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老人のたび [売文稼業]

完全に雑談です。ホントに読む意味はないですから、お急ぎの方はお帰りあれ。

先週の土曜日4月22日夜のコットブスから来週の月曜日5月8日の新帝都帰着までのまるまる2週間、ライヴの音楽を一切聴かないゴールデンウィークが続いております。もしかして、この商売始めてからこんなにライヴを聴いていないのって、初めてかも。それどころか、温泉県盆地オフィスに戻ってからスピーカーを通しちゃんと音に接したのは、ベルリンはリンデン通りのドゥスマンで買って来たクスQの"Berlin FREIZeit"という現代モノのコンセプトアルバムからのいくつかの拾い聴きくらい。
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誠に静かで心穏やかな日々が続いております。とはいうものの8日夕方以降は、今月たった4日しか滞在しない新帝都では連日の演奏会通いだし、12日には朝一新幹線で大阪に向かって以降1週間は連日コンクール漬け。またまた圧倒的な情報量に晒されねばならないのでありまするから、もう体力精神力共にガッツリ衰えている爺とすれば、これくらい頭スッカラカンにしておかないと肉体精神壊れてしまいますわい。

さてもさても、爺になってくると商売モノとしての音楽への接し方だけでなく、ツアーのあり方も変わってくるものでありまする。昨年9月に2年半ぶりに国境が開き、まずは単純な「慣れ親しんだ定宿で慣れ親しんだ会場に1週間ちょっと座ってるだけ」というミュンヘンARDコンクール見物でテストラン。11月には、10日間鉄道乗りまくり独仏英を駆け抜けるという無謀なことをやってみて、あああもうこれはいろいろと無理だぞ、と老いた肉体と精神とお財布の限界を痛切に確認。それらの反省を踏まえ、今回は統営から東京、パリ、マドリード、ホンブルク、コットブスと取材や仕事関連の移動は可能な限り日程を緩ぅく楽ぅにし、現地での作文作業を前提に予算的にもメリハリを利かせた宿泊を準備する「老人御隠居仕様たびの空」へとツアーの仕方をシフトさせたわけであります。ウクライナ戦争余波の公共交通機関ストでバタバタになってしまったのは致し方なかろーが、準備は準備。

で、そんな自らの老いを配慮した御隠居フォーマット最初のツアー、戻って来て連日温泉県の風呂に浸かり、やっと前頭葉ばかりか肉体の疲労もある程度恢復してきたところで領収書整理しながらつらつら振り返るに、現役時代の乱暴なツアーとの最大の違いは「演奏会やらオペラやらを聴くこと半分、いろいろな人に遇うこと半分」って様相になったことでありますな。

恐らくはコロナ禍を経てSNSという個人情報無作為発進システムが猛烈に広まった結果、Facebookやらに「こういう日程で動きますよー」とアップすると、やくぺん先生に用事がある方からあれやこれやと当日までというタイムスパンで連絡が入ってくるようになった。その日にフランクフルトにいるならちょっと用事してくれないかとか、俺はその夕方はパリで教えているから終わってから飯食おうぜとか、そんなノンビリした連絡が様々な方策で入るのでありますわ。なんせ、午前10時過ぎにパリ東駅でICEを降りて宿まで荷物引っ張ってノンビリ歩いている真っ最中に、パリに居るならこれから音楽院の辺りで昼飯喰わんかぁ、なんて連絡が入ったりさ。

こういうのって、00年代頃までには殆どなかった。ま、完全fix最安値のDB超早割とか航空会社の超格安fixチケットとか、移動はもうパツパツにタイトで変更不可能な日程が当たり前だったケチケチキツキツツアーを、戦時下欧州のトレンドに合わせ変更し放題の乗り放題鉄道チケットでの移動をメインに据える方向にしたのも、こんな変化を可能にした理由でありましょうねぇ。

そんなこんな、たかだか実質10日間の滞在で聴いたコンサートやオペラは8本(セミナーやマスターコース見物は一切無し)、遇って話したり飯食ったりお茶飲んだりした人は総計9名って、うううむ、やっぱりなかなかヘビーなツアーではあったわけじゃ。でも最大の違いは、隠居前のツアーではツアー期間中にも全く関係ない原稿が数本は入っていて道中で処理しながらの移動だったのが、この数年のお仕事激減で今回は道中で入れにゃならん原稿は1本のみだったという哀しい事実でありまする。

現役時代のツアーは、「本日使う経費生活費は、本日やっつける作文のギャラで相殺する」という方針で動いていました。つまり、2週間のツアーだったら、まあ最低でも5本から6本はツアー中のコンクールやら音楽祭やらとは全く関係ない原稿を抱えていて、長距離移動の機内や、欧州内移動の鉄道車中、宿のチェックアウトまでの朝から午前中などに2日で1本くらいはやっつけていた。そのギャラに相当する額くらいは宿代やら移動代で使ってもOK、という風にしていた。それでなんとか年間トータルでトントン、という感じにしてたわけですね。

だけど、隠居でそういう日常系作文仕事を若い人達に譲り、基本は専門誌は持ち込み仕事だけしかやらん、まともなギャラがいただける一般誌は依頼仕事を待つ、って感じの倹しい収入になったわけで、当然のことながらツアーの最中も「お金になる日常業務」は全然出来てない、ってことです。

なるほど、これが歳を取る、業界からもう終わった人間と認定されていく、ということなんだなぁ。世界のどこにいても関係ない作文必至にやって稼ぐ時間の代わりに、人に遇ってどーでもいい雑談してるのがツアーの日常になってきた、ってことでんな。

ま、そんなこんな、なんとか最低限の収入で生きてけるように生活を変えていかねばならぬのが年寄りになることであり、隠居生活なのであるなぁ、と今更ながらに実感する、黄金週間突入で春も盛りの盆地の宵なのであったとさ。そろそろ蛙も鳴き始めたわぃケロケロ。

ホント、単なる雑談だなぁ。トホホ…

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