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思想としての「一村一品運動」について [売文稼業]

昨晩、やっと第5章初稿まで終え、ある意味でY音楽祭のクライマックスが終わりました。ここからは大きなエピローグになります。

とはいえ、第6章についてやっと本気で考え始め(脱稿は金曜午後5時を目安にしているのだが…)、ひとつ大きな課題があるなぁ、と判ってきた。

大分県が発祥の地とされる、平松前(元?)知事が提唱したとなんとなく思われてる「一村一品運動」が、どのような思想的なバックボーンを持ち、活動というより、今風に言えばロハスで地域に根付いた生き方の考えの基礎、要は「哲学」でんがな、としてどのような展開があったのか、きちんと論じている方はいらっしゃるのでしょうか。

って、一村一品って、中央があり植民地ネットワークがしっかり存在する中央集権的な考え方で、ロハスとか地域文化とかとはまるっきり対立するものなのかしら。少なくとも大分の湯布院町よりもまだ山奥の日田の奥の村が「なにやら栽培してハワイに行こう」キャンペーンを始めたのが最初だとするなら、やっぱり「地方の中央からの植民地としての開き直り」という気はするなぁ。最終的に通産省官僚だった知事が展開したというのは、やっぱりそういうことなのか。

ダメだ、全然、馬鹿だぁ!頭が動いていない。なんであれ、Y音楽祭が全国に向けて「音楽における一村一品運動の成功例」として認識されていくプロセスに、どういう背景があったか、ということなんですが。

ま、誰かが教えてくれると思って言ってるというより、苦し紛れに呻いているだけですので、笑ってやって下さい。

花火って、延期はないのかしら。あっても、今日もダメそうだ。

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音楽祭史・執筆ご苦労様です

平松元知事ご本人は「一品一村運動」提唱者を自認されているのでないでしょうか? ご覧になっているかもしれませんがJICAホームページにこんな記事ありますし。
http://www.jica.go.jp/activities/schemes/tr_japan/summary/keiken01.html

ただ、文化事業の「一品一村運動」成功例として音楽祭が認知されるのは、何かのきっかけがあったのでしょうねぇ。1983年に「豊の国づくり塾」を開設とありますから、この辺とのかかわりがあったとか?
by 音楽祭史・執筆ご苦労様です (2013-07-24 13:54) 

Yakupen

事実関係として一つ言えるのは、これは音楽祭関係者さんはあまり言いたがらない、それどころか、この仕事できちんと調べるまでまるで知らなかったのですが、84年だか(もう資料しまっちゃったところなんでうろ覚え)に「音楽祭」が平松知事だかから賞状をもらってるんですよ。タイミング的には「豊の国づくり塾」とやらに関係ありそうですねぇ。

平松知事は音楽祭にも挨拶を寄せていたみたいだし、非常に具体的にあの人がどういう近親関係で、ということは判るのだけど、そういうべたべたな部分と、もうちょっと理念的な部分とをどうやって分離していくか。

だめだ、まだ馬鹿だ。ご指摘、ありがとう御座います。

by Yakupen (2013-07-24 14:07) 

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