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ガザ戦場化が伝わる中でショスタコーヴィチ第4番を聴く [弦楽四重奏]

ショスタコーヴィチ第4番とはいえ、交響曲ではありません。弦楽四重奏の第4番です。

昨晩、ルーテル市ヶ谷センターで、古典四重奏団がこの秋から始めた何度目かのショスタコーヴィチ弦楽四重奏全曲演奏サイクル第2回目の後半を拝聴してまいりましたです。なんで「後半」なのかは、ま、武士の情け(うーむ、使えん副詞句だなぁ)、尋ねんで下さいな。現在絶賛進行中、「秋も深まる新帝都首都圏勝手に弦楽四重奏ウィーク」一連の演奏会のひとつでありまする。
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紹介記事はこちらをどうぞ。
https://ebravo.jp/archives/147638

てなわけで、このシリーズの経緯などは「ぶらあぼ」さんの記事をご覧になっていただくとして、ここには記されてないけど、いつものように「胴体に弦が張ってあれば何でも弾いてしまう」マルチ弦楽器奏者田崎氏のレクチャーがあり、ショスタコ関連作品やらなにやらを弦楽四重奏編曲であれこれ解説なさってくれた後の演奏会であります。

興味深いのは、「田崎さんは演奏家であり、ショスタコーヴィチやロシア音楽の専門研究者ではない」ということですね。こういうレクチャー、基本はやはり「これから演奏される作品について、最新鋭の情報をアップデートしている専門家にお話を伺う」ということになり、先頃無事に終了したエクのチクルスでも、この情勢下にペテルスブルクやらに行かれて研究なさってきた専門家の先生に来ていただき、最先端のショスタコーヴィチ研究情勢からのお話をしていただきました。

古典Qのこのシリーズでは、やり方がちょっと違う。田崎さんはあくまでも「そこにある譜面を音に再現する」のが仕事の演奏家で、その意味ではショスタコーヴィチもベートーヴェンと何一つ違うところがない。ひとりの演奏家として、今、この瞬間に楽譜に対面し、感じるところを語って下さるわけです。

実を申しますと、諸事情でレクチャー部分は遅刻しました。で、昨晩のレクチャーで田崎さんが以下の問題についてお触れになったか、知りません。ゴメン。つまり、あくまでも純粋にやくぺん先生の心情としてどうなのか、というどーでもいい感想でありまするので、その点を誤解なさいませんよーに。なお、シリーズは今年はこれで終わりで、来年、再来年と総計6公演で完結するとのこと。請うご期待。

1、4、5番を演奏した昨晩の古典Q、レクチャーの後に1番と5番を披露し、休憩を挟んで4番を弾く、というやり方でした。いつものように譜面台はなく、小さな東京の町場の教会、とはいえ立派なオルガンが後ろに控える前での演奏は、吊り下げられた十字架のオブジェがまるで録音マイクのように見える。弟子の作曲家との秘めたる(?)愛やら抽象的な作風に踏み出した第5番の後、本日のメインのように展開された第4番、みんなが大好きショスタコ節アレグロが弦楽四重奏にも姿を見せた第3楽章から切れ目なく繋がる第4楽章、逃げも隠れも出来ないユダヤテーマが堂々と繰り広げられる楽章でありまする。

ショスタコーヴィチとユダヤ音楽の問題って、みんな口にするけど、案外と「どうして?」って素朴な疑問にちゃんと答えてくれる人がいなくて、昨晩も「あああ、この頃はユダヤ運動家の義父をKGBに暗殺されたヴァインベルクとはもう親友だった筈だし、周囲にユダヤ系の関係者がいたのかなぁ」なんて毎度のことを無責任に妄想するわけですが、やはりどうしてもそれだけでは終わらぬ。なんせ、朝っぱらにはこういうニュースも伝えられていたし。
https://tempoprimo.co.jp/archives/8541

バービ・ヤールの谷がまた戦場になり、迫害されたユダヤ人がパレスチナ人を迫害し、憎悪が憎悪を呼ぶ世界の中で、自分の命も危機にある作曲家がユダヤ人の節を弦楽四重奏に託す。そして、悪循環がまた殺戮という最悪の形で晒されている今、受難のイエスが見下ろす空間で、70余年昔の(もしかしたらあるのかもしれない)メッセージに耳を傾けた晩。
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田崎さん、わしは何を感じたらいいんじゃろか…

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