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シュトックハウゼンを知らない子どもたちの儀式~ル・バルコン版《光の日曜日》第1、2場 [現代音楽]

シュトックハウゼンの連作オペラ《光》の中でも最後に完成された《日曜日》ったら、作曲者は実際の上演が可能かどうかまともに考えていたとは思えず、カティンカ・パスヴァーらシュトックハウゼンの手兵とも言うべき上演チームが中心となり、演出はラ・フラ・デルス・バウスがお得意のハッタリ見世物炸裂で、ケルン・メッセ・ドイツを会場に行った世界初演は財政的には大赤字で、オペラ・ケルンを傾かせたという正に「今ヴァーグナー」な展開でも大いに話題になったのは、当電子壁新聞を立ち読みなさっているようなすれっからしの皆様にはよくご存じの通り。

上の映像をご覧になればお判りのように、いかにもこの演出集団らしいアヤシげな世界が展開しており、あああこれは赤字になるだろーなー、と心配になってきますわな、確かに。

かくて「やるとカンパニーが倒産するかも」というシュトックハウゼンのトンデモ伝説に新たなページを付け加えてしまったこの作品、我らがマキシム・パスカルくん率いるル・バルコンが「初めてひとつの演奏団体が《光》全部やるぞ」と宣言し、まずはオペラ・コミークと組んで《木曜日》から着手したのは2018年の秋のこと。スカラでの世界初演の現代版リブートという忠実で誠実な再現は大成功を収め(ある意味で最も「オペラ」っぽい《木曜日》に関しては、バーゼルの上演など自由な解釈がいくつか既に行われておりました)、なによりも演奏チームにシュトックハウゼン正統的な伝統継承者たちを一切含まない21世紀のフレッシュな試みに、どこまでやれるものやら関係者の注目を集めたわけでありまする。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2018-11-18
ちなみに、ほぼ同時期にアムステルダムで行われた《光》全体の3分の1ほどを抜萃し3晩に纏めた試みは、土曜日の猫ちゃんでお馴染みフルートのパスヴァーおばちゃんが全体を監修した「第1世代の遺言」って感じの試みでありましたっけ。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-06-03

さても、《木曜日》の成果がフィルハーモニー・ド・パリのディレクターに注目され、劇場では上演出来ない最後の場をシテ・ド・ラ・ムジーク横の運河を巴里中心部に遡ったところの教会に移し上演された《土曜日》も灼熱の巴里で大成功。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-06-30
フィルハーモニー・ド・パリが主催に加わり「パリの秋音楽祭」の一部として上演が続くことになり、そのまま作曲順に次は《月曜日》と発表されたところ、コロナ禍がやってきた。チクルスも頓挫しかけたののの、どっこい、ともかく規模が小さいやれるものを先にやってしまおうと、《火曜日》がコロナ禍未だ開けぬフィルハーモニー・ド・パリで第3弾として上演される。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-10-27
んで次の《金曜日》は、《土曜日》のパリでの上演に接し衝撃を受けたニッポンの某関係者などの動きで、東京とパリの二つのオリンピックを繋ぐ文化事業として池袋での上演を視野に入れたプロジェクトとして動き出し、マキシムくん来日時に池袋で内輪の記者会見まで開き業界関係者にはまだご内密にと告知もしていたんだけど、五輪延期騒動で関連文化予算がゼロになってしまい都議会で予算が通らず、日程まで抑えられていた池袋との《金曜日》共同制作企画は哀れ立ち消えとなってしまった(これまで当電子壁新聞では、この経緯に関しましては敢えてオブラートに包んだ表現をしていましたけど、もう時効だろうと判断し、はっきり記します)。そんな事態を乗り越え、なんとかリールのオペラハウスとフィルハーモニー・ド・パリとの共同作業で昨年秋に上演され、やくぺん先生は関係者の涙を背負い見物に参ったのが昨年の今頃。

で、次はやはり《月曜日》のリベンジじゃろねと思ったらぁ、なんとなんと、ヘリコプター4機舞飛ぶ《水曜日》と並び最後の最後の難物と思われていた《日曜日》を、この秋にやるという。それも「第1,2部をシテ・ド・ラ・ムジークで2公演、第3,4,5部は倍の客が入る隣のフィルハーモニー・ド・パリで午後7時から深夜過ぎまでかけて1公演」という奇策を採ってきたわけでありまする。

かくて、先程、シテ・ド・ラ・ムジークでの《光の日曜日》第1,2部の2公演が無事に終わったところでありまする。後半は、週末休んで月曜日の夜。ふううう…状況の説明だけで疲れたわい。

さても、本題です。この《日曜日》という作品、なんせかのシュトックハウゼン・エディションでもひとつの作品としてCDパッケージになっておらず、全5部が別作品としてバラバラに収録されていることからも判るように、もう「ひとつの作品」という概念もどっかに置き去っちゃったような代物。やくぺん先生ったら、6カ国語の6群の合唱団が平土間に座った客の間を練り歩き神(カトリックの創造神の筈なんだけど、やっぱりシュトックハウゼン教の無茶苦茶普遍的な神様、って感じですな)を賛美する、という第2部だけはアムステルダムで今初台界隈では話題のピエール・オーディ演出《光》抜萃で接したことがあるだけ。他は解説眺めてもシュトックハウゼンといえば定番の松平さんの著書をパラパラしても、正直、なんだかよーわからん。

まあ、「オペラ」と言っても正にラテン語やイタリア語の本来の「作品」という意味でしかないもんだから、何が起きても驚かんわい。で、まずは本日の第1,2場は、共に「普通の意味でのステージはなく、聴衆の間を演奏者が動き回る」という作品、ぶっちゃけ、些か遅れてやってきた前衛時代の所謂「シアターピース」でありまする。だから、自由席の2公演、まずは中に入って見物しようと、初日は開場時の混乱に敢えて飛びこんで
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シテ・ド・ラ・ムジークの楕円形オーケストラの、指揮者が立つと思われる辺りの近くに陣取ったであります。こんな視点じゃ。
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目の前に第1場でグルグルと位置を変えてスーパーフォーミュラを点描で演奏する楽器奏者のためのスタンドが生えるじゃわ。この場面、普通のオペラの感覚で言えば「ヒロイン」のエヴァ(なんじゃろかなぁ…)役をニッポンでは古楽系歌手として知られる高橋美千子さんが担当しており、台詞とも言えない惑星の名前やらを連呼するテキストを歌いながら平土間を走り回り、オーケストラメンバーに光を灯し、大活躍でありました。

このル・バルコンのプロダクション、今時のヨーロッパには珍しく案外と我が同朋の方が殆どスタッフや演奏メンバーにいないので、高橋さんは新世代のシュトックハウゼンを経験している貴重な存在でありますね(松平さんなどは、作曲家と繋がりがある世代の最後の辺りでしょうから)。日本でもこれを…とは言わないけど、まだまだ池袋関係者、シュトックハウゼンのプロジェクトは諦めたわけじゃないみたいですから。

ちなみに伝説のケルン初演では、あのハッタリ演出集団らしく、歌手は宇宙服着て吊り下げられたりして、膨大な予算を使って移動遊園地か大スペクタクルか、って風にやったみたいです。でもこのル・バルコンのプロダクション、基本は「ともかく自分らで出来るやり方でこの無茶な大作を音にしてみよう」って、マキシムを中心に若い世代がなんだか学祭っぽいノリでやってる感があって、お金かけたスペクタクルを商売にしているプロのオペラ演出家の考えてる「この作品をなんとかオペラとして聴衆を楽しませるものにしよう」という感じはあんまりない。今時のオペラハウスが盛んに行う映像を絡ませていろいろ説明する、ってのもない。フランス語字幕が出るだけ。ケルンの大見世物の再現を期待したファンには肩すかし、「シュトックハウゼンの《光の日曜日》の演奏会形式上演かぁ」と言われても仕方ない…かな。ま、ロマン派オペラを「オペラ」と信じている方が来るような演目ではないから、と割り切ってるんでしょうけど…

もとい、で、第2部になると譜面台が片付けられ、ブタカンさんが平土間の聴衆に「荷物そこ置かないでね」とチェックしてまわります。今日の2日目は全体を俯瞰するために2階の通り側(弦楽四重奏ビエンナーレなどではステージが設置される側の上)真ん中に陣取ったわけじゃが、へえ、これだけ動ける空間を確保しないといけんのね。
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ここをヒンズー語とか中国語とスペイン語とかアラビア語とか、前世紀の終わりくらいの時点でこの地球上で使っている人数が多い順番に5カ国語を用いたという合唱総計6グループの天使たちが縦横に動き回り、ひたすら神を賛美する。ぶっちゃけ、バロック多声音楽のもの凄い数のポリフォニー作品の、モダンなシアターピース版ですわ。こういうの、ライヴで柴田南雄先生なんかに観て貰いたかったなぁ、どういう皮肉を漏らされたやら。《追分節考》なんて、《光》チクルスが発想される頃の同時代作品なわけだもんねぇ。

シュトックハウゼン晩年作品は、音楽としての作りが複雑になっていけば行くほど、逆に複雑さがホワイトノイズみたいになって、聴衆にはそんなに面倒なものに感じられなくなってくるという不思議な矛盾というか、妙な現象が起きる。この辺りの最晩年作品になると、正にそういう「作品(オペラ)」だなぁ。いやぁ、やっぱりライヴで接しないと判らんですね、この感じは。

てなわけで、なんだかしらんけどスゴイもん聴いた、って感じの聴衆の大喝采の中、ホール中の聴衆に何度もお辞儀をして、演奏者たちの達成感と盛りあがりもこれまたスゴイもんでした。あ、今、「カフェ・ド・ラ・ムジークで盛り上がってるぞぉ」という連絡がマキシムくんから来たわい。いやぁ、正に学祭ノリじゃのぉ、若い人たち。

シュトックハウゼンを全く知らない子どもたちが、手元に遺された無茶苦茶な楽譜を前に、神格化や楽聖伝説やら先入観やらを取っ払い「ここにはあらゆるものが詰まってるじゃん、いっちょやってみようぜ」ってノリで、予算やら仕掛けやら、自分らのやれる限界の中で取り組んでいる。既存の劇場の「オペラ」という言葉への拘泥や、今や神となった作曲者直伝の長老達の姿は、ここにはない。

さて、問題の第5部、隣のフィルハーモニー・ド・パリに会場を移し、どうなることやら。

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