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ウィグモアホール国際弦楽四重奏コンクール開幕 [弦楽四重奏]

3年に一度、イースター頃の英都に春を告げる「ウィグモアホール国際弦楽四重奏コンクール」、いよいよ明日からロイヤル・アカデミーの入って正面右側のホールで予選が開始されます。今、極東の島国の帝都から欧州大陸沖に浮かぶ島国の王都に向かうべく、シベリアを跨いでいる真っ最中。そろそろウラル山脈に辿り着きシベリアもオシマイ、欧州に入らんとするところだけど、眼下には春とは文字通り名ばかりの真っ白い大地が昼の光に輝いているばかり。街らしき姿はまるでなし。
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さても、1970年代の終わりに音楽イベントをやりたいと考えたポーツマスの市関係者がメニューイン卿のところに相談に行ったら、世界に殆ど大会がない弦楽四重奏専門のコンクールをやるべきだと大プッシュ、英国の横須賀とも言うべきポーツマスの偉い人達が何を考えたか知らないが、ともかく「ポーツマス国際弦楽四重奏コンクール」が始まり、初回はタカーチュQが優勝だっけか。第2回はハーゲンQが優勝、歴史的に重要なのは文化大革命後の最初の世代としてやってきた上海Qが2位だかになり(たしか)、今に至るキャリアのきっかけを作った大会。
その後、ポーツマスからロンドンのシティに移り、ホントにシティのど真ん中、ロンドンの壁の跡地横のゴールドスミス・ホールという商工会議所ビルみたいなところで20世紀の終わりまで開催されていた。やくぺん先生がアマデウスQの先生の紹介でコンクールを眺めに行くようになったのは、「いろいろやってみたが弦楽四重奏では喰っていけない」という言葉を遺し活動停止したイギリス発の機能派団体ヴェリンジャーQが圧勝した年から(ちなみに地元団体の優勝はこの回だけです)。その前の回にメニューイン卿大絶賛のウィーハンQが勝ってます。

その後、20世紀末にメニューイン卿が没すると、卿の顔でロンドン・シティの偉い人達を巻き込んでいた無茶なやり方は不可能となり、カザルスQが勝ってアルモニコが2位に入るという2000年だっけか、なんせメニューイン卿という重しが無いところにワルター・レヴィンとノーバート・ブレイニンという銀河の反対にいるような二人をメインの審査員に迎えた挙げ句にもう収集が着かなくなったような大会を最後に、メイン会場がウィグモアホールに移る。かくて21世紀に入ってからは、予選はロイヤル・アカデミー(デーニッシュQの乱暴者たちがまさかヴォーチェQを破って勝った年だけは、RAMが改装中かあんかで使えず、ロイヤル・アルバートホール裏のロイヤル・カレッジ)で予選を行い、セミファイナルとファイナルは週末にウィグモア・ホールで開催し、BBCが中継したり…ってことになって、前々回くらいから「ロンドン国際弦楽四重奏コンクール」じゃなく「ウィグモアホール国際弦楽四重奏コンクール」というのが正式名称になったようなのですが、まあ、要は「ロンドン大会」ですねん。

この大会、ウィグモアに移った頃から極めて意図的に昨今のトレンドたる「フェステイバル化」を積極的に展開しています。メニューイン時代には弦楽四重奏のコンクールなのに1次予選では30団体くらいを集めて、ホントに世界中の団体が英都に来ていた。口の悪い英都の評論家さん達は、「あのコンクールは1次は行かなくても良い」とまで酷いことを言っていた程。参加者と一緒にイースター休暇中のロンドン・シティ大学の寮に泊まり込んでいた若きやくぺん先生とすれば、まだ姉弟フォーメーションだったダネルQと知り合ったりしたのもその寮なわけだし、それはそれでとっても面白かったんだけど、流石に天下のウィグモアホールがやるとなるとそういうわけにもいかない。21世紀になってからは、3年に一度の恒例の英都詣、って感じで、コンクールの結果よりも、いろんな人達に会いに行く場所、という感じが強くなっている。

昨年来、隠居宣言をしてからは、もうロンドンは行かなくてもいいかぁ、と思ってたんだけど、カザルスQのジョナサンが審査員だったり、元ベルチャのテイト氏がテープ審査をしていたり、あちこちで顔を合わせると「ロンドン、来るだろ」って調子で、「俺はもう引退じゃ」と言っても冗談としかとってくれない。それはそれでいいんだけど、なんと今年はアルモニコ以来18年ぶりに日本からの団体がテープ審査をパスしてしまい、ま、流石にこれは知らんぷりを決め込むわけにもいかんなぁ、と老体に鞭打ちシベリアの雪を眺めている次第。ふううう…

日程は、こちらにPDFファイルを貼り付けて起きますので、参加団体も含め、ご覧あれ。ストリーミングがあるかどうか、明日、現地で訊ねます。BBCとの関係があるので、ネット放送には慎重な大会だったんだけど、今やまさかやらないというわけにもいかないでしょうし。
WHISQC2018_ Competition Schedule.pdf
なんせ弦楽四重奏というジャンル、この大会で勝ったりファイナリストになったりしようが、普通の意味でものになる若手団体として出て来るまでに10年くらいはかかる。この春の英都で下された判断が本当に正しかったのか歴史的な評価が出来るまでには、四半世紀はかかります。つまり、明日から一生懸命弾いてくれる若い人達が大成する頃には、もうやくぺん爺さん墓のなか、ってこと。

「隠居」とは、そういう意味なんで、とてもじゃないけど以前のようにきっちり付き合っていくことは出来ませんよ、ってことでありまする。

ま、逆に考えれば、なんとも気楽に眺めてさえいればいいわけじゃ。極端な話、大阪室内楽振興財団の若いスタッフがちゃんときっちり根詰めて聴いてくれるのを「どーだったぁ、あいつら?」ってふんぞり返ってフィッシュ&チップス奢って話を聞くだけでも構わんのさっ。なんせ、セミファイナルのベートーヴェン・ラウンドをトンズラして大陸実質日帰りするなんて荒技やるのも、信頼出来る若い耳がわしの代わりにいてくれるからじゃ。うぉおっほっほ!

さても、やくぺん爺さんの桜咲き始める英都での1週間、「うわあああ、こいつは即戦力だぁ!」なんて腰を抜かすような、アルテミスとかエベーヌ級の隠れた才能がステージに出て来てくれることを期待するとしますか。

それにしても、今年から遙か南半球はメルボルンがやり方を変更、間に環太平洋大会を挟み4年に1度の開催から、3年事になったとのこと。って、毎回ロンドンとメルボルンが数ヶ月のインターバルで重なる、ってことじゃあないの。大阪とレッジョが数週間のインターミッションで重なってるよりはまだ良いにせよ…なんだかなぁ。

[追記]

無事に冷たい小雨の英都到着。ハイドパークの北、1週間ちょっとの倫敦厄偏庵に入り、荷物を開けております。雀さんの居ない街…ふうう…
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