SSブログ

《浜辺のアインシュタイン》のようなもの [現代音楽]

実質10日程の欧州滞在を終え、新帝都に戻るべく、今、パリはド・ゴール空港第1ターミナルにおります。先程からパソコンのバッテリーがおかしくなり、電源に繋がないと「充電ゼロ%」と表示され、シャットダウン。で、どんなに電源に繋いでも、ゼロ%から充電してくれません。これは困った。なんせバッテリーを自分で交換出来ない造りなもので、東芝さんが撤退して神谷町の駅上にあったこのブランドの修理センターがなくなってしまった今、修理を頼むとどっかに送らねばならず、仕事が全くできなくなるじゃないの。ううううむ…機内で作業が出来るかも微妙だなぁ。日本式の電源、預け荷物に入れてしまったんで、引っ張り出さないと。

さても、昨晩は今回の「『戦後のオペラ』で自分が担当した作品の舞台上演は全て眺める」という現役時代にやり残したお仕事の尻拭いみたいなツアーの締めくくり、《グラン・マカブル》と同じ年に初演された《浜辺のアインシュタイン》の、昨年だかにバーゼルで出て話題になった(のだろうなぁ…よく知らんけど)演出家スザンヌ・ケネディ&美術家マルクス・ゼルグ演出、ってか、独自改訂版を「パリの秋」芸術祭の舞踏部門の出し物として引っ越し上演する、というもの。
IMG_1189.jpg
https://www.festival-automne.com/edition-2023/susanne-kennedybrmarkus-selgbrphilip-glass-emeinstein-on-the-beachem
演出チームの日本語での紹介がドイツ文化会館のサイトにありました。こちら。
https://theatercommons.tokyo/2021/program/susanne_kennedy/
https://wired.jp/article/susanne-kennedy-vr-interview/

会場はフィルハーモニー・ド・パリやらシテ・ド・ラ・ムジークやらパリ国立高等音楽院やらがあるラ・ヴィレッテなるアートパークの真ん中に鎮座するかつてのとさつ場(ATOKさん、なんで漢字変換してくれないの?)跡地の大ホールであります。いつも横を通るけど、一度も入ったことない施設だなぁ。

この演出、今を時めく欧州最前線のヴァーチャル・リアリティなんぞを視野に入れたアーティストさんの舞台ということで、そっち方面の尖った方には大いに注目されているらしく、チケットは発売とともに瞬間蒸発。やくぺん先生ったら、なんとか返し券を手に入れて、取りあえずは見物出来ることになった次第…とはいえ、バーゼルで出たときの舞台写真などを眺めただけでも、これは相当にアヤシいぞ、って香りがプンプン漂うもんだわなぁ。

さても、ぶっちゃけ、やはりというか、想像された通りというか、昨年の横浜版の遙か斜め上を行くオソロシー惨状ぶりが展開され、3時間半の長丁場を過ごした巴里の聴衆が総立ち大拍手の中、怒り狂うというレベルを通り越し、これはもう全く別物の「《浜辺のアインシュタイン》のようなもの」じゃなぁ、と呆れかえって納得するしかないやくぺん先生がおりましたとさ。

かくて、感想とも言えない感想どころではなく…まあ、せめて舞台というかスペクタクルというか見世物として興味深い要素を列挙して、さっさと棚にしまい込んでしまいましょ。なかったことにする、ってわけにはいかんけどさ。

★客が舞台に居る
この作品、「演奏中に客が出入りするのは全く自由」という指定があるのは皆様よくご存じの通り。昨年の横浜版では、この原則を廃してまるで普通のオペラかバレエみたいに前半後半の間に休憩、という上演で、あああああそうなんだぁと思わされたのは皆様のご記憶に新しいでありましょう。今回のバーゼル版パリ上演、恐らく、ステージ上演として最も「斬新」で「先鋭的」な部分は、観客(敢えて聴衆とは言いません)が上演中に自由に出入りしていいばかりではなく、上演中の舞台に入り込んだり、舞台装置に座ったりしても構いません、って告知が出ていたこと。

どういう意味か判らなかったんだけど文字通りの意味で、巨大会場の半分を使って客席が仮設され
IMG_1288.jpg
客席の前には平土間に巨大な廻り舞台のステージが据えられてるんだけど
IMG_1282.jpg
出演者が踊ったり台詞を呟いたり歌ったりするのの直ぐ横に立ったり座ったり、はたまたオケピットの指揮者の真後ろから覗いたりしてもOKなんですわ。

最初は真面目に席に座ってた観客ながら、なにやらひとり女の子が舞台を動き回ったりし始めるや、あれ、いいんだぁ、って感じでワラワラと人達が客席から平土間に下りて、あちこちで踊ったりしているダンサーを取り囲んだり、座り込んだり。結果、なんだか巨大な大道芸大会が行われているのを外から眺める、みたいな感じになる。ぶっちゃけ、舞踏といっても殆どその場を動かず手の振りだけだったりするので、邪魔にならないといえばならないけど、うろつきまわる観客の影になり客席では見えなかったりします。よく眺めていると、どうやら明らかにサクラというか、客の振りをして観衆の動きをコントロールしてる奴がいるような気がしたんだが…やっぱり終演後のアンコールでは最初に舞台に行った女の子が役者のひとりとしてお辞儀してましたね。

「舞台と客席の垣根を取り払う」という意味では、些かアホっぽさすら感じる真っ正面からの直球勝負で、これはこれでとても前衛的と評価する人はいるんだろーなぁ…。ちなみにやくぺん先生は、ずーっと同じ席に座ってました。別にステージに乗って回転舞台で一緒にグルグルまわらなくても、何が起きてるかは判るしさ。

このやり方、バーゼルの歌劇場ではやれるとは思んわいなぁ。初演のときはどうだったのかしら。舞台の絵面はこちらのトレイラーからどうぞ。この映像では客がいないけど、ヴァイオリンさんが先触れで邪魔な客をどかし道を作りながら、死んだ(?)娘の葬送行進は客で埋もれた廻り舞台の上を進みまました。
https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=susanne+kennedy+markus+selg&&mid=C01F84B3E7B31364BE0BC01F84B3E7B31364BE0B&&FORM=VRDGAR

★テキストはウィルソン版にインスパイアーされた別物
開演前に扉の前に並んでる間にLibretrtoなる6ページのペラペラの英語フランス語対訳の刷り物が配布されたんですがぁ、それを開いた瞬間、「あ、これはウィルソンとは別物だ」と万人が思ったことでしょう。どんなもんなのか、説明するのもメンドーなんで、写真でご覧あれ。これが最後の辺り。ご覧のように「宇宙船と荒野」もありません。
IMG_E1309.JPG
この舞台に接した人の記憶にイヤでも刻まれる「みすたー・ぼー・じゃんぐる」とか「季節外れにエアコンが効いたスーパーマーケット」とか「地球が動いているのを感じる」とか、そんなもの凄く印象的なフレーズは出てくるんだけど、まるっきり違うもんです。

この台本を、役者というか舞踏家というか、テープだけではなく、舞台を動き回っている複数の出演者が読んでいく。それもインテンポではなく、感情を含めたように読んだり。

そして、最大の問題というか、変更点は、この作品を4時間以上付き合った最後の最後に、E=mc2で舞台で起きた全てのエネルギーが質量に転換されるか、はたまた舞台の質量がエネルギーとなって宇宙の静けさに消えていくか、なんとも摩訶不思議な感動をもたらし、この作品が普通の意味で「感動」する名作である所以となっているバス運転手のモノローグも…一切、ありませんっ!まるで《ヴァルキューレ》の最後の最後で、ヴォータンが「我が槍の穂先を恐るる者、この炎を渡るべからーず!」と叫ばずに終わっちゃったみたいな、壮大な肩すかしじゃわいっ!ダメだろ、これ!

★音楽はやりたい放題
ま、客席と舞台が融合される、なんて試みは演劇ではいくらでもやりたい奴がいそうで、実際にやられているのでしょうから、ま、それはそれ。今回の試みがそれで何を言いたく、成功していたかは、正直、やくぺん先生には判らんです。つまり、そんなのどーでもいい、ってくらい別の大きな問題があった。

それ即ち、音楽面です。敢えて言います、ダメダメです。

演奏はバーゼルのチームがそのまま来ているようで、そりゃまぁ、これは他の連中には無理でしょ。だって、手に入る楽譜に存在しない音符がいっぱいあるんだからさ。演奏の順番も違うし、譜面にないまるでロマン派オペラみたいなダイナミックスや速度の変化があちこちにあるし。

正直、音楽面については、今、思い出しても苦痛なんで、語りたくありません。ゴメン。ただ、ヴァイオリン独奏さんはこの曲で長大なカデンツァ(としか言いようがないが…)やるとは思わなかったろーなぁ。歌唱でも、まるでベリオかリゲティかって具合の、グラスは絶対に使わないだろう「ニンゲンの肉体から発せられる様々な音響」が使われたり。

もう、グラスの楽譜を用いた別物、としか言いようがないです。敢えて喩えるなら、古典派の枠で存在している楽譜をロマン派作曲家がその時代の美意識でいじりまわした珍品楽譜がいくるもあるけど、あんなもんをグラスで聴いてる奇妙な感じでしたね。

それからもうひとつ重要な問題は、上演中、風音とか水音にも聞こえるような電子音がずーっと流されていて、ホントの意味での沈黙の瞬間がない。これも、演出家さんが音楽に関心ない人の場合はオペラでもよくやられる手であるとは百も承知とはいえ…ううううむ。

どうもこれ以上記しても罵詈雑言になりそうなんで、爺の繰り言はこれまで。そろそろ荷物を預けられる時間なので、カウンターに向かいます。いやぁ、今回の《ラ・グラン・マカブル》、《光の日曜日》、《浜辺のアインシュタイン》を10日弱で複数舞台観まくるツアー、最後を締め括るに相応しい(?)トンデモでありましたとさ。早くおうちに帰って、ウィルソンのシャトレ座でやった舞台のBlu-rayを眺めよう…って、温泉県盆地オフィス、まだそんなもん観らんないんだっけさ。

nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。