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はじめから3幕ありきの《ルル》 [音楽業界]

流石にネタが《ルル》では「現代音楽」カテゴリーには出来ないけど、ホントはチェルハの補筆が話題なんで、「現代音楽」カテゴリーにこそ相応しいのかもなぁ。

今、ライプツィヒ歌劇場の《ルル》チェルハ補筆3幕版が日曜夜の午後9時40分くらいに終わり
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なかなかクールなライプツィヒ中央駅で唯一午後11時過ぎまで開いている安飯屋たるバーガーキングに座り、W杯記念特製whopperメニュー€8.99に食らいついてます。

ホントはブラウンシュヴァイク歌劇場で昨日に続き《ユーロペラ1&2》をまた眺め、どこまでがチャンスオペレーションでどこからが演出家の仕事なのかをじっくり眺めるつもりだったのだが(結果として、一昨日にベルリンで《Wir aus Glas》を眺めたのがとても勉強になりました)、出発直前に本日の公演は中止という連絡があり、もう宿も明日の列車移動も全部決めてしまってるんでブラウンシュヴァイク駅前宿を動けず。幸か不幸か、ライプツィヒまで日帰りで《ルル》新演出を見物に来ることになった次第。

なんと、あのスカラ座が途中で音を上げて放り出した《光》チクルスを引き取って《火曜日》と《金曜日》の世界初演をやってくれた、という栄光の歴史に飾られたこの劇場だから、《ルル》3幕版なんてとっくに何度も出していると思ったら、驚くなかれチェルハ補筆版は当地では数日前のこの新演出のプレミエが初演だったそうな。へえええ、そういうもんなんだなぁ。

この舞台、コンヴィチュニー門下(というのかしら?)の若手演出家さんが起用されてます。ヘタすればベルク未亡人とのすったもんだの挙げ句、ようやくパリのガルニエ(しかなかったけど)でブーレーズ指揮でチェルハ補筆《ルル》3幕版が世界初演された頃には、まだ生まれていたんだかどーだかというくらいの方。もう演出家として物心ついたときには、《ルル》はちゃんと3幕1場があって当たり前、たまぁに口うるさい指揮者なんぞが抵抗して初演以来の2幕+エピローグ版も上演されるよねぇ、って世代であります。

このチェルハ版にはいろいろ批判もあり、最近では初台で《松風》振った指揮者さんが補筆してシラー劇場に仮住まいしていたリンデン・オパーが鳴り物入りで上演した舞台なんかもある。あれはもう、なんというか、「天下の大指揮者とされるオペラハウスの偉い監督さんでも、こんなにダメダメなことってあるんだなぁ」と吃驚させられた大失敗だった(と、やくぺん先生的には断言するのであーる)。
https://yakupen.blog.so-net.ne.jp/2012-04-10
無論、初台の黒歴史の舞台もあるわけで、この《ルル》という作品、現在普通に上演される所謂名作歌劇の中でも、群をぬいて舞台の当たり外れがある楽譜に思えるのだが…それがどういうことなのかは、また別の話。

そんなわけで、このライプツィヒ初演となるチェルハ版上演でありますが、もの凄く疲れているので結論をさっさと言っちゃえば、わざわざローカル線2時間乗って来るだけのことはありました。

ポイントはふたつ。ひとつは、ウルフ・シーマ御大の作る音楽です。ともかく、この楽譜でオケが声を掻き消すことなんてあるのかと驚かされる程、よく鳴ります。このままだと、チェルハ版でいちばん問題とされる「3幕1場になって急にオケの響きが薄くなるんでないかい」って欠点が顕わになっちゃうかと思ったら、それが案外とそうでもない。
そもそもこの場面、体力を失っていたベルクがもう書けなくなっちゃったんじゃないか、はたまた《マイスタージンガー》すらも越える全部で何声部あるやらよーわからん程の超巨大なアンサンブルが右往左往する場面がもう収集付かなくなったんじゃないか、とすら言われるわけで、オケと声のアンサンブルのバランスをどうするか、ベルクのピアノスコアがあったとしても、誰だって頭を抱えちゃうだろうことは容易に想像されます。それを「これはこういう楽譜なんだ」と割り切り、「演奏」という究極の現場技術で乗り切ったのだから、これはもう誠に見事な指揮者さんのお仕事と褒めるしかないでありましょーぞ。
3幕の前半を違和感なく乗り切ってくれたお陰で、《ルル組曲》でお馴染みのゴージャスな音楽を背景にルルと切り裂きジャックが二重唱する場面が、文字通りの「最後のクライマックス」になる。なるほど、やっぱりこれは2幕版じゃあダメよね、と納得するしかない。
ただ、個人的な趣味から言えば、2幕版でのクライマックスだったルルがシェーンを撃ち殺すところ、ベルクの譜面づらがとっても綺麗な箇所が、ブーレーズっぽい透明な響きがオーケストラいっぱいに広がっていくみたいにはならないのは、ちょっと残念。ま、このやり方なら仕方ないかなぁ。

もうひとつはロッテ・デ・ベアさんという演出家さんの仕事っぷり。こちらの公式ページにトレーラーがあるので、ご覧あれ。
https://www.oper-leipzig.de/de/programm/lulu/68438
考えてみたら、一昨日のベルリン、今日のライプツィヒ、そしてツアーのハイライトたる明後日のビュルツブルクと、演出を担当しているのはコンヴィチュニー以降の若い演出家さんばかり。今日の女流演出家の仕事は、《ルル》という作品のオペラ史上の最大の特徴のひとつたる「舞台上での動画映像投影を作曲家が楽譜に書きこんだ最初の作品」という部分をうんと拡大し、もう冒頭から最後まで、映像流しっぱなし。
なんせ最初の猛獣使いの口上の背景では、舞台全体がまるでIMAXシアターかと思えるほどデッカい映像を投影し、ルルと呼ばれる素性の知れない女の子がジゴルヒに少女売春させれるところを見せてしまいます。つまり、ベルクが指定した「ルルの逮捕、裁判、逃亡」の部分だけではなく、ほぼ全編を映像で説明する。それだけではなく、スクリーンがいくつも垂れ幕のように下りてきて、台詞の一部(全部ではありません)が映されるスクリーン、舞台の様子を描いているドクター・シェーンの視点、逃亡していくパリやロンドンのシーン、等々が、1930年代くらいの映像を編集して(新作もあるんだろうが、どうやってもってきたんだ、これらの映像?)流される。普通の意味でのセットはほぼ一切ありません。要は、モダンな書き割りですな。ほれ、これがカーテンコール。舞台カラッポ。
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無論、そういう舞台ですから、劇場専属歌手によるアンサンブルがきちんとしていないとどーしよーもなく、あらゆる細かい動きはきっちり演出され、歌手達がきっちり動けている。ダンサーが絡んだりするのも、今時の常識として行われている。

そんなこんなで、極めてまともに、衒いなく、トリッキーな仕掛けもなく、ヴィーデキント&ベルクの台本をちゃんとまともに見せてくれる。ただ一箇所、演出家なりの「読み替え」というか、通常のやり方と違ったのは、ゲシュヴィッツがジャックに殺されず、生き残ること。これ、どういう意味なのか、いろいろ議論が出来るでしょう。

てなわけで、作曲家の求めた大戦間時代の最新テクノロジーによる舞台処理を21世紀なりに全面的に展開したこの舞台、3幕版の上演史の中でも、高い評価を与えられるものでありましょう。

ただ…やっぱり、こうしたちゃんとした舞台であればあるほど、《ルル》という作品が大真面目な悲劇なのか(ベルリンでバレンボイムがやっちゃったみたいな)、はたまた気の触れた時代を生きる気の触れた連中の喜劇なのか、良く判らない。《ドン・ジョヴァンニ》と並ぶ処理の難しい舞台だなぁ、とあらためて思わされます。立派な、水準の高い舞台を観れば観るほど、「決定版舞台は永遠に出てこないのだろうなぁ」と思わされる作品というものは、ある。うん。

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