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コロナ後コンクールのスタンダード? [音楽業界]

6年前から始まったブダペストのバルトーク・コンクール、インテグラが勝ったということでしょーがないなぁ、ちゃんと眺めるかといろいろ今更ながら調べてみると、なかなか興味深いことが判ってきました。一言で言えば、これはもしかしたら21世紀にコンクールが生き残っていく方策を本気で考えてるかなぁ、ということ。以下、箇条書きで纏めてしまいますぅ。

★Webサイトでの情報発信を基本とする
今更言うまでもないことですが、特にコロナ禍の1年半で世界が最も変わった、ってか、この社会が生き延びられた最大のポイントは、「Webによる情報伝達」と「流通」だったことは既に人類史的な定説になっているのでありましょう。このコンクールも、ぶっちゃけ、正に「ホームページ」と言うしかないこのサイトに行けば、まずは全て欲しいものは出てくるようになっている。
https://bartokworldcompetition.hu/en
英語とハンガリー語だけで、ロシア語やドイツ語、未だにコンクール世界の国際標準語であるフランス語などのページはありません。確かに20世紀の終わり頃にブダペストのお城の向こうのバルトーク博物館に行ったとき、そこのオジサンはドイツ語でロシア語ではなかった。その後、どんどん英語の世界になっていったみたいだから、これはこれでひとつの判断なんでしょう。それにしても、ブダペストのリスト音楽院主催でドイツ語やロシア語が公式言語から外される21世紀なんだなぁ。

★審査員の世代交代
これはもう、説明不要。アマデウス世代どころか、アルバン・ベルク世代すら審査員から消えている。審査委員長がコペルマンで、長老はマイスル御大のみ。うううむ、ロヴェット爺さんがコロナでお逝きになられたのが、あらためて象徴的に感じます。

★6年に一度というタイムライン
このコンクール、音楽院が主催するということもあるのでしょうが、最大の特色は「毎年一科目で6年ごとのローテーション」というタイムラインの設定。これは案外と「コンクール」とすれば大変な決断です。
話をソロコンクールではなくアンサンブルのコンクールに限ります。21世紀0年代、今となればベルチャやエベーヌ、パヴェル・ハースなどを輩出した弦楽四重奏コンクールの黄金時代だった時代でありますが、この最盛期に内部で問題になったのは、「3年ごとのスパンでは商品として育てられない」という某超大物業界マネージャーからの批判というか、文句でありました。
独奏コンクールなら3年のスパンで優勝者を商売になる「スター演奏家」に育てていくシステムは、まあ、なんとか出来ていないとは言えない、くらいの状況にはなっている。ところが、そもそもマーケットが小さく使い物になるまでに時間がかかる弦楽四重奏団の場合は、3年にひとつの優勝団体を出されても次までに育てきれないのが実情。
この問題が最もハッキリ出てしまったのが、ベネヴィッツとドーリックが優勝を争ったボルチアーニ大会でした。
ある意味で中欧正統派の21世紀型ブラッシュアップのベネヴィッツ(そんな簡単な話ではないけど)と、前世紀末からのピリオド情報系の最進化タイプのドーリックの闘いで、後者にははっきりと拒否反応を示す審査員さんもいた。でも、この大会を「世界で優勝するのに最も意味のある大会」にしていたジメナウアー事務所のボスは、ベネヴィッツでは前回優勝でこの頃に力を入れて売り出しにかかっていたパヴェル・ハースと、キャラクターというか、世間の印象が完全に被ってしまい、極めて売りにくい。ってか、うちは引き受けられない、お願いだからドーリックにしてちょーだいね審査員さん、って空気は、もう誰の目にも明らかだった。
結果として、優勝はベネヴィッツとなったわけです。その後の「売れ方」を考えると、この結果の出し方が業界的に正解だったかは、議論の分かれるところでしょう。
さてもさても、このような問題は、スパンが6年になれば、まず起きない。無論、弦楽四重奏をひとつ売れるところまで持って行くのには6年ではとても足りませんが(アルテミスでも10年はかかってますからねぇ、その意味でエベーヌは凄かった)、3年よりは余程良い。

ま、こういう酒飲み話をしていけばキリがない。関係者なら、いろいろ話題とするところが多い大会でありました。2019年のボルドーに始まり、コンクールというもののあり方を根本的に変えていく流れが、ここでもハッキリ見えてきたのは興味深いことであります。

てなわけで、ますます「俺はもう隠居」という結論になるのかなぁ。

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