SSブログ

懐かしのセント・ルークス管 [演奏家]

おはようございます。今日は昨日ほどは風は強くないけど、ガッツリ寒い秋の晴れたNY土曜日の朝です。流石に今朝は平和に、ハドソン河上空をセスナ系の民間小型機が飛び回ってます。

さても、たまには商売にならん音楽ネタ。って、お喋り系お気楽話でありますから、ご安心を。今回の短いマンハッタン厄偏庵滞在、毎度ながらホントの目的は昨晩のパシフィカQで、それから来週水曜日のエベーヌQで誰がヴィオラに出て来るか。それから明日のアタッカQとの郊外へのアウトリーチに付き合う、ってクァルテット系ネタ。当初はアポロ・ムサゲーテQのNYデビューとか、日本公演から同じ演目持って太平洋を渡ったモザイクQとかも考えてたが、裏との絡みでそっちは取りませんでした。それからオマケ、ってか、こっちが本命かもしれないけど金にはならないんで目的とは言えないのが、いよいよ今日の晩に迫った《クリングホッファーの死》、それからついでにNYPがこの数年やってる新しい路線のミュージカル古典をしっかりクラシック音楽の枠組に取り込んじゃおうプロジェクトの大本命、カーンの《ショーボート》。もっとついでに、メトで《マクベス夫人》が出るしね、ってところ。

んで、そんななかでも、一応、世間並みに常識は見聞は広げておかねばなるまいと少しは思うわけで、オケなんかも時間が許せば出かけるわけですよ。優先度はいちばん低くて申し訳ないけどさ。ま、歌とか器楽とかは余程行かぬから、それよりはマシでしょ。

そんなこんなのオケ関係の中でのハイライトは、セント・ルークス管であります(ってか、他にない…あとは、水曜日にNYPのオープンリハーサルに行くかも)。ごく一部の立ち読み読者の皆様、懐かしい名前でしょ。日本ではカザルスホールのオープン直後に総合プロデューサーの萩元晴彦氏が何の勝算があったか知らぬがいきなり招聘し、それっきりだった団体ですな。実はなんのかんの録音も出ていて、日本公演の後にもチャールズ・マッケラスが実はマンハッタンでいちばん音の良いアカデミー・オヴ・アーツ・アンド・レターズでテラークにハイドン録音するのも見物してる。なんであんなもの見物したのか、全然記憶にないなぁ。うううん。

セント・ルークス管、やくぺん先生は来日前にプロモーション取材に来て、グリニッジにあるオケの事務局(今思えば、カーター御大のアパートの傍だったわけだ)いって団員さんにインタビューしたりしたっけ。いやぁ、真面目に地味な仕事をしてた頃であるなぁ、懐かしや。「セント・ルークス管から指揮者を抜くとオルフェウス管になる」などという噂もあったこの団体(実際、相当のメンバーが重なってるけど、そこまでではないです)、Yを拠点にしていたNY室内管もシュナイダーのブランデンブルク・アンサンブルも実質なくなってしまった今でも、しっかり存続していて、それどころか数年前にはペン駅の南の辺りに時前の練習場ビルまで持って、それなりに上手くやってる。カーネギーとの関係も良好でシリーズ持ててるし、川向こうの美術館で室内楽定期やったり、アウトリーチいっぱいやったり。なんか、余程辣腕のディレクターがいて、こういうことに対応出来る達者な音楽家がそれなりの数いるんだろうなぁ、って羨ましく思うです。録音もあらゆるレーベルにいっぱいあるしねぇ。

んで、そんなセント・ルークス管が年に4回くらい、カーネギーの主催だか共催だかでスターン・オーディトリアムというでっかい空間でやる定期演奏会のひとつが到着した日にありました。もの凄い海胆頭で、果たして聴ける状態か判らないので切符は買ってなかったんだけど、ともかくここまで頑張ったんだから引っ張れるところまで引っ張ってバタンと寝ましょう、という作戦を立て、そのためにも頑張って聴くことにしたであります。38ドル、ビリから2番目の天辺の正面2列目真ん中。

ぶっちゃけ、カーネギーホールってのは完全に世界のお上りさん観光地になっていて、やくぺん先生の座った辺りはもう世界中から上京してきた人達が「おお、ここがぁ天下のカーネギーホールだっぺやぁ、なまらすんげえでんがなどすぇじゃん」って仰ってるような場所。なぜか天井桟敷近辺はガラガラで、32ドルの切符って売ってなかったんじゃないかな。

指揮は、今、この団体の音楽監督をしているパブロ・ヘレス・カサド君であります。実は、この方、あまり指揮者とかには興味がないやくぺん先生が注目している若手…なんだろーなー、のひとり。311直前にトロントで《中国のニクソン》振って、これがまあ、その直前のメトでの作曲者自身の指揮による演奏とはまるで違う、これまで聴いたこの曲の演奏の中でも最もきっちりと「オペラ」として作り上げた音楽やってくれた。あれですっかり「こいつはスゴイ、絶対にブレイクするぞ」と思ったです。その前にサントリーで《グルッペン》の3つのオケのひとつを振る地味な仕事をやってたけど、あれじゃ判らんわな。

今回も、いちばん立派だったのはダラピッコラの《ノットゥルナ》だっけ、小さい編成で色彩感タップリ。メインになっていたメンデルスゾーンの《最初のワルプルギスの夜》(オリジナル楽譜が東京のカサド資料にあったので有名な作品ですな、名前繋がりは関係ないんだろうけど)も、全然無茶な煽りなどのない自然な流れの中でオペラ的に盛り上がりました。今時、あちこち明快なアクセントを付けて「俺は良く判ってるぞっ」ってアピールするのが若手指揮者の常でありまするが、そんなところよりも自然な流れを大切にするバランスの良さが好印象なんだわなぁ。要するに、メイジャー系で偉くなれる要素がしっかりある人、ヤニックなんかに似ている、とは言わないけど、現代物に強い一方で、ああいうメイジャー仕事もちゃんと出来る人です。

なーんて思ってたら、経歴を眺めるに、なんと2014年のミュージック・アメリカの「今年の指揮者」に選ばれてるとのこと。いやぁ、いよいよ来たかな、って感じ。ベルリンフィルにも出たし、マドリッドのレアル劇場の指揮者陣にも加わったらしいし。

気にしてた人が偉くなるのは、なんか、それだけで嬉しいぞ。うん。

ちなみに、やくぺん先生の選ぶ気鋭新進指揮者三羽烏は、F.X.ロト、ハンスヨルグ・アルブレヒト、それにこのパブロ・ヘレス・カサドの3人であります(40代に入ったくらいってのは、指揮者では若手なんでしょ)。もちょっと上だと、ダヴィッド・ロバートソン、マルクス・シュタンツ、それに最近ちょっと復活の感がある十束尚宏、ってラインナップなんだけどさ。なんせCDとか聴かんやくぺん先生の言うことだから、絶対に信じちゃダメだよ、こんな妄言。わーっはっは!

ところで、セント・ルークス管は意外にメンバーの交代がない団体のようで、コンミスは懐かしのリッジQのファースト、クリスタ・ベニオン・フィニー以下、最近ではサイトウキネンでも知られるマユキさんとか、カザルスホールにも来てた人がいっぱい乗ってます。中でも、まだ「古楽弾き」なんてのが珍しかった頃に、ひとりだけ弓の真ん中近くを持って、あんまり圧力かけずに弾いてたヴィオラのオバチャンがもの凄く目立ってたけど、彼女、まだいます。
050.JPG
元気で昔と同じ古楽スタイルやってました。

こういう昔話をするようになったら、もう隠居直前の爺って証拠でんなぁ。

nice!(1)  コメント(7)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 7

YS

セントルークス管の来日公演というのは、20年くらい前のバッハ・ブランデンブルク協奏曲全曲でしたか。
by YS (2014-11-09 00:22) 

Yakupen

YS様

いろいろやってます。曲解書いてるので、探せば全部曲は判りますけど、ゴメン、そろそろ出かけますので。覚えていて下さった方がいらっしゃって嬉しいです。
by Yakupen (2014-11-09 00:26) 

hyamada

田中直子さんはまだいらっしゃいますか?
by hyamada (2014-11-10 17:30) 

Yakupen

hyamada様

ああ、そういえばお姿が見えなかったような。Y室内管のコンミスも安芸さんでしたねぇ。《ショーボート》には建部さんは勿論乗ってないし。ニューヨークは齋藤秀雄弟子の世代が一気に舞台上から姿を消して、世代交代が進んでるならともかく、日本の人の顔がもの凄く減ってる感じです。

指揮者もSeijiがこの街に来なくなって、日本人指揮者の顔は鈴木雅明さんだけです。今や最も「世界で活躍する日本人指揮者」はOnoでもSadoでもなく、Masaaki Suzukiです。これ、案外、日本では伝わってないですね。イェールでは、来たら直ぐにいなくなっちゃう、と学生達は言ってますけど(笑)。

by Yakupen (2014-11-10 21:07) 

Yakupen

Hyamada様

じっくり写真を眺めたら、ここに上げた写真をかっとしちゃった隣に、セカンドの頭で田中さんらしき方がいらっしゃいました。ちょっと安心。スイマセン。
by Yakupen (2014-11-10 21:58) 

hyamada

私が聴いた頃のセント・ルークス管って、ノリントンが振っていて、田中直子さんがコンマスやっていたような記憶があります。
田中直子さんはルーデル&セント・ルークス管をバックにワイルのヴァイオリン協奏曲の録音を残してられますね。

http://www.amazon.co.jp/Kurt-Weill-Concerto-Little-Threepenny/dp/B003GSBEBW
by hyamada (2014-11-11 01:51) 

Yakupen

Hyamada様

ノーリントンが振っててたのは、彼がEMIでいろいろな録音が出て来た始めの頃で、シュトゥットガルトに行っていろんな意味でメイジャーになる前のことですね。90年代の終わり頃だっけ、カザルスホールに来た後のことです。ここはいろんな意味でマネージメントが上手い団体で、よく生き残ってると思いますね。子供向けの演奏会とかも早くからやってたし。

by Yakupen (2014-11-11 03:18) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0