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田舎では聴けないもの [現代音楽]

なんとか老体を温泉県盆地まで無事に運んで参りました。仕事机の向こう、殆ど紅葉風景を眺めることもなかった紅葉の枝も葉はほぼ落ち切り、命を終えた女郎蜘蛛の巣に引っかかって風にはためき、地面を赤黒い色に染める霜月も晦日前。緯度は遙かほっかいどーよりも高いパリの夕方を思わせる標高500メートルの秋の終わり…って、秋ってどっかにあったかいな、今年は?

温泉県に来てしまうと、ともかく演奏会通いの回数が圧倒的に減るのじゃ。今回の3週間ほどの滞在で予定されているのは

12月3日:豊後竹田 グランツたけた版《マダム・バタフライ》
12月11日:別府 ビーコンプラザ 広島交響楽団
12月15若しくは16日:長崎若しくは大村 大村室内合奏団

くらい。他に、別府の竹沢さんとか、神尾さんの佐賀やら北九州労音でのリサイタルとかあるんだけど、なんせ霜月は一切商売原稿入れなかった反動で最盛期の半分以下の作業量とはいえ隠居爺なりに作文仕事が詰まっていて、そこまで追いかけられるやら。

てなわけで、半島から欧州、新帝都とインプットの刺激を受けまくった秋も終わり、静かにアウトプットを重ねる冬の初めなわけでありまするがぁ、こういう「田舎暮らし」になって最も接するのが難しい類の演奏会が「現代音楽」なんでありますな。

作曲科学生がある程度以上の数存在し、妙てけれんで手間ばかりかかる楽譜を弾いてやろうという奇特な演奏家もそれなりの数おり、さらには作曲家演奏者のお友達を含めこんなわけわからんものに金や時間を費やして付き合ってやろうなどという酔狂な客が最低でも数十人は集まってくれるような環境というのは、やはり東京大阪など猛烈な数の人が暮らす場所でないと揃わない。かくて新帝都にいるときのやくぺん先生ったら、半分くらいはそんなものを見物に行ってるような気がするなぁ。

そんなこんな、欧州からバタバタ戻り千葉での法事を終えた短い新帝都滞在の最後の晩も、遥か大川端から銀座で地下鉄乗り継いで向かったのは内藤新宿の西は武蔵野国、荻窪の杉並公会堂小ホールでありました。コロナ以降、所謂「現代音楽」の会場として定番化しつつある「東のレインボーブリッジ臨む豊洲、中央の早稲田文学部裏、西のオペラシティ地下と荻窪地下」のひとつでありまする。それにしても、どうして天下の音楽消費地にしておそらくは生産地たる新帝都トーキョーには、巴里のIRCAMスタジオやら音楽院横のシテ・ド・ラ・ムジークみたいな「現代音楽創作の拠点」みたいな場所がなく、若い連中が安くて制約が少ないヴェニュを探して歩く状況が永遠に続いてるんでしょうかねぇ。古くは草月ホール、渋谷ジャンジャン、池袋や宝町のパルコ劇場、ドイツ文化会館…転々としていくのが都会なのだ、とめればそれまでなのかな。「タケミツメモリアル」と名付けたオペラシティが、日本のIRCAMになるのかと期待したこともあったんだが…ぐぁんばれ、北千住!

もといもとい、そんなわけで、拝聴させていただいたのはこちら。
IMG_1440.jpg
https://afjmc.org/ja/japon-et-france2023/
https://teket.jp/7613/26184

ご覧になってわかるように、そろそろ「中堅」と呼ばれてしまうくらいの世代が指揮も担当し、若い世代の「フランス系」作曲家の作品を旧作新作次々と演奏、その間に師匠クラス世代の作品も挟んで紹介する、というものですな。正に田舎では不可能な、絵にかいたような「現代音楽」コンサートでありまする。

専門誌やマニア向けサイトでのコンサート・レビューみたいに、それぞれの作品について細かくあれやこれや触れていくつもりなど一切ない当無責任私設電子壁新聞としましては、あああぁこういう演奏会でもそれなりにちゃんと人がいっぱいになるんだなぁ、凄いなぁ、ヒッピー時代の名残を引っ張る草月会館やドイツ文化会館みたいな「黒いニットを来た髪の長い美女」とかとはちょっと違うけど、やっぱりトーキョーには怪しげな人がたくさんおるのぉ、とビックリするやら安心するやら…と記してオシマイにしてもいいんだけど、ま、さすがにそりゃヒドすぎるじゃろて。んで、似たような雰囲気ながら物凄く広い聴衆がてんでに勝手に楽しんでる感たっぷりだった花の都巴里の現代音楽聖地にどっぷり浸かった10日ほどの勢いで、ぼーっと感じたことを無責任にのべればぁ…

うううむ、世代も傾向もいろいろながら、みんな「己をひたすら追求する」って作品ではなく、「他人をしっかり意識して、人と人とを繋ぐツール」としての音楽をやってるなぁ。もしかしたら、これが「フランス」である所以なのかしらね。

フランスのメイジャー団体で長く重鎮を務めるある方と話をしていたら、「パリでは音楽や演奏会ってのは人が集まるための口実やきっかけ」という趣旨の発言をなさり、へえそうなんだぁ、ステージから眺めてるとそう見えるんだなぁ、と膝を打ったことがありました。無論、音楽としてひとつひとつは性格が違うし、基本は一作品一アイデア、って規模の作品ばかり(短いながら多楽章形式というか、異なるアイデアの櫛団子みたいなものもありましたけど)。そのそれぞれ、「なにをしたいか」ははっきりしている。己を探求しているうちにもう力尽きて終わってしまった、みたいなものはありません。その意味で、とてもプロっぽい作品ばかり、ということですな。

音楽はひとりで存在せず、いろんな人を巻き込むための媒体、極端に言えば一種の「社交ツール」である、という感覚。これって、田んぼの中に座って吹いてくる風やカエルの声に耳を澄ませ、ときおり遠くから響く列車や寺の梵鐘に我に返る、なんて田舎の音の風景とはまるで異なる、人で出来た都会の音たち。これは確かにひとつの「楽派」なのかしら。「美学」なんて懐かしい言葉で呼ぶ人もいそうだけど。

さても、そんなものをたくさん溜め込んだ耳を抱え、田舎に戻ったわい。しばしの間、さらば街の灯。年の瀬までお元気で、街の皆様!

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