SSブログ

求むポーランド語ボランティア [現代音楽]

ペンデレツキが40年ぶりに書いた新しいクァルテットが、11月21日金曜日の夕方にワルシャワ・フォルハーモニー室内楽ホールで世界初演されました。

朝から上海Qの連中の最終練習を見物し、3番はパート譜だけど2番はやっぱりスコアで弾くしかないんだな、おお、2番の冒頭のあわせって、なんと、口笛で音を取るのかぁ!…なぁんていろいろ納得したりして。
011のコピー.jpg

そうこうするうちにペンデレツキ御大が登場、「作曲者の前で弾く」ってやつに同席させて頂きます。で、夕方5時からの本番で通しで聴き、終わったら万雷の拍手の中に御大が舞台に登場、なにやらポーランド語で演説。絵づらとしては良いんだけど、御大の顔が露出過剰で真っ白く飛んでしまい、商売には使えない写真を出しちゃうぞ。
053のコピー.jpg

聴衆の大拍手。で、もう一度全曲がアンコールされました。

てなわけで、総計4回まるまる聴くことになり、まー、いろいろ言いたいことはあるし、その後のシャンの連中やらペンデレツキ御大やらからのコメントなどでいろいろ読者諸氏にお伝えすべきことはあるのだけど、勿論、こんな無料の壁新聞に記すはずありません。年明けの「ストリング」誌及び「音楽の友」誌の記事をお待ち下さい。

ところでこの御大の初演直後の演説、当然ながら、何言ってるか判らない。この音楽祭、いかにも旧東欧圏らしく舞台上からの演説がやたらと多く、事務局の人もバタバタしてて、このときに御大が何を仰ったか記憶していないようだ(なんせ、これだけデカイ音楽祭差配してるのに、所謂広報さんがいません!)。というわけで、ポーランドラジオでポーランド全土に向けてライブ放送された内容なので、別にここに挙げても良いでしょうから、お言葉をアップします。ほれ。レベルは低いです、ちゃんと聴きたい方はヘッドフォンが必要でしょう。

実はですね、宿のボーイ君に「これ、なんて言ってるか教えて」と頼んだら、声が小さくて俺にはわからん、ちょっと待ってくれ、ということになり、仲間を呼んできて、結果としてボーイだまりは祭り状態になってしまいました!
この作品の内容について喋っているらしい、ということは判明し、まあそうなればそうなったで、ある程度は内容の推察はつくのですけど、やっぱりちゃんと判りたいしなぁ。

つきましては、ご家族お友達にポーランド人がいらっしゃる皆様、お願いがあります。この内容を教えて下さいな。コメント欄に訳を下さり、更に小生の個人アドレスにご連絡いただければ、お礼に…うううん…この日の当日配布物を差し上げましょう!っても、実は当日は特に配布物はなく、音楽祭全体の演目と出演者が列挙された厚紙しかないんだけど。

求む、当電子壁新聞前に立ち止まったポーランド語が出来る有志!

nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(1) 

nice! 0

コメント 1

Yakupen

なんと、こんなお願いに複数の救いの手が挙がりました。ひとつはパリの方で、友人にポーランド人がいらっしゃる、なんとかなるかも、というもの。もうひとりは、ロンドンでアートマネージメントを学んでらっしゃる方、これまた友人のポーランドの方に聴いて貰ったら、直ぐに英訳してくれたそうであります。録音が良くないので聴き取れないところもあるけれど…とのことです。

皆様のご厚意に感謝し、以下に、その方の訳をまんま貼り付けます。有り難う御座いました。それにしても電子壁新聞というメディア、不思議な伝達力があるものなんですねぇ。

"this 'inaudible'(恐らくmusic) has been created, as always, not long before being performed so the last page which is in fact the first page, I sent out 3 days ago. Thus there is really no title for this yet 'something inaudible due to door slamming' but it does have a title because it is an autobiographical track for me. The title is 'the pages from an unwritten diary'. For example the quasi romanian theme which occurs in one part of the 'inaudible' track is music my father always used to play on the violin, adamentaly for years, I remember that as a child. It is so because my father was born in Rochatyn not far from Kolomyja where the transcendence of cultures took place. 'inaudible' music and romanian music met there. So it is a sentimental journey for me."

by Yakupen (2008-11-27 09:12) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1