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ショスタコーヴィチの「ベートーヴェンQセット」? [弦楽四重奏]

21世紀10年代後半以降のニッポン新帝都圏の「弦楽四重奏の聖地」となっている鶴見はサルビアホールで、クァルテット・エクセルシオのショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全曲演奏チクルス第4回が開催され
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プレトーク司会というか、ぶっちゃけタイムキーパー仕事をし、今、へべれけに疲れて大江戸線終電に間に合うかと焦りつつ品川に向かう京急に揺られておりまする。梅もほころぶ新暦如月元旦まであと少し、このところの軍事費増額ニュースを覆い隠す大寒波も少しは大人しくなったのかしら。

この「ラボ・エクセルシオ」というシリーズ、今世紀0年代帝都の弦楽四重奏メッカだった晴海で始まり、鶴見へと会場を移して以降、バルトーク全曲、ブリテン全曲を経て、コロナ禍に巻き込まれつつも足かけ3シーズン5公演でショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全15曲+未完楽章+ピアノ五重奏を演奏する、というもの。ニッポン首都圏では「ショスタコーヴィチの弦楽四重奏を演奏する」ことを目的に荒井さん中心に活動を続けるモルゴーアQという先輩がおり(今は大友パパはモルゴーアのセカンドとはオケ主席仲間ですなぁ)、古典Qも全曲ディスク録音しているわけで、巖本真理Qが14番初演直後に演奏したいとあれこれ大使館に動いた頃から、演奏伝統がないどころか、実は外来団体含め極めて頻繁に演奏が繰り返されている。短期集中チクルスでも、銀座四丁目交差点裏に王子ホールさんが出来たときのショスタコーヴィチQのちょっと評価に困ったチクルス(ああ、ロシアの団体ってのはこういう仕事の仕方をするのかぁ、と教えて貰ったけど)やら、激安武蔵野爛熟期の面目躍如たるアトリウムQが朝から1日で全曲なんて無茶苦茶企画まであったわけでして。最近では、札幌中心にダネルQがヴァインベルクとのセットでいろいろやってるし。

そんな中で、勿論8番などは基本レパートリーとしてやってきたエクが満を持して全曲演奏に挑んだわけであります。ショスタコーヴィチ・チクルスの常として、編年体で頭から演奏していったわけでだけど、このやり方、どうしても「演奏会はフルコースをいただくのと同じくらいの2時間」という前世紀以来の商習慣(?)に従う限り、どうにも上手く収まらない。だからこそ、「朝から晩までショスタコ」とか「年をまたいでショスタコ全曲」なんて言語道断企画が「それもありだよねぇ」と成り立っちゃうわけでして。

んでもて、エクは毎度ながらというか、いつものようにバカ正直に頭っからやっていった。第1回が1,2,3番で、これはもーまんたい。第2回が4,5,6番。うううん、これはなかなかやらんなぁ、という5番を真ん中に据えた意外にヘビーな一晩となる。続く半年ほど前の第3回は7,8,9,10番で、「おお、つまりこの短い奥さん追悼7番って、自伝作品8番とセットの曲なんじゃね」と驚かされた。そして今回、新帝都が最も寒くなる頃(モルゴーアさんが毎年定期演奏会をやる時期でもるんですけど)にピッタリ、と言うと自虐と苦笑されそうな、11,12,13,14番というとてつもない曲が並んでしまったわけです。

ともかく、世の弦楽四重奏文献の中でも最も取っつきの悪い作品ばかりを並べたような演奏会、ロシアソヴィエト音楽専門家の中田先生のプレトークの始めに、客席の新帝都でも最もコアな聴衆さん(なんせ、裏では大人気アマービレがベートーヴェンぶつけてきてるんですから)に尋ねたら、流石にこの中にもこの4曲を並べた一晩のコンサートを経験したことある方はいらっしゃらないようでした。そんな演目ですから、中田先生とのプレトーク打ち合わせでも、「前回はショスタコーヴィチにとって音名象徴とはどういう意味があったのかという概論的な話にしましたけど、今回はともかく曲についてきっちり説明しましょう」ということになり、本番前のエクに無理を言い、大友氏にご登場願って
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各曲のポイントとなる部分、12番の音列とか、13番や14番の《マクベス夫人》引用やら、14番のパッサカリアのオスティナートがジャズになってるところとか、実際に弾いて貰って、本番ではこの辺りに気をつけて下さいね、とご紹介するというまともなことをやったわけでありました。あたしゃ、そのタイムキーパーでんがな。

そんなこんなで、今や日常茶飯となったJRの遅れでちょっと押して始まったチクルス第4回、堂々たる2時間弱のコンサートとなったわけですが、やはりこうしてチクルスの一部で以外にはあり得ない切り取り方をしてみると、もうこれは誰が聴いてもハッキリと「あれ、つまりこの4曲って、若い頃からのお友達だったベートーヴェンQの4人に1曲づつ捧げたチクルスで、なんのことない《ベートーヴェン弦楽四重奏団セット》じゃね」って判る。精妙に書かれた11番、まるでベートーヴェン第12番の冒頭変ホ和音モチーフみたいに「音列」というユニットを扱う12番、ソヴィエト崩壊後のロシア音楽のメイジャーとなった「様式混交」をショスタコーヴィチ様式で強引に押さえ込んでまとめた13番、そして最後に和声や旋律も多様な様式のひとつとして取り込んだ枯淡の巨匠技14番、ってね。

いやぁ、ホントに、勉強になりました。こんな風に眺めることで、去る11月にエマーソンQのロンドン最後の公演ということでトンネル潜って1日だけ訪れた英都で聴いた第15番が、まるで暗く陰鬱ではない、でっかいバルトークの6番みたいな印象だったのも、あながち間違いではないな、とあらためて思い返しつつ納得する睦月晦日の深夜でありましたとさ。個人的には、中田先生からみんなが使ってるシコルスキー版の2010年だかの新ショスタコーヴィチ全集版と比較した楽譜としての評価を教えていただいたのが、猛烈に有り難かったです。


なお、ショスタコーヴィチ完奏後の「ラボエク」のテーマは…まだ秘密。今やベテランの域に踏み込みつつあるエク、何を出してくるやら。大友パパさん曰く、「30周年になるというのに、まだやってない曲がいっぱいあるんですよ」。請うご期待。

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