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カーテンコールに「ライブカメラ」がいる舞台 [現代音楽]

都響のヨーロッパ取材を名目にフランクフルトに至り、マンハイムにいます。明日朝にベルリンに移動です。空港長距離線駅からならスイス方面に向かうICEで一駅、30分なのに、けちってローカル線にしたら、まあ今時のDBらしい定時に走ったりまるっきり滅茶苦茶だったりの斑模様の連続で、結局、空港に朝5時に着陸し、宿に入ったのが10時過ぎ。成田から大宮に行くのに4時間もかかった、って感じ。あ、別にパリのテロの警戒でこうなったんじゃあありません。いつもながら、なだけです。はい。

そもそも、ホントの目的は来週水曜日からフランクフルトであるクスQのオリーくんが主催する5日間の弦楽四重奏フェスティバル見物。その前に、時差調整でドイツをウロウロしてるか、ってんで、当初は武蔵野で上海Qを聴いた翌日にここマンハイムに入り、ヘンツェの《バッカスの巫女》(どうしてもわしらの世代はエウリピデス風に『バッカスの信女たち』と言いたくなるのだが)とシュレーカーの《遙かな響き》、その間にシュトゥットガルトに日帰りしてカンブルラン御大の《イエヌーファ》、で、ライン川沿いに北上しボンとケルンで《ベンヴェヌート・チェリーニ》連チャンして、フランクフルトに戻ってこよー、と考えてた。
そしたらどっこい、その最中に都響がベルリン、エッセン、そしてヴィーンとツアーをしている。エッセンは眺められるかな、でも裏が我がロト様のケルン劇場就任祝いのベルリオーズだしなぁ…と思ってたら、なんとなんとケルン歌劇場の再開が遅れ、延期になってしまった。これならエッセンにいけるじゃんけぇ、まあ同行記者さんはいるだろうけど、ケルンにいるのに顔出さないわけにいかんでしょうし…と関係者に連絡したら、カメラマンはりきまるくんが同行するけど記者はいないという。で、あれよあれよとベルリンからのツアーを追いかけることになり、想定外のヴィーンにまで行くことになり…

てなわけで、明日は朝からベルリンに移動という次第になった。それにしても、ホントにやくぺん先生にとっては《遙かな響き》って、全く出会えない作品になっちゃってるなぁ。シュレーカーのオペラではいちばんステーで眺めたい作品なのに、なぜか近くまで行っても日程が合わない。こういう曲って、あるんだけどさぁ。

さえも、ま、そんなわけで、都響の騒動が始まって忘れちゃう前に、今、眺めてきたヘンツェの舞台について、毎度ながらの感想にもなってない感想。自分の為のメモです。

ええ、このヘンツェの作品、ことによるとヘンツェのオペラとしては《若き恋人たちへのエレジー》に継ぐくらい知られてるんじゃないかしら。基本的に最もシンフォニックで、その気になればオケの定期でマーラーやシュトラウスやるみたいにやってもOKな作品なんで、結構、知られてるんじゃないかな。それになによりも、台本作家がオーデン&コールマンというかの《放蕩者の成り行き》コンビですから、そっち関係からの関心もあるのでしょうねぇ。

昨日のマンハイム歌劇場の舞台、最大のポイントは「舞台上のライブカメラ」の使い方でした。なんせ当日配られるキャスト表に「ライブカメラ」というのがあり、それどころかカーテンコールでもソリストの最初にカメラ抱えて出て来て、喝采を浴びてるんですわ。この劇場、田舎の市民会館みたいな真っ直ぐから舞台を眺める席しか基本的になく、客席正面からの視点がほぼ9割です。でうから、その気になれば、でっかい映画館みたいな使い方が出来るんですね。ともかく映像が決定的に重要な舞台の作りなんですわ。

説明が面倒なんで、劇場が出してる公式写真を引っ張ってきます。ほれ。
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これ、最後の第4場、バッカスに取り憑かれた狂気の挙げ句、バッカスの巫女たち、ってか、この舞台ではテーバイの人々が寄って集って若きペンテウス王を八つ裂きにしてしまった後です。
舞台が二階建てになってて、下は王家ってか、市長さんち邸のライブラリーみたいな空間。で、らんちき騒ぎや惨劇は階段を上がっていった2階で行われることになってます。最後に、バラバラにしたペンテウスの遺体をテーバイ市民や王家の女達(=バッカスの巫女)が白いスーパーの袋みたいなものに入れて持って下ってきて、自分らのやっちゃったことの種明かしがされるところかな。上の写真で、1階にいる私服の人達がみんな手に持ってる袋、このなかにペンテウスの遺体肉片が入ってて、この後、正気にもどって手を突っ込むとみんな手が真っ赤になって阿鼻叫喚…なんか機内でやってた映画《進撃の巨人》のグロシーンみたいな。

面倒な話を端折れば、ともかく、どうやってト書きを舞台に見せるか、まあ普通は抽象的な演出にせざるを得ない「狂った人々が寄って集ってひとりを八つ裂きにする」というとんでもない状況を、この舞台、ホントに見せます。無論、人形をみんなで引きちぎる、なんて露骨なことをするわけではない。2階で行われているバッカス祭りや王への集団リンチ殺人は、衣装を着けた(というか、脱いだ、というか)合唱団やメインキャストさんが実際にやってるのだけど、それはスクリーンというか、壁というか、その向こうで声は全部聴こえるけど、直接は視えません。そのかわり、「ライブカメラ」さんがいて、その人がシーンを撮影し、舞台の上半分を巨大スクリーンにして、歪んだ映像や必要な部分のアップなどが映し出されます。ディオニソスのアリアとか、歌ってても、見えるのはカメラを通して投影された映像だけだったりします。

これ、ホントにライブなのか、事前収録した映像を「ライブカメラ」というキャストを使って撮影する振りをして流しているのか、良く判りませんでした。

なーるほどねぇ、こういう処理の仕方もあるのね、って凄く納得しましたね。今時のアリーナコンサートなんかは、実際、こんな感じなんでしょうから、客席から観れば。

作品については、やっぱりどうしてもエウリピデスとオーデン組の視点の違いに関心が行き、それをどう考えるかが議論の中心になっちゃうのは仕方ないところ。基本、どうしても、この台本では狂気から覚めた後の人々の自分のやった事へのショックが舞台の最大のポイントになる。いろんな風に読めるけど、今回は特にISに参加しちゃった若者に置き換えたり、ゲッペルスに先導されてユダヤ人指導者を殺しちゃったり、とかの読み替えはありませんでした。無論、現代に置き換えてるけど、市民の意味を掘り下げたり、ってのではなかった。今時のまともな演出家なら、「ディオニソスとは誰なのか?」で延々一晩演説してくれそうなんだけど、そこもサラリというか、突っ込んでいない。個人的にはもっといろいろやれるだろーに、って思っちゃうけど、技術的にここまできちんと観せてくれたんで、文句は言いません。

こういう曲だから、指揮はエッテンガー監督であって欲しかったのは本音(2列目中央にあまり大きくなくて年寄り化した長髪の金髪を後ろで纏めてるオッサンがいらしてたけど、あれ、カンブルラン御大じゃあなかったかなぁ、全く座ると動けない客席なんで、数列後ろから声をかけたくても近寄りようがなかった。先生、€10あげるから指揮やって、って感じ)。オケはもうちょっと、特に前半、なんとかならんかなぁ、などなど言いたいことはいろいろあるけど、これを€50で眺めさせていただけるのだから、文句なんてありませんです。はい。

てなわけで、まだ何回かあるので、フランクフルト近辺の方は眺める価値はありますよ。欺されたと思っても、酷い寿司屋に行っちゃった、くらいですから。

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