事実でありまする。インテグラもいたし(終演後のまた入れるようになった楽屋でクシュシュトフにインテグラを紹介する羽目に陥ったわけだがぁ)、葵トリオの一部もいたし、あの人この人いろんな顔が。確かに、「弦楽四重奏の様々な表現テクニック」という弾き方上級コース受講者とすれば、現時点で手数の多さと明快さではベルチャQが世界のトップであるという事実はイヤでも分かる音楽なわけで、目の色変えて「凄いなぁ」と圧倒されに来るのは当然。昔、カーネギーホールでルビンシュタインが《火祭りの踊り》をアンコールで弾くと、翌日のジュリアード音楽院ではあちこちのピアノ練習場から腕を高く上げて鍵盤に振り下ろす輩が続出だった、なんて嘘かホントか知らん逸話がまことしやかに伝わってるけど、それと同じ様なものでありましょう。

思えば、数ヶ月前に紀尾井ホールでエベーネQがシューマンの2番をメインにするもの凄く特殊なプログラムでコロナ明け初の日本公演を行い、これまた若い弦楽四重奏奏者らがごっそり集まったっけ。ベルチャとは異なり、正直、絶対に真似をしようとしても出来ない芸風のエベーネとはいえ、21世紀初頭の欧州弦楽四重奏業界の両現役横綱の演奏会にこれだけの聴衆が入り、さらには現役学生がいっぱいいるという状況を目にするに、ああああようやくニッポンの室内楽業界もアルバン・ベルクやらハーゲンやらの時代が終わったかぁ、と安堵のため息を吐くやくぺん爺さんなのであったとさ。

昨日までの《浜辺のアインシュタイン》騒動といい、やはり極東の島国に「流行」が至るのは四半世紀くらいは時間がかかるのかぁ、と感じないでもないものの、コロナ禍での音楽視聴の変化もあるのでしょう、この業界、ひとつ時代が動いたかな、と爺むさい感慨に浸りつつ、既にとっぷり暮れた秋の日の赤い雲の下を羽田に降りていく民間機を神田川上首都高池袋線の彼方を眺め江戸川橋駅に向かうのでありました。

ちなみに、次回の来日は2年後だかで、このイースター頃に欧州でツアーしたけどコロナで次々と奏者が倒れててんやわんやだったというベルチャ&エベーネ両横綱のオクテット大会、とピエールは言ってたんだけど…その後に進行した狂気の円安、そんな演奏会買える主催者、いるのかしらねぇ。そのお値段だったら遙かに集客が見込めるオケ買います、ってあっさり言われそうだなぁ。

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