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フィクションとしてのヴィーン [音楽業界]

考えてみたら「図書紹介」に分類される記事って当電子壁新聞では案外と少なく、カテゴリー分けとしても「売文家業」ではなかろう。ま、以下にご紹介するもんは広い意味での「音楽業界ネタ」だろうから「音楽業界」に分類しておきます。だからなんだ、だけどさ。

新暦元旦1月1日午後7時と言えば、遙かシベリア越えた彼方は「音楽の都」たるヴィーンからの世界に向けたムジークフェライン大ホール生中継、「ヴィーンフィルのニューイヤーコンサート」でありますな。何を隠そう、今年はやくぺん先生ったらウルトラローカルな「ゆふいんFM」なんてところで元ゆふいん音楽祭実行委員長K氏との新春台放談なんて、2週間くらい前にアルテジオで収録したもんがガッツリ裏番組で流されたらしく
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2022-12-14
天下のヴィーンフィルに喧嘩を売っていたわけでありまするがぁ…両方とも眺めも聴きもしていません、ゴメン。大晦日には「紅白」も「往く年来る年」も一切眺めずに11時過ぎにはさっさと寝てしまった新帝都は大川端縦長屋の小さな老人世帯の巨大モニター画面では、どういう訳か知らんが、国領のちょい悪オヤジスター高田純次さんが脇役で登場するBSだかネット放送だかの「十津川警部シリーズ」がずーっと映ってました。いやはや、大手広告代理店泣かせの蛸壺化も甚だしいなぁ。

てなわけで、世界数億の人が眺めたであろう巨大メディアイベントに参加せずにどうのこうの言うのも失礼極まりないんだけど、何を隠そう、やくぺん先生ったらなんか言う理由はあるのじゃよ。というのも、いくら5日〆切のまだアウトラインしか出来ておらずデータチェック未着手の原稿があるとはいえ、流石に元旦くらいは完全休養日にしようではないか。かくて、お嫁ちゃまが年末に引っ越しがあったシン研究室に持っていくのを忘れてしまい積み上がっている雑本の山から、こんなもんを引っ張り出し、朝からだああああっと斜め読みする正月なのであったとさ。
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https://www.shunjusha.co.jp/book/9784393333686.html
ニューアカなどと呼ばれた若く頭の良い新世代思想家が次々と世に出てきて、前衛の時代が完全に終わって新ロマン主義とかポストモダンとか、演奏面では所謂現代のHIPに繋がるヒンデミットやらがやっていたのとは違う流れの「前衛を経た耳と歴史観から見直した新しい演奏様式としての古楽」への回帰が音楽界では顕著になり始めていた頃、演奏面ではカラヤンからアルノンクールへとトップスターが交代した時代ですな、そんなときに『聴衆の誕生』やら『文化史の中のマーラー』で颯爽と登場したのが渡辺裕先生でありました。ポジショニングとしては今や大スターに上り詰めた片山先生のライバルになるべき方だったんだが、どうもそういうキャラではなかったらしく、このどう考えてもまともな学問にするのは大変そうなジャンルをきっちり突き詰めて今に至っていらっしゃる。

社会学系の学者さんというのは、ホントに端から見ていると「学問にするのが困難な与太話をどう学問にするか」の配慮が仕事の9割で、あああ俺はそっちの道に行かずに良かった担当教官N先生は誠に正しかったと心から感謝せざるを得ないのでありまするが、ま、それはまた別の話。

コロナで世界が変わる前の2019年に出版され、どうやら渡辺裕先生とすれば未だ最新刊のようなこの著作、お気軽そうな内容から新年にだああっと読むには最も相応しいと、とりたてて深い考えなく手に取ったのが元旦の昼前。で、それから妙にうらうらした新年の大川端ノマド場にアヒル老夫妻連れて出ていって数時間
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遅い朝飯とまるで同じおせち料理を夕飯につつきながらビール飲んで、いつの間にか十津川警部が「相棒」に変わっているのを横目にだだだだぁ、っと最後まで目を通し終わったのが深夜前。お正月元旦、読書三昧の1日でありました。

んで、この書籍でありますが、学問の書物というよりも「芸術表現と土地」を巡るエッセイであります。今時の「聖地巡礼」やら「文学や音楽、映画などによる街興し」、更に抽象的には「アート作品による現実の街の見え方の変化」などを、渡辺裕先生の視点からあれやこれやと記したもの。無論、ちゃんとした学者先生が書いているものですからきっちり学問的な突っ込みに対する目配りがされていて、それ故のかったるさは些かなりとも存在することは否定しようがない。キャリアのある先生だけに、どの方面から誰がどう突っ込みそうか手に取るように判るのでしょう、あれこれ記述に予防措置がなされているのがわしら娯楽として正月に読んでるもんにはうざったいものの、そういう部分は「先生も大変だなぁ」と同情しつつトーシローは流し読みすればよろし。うん。

で、個人的にはいちばん面白かったのは自分も盛んに通っていた統一後のベルリンの変化について記す第4章なんでありまするが、当電子壁新聞を立ち読みなさってるような酔狂な方々とすれば、最も関心が高そうなのは第5章、「音楽の都としてのヴィーンの作られ方」の部分でありましょうぞ。

そこだけなら数十ページなんで、ここに要約するよりも、どっかで探して読んでみてご覧なさい、ってこと(当電子壁新聞に相応しい書評になっとらん無責任っぷり!)。やはりハイライトは、「ニューイヤーコンサートは取り立てて伝統的なものではなく、1941年にオーストリアが第三帝国に併合されたときに、(フランツ・ヨーゼフ二世の隠し子、とは記してないけど)クレメンス・クラウスが微妙な政治的バランスの中で始めた、シュトラウスⅡ世時代には存在しなかったイベント」というところでしょね。

今年辺りは、世界が平和だったらゲルギーの登場だって予定された可能性もあるこのイベント、コロナ&ウクライナ戦争後の世界で、どうなっていくのか?レアル・マドリッドやパリ・サンジェルマンの背番号10、さもなきゃF-1フェラーリのシートみたいなもんですから、メータやら小澤以降、チョン・ミョンフン以降キラ星の如く出現する韓国人指揮者やらシンガポール系指揮者、はたまたNYPに「旧正月コンサート」を創ってしまった辣腕ロン・ユー御大なんかが、正月のムジークフェラインのポディウムに登場することがあるのか?興味深いことではあるが…ホントは、もう隠居老人としてはあんまり興味はないなぁ。世界的大指揮者となった反田氏が登場、なんてことは案外と30年後くらいにはあるかもしれないけどさ。

あとは、今の二重拠点生活となったやくぺん先生とすれば、第1章の本郷無縁坂やら第2章の小樽に関しては、「Taketa室内オーケストラ九州が滝廉太郎をどう使っていけるか」という関心で読んでしまうなぁ。第5章前半の「モーツァルトを巡るザルツブルクとヴィーンの本家元祖争い」なんぞはモロにそれなんだろうが、この著作を拝読し何かの結論が出せるような話ではないのはしょーがない。

全然本の紹介になっとらんわ、スイマセン。

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