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20世紀末に「普通のオペラ」を作るというヘンツェ老の挑戦 [現代音楽]

悪夢のような「まるでウィルソンではなくちょっとグラスらしきもの」を眺めた翌日の夕方にシャルル・ド・ゴール空港を発ち、ヴィーンの南をかすめ、黒海の彼方にウクライナの戦場を臨み、アンカラ上空から、カスピ海、カザフスタンを横断しゴビ砂漠、北京上空で右大曲をしつつ庶民向け朝食(なのか)を喰らい、直進するとぶつかるキム孫帝国を避けられたので天津上空でぐうううっと左大曲、黄海跨いで数週間前に上がり下りした仁川を眺め半島横断、松江辺りでホンシュー島に上陸し、セントレア向こうでいつもの温泉県往来の道に合流、曇り空の六郷河口空港に戻って参りましたです。手荷物引き渡しベルトが2本しかない第2ターミナル国際線は、今世紀初頭懐かしちっちゃな羽田近距離国際線ターミナルをうんと立派にしたようなもんで、入国を済ませるとそこにはインバウンドの浮かれた世界ならぬ、余りにも見慣れた土曜夕方の羽田国内線到着の雑踏が広がっておりましたとさ。

昨年来の数度の渡欧で「もう移動移動の間に、目の前に起きてることとはまるで関係ない日常作文作業を連日突っ込む」という現役時代の動き方は肉体的にも不可能と判断、東京→ソウル→大分→東京→ヴィーン→パリ→フランクフルト→パリ→東京と移動する3週間の間、隠居老人とはいえ必要な生活費を少しでも稼ぐために不可欠な商売もん作文は一切入れられん有様。コロナ禍の非常時を除けば、この商売始めてから初の「1ヶ月商売作文〆切一切無し」という状況でしたです。かくて、この水曜日からは温泉県盆地オフィスに戻り3週間のお籠もり、少しは食い扶持稼ぎをせにゃならん。うううむ、ホントに貧乏はイヤじゃのぉ。

もといもとい、んで、今回は経費的には些か無謀なパリ東京レガシーキャリア直行便なんて4年ぶりの無茶を行ったのは、明日の亡父十三回忌に千葉に居る為というのは勿論だけど、本日新帝都は旧鹿鳴館隣日生劇場で千秋楽を迎えたヘンツェ《午後の曳航》ドイツ語改定版舞台上演を眺める為でもありまする。
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なんか、オケの定期なんかでやたらやってたような気がしてたけど、最終改訂版の舞台上演って日本では初だそーな。

何度も繰り返しているように、今回の実質2週間弱の渡欧、「共著『戦後のオペラ』で記述を担当した作品の舞台上演は死ぬまでに全て観る」という目的を達成する、人生最期に残ってしまったテーマ貫徹のためでありました。その4作品を作曲順に並べると

ウィルソン&グラス《浜辺のアインシュタイン》(1976)
リゲティ《ル・グラン・マカブル》(1977)
ヘンツェ《午後の曳航》(1988/2006)
シュトックハウゼン《光の日曜日》(2003)

という順番になるわけでありますな(シュトックハウゼンのはいつ「完成」とするか、なかなか微妙ですけど)。ご覧になってお判りになるように、「ダルムシュタット楽派のセリエリズム国際普遍様式の探究→前衛の熟成と崩壊→現代版バロック・オペラとしてのミニマリズムの出現→歴史の解体とサンプリングの時代」と変遷した「戦後のオペラ」の、所謂前衛バリバリ時代以降の動きを端的に示す「傑作」ばかりという恐るべきラインナップ。ホントは、ドイツ某所で《ドクター・アトミック》も出ていて、それもなんとか眺めたかったんだけど、老体にもうそんな無茶は無理と諦めたです。

さても、ツアー最後となるニッポン国新帝都でのヘンツェ作品でありまするが、ま、ぶっちゃけ「20世紀の終わり、前衛的な価値は崩壊し、オペラ創作としてはバロックオペラにも似たミニマリズムが最も有効と判明してきた時点で、旧来のドイツ語文化圏の劇場文化インフラで処理可能なオペラ語法を用い、未だスタンダード作品が存在しない『アンファン・テレブルもの』という穴を埋めようとする巨匠の試み」だったと、あらためて認識させられましたです。普通のオペラハウスで上演する類いの作品から逸脱する試みを自らも様々に行い、周囲も戦後のオペラの技法がいろいろと出切ったところで、オペラ作曲の手練れが60年代頃まで本気で探求していた若き日の語法に敢えて立ち返り、その有効性を再確認してみた――そんな逆向きの実験作なのかな。なんせヴィドマンはまだこれからとはいえリーム全盛期、独逸各地の中規模劇場ではシュレーカーやらツェムリンスキーのルネサンスが進んでいた頃ですからねぇ。

ま、結論を言ってしまえば、上記のようなことがよーく判った、というだけでも充分な収穫だった公演でありました。以上、オシマイ。

…ってんじゃあいくらなんでも「感想になってない感想」にすらならんので、自分への備忘録としてもうちょっとくらい記しておきましょかね。

この上演、上のポスター写真をご覧になればお判りのように、聴衆に向けては「ヘンツェ」よりも「三島由紀夫」であり「宮本亜門」を前面に押し出す展開をしていたようで、今となっては夢のようなマキシム・パスカル指揮沖澤のどか副指揮の《金閣寺》の路線第二弾、って感じですね。となると、次はヘラス=カサド様などをお迎えし、満を持して《鹿鳴館》なのかしら。願わくば、日生劇場の記念年で「三島三部作」とか名打って連続上演でもして欲しいもんですな。

もといもといもとい、今回の舞台について触れないようにしているわけじゃないけど、まあ、わあああっと語りたくなるようなもんが案外とない舞台なんですよねぇ。妙に冷静に眺めてしまう、ってか。

なんせ御大が弄りまわした作品なんで、今回もカットがどうだこうだとか、メンドーな話はあれこれと出ているそうな。それはそれとして、やはり舞台としていちばん興味深かったのは、演出家宮本亜門氏の補助線の引き方、ってか、ま、有り体に言って、演出家がはっきりと判ってやらかした仕掛けに尽きるでしょうねぇ。

まあ、今更ネタバレもないし、収録した舞台をNHKBSで深夜にやるなんて話も聞かないので、観た方ならみーんな知ってることとして気楽に記してしまえば…宮本先生ったら船員のバイとしての性癖をはっきりと少年強姦(正確には「女」三つじゃなくて「男」三つにしなきゃならんタイプの)という形で見せてしまって、結果としてそれ以降の舞台全体が極めて判りやすくなってしまっていたことでしょう。まあ、これだけ「メロドラマ」的なオーケストラのみで描く部分が多い作品なんで、こういう解釈は作品が許しているわけですから、それそのものを悪いというわけではない。演出家の仕事とはなによりも観客に可能な限り「判りやすい」舞台を提供することだ、という考え方もあるわけで、その意味では極めて真っ当なやり方なのかしらね…と思わんでもない。

ただ、その仕掛けが「なんのかんのあっても最後の3分はきっちり盛り上がる」ってオペラの手練れヘンツェの作品全体の中でどう機能したか、今ひとつわからんかったことも確かです。作品としてのテーマを複雑化多面化し、深める機能はあったんだろーけど、強引にひとつの見方に引っ張っていこうとしいたわけではない。それよりもなによりも、なんで最後にママが息子ら不良共が旦那を殺す現場に駆け込んできてぶっ倒れるんだぁ、って方が気になったけどさ。申し訳ないけど、「おおおおお、ロマン派オペラみたいじゃぁあ!」って笑いそうになってしまった、スイマセン。

まあ、あとは、黒子の扱いというか、バランスがなかなか達者で、例えばダヴィッド・ヘアマンみたいな今時の売れっ子がやらかす「舞台上の余分なダンサーやら役者が煩くてしょーがない」ってんじゃあなかった。宮本亜門という方、流石に売れっ子の演出家だけあって技術者として手慣れておるわい、と今更ながらに感心しましたです。断片みたいな場面をちゃっちゃっと転換していくやり方も達者なんで、是非とも宮本亜門さんで《ヴォツェック》をやって欲しいなぁ、と思ったですわ。あ、無論、グルリッドのなんて捻り玉ではなく、ちゃんとベルクの楽譜を真っ正面から、ってこと。

以上、感想になってない感想はこの程度なんですけど、ホントに個人的な希望を記せば、「朝鮮戦争が停戦になった後のYOKOHAMA」という歴史的・地域的な背景で、横浜市やら神奈川県の文化財団が日本語版での決定版ともなる演出をひとつ作って欲しいんですよねぇ。今回の宮本演出でもそうだけど、ドイツのムジークテアター系演出家では恐らくは原作から読み取れないであろう、「元町の洒落たブティックや海外航路の船員が出入りし、太陽族と呼ばれる不良が跋扈する港町の目の前に占領軍の巨大な弾薬運搬基地が広がり、海を見下ろす丘には占領軍の邸宅が広がる軍都YOKOHAMA」がメタフォリックに表現する「戦後日本の失われたヒーローとしての父への渇望」を全面に押し出した徹底した横浜ローカルな舞台が観たいなぁ。船乗りはマッカーサーで、「永遠の12歳」の不良少年グループは横浜選出の田舎者スガ、親が横須賀港湾労働者とりまとめヤクザだったコイズミ、湘南のアメリカ人になりたい欲求を屈折して代弁するイシハラ(こいつが不良1号でんな)とコーノにしてくれ、とは言わないけどさ。三島由紀夫の最期から考えれば、間違った演出ではない筈なんだけどなぁ。

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