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訃報:ゴールドベルク山根美代子 [こしのくに音楽祭]

2006年10月20日午前2時50分、富山市内の病院で、現在開催中の「こしのくに音楽祭」音楽監督、ゴールドベルク山根美代子さんがお亡くなりになりました。
          
午前5時過ぎ、ボストン経由で一報があり、現時点(午前6時30分)でやっと確認がとれました。

今後につきましては、追っての山根家からの公式発表をお待ち下さい。なお、北日本新聞の報道は以下。http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20061020/902.html
北日本放送も追悼ニュースを流しています。http://www2.knb.ne.jp/news/20061020_8941.htm

たまたま昨日夕方、KNBニュースに「ゴールドベルク美術品コレクション、富山近代美術館へ」というニュースが出て、その映像があります。http://www2.knb.ne.jp/news/20061019_8935.htm
ここでお弾きになっている姿が、結果としてゴールドベルク未亡人の最期の映像となりました。遺影とさせていただきました上の写真は、「こしのくに音楽祭」初日の里帰りコンサート終演後、珍しくも夫人が舞台上での撮影を所望なさり、小生が撮らせていただいたものです。必要な方は、故人に失礼のない限りで自由にお使い下さい。クレジットは不要です(どうしても必要な場合は「こしのくに音楽祭」となさってください)。なお、より状態の良いデータが必要な方は、プロフィルの個人メールアドレスに連絡下さい。

お悔やみ申し上げます。


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アーティストと「地球」!? [こしのくに音楽祭]

伝説のヴァイオリニストの、恐らくは伝説になるであろう音楽で、「こしのくに音楽祭」のコンサートは終了しました。イダさんは「こんな素晴らしい試み、ずっと続くんでしょうね」と諸関係者に迫っていたそうです。来年以降どうなるか、ま、それはこれからでしょう。

これから、ってのは無責任な発言ではなくて、ホントにこれから、なんです。より正しくは、明日から、ですね。大げさに言えば、そこで今後の音楽祭を支える人材が出るかにかかってる。

明日、10月14日から2週間に一度、高岡の駅前にあるウィングウィング高岡で、「とやま文化塾」が開催されます。http://www.koshinokuniongakusai.com/bunkajuku/index.html全く目立たないけど、実はこれこそが「こしのくに音楽祭」の最もユニークな部分。世界中、とは敢えて言わないがぁ、日本中で何百と行われている音楽祭と名が付くイベントにあって、正式プログラムに裏方育成講座が含まれているなんて、他にないぞ。中央の音楽マスコミも関係者も、誰も事の重大さに気付いていない。ま、そういうことに気付きそうな奴らは、もうこの音楽祭に拘わっちゃってる、というだけのことなんだけど。

裏方育成を音楽祭に取り込んだ例としては、丹波篠山のシューベルティアーデがありました。ずーっと続いている、あれも日本で最も地味な音楽祭のひとつですね。コミュニティ・コンサートを沢山仕掛け、最後に大きなコンサートをやる、というやり方で、コミュニティ・コンサートを作り、現場を仕切ることのできるプロデュース能力を持った人々を地域に育てる趣旨が最初からありました。こちら。
http://www.schubertiade.gr.jp/top.html
このホームページ、ちょっと古すぎる。組織図なんて、もうなくなっちゃったカザルスホールの企画室の名前まで出てるぞ。おお、やくぺん先生の名前もまだ入ってる。ボランティアでギャラなんぞないからどうなってるか知らんが、21世紀に入ってからは行ったことがないんだが。うううん。
もとい、で、この丹波の試み、成功しているのかなんとも判らないけど、今も続いていると言うことは、丹波のあちこちにはちょっとしたコミュニティ・コンサートならば、予算書や企画書作成からファンド獲得、アーティスト招聘、アテンド、地域との折衝など、ぜんぶやれる人材がゴロゴロしてるのかもしれませんねぇ。

「こしのくに音楽祭」は、ゴールドベルクという偉大な姿をシンボルに、トリビュート(バロン・ヴィッタ里帰り)や超大物演奏家の来演(イダ・ヘンデル)で音楽の過去を知り、現役バリバリの演奏家(ボロメーオQ)により音楽の現在に触れ、教育プログラム(魚津セミナー、アウトリーチ)で音楽の未来に種を蒔いていく、というはっきりした構造を持っています。
そして、そんな構造を支える専門家としての未来の裏方育成まで視野に入れている。丹波シューベルティアーデのように具体的プロデュースの実践経験を積んで貰う、というんじゃないけど、地域とか社会にとって音楽があるというのはどういうことか、それが富山という場所に何が出来るのか、きっちり議論し、そんな議論に刺激されて、音楽祭の骨格を語り、音楽祭の理念を造り出していく人材が生まれてくれれば、と思っているわけです。

何が何だか抽象的で判らない、と思ってらっしゃるでしょうけど、ともかく、騙されたと思って、明日の伊藤先生のレクチャーをお聞き下さい。伊藤先生が富山に移っていたというのは、これまた「こしのくに音楽祭」を支えるもうひとつの偶然なんですから。

今は富山大学芸術文化学部の先生。なーんだ地元の先生を呼んできただけじゃん、と思ってらっしゃる方、あなたはあまぁあああい。この人、単なる象牙の塔の人ではありません。なんせ、業界では泣く子も黙るかの天下の電通で現場をやり、電通総研という日本のマーケティング業界理論の最先端で文化政策やNPOの可能性についてリサーチをやり(つまり、今の業界世論形成をした人、ということ)、鳴り物入りで創設された静岡文化芸術大学に呼ばれて静岡を東大、芸大と並ぶアーツマネージメント学会のひとつの中心とした。富山の皆さんには失礼かも知れないけど、富山大学に移ったときは、なんで富山なんじゃい、と業界学会が騒然とした程の人なんです。その著書は、日本のアートマネージメント学の基本中の基本文献となってます。

そんなトンでもない人がたまたま富山にいる。ある意味で、シモン・ゴールドベルクが殆ど誰にも知られずに立山に住んでたみたいなもんです(←一緒にしちゃったら両者に失礼かなぁ)。それをほっておく手はないでしょ。

というわけで、明日からの「とやま文化塾」、全国のアートマネージメント学生諸君、今からでも遅くないから、高岡に走りなさい。貧乏なら、今なら今週末限定全国JR各駅停車3日間乗り放題切符を売ってます。9000円ちょっとで高岡に行けます(あたしも行ってきました、東京まで10時間かかりましたけど)。富山の広告代理店のおにーさんおねーさん、富山のマスコミメディアの若者諸君、富山のあちこちでいろんな音楽祭をやってる皆様、この文化塾は皆さんのためのものです。活用しないのはソンです。

ところで、「こしのくに音楽祭」公式プログラムの最後にちょっとだけ挙がる「とやま文化塾」の案内なんだけど、最終回第4回、当電子掲示板でもお馴染みの児玉真氏が喋るテーマが、「アーティストと地球」という、なにやら希有壮大なものになってますね。これ…誤植、でしょ。

「アーティストと地球」!なんか凄いぞ。不思議と筋が通ってそうなのが怖い。


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シャコンヌに始まり… [こしのくに音楽祭]

バッハのポリフォニーの森をなにひとつ崩すことなく、すべての声部をレカートで唄いぬいたシャコンヌが、どこにいったいこんなに長いコーダが、と思わせる静けさに消えていったあと、小さな、でもステージ上ではとっても大きくみえるオバチャンが、ヴァイオリンを脇に挟み、大昔から知っている同郷の先輩の大きな写真の前を横切っていきました。

袖に控えたマネジャー女史にひとこと、「ねえ、シモン、これ、聴いてたと思う?……うんと昔に出会った娘が、いま、もう終わりに近づいて、またこんな風に前で弾いて、どんなに思ったかしらね。」

(マネージャーによれば)そう言って、73年前の少女は、ちょっと涙していたみたい、とのことです。

立山の麓で、弟子ニックが捧げるシャコンヌに始まった小さな音楽祭が、同じ時代を生き抜いた僚友イダのシャコンヌで終わりました。このあとに裏方塾が控えてるけど、でも、音楽はこれでおしまい。

目出度くも、満員で、おしまい。いなかった方は、いつものように2週間期間限定、こちらをどうぞ。http://www2.knb.ne.jp/news/20061012_8846.htm

                             ※

翌朝、宿の朝食の席にて。ひとことひとこと、ゆっくりと、噛みしめるように、元神童が仰るよう、「昨日の演奏が素晴らしかったなら、それは素晴らしい音楽だったからです。素晴らしい音楽は、素晴らしい。それを私たちが壊してしまわない限りね。(イダ・ヘンデル)」

師匠フレッシュに叩き込まれたテクニックを出発点に、バッハを壊さないように生きてきた70と余年。友人のゴールドベルク未亡人を見舞ったあと、Tokioに向かう。これまたずっと昔に作曲者の前で披露し、誉められたというシベリウスを弾きに。

ニックとイダの間には、40年にも迫るバッハとの旅の時間がある。21世紀の中頃になれば、真面目でしっかりしたニックのシャコンヌもまた、誰とも違う音楽になっているのだろう。ももちゃんだって、圭君だって…

富山発 ここにもひとり 旅のそら


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イダが富山にやってきた [こしのくに音楽祭]

昨日昼前、伝説のヴァイオリニスト、イダ・ヘンデル女史が無事に富山に到着しました。なんと、2時過ぎから県庁で緊急記者会見が行われたとのこと。なんてこった、何にも予定がないというので、ノンビリと新津駅ホームで駅弁喰らってた頃じゃあないかぁ。アホじゃ。

この10年ほど、アルゲリッチ音楽祭やらなにやら、日本にはちょくちょくいらっしゃるようになってますけど、長い間正規盤はチェリビダッケ伴奏するブラームスしかなかった伝説の人。大手音楽事務所のマーケッティングには乗らず、経済システムではなく人の縁で動く方みたいですね。今回も同郷の先輩シモン・ゴールドベルクのトリビュート音楽祭ということで、遙々来訪いただいたわけです。
1935年に7歳で「歴史上最もレベルが高かった国際コンクール」と音楽史では名高い第1回ヴェニアフスキー・コンクールで入賞以降、ずーっと今まで活動してきている。でも、ヘンデル女史が動いてる絵なんてみたことある人、マニアさんでも殆どいないでしょ。2週間限定動画、ほれ。富山知事よりも偉そうだぞ。http://www2.knb.ne.jp/news/20061010_8820.htm#

愛するわんちゃんと涙ながらのしばしの別れをして、フロリダのご自宅から北米大陸を越えカリフォルニアへ。そこで一泊、太平洋をひと跨ぎし、成田着。で、また羽田のホテルで御一泊なさり、昨日、富山の神通川河川敷空港に無事ご到着なされました。お元気です。大丈夫。

東京からNYまで届くほどの時間をJRに揺られ、昨晩午後8時過ぎに「せんくら」で質実剛健に盛り上がった杜の都から、富山県の一番西の端、文化的には神通川向こうの立山寄りに比べると金沢お公家さん文化の影響が強く派手好みとの高岡(演奏会などは富山よりも派手なものが入るという、なにせN響コンマス掘氏の郷里で、盛んにN響合奏団で里帰りしているとか)に到着。宿のロビーで練習を終えて戻ってきたヘンデル女史一行に出くわし、そのまま一緒に晩飯ということになってしまった。
勿論、いろいろ話を聞きましたよ、はい。でもね、なんにも書けません。なーんにも、書けない。長いキャリアで神格化されている方なのに、どうして世間的にはさほど知られていないのか、なんとなく判りましたね。早い話が、メディアに乗っかるのがお好きじゃない、ということ。彼女がどんな演奏家を評価しているかとか、今の音楽をどう思っているかとか、いろいろあるけど、あくまでも飯の席での会話なので、ま、いずれ記せる日が来たら。←というわけで、今回はまるで商売には最初からならないことが判っていたのでコストがかけられず、「秋の鉄道の日JR全線乗り放題切符」で移動している訳です。いやはやぁ。

ひとつだけ記しておかねばならないこと。小生が翻訳させていただいたカナダのバンフ・センター関係者クロード・ケニソン先生著『音楽の神童たち』という上下2冊の単行本があります。そういえば去年は一銭も印税が入らなかった。プリントアウトじゃあないだろうねぇ。おお、まだ売ってるぞ。これ。http://www.ongakunotomo.co.jp/catalog_nomenu/detail.php?Code=210790&

んで、その下巻に、ヴェニアフスキー・コンクール第1回に参加したキラ星の如き天才たちについての記述がある。ヘンデル女史の記述もあります。彼女の幼年時代をきちんと記した恐らくは唯一の文献でしょう。
著者ケニソン先生に拠れば、「このコンクールの審査員にシモン・ゴールドベルクがいた」とのこと。夏の初めにゴールドベルク年譜を作成したとき、当然、この記述を参考にドイツ亡命後の時代の貴重なデータとして加えたわけですわ。そしたら、ゴールドベルク未亡人から、そんな話は聞いたことがないとの連絡があった。で、データから削除、イダさんが来たら訊いてみましょ、ということになってた。

結論から言えば、「そんな話はないわ」とのことです。「あたしはこんなにちっちゃかったのよ、誰がいたかなんてろくに覚えてなんていないわよ。でもね、そのときのディプロマ、かしら、審査員がみんなサインした書類があって、そこにはシモンの名前はなかったはずです。(イダ・ヘンデル)」

というわけで、この本のデータは間違い、シモン・ゴールドベルクは第1回ヴェニアフスキー・コンクールの審査員にはいなかった、ということが確定しましたとさ。ケニソン氏に連絡せにゃなぁ。

ゴールドベルクとの縁は、5歳だかのとき、ステージパパっぽかったイダのパパがゴールドベルクが大好きで、娘を師事させたがった。同郷ということで聴いて貰って、ゴールドベルクはイダの神童ぶりに驚嘆したという。これがイダ・ヘンデルが他人のために弾いた最初のことだったとか。でも、ゴールドベルク自身がナチス政権獲得後の不安定な状況、いつ亡命するか判らない状態だったので、残念ながら面倒を見ることはできない、ということになった。それで、イダ・ヘンデルはゴールドベルクの師匠のカール・フレッシュのところに行くことになり、結果としてふたりは兄妹弟子となった、ということであります。

ゴールドベルク未亡人曰く、「シモンとは全然正反対の、カルメン幻想曲をサラサラって弾いちゃうような人でしょ。でもね、基本的なテクニックは同じ、フレッシュ門下なの。あの歳になってもシモンもイダもちゃんと弾けていた、というのは、あの一門がどれほど基本的なテクニックを叩き込まれていたか、ということよね。」

同じ根っ子から、正反対の花が咲く例であります。それを確認したかったら、本日10月11日午後7時、高岡は富山県高岡文化ホールへ走れ。高岡で一番立派な宿の上の方から、富山湾方向を眺めるの図。緑の中にあるのは市民会館で、高岡文化ホールは写真の右手すみっこ、森の向こうにちょっとだけ見える。写真左手下の大仏、ちょっとぶっ飛び。もっと右手の立山連峰は昨日初冠雪。

伝説のヴァイオリニストが3000円也って、ちょっと失礼じゃあないかしら。数日前に、同じ会場でウェルナー・ヒンクが倍、掘氏率いるN響合奏団が1倍半なんだよ。うううううん。

追記:11日午後、本番数時間前です。今、会場からの連絡に拠れば、ちょこちょことマスタークラスなどはするものの生徒を採ったことがないので有名なイダ・ヘンデル女史が、「ゴールドベルク・メモリアルセミナー」参加者で、芸大のボッセ先生から「あんな優秀な奴みたことない」と称賛され知る人ぞ知る若き大物白井圭君(そういえば、仙台フィルのコンマスだかにもトラで行ってる筈だぞ)が、山根先生のお宅に泊まり込み練習を見物に来ていたのを舞台に引っ張り上げ、ベートーヴェンの協奏曲の冒頭をレッスンしたそうですっ!白井君はこの前のセミナーでもヴェスナから「これがゴールドベルク先生のボウイングよ」などと秘技を伝授されてましたっけ。みな、白井圭という名を忘れるなっつ。この音楽祭が最初に生む才能かもしれませんよ。


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本日7時「ゴールドベルク新発見音源を聴く」開催 [こしのくに音楽祭]

緊急告知です。って、プログラムが昨日やっと決まったので、やっと告知できまする。

本日午後7時から、魚津市新川学びの森天神山交流館さくらホールにて、「こしのくに音楽祭」セミナー特別レクチャー「シモン・ゴールドベルク新発見録音を聴く」が開催されます。先着80名様、無料です。富山空港、JR・富山地鉄魚津駅からは公共交通はありませんので、タクシー飛ばしてください。ま、本気で来る人なら、それくらいの大散財を厭わないと思いますけどね。

残念ながらいろいろな裏話をご存じのゴールドベルク山根美代子未亡人はドクターストップでいらっしゃれませんが、かの知る人ぞ知る「シモン・ゴールドベルク・メモリアル委員会」が作成した一連の録音シリーズを手がけた半澤仁氏が講師としていらっしゃいます。半澤氏は来日以降のゴールドベルクの演奏を全て追いかけた猛者で、没後は未亡人から未発表録音や未整理テープの山の処理を託され、私家盤とはいえあそこまでの形に仕上げた方です(このお皿たちhttp://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20060910)。現在は金沢だかにお住まいだそうで、近辺で活動しているオーディオ関係者の協力を得て、本日のイベントの開催に到りました。この「こしのくに音楽祭」、その辺にいる者らの力を使い尽くせ、というあっぱれな根性でやってますねぇ。

昼前現在、昨日はヴェスナがレッスンをしていたホールにマッキントッシュスピーカーなどが持ち込まれ、セッティングが始まってます。お陰で本日のレッスンは施設の一番奥にある合奏室となり、生徒が遠いとぼやいてますけど。

本日の演目は以下。

★ハイドン:交響曲第57番第1楽章 ゴールドベルク指揮オランダ室内管
★J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番 ゴールドベルク指揮&独奏オランダ室内管←新発見音源!
★ドヴォルザーク:4つのロマンティックな小品 ゴールドベルクVn アルトゥール・バルサムpf 1949年ニューヨークにてヴォイス・オブ・アメリカのための録音
★グルック:歌劇「オルフェオとエウリデーチェ」よりメロディ 同上
★メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調 ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管 1957年エジンバラ音楽祭演奏録音←新発見音源!

ゴールドベルク50歳前後の、油の乗り切っていた時代の演奏ばかり。そして、知られた商業録音が最も少ない時代のものばかりです。さあ、午後4時半羽田発の飛行機なら、ギリギリ間に合いますよ(今、横にいるスタッフによれば、「富山空港のタクシーじゃ天神山交流館では判らないかもしれないので、魚津の元洗足短大と言えば大丈夫」だそうな)。是非どうぞ。

後記:北日本放送のニュースサイトで、イベントの紹介がされています。得意の映像配信もありまっせ。http://www2.knb.ne.jp/news/20060927_8660.htm
 


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師は汝らと共におわす(爆笑) [こしのくに音楽祭]

2006年9月25日、午後10時30分、日本国富山県魚津市天神山交流館、「こしのくに音楽祭 シモン・ゴールドベルク・メモリアルセミナー」参加者宿泊所入口にて撮影。

師、逝きてなお、弟子らと共におわす…や…


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天神山から [こしのくに音楽祭]

富山湾を望む魚津の町から立山方面に向かう斜面の途中、鹿やら熊やら出るよな魚津の町外れ。「魚津市新川学びの森天神山交流館」に仮設された「こしのくに音楽祭魚津事務局」におります。

数年前にS音楽大学がこの地に分校をつくり、宿泊施設をつくり、食堂をつくり、各部屋にピアノがある練習室を50室もつくり、雑念の多い東京なんぞを離れなーんにもないところでしっかり音楽三昧させよう、という素晴らしい目論見で20数年頑張ったのだが…女子野球部など輝かしい実績を上げつつも、なんのかんので大学として維持できなくなって、4年ほど前にりぃーっぱな教育施設を太っ腹にもホイっと魚津市にほーりなげて下さった。んで、魚津市はこの「なんのことないまんま音楽学校」な施設を、市民勉強会やら、ダンス教室やら、詩吟練習やらをする場所にしてるわけです。日本でもちょっと珍しいタイプの文化施設。http://public.city.uozu.toyama.jp/project/6060/690/690_1.html

中にはちゃんとしたホールもあります。で、昨年は立山国際ホテルで細々と開催され、「こしのくに音楽祭」の礎となった「ゴールドベルク・メモリアルセミナー」を、今年は山を下りたここ魚津にある格好の施設でやろうじゃないか、ということになった。音楽祭の内容的な中心でありますな。http://www.koshinokuniongakusai.com/seminar/index.html

ちょっとした音楽学校に1ダースほどの学生と、ヴィーンから来た先生がふたり(19日の開校から22日までは、校長先生ゴールドベルク未亡人がドクターストップで不在の中、文字通り最期にゴールドベルクにレッスンを受けたオーボエの古部さんやら、エルデーディQチェロの花崎さんが助っ人として乗り切ったとのこと)。学生たちを纏める実質的な寮母さん役は、我らがクァルテット・エクセルシオのヴァイオリン奏者にして、諸般の事情からゴールドベルク未亡人に「うちの嫁」と呼ばれる山田百子さんが務めております。がんばれ、ももちゃん!

立山で生まれ、ヴァロン・ヴィッタの帰還を見守り、未亡人とニックのデュオをステージで支え、ボロメーオQと一緒に小学校や高校に行った譜面台も、大レッスン室に並んで生徒と先生の真剣勝負をじっくり見詰めてます。

さて、これからヴェスナの「幽霊」のレッスンを見物しましょ。ちゃんと調律されたピアノが3ダースもあるなんて、天神山は音大管理者さんには夢の世界。生徒たちにも、別天地であることは確か。

そして、音楽漬けの1日が終わり、こんな夕暮れがやって来て…

練習しかすることのない夜の帳がおりる。こしのくには天神山に、ヴァイオリンの音、虫の声。


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弟子がもひとりやってきた [こしのくに音楽祭]

いやはや、まいったまいった。ジャーナリストとして録音機とカメラ持って成田まで行ったら、どさくさまぎれに制作現場の手伝いをする羽目になってもーた。
本日、「こしのくに音楽祭」セミナーの講師2名がフランクフルト経由ヴィーンから朝7時半に成田に到着しました。ところが、成田で飛行機降りてから税関を出るまで2時間もかかってしまい、羽田発富山便への乗り換えはユルユルだから羽田で基本データ収集のインタビューをしましょう、と同行していたのが、富山便に間に合うかギリギリ。次のリムジンバスに乗れないと富山空港で出迎えているテレビスタッフなど全部予定を動かさねばならぬ、チェロの切符を含めた面倒な切符の切り替え作業が必要になる、さあああどーなる、という危機的状況。2人の姿を税関出口向こうに眺めるや嫁はバスの切符を買いに走り、わしゃヴァイオリンとチェロさんとを連れて出発しようとしてる羽田行きリムジンバスの前に立ちはだかり、ちょっと待ってくれ、今切符を買ってる、これに乗れないと乗り接げず大変なのだ、とバスのにーちゃんにまくし立て時間を稼ぎ出発を遅らせる。ともかくなんとか乗り込むや、疲労困憊の一行は寝込んじゃって…いやぁ、ごれが現場じゃ、というドタバタでんがな。

もとい、なにはともあれ、シモン・ゴールドベルク翁のところにながああく出入りしていたもうひとりの弟子がやってきた。ヴィーン郊外バーデン在住のヴェスナ・スタンコーヴィチさんです。ヴィーン室内管とフォルクス・オパーのコンミスをお務め。19日から富山の隣の隣の市、魚津で始まっている「シモン・ゴールドベルク・メモリアル・セミナー」のメイン講師となるヴァイオリニストですね。成田到着のお写真、といきたいところだけどそれどころじゃなく、羽田でギリギリのチェックインをしてるところ。必死の形相。

「こしのくに音楽祭」という10ヶ月も準備期間なくスタートしたイベント、昨年の今頃にヴェスナさんを招いて立山国際ホテルで行った同名のセミナーがそもそもの発端。ですから、このセミナーこそが「こしのくに音楽祭」の中身の中心なのでありますよ。

んで、ひとつ重要なお知らせです。このセミナーでヴェスナさんと共に中心的役割を担うのは、いうまでもなくゴールドベルク未亡人山根美代子さんです。山根先生は音楽の和声的な捉え方にとても厳しく、デュオにゴールドベルクが求めたものが何かを知り抜いている。
音楽祭開催前から体調がお悪く、ニックとの「里帰りコンサート」は事前のレセプションや公式行事を全てキャンセルなさってなんとか体調を整え、お弾きになられたのは皆様ご存じの通り。
ところが、その翌日から一気にまた疲れが出たようで、病院に担ぎ込まれ、なんのかんので結果的にドクターストップになってしまいました。19日の魚津セミナー開校式で公式に発表があり、ともかく10月1日のヴェスナ&サンドラ&ゴールドベルク未亡人トリオの演奏会は、ピアノは寺嶋陸也さんが担当することになりました。無理に日程を合わせてくださるそうです。
正直、縦の和声の動きがくっきり判る未亡人のピアノとは随分タイプが違う気もするけど、未亡人の病室からのご指名ということなので、なにか意図があるのでしょう。←なんかいー加減な物言いでスイマセン。

そんなこんなで、ゴールドベルク未亡人からのヴェスナさんのフィラデルフィア時代の話などを聞くことが出来ず、慌てて今朝のバス内か羽田でそんなデータを拾う筈だったんですな。だけど、前述の入国騒動で、バス内は本日以降の事務打ち合わせ、羽田はひたすらダッシュ!かくて、羽田でギリギリにチェックインしセキュリティチェックに向かうまで、荷物積み上げたカート押しながらの2分間の立ち話のみ。面倒だから、もう全部貼り付けます。以下。

ニックはなんのかんの7年間ゴールドベルク先生に習ってたそうだけど、ヴェスナもフィラデルフィアからニューヨークへと、アメリカにいられる間中なんとか引っ張りに引っ張って少しでも多く翁から得ようとしていたんですねぇ。いつまでも一緒にいたいと思う弟子を何人も持っていた翁の音楽的な力というのは、今更ながら、スゴイものだったんですねぇ。
あ、ちなみに、今はオーストリア・パスポートのヴェスナですが、当時はユーゴスラヴィアだったそうな。ここにもまた、祖国を失った音楽の旅人がひとり。

22日追記:毎度、北日本放送のニュースサイトで、2週間限定の本日からのセミナーにヴェスナらが参加したという映像がご覧になれます。ほれ。http://www2.knb.ne.jp/news/20060923_8619.htm

                             ※※

ス:ゴールドベルク先生に学び始めたのは1984年9月からです。最初はニューヘイブンまで私たちが行かねばなりませんでした。87年まではカーティス音楽院の学生として学びました。それからジュリアード音楽院で一緒に学んだのです。
--ゴールドベルクさんはジュリアードの先生だったのですか。
ス:彼はジュリアードとカーティスの両方のファカリティでした。
--ヴェスナさんも両方の学生だった。
ス:そうです。両方の学生となることでゴールドベルク先生のところで勉強する期間を延ばせましたし、2つの学位も学位も得られましたし。カーティスにもっと長くいることも可能だったと思いますけど、違ったディグリーが得られるし、教科も違ってましたから。
--じゃあ、その頃はゴールドベルクさんは生徒さんを教えるためにフィラデルフィアからニューヨークに通ってらしたんですね。
ス:いいえ、実は私たち生徒がフィラデルフィアに通ってたんです。ジュリアード音楽院が交通費を出してくれて、私たちが行ってたの。あ、それだけじゃあなかったわね、そうそう、最初の年は先生がフィラデルフィアからNYに入らしてくださってました。そんなに遠くはないですから。それでジュリアードの教室でレッスンがあった。2年目になると私たちが先生のフィラデルフィアのお宅まで出向いてましたっけ。
--つまり、トータルでお習いになっていた期間というのは…
ス:84年から89年です。最初の年は、私はフィラデルフィアに住んでいて、先生のベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタのクラスを聴講させていただいてたんです。1週間のクラスだったんですけど、私だけが聴講を許されました。弾くことはできませんでしたけど、指導をして下さいました。
                                      (2006年9月22日羽田空港にて)


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1000人のために [こしのくに音楽祭]

昨晩、一足早く神通川河原から東京湾岸へひとっ飛びして佃に戻り、今朝から溜まりに溜まった雑務。で、山のような荷物を抱えたボロメーオQが富山駅発(北日本放送、ご出発の様子までしっかり取材なさってますhttp://www2.knb.ne.jp/news/20060913_8489.htm)、北陸本線から越後湯沢乗り換えで昼過ぎに東京駅に到着するんだが、赤帽が廃止になった東京駅でどーしよーもないことになりそうなので体を出せとの命令で、慌ててしとど雨降る中にバスで東京駅へ向かい、一騒ぎお手伝いして参りましたとさ。ボストンでの居候先ご一家が我が街にやってくるわけですからね。

さても「こしのくに音楽祭」、最初のボロメーオQ週間がなんとか無事に終わり、来週のセミナーが始まるまでの一休み。なにしろ富山の現場は音楽祭という意味では素人集団、いろんないろんないろんなことが起きているのだけど、まー祭りだからしょーがあんべぇねぇ。

んで、去る金曜日からの音楽祭、どのくらいの規模のイベントだったのか、ありのままにお伝えしましょう。ここは公式ホームページでもなんでもないけど、ま、斜めの情報、ということで。

9月8日「前夜祭」 支援者及び子ども達招待 200名(無料)

9月9日「里帰り演奏会」 300名(3000円也)

9月10日「美術館3大楽器揃い踏み」 300名(美術館入場料のみで演奏会入場料なし)

9月10日「立山山麓チャペルコンサート」支援者及びホテル関係聴衆 100名(演奏会入場料なし)

9月11日「小学校アウトリーチ」2回 小学生及びメディア関係者+富山県知事 60名(無料)

9月12日「高校&小学校アウトリーチ」 小学生及び高校生 70名(無料)

以上です。新聞、テレビ、様々なメディア報道が地元富山では成されたこの音楽祭、すべての会場が限界いっぱいの満席状態で、純粋な動員数は1000名とちょっとです。動員数に商業イベントとしての成否をかけてる有楽町の「ラ・フォル・ジュルネ」なら大きなホールの5分の1、サントリーホールなら半分、カザルスホール2杯分、王子ホールなら3杯と半分、というところ。

この数字を、どうお考えでしょうかね。これだけ騒いでたかが1000人と思うか。それとも、よくもこの短い期間で1000人も動員したと思うか。

ライブのクラシック音楽って、なかでも室内楽って、こんな程度の規模のイベントなのです。「興行で稼ぐ」というレベルの数字でないことは、よーくお判りのはず(主宰者に木戸銭として入ってきた額がなんぼになるか、小学生にもソロバンはじけるでしょ)。
だからこそ、とっても大事で、有難い(有ることが難しい)。正に「メセナ」じゃなきゃ出来ない。

出資企業の皆様、個人の皆様、ありがとうございました。セキュリティの理由で、ベートーヴェンの作品135スケルツォのピチカートに目を輝かせ、ブリテンのコルレーニョに驚き、ヴァイオリン板に穴を開けては嬌声を揚げていた子供らの姿を正面からお見せできなくて残念です。でもね、この音楽祭にドーネイトしてくださった皆様は、このたった1000人の人たちに、どんなに札束を積み上げようが得られない何かを得るチャンスを与えてくださった。かえすがえす、感謝いたします。

さても、通訳がめっからないというので、これから雨の中を銀座泰明小学校前の喫茶店までボロメーオQのインタビュー通訳をしにいかねばならぬ。相変わらず嵐のような日々だ。ううううん。


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女の子と男の子 [こしのくに音楽祭]

さても、連日お伝えしている(て、事実関係報道じゃあなくて斜めからの感想ばかりで申し訳ないんだけど)越中富山は「こしのくに音楽祭」、この小さなフェスティバルの最初の山場であるボロメーオQによる学校アウトリーチが昨日から始まりました。中身については毎度毎度、2週間限定のこちらをどうぞ。http://www2.knb.ne.jp/news/20060911_8467.htm#

アウトリーチという活動は、今やクラシック音楽の世界では極めて大きな比重を占めるようになってきています。例えばボストンを拠点に活動しているボロメーオQは、年間の演奏回数は100回くらい、文字通りのフルタイムクァルテットです。でも、正直、多くの日本の音楽ファンは、これだけきっちり演奏活動をしていて、アメリカの大手音楽事務所に所属していて(当電子壁新聞でも話題にしたICMArtistshttp://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20060818、最新のロースターに拠ればクァルテットで所属しているのはアルファベット順で、アルバン・ベルク、ボロメオ、エセール、ハーゲン、イェルサレム、ミロ、東京Qです…あれっ、今回の騒動の中で上海Qが抜けたみたい)、業界的な評価は極めて高い団体のことを、殆ど知らないでしょう。理由は簡単、「CDが出てないから」です。
その理由はまた別のところで論ずるにして、いずれにせよ一昔前のジュリアードQやらラサールQ、クリーブランドQなどが演奏活動のなかでレコーディングに費やしていたエネルギーと時間の部分が、ボロメーオQやらインQやらの場合、アウトリーチ活動に費やされているんですなぁ。ま、直感的な比率とすればそんな感じ。

閑話休題。アウトリーチには本当にいろんな例があって、各論をフィールドノートで積み上げていくしか定義のしようがない。地域によってまるであり方が違う。ご関心の向きは、地域創造チーフプロデューサー児玉真氏(「こしのくに音楽祭」でも後半の地域プロデューサー養成講座に参加されます)の実例報告集をご覧あれ。ほれ。http://blog.so-net.ne.jp/shinkodama/
今回のツアーでも、都市型不特定多数対象アウトリーチの典型だった「大阪クラシック」、閑散文化施設演奏家派遣型(見物できなかったんだけど、実際に出張った千々岩氏からの話からの判断)の武生、そして昨日と、まるっきり性格が違う。驚くなかれ富山というのはアウトリーチ実験の先進地帯で、県東部の入善ではクァルテット・エクセルシオの地域レジデンシィ型アウトリーチの実験がかれこれ5年も続いているのは当電子壁新聞でもお伝えした通り(担当者S氏も今日の高校までボランティアに出張って来ます)。http://blog.so-net.ne.jp/yakupen/archive/20051118「こしのくに音楽祭」実行委員のひとりによれば、魚津のホールにN響合奏団が来たときに病院などにもいってるそうです。そうそう、一昨年のパシフィカQ第1ヴァイオリン盲腸緊急入院騒動も、高岡でのミニレジデンシィ最終日の晩だったじゃないか。

というわけで、昨日からのボロメーオQのアウトリーチですけど、これがまあ、とっても贅沢なショーケースだったわけですよ。

本日午前中の市内某高校に出かける集合時間も迫っているので今は写真でごまかします。昨日、ボロメーオ・キャラバンは富山市内の2つの学校をまわったんですけど、恐らくは世界で最もアウトリーチの経験が深い団体のひとつに、マルコ・コッピアルディ氏の楽器工房が付いているんですね。
バッハのコラール、ベートーヴェン作品18の4第1楽章などを弾いたあと、小学6年生を前に、楽器職人さんが様々な工具や作業途中のヴァイオリンなどを並べた机を引っ張り出し、実際に木を削ったり、f字孔を目の前で空けてたり。音楽と言うよりも図工の時間でありました。

面白かったのは、子ども達の関心が完全に分裂すること。乱暴に言えば、「音楽のときは女の子が熱心に聞いていて、マルコ工房は男の子が先を争って板に孔を空けたり削ったりしたがる」ということなんです。ここんなにはっきり関心が分かれるなんて、音楽のアウトリーチを山のように眺めた経験だけではまるで判らないことだったなぁ。こういう「職人さん学校訪問」型アウトリーチは、極めてポピュラーなジャンルなんだけど、ここまで音楽アウトリーチと雰囲気が違うとは思わなかった。いやぁ、勉強になるなぁ。

さて、富山市内のエリート進学校は、ボロメーオQがボストンの高校生などに見せているオリジナルのヴィデオにどう反応するのか。なかなか楽しみなこれからであります。ボロメーオQのニックによれば、ハイスクールは一番の難物で、彼らもあまり数はやらないとのことなんですけど。

追記:富山市内のエリート進学校、1年生理科系クラスの芸術授業で音楽選択の30名ほど、うち女子は6名のみ。さても、本日のボロメーオQ&マルコ工房アウトリーチなんですけど、「鉋やら鑿やらでヴァイオリンを削ってみよう」コーナーでは、なぜかやたらと女の子たちが積極的でした。ちょっとビックリです。高校生、それも理科系志望の女子はまた違ったメンタリティなのかしらね。マルコが「この中でヴァイオリン造りを職業にしたいと思う人はいますか」と訊ねたら、高校生はだーれも手を挙げなかったけど、連日潰れそうになって無茶な仕事を続けている「こしのくに音楽祭」スタッフの女子1名がスクッと手を挙げておりましたとさ。いやはや。


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