SSブログ

「事前レクチャー」は有効か [音楽業界]

先週の金曜日に新年初荷仕事をだだぁっとやった翌日から、松の内にというわけでもなかろーが、市内では「アーティスト・イン・レジデンス」が賑々しく開催されているところにニッポン各地から懐かしい顔いつもの顔が次々と世界の秘境温泉県盆地やくぺん先生オフィスに新年のご挨拶にいらっしゃり、まるで仕事にならない数日。その後はお嫁ちゃまが新帝都湾岸に戻るまでに家庭内の用事をバタバタしており(昨年の台風豪雨で水道管の元栓が土石に埋まっていたことが判明し、その復旧作業やらなにやら)、それらを片付けお嫁ちゃまを見送ったら溜まっていた己の為の秘書作業(含む、動き始めた主催者さんや編集部とのやりとり等々)、それが終わってさてもと手を付けた〆切この週末だった作文仕事が意外な程面倒で、温泉県盆地から遙か太平洋とロッキーとアパラチア山脈越えた彼方とリアルタイムで連絡取って細かいチェック作業しなきゃならんかったり、ってわけで、炬燵の中に入ってゴロゴロしていたわけではありませぬぅ…
IMG_9466.jpg
入ってたけど。

かくて盆地隅っこの田圃の真ん中から数日ぶりに抜け出し、数日前からの家の中よりも外の方が暖かい春節前の春のような陽気の中、ぐるり由布岳やら巻く大分川沿いに下り、温泉県キャピタルしてぃーにまで詣でて参りましたでありまする。こちらが目的。
IMG_9493.jpg
来る2月24日、大分市内はiichiko総合文化センターで開催される「小林道夫チェンバロリサイタル最終章」たる《ゴルドベルク変奏曲》演奏会に向けた「事前レクチャー」が、本番会場の地下練習室で開催されたのでありまする。

山越えた田舎盆地の由布岳麓にお住まいになってもう20年近くにもなる小林道夫先生、先頃90歳のお誕生日を無事に迎え、なんのかんのコロナだなんだで6年もかかってしまった「バッハのクラヴィア練習曲集全4巻をほぼ全部弾く」リサイタルシリーズも最終巻とされるこの大作で終了。主催する大分県文化財団としても、「大友宗麟が日本最初に西洋音楽を持ち込んだ場所」として力が入ったプロジェクトだっただけに、コロナ前には毎回本番の1ヶ月程前に道夫先生が街まで降りてきて、自ら本番で使用するホール所有のチェンバロ(ご自宅から持ち込んでいるのではありませぬ!)の前に座り、生声が届く程度の空間で演奏作品の解説をなさる、という豪華極まりない企画が付いている。これがワンコインなんですから、税金の払いがいもあるというものでありまする。偉いぞ、温泉県っ!

練習だけならオーケストラも大丈夫そうなそれなりの広さの練習室にチェンバロが一台持ち出され、椅子が並べられている。土曜日の午後、聴衆はなんのかんので50名弱くらいかしら。主催者さんに拠れば、「普段、顔を見ない方もいらっしゃいますから、福岡の予習でいらっしゃった方もいらっしゃるのでは」とのことでありました。

レクチャーとはいえ体系的なお勉強ではなく、道夫先生が普段からこの作品の演奏のためにお考えになられているあれやこれやを楽器を前にお喋りになる、というもの。ハンドアウトはこれだけ。
IMG_9494.jpg
とはいうものの、お判りの方はお判りのように、「この作品がどのように出来ているか」が一目で分かる道夫先生ご自身がお作りになられたチャートで、確かに曲目解説もなにも、これがあればもう充分であるすぐれものであります。「スリッパを履くのに時間がかかっちゃって」と笑いながら登場した道夫先生、この作品は喋ることが多すぎまして、と仰いながら、まずは普通の「変奏曲」とは違って低音部がテーマで、シャコンヌやパッサカリアに近い、というところから始まり、ハンドアウトのチャートのポイントをお話になる。

箱の上に書かれた数字は用いる鍵盤。ご自身が現在演奏する際の上下鍵盤選択使用に至る迄の様々な試行錯誤や、初めてライヴでお聴きになったというエタ・ハーリッヒ=シュナイダーの今はまずお目にかかれないモダンチェンバロの話など、影響を受けた演奏家の現場証言など。そこから低音主題の話になり、カノンの置かれ方、用いている楽譜について(基本は、ストラスブールでオリビエ・アランが発見して当時大いに話題になったバッハ本人が細かい訂正を入れた実質上のオリジナル譜の出版楽譜)、等々。その間にも、気持ちの赴くままに(というか、思考の向くままに)ヘンデルのシャコンヌのことから、ヘンデルの殆ど誰も取り上げない60も変奏が続く作品をちょこっと弾かれたり。

個人的には最も興味深かったのは、東京での演奏会前に道夫先生とこの作品について話をさせていただいたときにもサラッと触れていらっしゃった、「3つ目の短調が終わった後の作品の質の変化」についてでした。

というのも、道夫先生の最大の関心は「作品がどのように作られているか」で、この演奏会のチラシに刷られている道夫先生の文章も、マッテゾンとミツラーの「音楽と数学」を巡る論争の紹介。わしらシロートとすれば「はああああ、そーなんだぁ」と思うしかない、プロ中のプロの為の議論ですね。実際に譜面みて、鍵盤を前にどうしようかと悩んでる人が真の対象のような議論が中心になる中で、「作品がどのように聞こえるか」という貴重な話なんですわ。情けなや、といえばそれまでなんだけど、こればかりは仕方ないことでありまする。スイマセン。

そんなこんな、もうこんなに喋ってしまった、と苦笑しながらギャラリーに向けて何か質問は、と投げると、こんな話にどうツッコむのだという心配も不要、次々と手が上がり、なんと答えて良いか困るようなものも含む3つほどの質問に、真摯に対応なさって下さいました。アリアの素性についての質問には、これぞ鍵盤を前にしたライヴのレクチャーの醍醐味、先生がアリアを弾きながらそのキャラクターからホントにこれがバッハが書いたかどうか、ご自身が常々感じていることを正直にお漏らしになったり…これはもう、文字起こししても、映像収録しても、あの微妙な空気は伝わらないでしょうねぇ。

1時間半ほどのレクチャーを終え、50回やった楽譜やらと、話題にした論文などもそこに出しておきますからご関心の方はどうぞ、と引っ込んだ道夫先生、なんと今日はこれでお仕事終わりではなく、1時間ちょっとの移動時間で県芸の授業だかに向かわれました。

鍵盤を前にしたレクチャーの最後で、「まだまだ勉強しなければいけないことがありまして、なによりもまず楽譜に記されたフェルマータに演奏上のどういう意味があるかで…」と考え込むような道夫先生。「巨匠とは全ての答を知っている人ではなく、永遠に判らない事が発見出来る人だ」という格言を目の当たりにする思いでありました。うううむ、ホント、簡単に「判った」なんて言ってはいけないのである、うん。

大分市内では恐らくは最後になるかも知れない道夫先生の大規模なソロリサイタル、2月24日は借金してでも温泉県にいらっしゃい。
https://emo.or.jp/event/5292/
尤も、祭日の翌日夜は厳しいという方のためには、その2週間後くらいに福岡での金曜夜公演もありまする。
https://www.acros.or.jp/events/12932.html
作品再現のためには些か条件が厳しいのをご納得の上、中州でラーメンついでに大挙して全国各地から福岡帝国首都へとご来訪あれ。なんせいくらでも便はある空港からホールまで30分ですっ!

明日は由布岳の向こうで佐藤&津田がコダーイやらラフマニノフやら弾くんだけど、月末の鶴見ショスタコ・レクチャーの事前勉強せにゃならんので、ちょっと無理だなぁ。都の皆の衆、遙か田舎の温泉県も、結構、演奏会あるんじゃよ。
https://argerich-mf.jp/program/2023_01_15

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。