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才能を正しく用いるために必要なのは… [音楽業界]

昨日は池袋の東京芸術劇場で、こういうもんを見物してまいりましたです。
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天才VS並の才能、の方じゃなくて、天下の極悪人の女たらしVS石の騎士長、の方でありまする。

このプロダクション、毎年、芸劇が中心(と言っていいんですよねぇ)となって日本各地の公立ホールが「コンサートホールのオーディトリアムでセミステージ形式を越えた本格的なオペラを上演する」ための新演出を制作し持って歩く、というもの。要は、改装以降、初台の新国立劇場に対抗するような都立の劇場として機能している芸劇が、その演劇プロデュース能力をフルに活用して上に乗っかるコンサートホールで上演するオペラをやってみようじゃないか、という企画。本来ならば二国構想初期にあった「国立の劇場がハウスとしてツアリング用のプロダクションを作って、名古屋、富山、兵庫、熊本(だっけ)なんぞの地方オペラ劇場を巡回する」なんて構想を、そういうことをやる気はまるでないニッポン国御上なので自治体が勝手に連合してやるしかない、ってもんですな。この先、このプロジェクトには新しく劇場作っちゃった札幌も入ってくる予定なんぞあるのかしら。

所謂「セミステージ形式」のやり方で、そういうもんにはNJP監督時代やその後の京都に移ってからも盛んに手を出していた井上みっちーさんが実質上のプロデューサーになり(お金のコントロールはしてないんだろうけど)、作り上げた舞台でありまする。こういうやり方の利点も問題点も、良ーく判った方ですね。とはいえ、良ーく判っている、それ即ち、「勝ち方」や「成功の仕方」を良く知っている、なんて一筋縄ではいかんのが我らがみっちーさんです。現場としていろいろ判ってるからこそ敢えて失敗覚悟でやってみる、というぶっ飛びっぷりこそが持ち味の方なのは、万人が承知してる。

今回は、誰がどうやっても絶対に「これが正解」という舞台や演奏が誕生することはあり得ない《ドン・ジョヴァンニ》という難物を引っ張り出し、演出家には気鋭の舞踏家さんを連れてきた。んで、どうやら一種のオペラ・バレエみたいなものを作るらしい。果たしてどうなることやら…

以上、前振りが長くなったけど、先週富山でプレミアを迎えた舞台の東京での初日を眺めさせていただきました。んで、結論だけ言えば…

よーわからん、でした。

何が判らなかったのかは、よく判ってます。客席には舞踏関係の方も多かったようで、カーテンコールはそれなりに盛り上がっていたし、演出家に向けブーが飛びまくるという状況ではまるでなかったので、察するに舞踏系の関心の方には満足がいく舞台だったのでありましょう。それはまあ、そういう意見もあるのだろーなぁ、と思いつつ、やくぺん先生的には、「舞踏がなにやってるか判りませんでした」という情けなぁああい感想でオシマイ。ホント、それだけの簡単なこと。

細かい舞台シークエンスをメモしながら見物していたわけではないので、どこがどうだとは列挙しませんが、序曲からじゃんじゃん登場していた総計10人の女性のダンサーさん(ドイツやらの劇場で盛んに出て来るピナ・バウシュ流のタンツ、はたまたモダンダンスやストリート・ダンス系やらでもなく、本職のバレエ団のバレリーナさんではないもののクラシック系のクルクルまわるのが中心のダンサーさんたちです)が、どうしてそのシーンに登場してくるのか、良く判らない。アリアみたいなものでは出てこないのか、レシタティーヴォで話が進む所では出てこないのか、いろいろ考えながら見物していたのですが、やっぱり最後までどーにも判らなかった。

歌手の皆さんも猛烈に鍛え、ダンサーと同じレベルで踊らせかつ歌わせた、という無茶をしたのではありません。舞踏をきっちりやらされたお陰で歌手としての仕事がすっかり疎かになってしまったとしか言いようがなかったこの舞台みたいなトホホだけどそれなりにスゴいことになってたわけでは無い、ということ。
https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2017-06-17

ひとつハッキリしているのは、この《ドン・ジョヴァンニ》という作品のドラマとしていちばん素晴らしい音楽が付いているところ、つまりヴェルディのオペラ的な意味でスゴい「音楽の推移に拠って登場人物の心情や考えが変わってしまう場面」…具体的にはドン・ジョヴァンニがツェルリーナを誘惑する二重唱とか、ツェルリーナがマゼットに「ぶってぶって」と拗ねる場面とか…そういうところでは、何故か舞踏が絡んではきません。1幕真ん中辺りの「ドン・ジョヴァンニ被害者同盟結成の場面」なんぞも、役者が勝手に自分らのもっている演技をしているだけで舞踏的な要素はまるでない。モーツァルトが音楽で処理してくれなかった部分を舞踏家さんが「体の動き」でどんな風に扱うのか、それなりに期待してたので、ちょっと、というか、大いに、肩すかしでありましたです。

非常に厳しい言い方をすれば、「それなりに役が体に入ったちゃんとした歌手が、自分らの役なりの演技をするセミステージ形式に、なにやらいろいろ舞踏が絡んでくる」というものでした。そう、「なにやらいろいろ」としか言いようがない。少なくとも、舞踏言語に関しては頭パッパラパーのアホでしかないやくぺん先生には、そー観えてしまった。

終演後に芸劇のスタッフさんにも正直に申したのですが、こういうやり方をするなら《ドン・ジョヴァンニ》である必要があったのか、と思わざるを得ませんでした。この演出家さんの才能がもっとストレートに良い方向に出せる作品はいくらでもあるだろーに。

例えば、誰が考えても上手くいきそうな《七つの大罪》と《子どもと魔法》のダブルビルとか、《優雅なインドの国々》やら《町人気族》やらバレエ大好きフランス絶対王制のリュリやらラモーやらのオペラ・バレエ(古楽系の人が口うるさく言うバロック舞踏のきまりなんて全部無視した振付で良いんだから)とか、世の中には舞踏の要素が極めて重要な作品はいっぱいある。記念年は終わっちゃったけど、ドビュッシーの《聖セバスチャンの殉教》もあるだろうし、記念年ということならベルリオーズの《ファウストの劫罰》なんかもやりようがあるかも。それこそルイ王朝以下オペラハウスとバレエの距離が極めて近い舞踏好きのフランス系作品なら、適当な作品は無数にある筈。
個人的な趣味を言わせて貰えば、昨年初台で出てやたらと評判が良かった《松風》を作曲者やサッシャ・ヴァルツも驚くような(怒り出すような)別解釈でやってみるとか、それこそ上に感想にならん感想を引っぱってきた《サティアグラハ》とか、《浜辺のアインシュタイン》だってあり得るだろう。そしてなにより、ぶっ飛んだバレエが絶対に不可欠な《光の金曜日》もあるわけだしさ。

各方面で秀でた才能を集めて用い、各館のスタッフを動員し、それなりの額になるであろう制作費もみんなで持ち出し、あちこちから助成金も得てやるのです。失敗を怖れるわけではないけど、やっぱり聴衆(観衆?)を力業でねじ伏せられる、ある程度以上の完成度を示せる演目でやって欲しいものであります。

以上、大変に失礼なことを申しているとは百も承知で、敢えて都民納税者として発言した次第。池袋はオフブロードウェイじゃなければ、無論、芸術大学の学祭でもない。東京都のメイジャーな劇場であってくれないと困るんだから。なにより、演出家さん目当てにやって来ているオペラというものに余り縁の無い若い観衆に、「わああああ、オペラってスゴいじゃない!」と思わせてファンにする絶好の機会だったわけだしねぇ…

妄言多謝。

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