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ヴィーン国立歌劇場なりのブッファ《ル・グラン・マカブル》 [現代音楽]

羽田を深夜に発ってロシアとアラスカの間を抜け、北極点を左に眺め、アイスランドを横切りノルゥエーとブリテン島の間をだあああっと降下し、猛烈な偏西風に押されながらも14時間35分の長大なフライトでANAの長い78くんがフランクフルト空港に到着したのは、まだ夜も明けぬ朝の5時半過ぎ。
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思えば今年2023年は、やくぺん先生の世を忍ぶ中の人がまだガキだった頃に初めてニッポン列島を離れ、まだピカピカだったKLMのレガシージャンボで羽田を発ち、アンカレッジで給油し、アムステルダムはスキポール空港に降り立ってから半世紀の記念年ではないかぁ。コロナ前の2019年以来の欧州直行便でアラスカの地に立ち寄ることもなく、半世紀前とほぼ同じ道を今時の長距離ジェットで一気に飛び抜ける、長いながぁああああい永遠に夜が続くようなたびの空。

半世紀前には、21世紀にもなれば当然人類は月面のアームストロング・シティに定住していて、宇宙ステーションくらいなら万人が普通に行っており、地球上の移動なんぞはボーイングやダグラスが造るコンコルドの後続機でマッハ3越えで大陸間を飛び回るのが当たり前、ジャンボは全て貨物機に転用されているだろー…なーんて思ってたわなぁ。まぶしすぎる、来なかった未来たち。でも、ポケットの中の携帯端末でヴィーンからトーキョーのお嫁ちゃまに顔テレで連絡してるなんて、誰も考えていなかった。どうしてこんな「未来」になってしまったやら…

とにもかくにも、なんだかんだで無事に乗り継ぎ便も拾えて、昼前にはヴィーンの中央駅至近の安宿に到着。中央駅、っても要は昔の南駅で、空港特急は相変わらず音大やラズモフスキー邸のあるミッテ駅に行ってしまい、トラムに揺られてブルックナーが最晩年を過ごした宮殿脇をノンビリ走ってやって参った次第であった。

今回のたびの空、目的は既に何度も触れているように「新国立劇場発行冊子『戦後のオペラ』で自分が担当した作品は全て舞台ライヴで観る」という隠居老人人生最後に残った目的を達成するためのルーティーンワーク。仕事ってば、哀れに思って某オケの方が差配して下さったインタビューが巴里でひとつあるだけ。原稿としては売れてるものは一切ない、というか、もう売れっこないので営業活動も本気でやってないのであーる。ふううう…

さてもさても、今回は「生誕100年が世界で祝われるリゲティの《ル・グラン・マカブル》が、ヴィーン国立歌劇場とオペラ・フランクフルトで上演されるのを眺める」というのが大テーマのひとつ。さっそく、午後7時開演の舞台を見物し、今、安宿に戻って参りました。地下鉄二駅、コートは連れて行かなくても良いのはありがたいけど、ホントは到着直後のその晩に見物などしたくないわなぁ。ま、円の超絶安の上に隠居後の収入激減状態が続くやくぺん先生ったら、1泊の代金すらケチらねばならない状況で、このよーな無茶になるのであーる。返す返す、「金で解決」という手段が選択出来ない貧乏は、イヤなもんじゃのぉ。

とにもかくにもヴィーン国立歌劇場としてはなんと初上演というリゲティのオペラ
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無数にある「戦後のオペラ」の中でも、前衛時代の集大成たるツィンマーマン《兵士たち》、21世紀のインスタレーションまで含みミニマルがこの時代の最も成功した様式であると証明するグラス《浜辺のアインシュタイン》、大戦後まで残ったヴァーグナー的個性の末端肥大で世界を包み込む狂気の怪作シュトックハウゼン《光》チクルス、歴史上の偉人の苦悩が深遠な魂のドラマとなる19世紀グランドオペラが現代でも存在し得る事を示したアダムス《中国のニクソン》などなどと並び、実験音響と黒いシュルレアリズムの集大成として、数にして片手ほどの作品しかない「戦後のオペラ」のスタンダード名作のひとつとなっている作品でありますな。なんせ、第3場に登場して舞台をかっさらっていくゲポポ長官の狂気のコロラトゥーラ・アリアは、《ヴォツェック断章》やら《ルル交響曲》と同様に切り取られて《マカーブルの秘儀》として盛んに演奏される人気演目なわけで、当然ながら世界各地の主要劇場がこぞって新演出を出すだろうと思ったら…恐らくはコロナ後の日程やら予算やらの問題で、思った程の競演とはなっておりません。今週のヴィーンとフランクフルトは、ドイツ語圏では最も目立ったリゲティ記念年イベントとなるわけで、これはもう隠居爺としてもノンビリ温泉県盆地で風呂に浮かんでるわけにもいかんじゃろ。

もう眠くて仕方ないから、以下、めんどーな前置きはとっぱずして感想になってない感想。今回のヴィーンの最大のポイントは、なんといっても「ヴィーンフィルが韓国日本ツアーの真っ最中に、敢えてこんな主要作品を舞台に出す」という確信犯的なやり口と、その仕事を引き受けたエラス=カサド様の手腕でありましょう。歌手などは、正直、ゲンダイオンガク分野での専門スターというのではないし、演出家も所謂現代オペラを多数手掛けている人ではなく、ヴィーン国立歌劇場からトラムで直ぐのブルク劇場のレジデンシィだったりもした方で、オペラ初演出はいきなりコロナ前にザルツの《ポッペア》ということで、ある意味、この類いのアヤシげなものを出してコア聴衆にから非難を浴びないようにする配慮とすれば、まあある程度は無茶のない歌劇場としての選択でありましょう。

結果から言えば、「第2次大戦後の最も成功したとされるオペラ・ブッファを、ヴィーン国立歌劇場の抱えるスタッフとノウハウの中で、ヴィーンなりに造ってみた」というものでありました。つまり、『オペランヴェルト』で年間最高の劇場と評されることを目的にあれやこれや尖った演出や演目をガンガンやってるドイツの中小規模歌劇場、敢えて言えば、この土曜日に見物にいくフランクフルトみたいなやり方とは真逆のメイジャーハウスが、無茶な演目としてではなく普通にやれるものとして造ったプロダクション、であります。

正直、所謂「ヴィーンフィル」として公認アルバイトやってる団員達が正にサントリーホールなんぞでR.シュトラウスの交響詩規模の作品で公演をやってるわけで、いくら編成が小さいからといって居残りメンバーでやるんだろうか、それも「練習に来ていた奴が本番に来るとは限らない」というやり方を当たり前にしている当劇場、それが通用する作品なんじゃろかい?これはもう、実際のところピットの中はエラス=カサド様の肝煎りで引っ張って来た連中や、この類いの作品に慣れたクラング・フォーラム・ヴィーンの連中が「ヴィーン国立歌劇場管弦楽団」として全5公演だか全てに同じメンツで座ってるんじゃないかしら…なーんて邪推しておったわけです。

ところがどっこい、貧乏人が大枚€100以上はたいて購入した4階1列目ピットから見下ろすに、どうもそういう感じじゃなく、もうひとつのお留守番舞台演目たる《魔笛》にも出てる奴らなんかいなぁ、って顔ぶれが座ってら。
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へえええ…これはホントに「リゲティ生誕100年フェスティバル」上演ではなく、普通の新レパートリー公演、ってことみたいですな。

かくて始まった舞台、率直に言って、リゲティの無茶苦茶で敢えて意味が分からぬようにしてある作品を、ハウスの全力をもって《ドン・ジョヴァンニ》とかみたいな「オペラブッファ」にしてしまった、というものでした。本来は登場人物は少ない筈の第1,2場でも、冒頭からずっとほぼ裸(大丈夫、パンツ履いてます!)のダンサーがあれやこれや動き回っており、舞踏が明らかな意味を持った演技の一部になってます。死神ネクロッツアーは、「ニンゲンだか幽霊だかわけのわからん得体の知れない存在」じゃなく、アヤシいことは怪しいが、まるでヴォータンかファルスタッフか、って感じのオッサン。あ、これはリゲティが拒否したという使われなかった台本案にあったという「実は死神は詐欺師だった」をやるのかな、と思ったくらい。

ともかく舞踏団の皆さんの動きが繊細の音楽を台無しにするくらい煩かったり、視角的にも煩かったり、なにやらいろんな意味ありげなことをやっていて、アストラダモロスの鬼嫁が殺されて2場が終わり休憩になった時点では、おやおや、これは昨年の横浜アインシュタインの上をゆく酷いもんを見せられてしまうのかな、と暗澹たる気分になっていたでありまする。

ま、第3幕でブリューゲルランドの国民が絡んでくるところになると、舞踏やら合唱やらがいろいろ動き回ってるのも納得は行くようになるわな、さすがに。とはいえ、こんな「ヴィーン国立歌劇場バレエ団フル動員」って舞踏オペラみたいにするやり方って、これまでこの作品上演では観たことがなかったような。これが初めてってことはない試みだろうけど、少なくともやくぺん先生がこれまで舞台として眺めて来た中で、ここまで「バレエ・オペラ」にしているのは初めてでした。ちなみにこの作品では、やはりブリュッセルのパドリッサ・チームがやった奴が、いちばん納得出来たなぁ(外ればかりとしか思えんチームの珍しい成功作でんな)。

もといもとい、で、些か物足りなかったのは、声楽的にも舞台映えとしてもいちばんキャッチーなゲポポ長官の第3場での大活躍が、いまひとつだったこと。ちなみに第2場でのヴェヌスと同じ衣装、同じ歌手、同じ動きでしたが、その関連性がなんなのかは…自分で感じなさい、でしたね。

このやり方が最も成功したのは、まるでドン・ジョヴァンニが死んだあとにみんなが出てきてオペラ・ブッファ的なオシマイの場面をやるような第4場後半で、この辺りからはエラス=カサド様率いるオケがエロイカテーマを12音列にしたパロディをはっきりそれと判るように聴かせたり、ノーテンキのレズビアンカップルが話を纏めるパッサカリアもそれなりに格好がついたり、音楽的に極めてしっかりしておりました。もうこっちが「ああ、こういう舞台なのね」って納得してきた、というのもあるんでしょうけど。

もう眠いので、オシマイ。ともかく、「リゲティの傑作を、ハウスの総力を挙げて普通のオペラブッファに強引に落とし込んだ」というこの舞台、後になって思えば極めてヴィーン的なやり方といえばやり方、こういうのもあるんだなぁ。終演後の喝采も、舞踏チームがいちばん大きかったような。

意外なことに、観光地ヴィーンオペラハウスにやってきていた楽しそうな世界中のお客さん、案外率直にこの無茶な舞台を眺めており、途中で呆れて帰った人は周囲にはほぼ皆無でした。もっと「外れ引いちゃった」感が客席に漂うかとも思ったんだけど…へええええ。

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