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追悼 [演奏家]

「レクイエム」というミサが、なんのことはない死者への弔いにかこつけて「自分が死んだら俺もなんとかしてくれ」と神様にお願いするお祈りであるように、誰かを追悼する、とりわけ芸術家を追悼するとは、その人と過ごした自分にとっての大切な瞬間を思い出す行為に他ならない。人は結局、自分のこととしてしか他人を記憶することは出来ないのだから。

文字通り朝から晩まで、21の若い弦楽四重奏団のオーディションを見物して宿に戻ってきたら、ある指揮者さんの訃報が飛び交っていた。

そんなに個人的な付き合いがあった方ではない。ってか、全然、ない。記者会見すら行ったことなかったと思うし、ボローニャでインタビューする予定もあったが結局出来ずにコンマスのゲーデ氏とモーツァルト・オーケストラのホールの裏のカフェで奢って貰ったりしたっけ。

直接的にはそれだけなんだけど、この指揮者さんの音楽に触れた聴衆のひとりとすれば、それなりの記憶はあり、この瞬間にもあれやこれやの時間が蘇ってくる。そう、芸術、ってのの凄いのは、時間軸からある瞬間を切り取り、まるでどこか別の宇宙に閉じ込めたように出来ること。こんなことが出来るのは、たぶん、音楽芸術しかない。

最初のスカラ座来日の「シモン・ボッカネグラ」の第1幕、アメリアとシモンの二重唱が終わったあと、ジェノヴァの海に浮かぶ船たちの帆の上半分が見えない東京文化会館5階席にまで遥か遠くのオケピットからわき上がってきた猛烈なカンタービレは、もう30年以上の時間を経ても、まるで昨日のこと、いや、さっきのことのように覚えている。そのときに隣に座っていた娘の親父さんという人がNHKのイタオペでこの地味なオペラの虜になってしまい、年がら年中レコードだかオープンリールのエアチェックだかを家で流していて、その娘は何だか知らぬがこんな地味な音楽が身体染みついていたという。娘さんを下さい、と初めて頭を下げにいったときに散々にあしらわれたその零細企業社長のオッサンがすったもんだの挙げ句に自分の義理の親父さんになり、311大震災の少し後に癌で没した。まともに「おとうさん」なんて言うのも恥ずかしいままの関係だったオッサンに、通夜の席で誰もいない棺の前にCDラジカセを持ち出し、最期に一緒に聴きましょうよ、お父さん、ほら、これがあんたの娘があるときから盛んに繰り返してた奴ですよ、うん、今日はそこじゃなくてさ、そのちょっと先、この、フィエスコとガブリエリのところ。そう、私たちが聞いたときはさ、やっぱりギャウロフでしたよ。テノールはカレーラスだった、このCDと同じ。

Vieni a me, ti benedico
Nella pace di quest'ora,
Lieto vivi e fido adora
L'angiol tuo, la patria, il ciel!

Eco pio del tempo antico,
La tua voce è un casto incanto;
Serberà ricordo santo
De' tuoi detti il cor fedel.

そうして、マエストロのCDの再生音で、義父と最期の対話をさせてもらった。嫁は、もう、隣の控え室で寝ていた。

そのことを今、思い出させてもらうだけで、マエストロへの感謝の気持ちは充分だろう。

ひとりの芸人と同じ時間を過ごせたことに、亡き義父と共に、感謝。


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