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懐メロとしての「クラシック」 [音楽業界]

クリスマスイブイブ、冬至の夜が明けた昨日午前、店が開くと同時に慌てて古賀書店閉店祭りに参加したその足で、神保町から都営新宿線を森下で乗り換え、勝ち鬨駅に突っ走り、トリトンさんでこんな演奏会を見物して参りましたで御座います。
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お誕生日がベートーヴェンと同じという山本直純さんの生誕90年を祝い、ゆーちゃんバンドがその音楽を賑々しく披露しよう、って趣旨。司会進行が真理クリスティーヌさんで、一分間指揮者コーナーなんぞもあり、あの「♪おーけすとらがぁやってきたぁあ」でお馴染みのシュトラウス《無窮動》で始まり、ゆーちゃんが客席向いて歌っちゃったりして(未だコロナ対策に慎重な会場なんで、いかなゆーちゃんでも「みんなで歌って下さい」って客席煽りが出来ないのは残念)。それからも、もうはっきりと「皆さん懐かしいあのテレビ番組で流れていた音楽や直純さんのいろんな曲を楽しみましょう」って演奏会でありました。

後半には直純編曲《G線上のアリア》やビートルズ作品など、いくらでもありそうで案外とライヴで聴く機会はない珍品も披露され、特にバッハ編曲はエルガーともストコフスキーとも違う、正に直純さん趣味としか言えない世界が展開されてビックリ。なんせバッハでは、1番はまともに弦楽合奏なんだけど、2番になるやいきなり木管アンサンブルになり、ホルン4本だかが堂々と主旋律吹き鳴らしたり、最後は大オーケストラでじゃーんって盛り上がっちゃう、ってんだから。これ、是非ともラトルやら下野やらが好きそうな「バッハ20世紀の管弦楽用編曲集」なんかでちゃんと録音して残して欲しいなぁ。

ご存じの方はご存じのように、直純さん90年記念演奏会というのはこの夏くらいに世間が「コロナ明け」っぽくなって以降、ミューザ川崎夏フェスやらすみだトリフォニーやらで何度か行われていました。それらの演奏会、良くも悪くも「山本直純のシリアスコンポーザーとしての業績を再評価する」というところに焦点を当てる真面目な会にな仕方なりそうなのは致し方ないところで、お陰で日本フィルシリーズ作品とかが聴けたりしたわけではあります。とはいえ、やっぱりみんなが直純さんに最後の最後で期待するのは《マグマ大使》であり《寅さんのテーマ》であり、はたまた《愛の町川崎》であり、何故か誰もやってくれない萩原哲晶路線の後を継ごうとした《学生節》であり…

昨日の演奏会は、広上企画ミューザなんぞでは「ご親族のゲスト」としてちょこっとだけ登場し、なんだかちょっと気まずいとはいわないけど、お互い場を仕切れないビミョーな空気を醸し出していたゆーちゃんが、もうガッツリ好き勝手にやった。身内でしか言えない本音の評価が「苦笑」って形であちこちで漏れる(嫌みや皮肉ではなく、素直な本音として)、嘘っぽさのないぶっちゃけな空気は、平日昼間ということもあってか決して多くはない熟年ばかり(と、1分間指揮者コーナーに登場するおじーちゃんを応援するために駆けつけた息子娘夫婦と孫娘ちゃん)をほんわりと包み込み、やくぺん先生新帝都帰還後連日昼夜続く緊張感の強い疲れる演奏会漬けをほっこり解きほぐしてくれるのでありましたとさ。

そう、これって、もう逃げも隠れも出来ない「懐メロ演奏会」ですわ。

地方の公共ホールの出し物チラシをだだああっと眺めていると必ず出てくる、「70年代アイドル懐かしのコンサート」とか「橋幸夫歌謡ショー」とか、はたまた「中尾ミエ歌って踊るディナーショー」とか、そういうのと同じといえば同じ。これ、否定的に言ってるんじゃなくて、もう圧倒的にポジティヴに言ってます。こんなこと広上氏や下野氏には逆立ちしたって出来ないし、無理にやろうとする必要もないこと。こういうことがきっちり出来る才能があるんだからさ。

ああ、「クラシック音楽」というものが、こんな風に懐メロになるんだなぁ。懐メロが懐メロとして繰り返し演奏され続ければ、それが「古典」になるのかしら…

どーでもいいことだけど、我が温泉県田舎の盆地には、未だオーケストラはやってこない。ゆーちゃんにしても、ミヤンマーで第九を振るのはまた夢のまた夢になり、2022年はやっぱりコロナと一緒に暮れていく。

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ちょさん

来年の大河ドラマの舞台、某三河国ではすでに。
https://www.civic.okazaki.aichi.jp/calendar/2022/12/048542.html
by ちょさん (2022-12-29 23:01) 

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