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NYPの《ショーボート》って [音楽業界]

国際交流基金NYの美女と一緒に、ミュージカルを鑑賞してきたでありまする。

なーんて書くと、なんかとっても素敵な土曜の午後っちーんだけど、その実体は、NYPの定期演奏会でありまする。去る5日から本日まで、本拠地エヴリー・フィッシャー・ホールの巨大空間で、ミュージカルの古典を世界屈指のシンフォニーオーケストラが本気で演奏した。こんな風にしてます。
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指揮はブロードウェイのオケ指揮の専門家さんで、キャストはヴァネッサ・ウィリアムズ以下、所謂ポピュラー界の有名人もいっぱいだそうであります。無論、セミステージ形式で、マイクも使ってます(今時のピンマイクなんで、どこにあるかすらも判らないけど)。

さてもこの公演、やくぺん先生とすればコワいモノ見たさ、って気持ちが8割で、あとの2割は気楽に寝てても良かんべぇ、って気分。まるで気合いが入ってません。ぶっちゃけ、夜の《クリングホッファーの死》に向けて、3時間くらい身体を休めましょか、ってくらい。たまにはNYPにドーネーションでもせにゃ。なんせこの前、東京で子供のためのコンサートを見物させていだたいたわけだし。

そんなお気楽気分で3階右の隅っこのボックス(いちばん安い席で、でも流石に特別料金らしく、70数ドル)を美女と占拠、だらしなく眺めていた。でも、いやぁ、まあ、思いがけず勉強になりましたね。

要は、「ああ、こういうものって、今、隣のメトでやってる《魔笛》なんぞとそう違わない作りなんだなぁ」ってことが今更ながらに判った。ミュージカルの音楽と舞台の関係って、所謂19世紀的なオペラとは決定的に違うところがある。なにかというと、「演劇的に重要なポイントに全て音楽が付いているわけではない」ってこと。

オペラをご存知の皆様なら、誰でも不思議に思うことのひとつは、「どうして《フィデリオ》でレオノーレが亭主を地下牢で発見し確認する瞬間が台詞で、音楽が付いていないのか?」だと思うんですね。あれはホントに不思議で、普通は「ベートーヴェンは演劇のセンスがなかった」という風に理解されることになってる。

で、この《ショーボート》も、同じ事が起きてる。例えば1幕の最後、結婚式を直前にしたところへ警察が乗り込んできて、婚約者がかつて殺人を犯したことがある、という事実が分かり騒動になるんですけど、その警察の侵入と告知の場面が、全部台詞なんですわ。ここって、ヴェルディだったらもの凄く力入れて大アンサンブルフィナーレに腕を振るうところでしょ。どんな音楽になるか、想像付きますよねぇ。

こうやって本気でちゃんと聴かせてもらうと、少なくとも20世紀前半のこの時点に於いて、音楽の仕事はそういう部分にあるんじゃない歌芝居もある、ということが凄く良く判った。ああ、つまりはジングシュピールってこういうものなんよねぇ、ってこと。そう考えると、それこそダ・ポンテがNYに流れ着いてこの地でいろいろやって、イーストリバーの向こうの墓地に眠ってる、なんて事実からどう今に至ってくるか、なんとなく見えるような気もするしさ。

上演そのものは、オケの前に細長い舞台を作り、衣装は着けてないものの、実質上、歌手さんがいつもの自分の持ってる演技を上手い具合にやってた、というものでした。恐らく、客席を埋めたアメリカの田舎の文化会館なんぞで盛んに巡業ミュージカル団が上演するいろんな意味でダメダメな《ショーボート》を眺めてきた人達とすれば、オケも歌もスゴイちゃんとした上演だったのでしょう。国際交流基金ちゃんがレディスレストルームで諜報探索してきてくれた話に拠れば、おばちゃん達は「こんなスゴイの観たことない」と大盛り上がりだったそうな。なるほどねー。

やくぺん先生なんぞから観れば、オケは最初から最後までいつもの6割くらいのパワーで弾いてて、管は当然ながら、弦楽器も弓を弦にあてて必要な音符を滑らせてるのが98%で、例えばリヒャルト・シュトラウスなんぞやらにゃならんときにやってるいろんな音質の変化だとかはまるでやらなくても結構、これなら何日でも弾いてられそうだなぁ、って感じちゃったです。ま、マイク付きの歌とのバランスとか、いろいろあるんでしょうねぇ。

ま、大フィルが定期で《パリゼット》をきっちり上演しろ、なんて言わないけど…やってくれたら絶対に観にいくだろーなぁ。やってくれないかなぁ。兵庫オケの方があり得るかな。

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