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音楽的には舞台世界初演~ル・バルコン版《光の日曜日》第3、4、5場 [現代音楽]

秋から冬に向かいつつあるフィルハーモニー・ド・パリ及びシテ・ド・ラ・ムジークで、今回の短いツアーの最大のハイライト、シュトックハウゼン《光の日曜日》後半第3,4,5部の舞台上演が先程深夜12時25分に無事終了しました。今頃、シテ・ド・ラ・ムジークと国立高等音楽院の間のカフェ・ド・ラ・ムジークでは、若い音楽家や舞台関係者、裏方さん、そのお友達などがまだまだ大いに盛り上がっていることでありましょう。

前半は第1,2場がどんなもんじゃったかは、数日前に当無責任電子壁新聞にアップいたしました。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2023-11-17
さても、それを受けての後半部分、シュトックハウゼン御大は「3日間で上演しろ」と仰っていたものを2日でやったので、開演は7時で、聴衆の会場移動やら含めなんのかんの、「日曜日のサヨナラ」がフィルハーモニーのロビーで消えていくまで4時間半弱。作品全体で約7時間の長丁場だったわけじゃ。

この公演、どのようなものかを評価すれば、「実質上の史上初の全曲舞台上演」でした。

え、初演は大震災後のケルンでしょ、とお思いでしょうが、某著名演出チームがやりたい放題でケルン歌劇場を傾かせたという伝説の世界初演は、後半では主役クラスのソプラノがキャンセルになり代役などいる作品ではないので役者が演技だけあてたとか、演出の水音やら舞台音がやたらと騒々しくて音楽が分からなくなっていたとか、なによりも決定的なのは、音楽的には上演場最難関の第5部では合唱版がライヴ演奏ではなく事前に収録したテープ録音の再生だったという事実。

《光》という長大なチクルスを締め括るこの場面、この「2つの会場で同じ楽譜のオーケストラ版と合唱版が同時に上演され、指定の箇所ではそのライヴ音響を細かい指定に従いつつ両会場で流される」という、エレクトリシャンにパガニーニ級の離れ業が要求されております。シュトックハウゼン御大、最後の最後にとうとうエレクトリシャンという20世紀後半に誕生した新進アーティストにまで、空前絶後の超絶技巧芸を求めたんですわ。ケルンの上演では、ぶっちゃけ無駄なサーカスみたいな演出にガンガンお金や手間や時間をかけたのに、作品として最も大事な部分では、合唱版をライヴではなくパッケージにして済ませる、というお手軽というか、敢えて言えば作品の本質を誤解しているとしか思えぬ逃げをうったわけですわ。ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番なんですが難し過ぎるんでピアノパートは別取りで演奏します、ってなもんだわね。シュトックハウゼンが生きてたら、絶対に許さなかったろーなー。

先程終わったケルン以来の(多分…)上演では、この場面、ちゃんとライヴでやりました。実際、2度目の演奏では第2オーケストラ指揮者さんのインカムが故障したらしく、演奏が始まってから待って待ってとダメ出しが出て、やり直しになりました。それほど技術的な壁が高く聳えるパーフォーマンスだったわけですわ。

なんか話が前後しちゃってるなぁ。スイマセン。この第5部って、オーケストラ版も合唱版も5つのグループが異なるテンポで同時に演奏するため、それぞれのグループにひとりづつと、オケと合唱全体統括ひとりづつ、総計12名の指揮者が必要なのです。いやぁ、《グルッペン》の3人の指揮者で驚いていてはいけない、御大、人生の最後でとうとうその4倍の指揮者を動員してしまったわけですわ。ホントに最後までお騒がせというか、トンデモな人じゃのぉ。当然、ケルンでの上演ではテープで事前に録音しておいた合唱版にはライヴでの指揮者は不要でしょうから、担当のエレクトリシャンひとり若しくは数名で処理したんじゃないのかしら。知らんけど。

以下、両者別の建物ながら客席間移動は10分も必要ないフィルハーモニー・ド・パリとシテ・ド・ラ・ムジークという2400席の大ホールと900席の中規模ホールの両方を活用し、ル・バルコンとそのチーム、ホール裏方表方が、どうやってこの現実的に上演至難な難物に対処したか、ザッと記します。音楽の中身よりも、「どうやって上演を実現したか」が関心の中心ですので、悪しからず。
光の日曜日.jpg
なお、FacebookのLe Balcon公式ページには、演奏者の間で走りまわってた公式カメラマンさんの写真がいっぱい上がってますので、どんなもんだったか雰囲気を知りたい方はそちらもどうぞ。
https://www.facebook.com/search/top?q=le%20balcon


まずはこのステージ、聴衆が持ってるチケットにはフィルハーモニー・ド・パリの座席が指定されてます。で、当然ながら、午後7時の開演時間前に席に着くと、今日は大人しくちゃんと舞台の上にステージがありますな。ステージは真っ白で、後ろに巨大なスクリーンがあります。第3部はバセットホルン、フルート、トランペットという《光》チクルスではお馴染みの主役級の楽器と、先頃の第1場でもソプラノと共に楽器の動きの差配をしていたテノールさんが登場、作曲者がかっちり位置を指定された通りに動き回り様々なデュエットを展開。曜日を象徴するいろんな要素が後ろのスクリーンに投影され、歌手がその名前を挙げていく。演奏家の動きと映像、さらに演奏される響きはエレクトリシャンが弄る、という複雑な作業が淡々と、地味に続けられます。《光》全体の中でもシュトックハウゼンがハッキリと「映像」という要素を持ち込んだ場面で、今では各地のオペラハウスで当たり前になった巨大スクリーン映像による様々な演出ながら、まだ前世紀終わりから今世紀初め頃は明快なヴィジョンは見えておらず、映像面はかなり指定は緩い。なんであれ、相変わらずの先取りっぷりではありますな。《日曜日》の中ではいちばんノンビリ座って眺めていられる場面ではありました。

んで、休憩があって、第4部も同じくまともな「ステージと客席」の括りの作品。シュトックハウゼン先生が今更ながらに《光》チクルス各曜日に振ったシンボルマークの説明をしてくださる、という場面ですわ。なんか、こういう「自分で作った決まりを延々と作品として説明する」って、ヴァーグナーなんかもやらかすけど(《神々の黄昏》のノルンが延々と「これまでの粗筋」やるところとかね)、こういうのがあるから長くなるんだわなぁ…とは愚痴りません。

なんせこの場面、判りやすいといえば破格に判りやすく、要は各曜日の歌手が後ろの巨大スクリーンに出されたシンボルマークを、指定された振付で歌いながら絵解きする。ま、その振付ってのが、どうしても『翔んで埼玉』のはとマークにしか見えなかったりするのはあんまりなギャグなんだけど、他の動きは手を合わせるお祈りが基本ですね。

この場面の最大のポイントは、各曜日の説明の最中にそれぞれの曜日に対応した異なるお香が焚かれること。これ、どうするのかと思ったら、平土間バルコニーそれぞれ客席にお香を抱いたスタッフが配置され、曜日毎に異なる香りを客席に振り撒いて歩くんですわ。いやぁ、とうとう「匂い」までやっちゃったわ、シュトックハウゼン御大!実際どんなもんなのか、些か懐疑的だったけど、なんのなんの、しっかり違う香りが7種類焚かれるのはハッキリ判る。でもねぇ、正直、もうこれって、完全に法事ですわ。

んで、最後にメゾソプラノとボーイソプラノ(年老いたエヴァとミカエル少年だろーなぁ)が登場し、ホンモノの馬(なんとお行儀良い子!)が上手から登場して、一緒に下手に消えていく。
第4部.jpg
音楽的には余りの複雑さ故に耳がモチーフを理解する限界を通り越し結果として簡素にすら感じられる、最後のボーイソプラノの場面なんて、《ヴォツェック》の最後とは正反対な世界ながら、なんだかわからんが「感動」しそうになっちゃう不思議な場面でありました。

さても、残すところはあと場面はひとつ。この「土曜日に滅したルシファーなき平穏な世界で、エヴァとミカエルが結婚する」という様々な祝辞やお祝い式典に延々と6時間も付き合ってるようなこの《光の日曜日》というチクルス締めくくりの「シュトックハウゼンの《パルシファル》」の最後に、突拍子もない仕掛けが待ち受けている。既に記しましたように、ここからは35分程のスコアが3種類のヴァージョンで用意されている。ひとつは5群のオーケストラ、ひとつは5つの言語に拠る5群の合唱、そして電子音のヴァージョンです。聴衆は、この3種類をここから2時間ほどの間に、全て聴くことになります(最後のシンセサイザー版は、聴かずに帰っちゃってもいいんだけど)。

まず、フィルハーモニー・ド・パリの座席が平土間の方は、そのまま自分の席に止まります。で、バルコニー席の人は、隣のシテ・ド・ラ・ムジークに行くように命じられます。そんなことチケットにも書いてないし、事前に何も明かされてないんだけど、ともかくそういう風になってます。会場を移動する人は、フィルハーモニーのロビー出口で小さなトークンみたいなものを渡され、夜の10時もまわった寒い野外に一度出て、隣のシテ・ド・ラ・ムジークまで向かい、第1,2部をやった会場の入口でトークンが回収される。

と、平土間には後ろにいくつか椅子が並んでいるだけで、正面舞台に5群の合唱団が座っている前のだあああっと広がった空間に、ぺたりと座り込む。2階も開放されてるので、席が欲しい人は平土間後ろか2階に席を取ってください。自由席ですから。

で、インカム耳に突っ込んだ5人の指揮者(基本的に歌手も兼ねてました、なぜか女性ばかりだった)ズラリと並んだ5つの担当合唱団を指揮し、リズムと言語の異なる譜面を一斉に演奏します。この瞬間、フィルハーモニーでも、同じ譜面のオーケストラ版を5群のオーケストラと5人の指揮者で演奏が始まる。シュトックハウゼンの指定では、途中に何度か「別のホールで行われる別ヴァージョンの演奏音響が流される」ということになってるだけど、今や音声流すくらいだったらライヴ映像が出せちゃいますから、今回は巨大なスクリーンに映像付きで隣のホールの中継が映し出されます。無論、それぞれは音楽的にシンクロしていて、ある部分では微妙に時間をずらす、なんてこともやれれていたらしいが、とてもじゃないがそこまではわからんわい。

オーケストラ版では、二つの楽器の絡みでそれまでの6作品の音楽的な回想の断片が独奏みたいに繰り広げられ、マジで全部通しで眺めて来たなら、「おおおおお、とうとう全部が終わるんだぁ」という気になるんでしょうねぇ。合唱版の方では、最後にいきなりトランペット独奏が登場し、もうここまで付き合ってきた人なら「大人ミハエルが降臨したぁ」とイヤでも判る大団円。
第5部合唱.jpg
終わったら、大拍手もそこそこに、聴衆はだあああっと入れ替え。最初に合唱版をライヴで聴いた組は今度はオーケストラ版で、フィルハーモニーに戻り平土間自由席です。で、もう一度、同じ音楽のオケ版を聴く。既に11時をまわってます。演奏開始直前に上手からふたつめのオーケストラの指揮者さんのインカムがダメになったみたいで、ちょっと演奏が始まったところで止めて、なにやらちょっとバタバタしましたが無事最初から演奏再開。かくて11時45分くらいに全曲の終演となり、スクリーンの向こうも含めて総立ちの大喝采は続く。
第5部オケ.jpg
これで終わりと思いきや、最後の最後にお馴染み、「サヨナラ」が付いてます。今回は、前述のように第5部の音楽をシンセサイザーにしたヴァージョンが、終演後のロビーで流される。
https://www.youtube.com/shorts/BAz8yeZcBUI
最後まで付き合うと深夜も過ぎた12時25分、ロビーに残った猛者は流石に数える程でありました。
サヨナラ.jpg

感想以前、何が起きたか記したら終わってしまった、ゴメン。妙な演出は最小限ながら、御大が指定したことをともかくやれる限り誠実に、きちんと音にした若い人たちは、隣のカフェでいつ果てることもない宴会を続けておりましたとさ。

かくて《光の日曜日》、実質的には音楽の全曲の舞台として世界初演、現場にいないといくら解説を読んでも判らん化け物、とてつもない経験をさせていただきました。テクノロジー含め、まだシュトックハウゼンが作曲していた20数年前には不可能だったことが実現出来るようになり、誇大妄想はもしかしたらまともな音楽なのかもしれないぞ、と思えるようになった21世紀も20年代の巴里の夜は更ける。

次回はオリンピックを避けたか1年お休み、2025年秋に《月曜日》だそうな。大丈夫、これなら《水曜日》もやれるぞ、このチーム!カフェ・ド・ラ・ムジークと音楽院の向かいの噴水広場なら、ヘリ4機を充分に離着陸させられるもんね。問題は駱駝くらいかな。

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