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同業者達は世界を股にかける [売文稼業]

21世紀も10年代に入り、いろいろ世の中も変化しているなぁ、と感じさせられること多々ある中で、とりわけ目立つようになってきたことのひとつが、「なんか最近は世界のあちこちで顔を合わせる同業者が増えてきたてないかい」って実感であります。

情報鎖国、日本語という言葉の壁でがっちりガードされた我がニッポンのコンサートやオペラの会場ですら、おやまあぁ、というようなNon-Japaneseの同業者知り合いにばったり遇うのも珍しいことではなくなった。先頃も、オペラシティで指揮者コンクールのセッションが全部終わったところでロビーで主催者側の方と翌日の記者会見についていろいろ時間やら何やら確認していると、「ああ、いたんだ」と声をかけられた。だれじゃろ、と思ったら上海在住で上海フィルの広報の手伝いなんかもやってる若い中国の同業者君(中国の同業者氏には年寄りは全くおらず、みんな「若い」なんですけど)。一緒に連れてるのは知らないアングロ・サクソン系の若いプチ肥満君で、若い同業者はみんな中国一人っ子世代体型なのかぁ、と突っ込みたくなったけど、まあ、それはそれ。「彼はアメリカン・レコード・ガイドにこれを書く予定、やくぺん先生はO友?あそこ、編集長かわったでしょ…」って、探りを入れられてしまったし。

翌日の記者会見にも彼らは来ていて(どいつとは言わないけど、下の写真に2人とも写ってます。日本の大企業まともなサラリーマンっぽい格好じゃない奴ら、といえばバレちゃうかな)
IMG_6600.JPG
とはいえ流石天下の民音さんといえ、記者の側が外国語で尋ねてくることは想定外だったのか、意外にも静かにしてました。今や国際コンクールの記者会見、英語と北京語は対応出来るようにしておかないとマズい、ってことなのかしらね。

いやぁ、みんな、簡単に東京に来るようになったなぁ、LCC様々なのかしら、とか思ってたら、先程、当電子壁新聞でも何度かご紹介したモントリオールのロバート氏から連絡がありました。曰く、「台中の《リング》サイクルの記事で必要な情報なんだが、日本のオケで《リング》サイクルを2度通した団体って、あるのかい?」

うううん、初台も二期会も基本オケは毎回違う可能性があるし、最初の初台に最後だけ入ったN響はノモリはサイクルだけどその後もその前も舞台では通したことはないし、オケの企画として全部やった新日本フィル&朝比奈も、シティフィル&飯守(全部やったんだっけ?)も、その後にピットでやったという話はない。やってるとしたら二期会なんぞで60年代から飛び飛びにやってるなかで東フィルなんかが通しているかもしれないが…。いずれにせよ、《神々の黄昏》は朝比奈NJPが日本初演で直後にベルリンのトンネル・リングがあったわけで、上演回数が極めて限られてる作品だから、そこから調べるのが手っ取り早そうだなぁ。

ってなわけで、なんのかんのやり取りしてたら、「なんだ、おまえ、水曜日に台中にいたのか。私は1階の真ん中後ろ辺りにいたぞ!」とのこと。やくぺん先生は最上階の1列目真ん中だったんで、そりゃ判らんわさ。そういえばロバート氏とは、香港フィルの演奏会形式チクルスでも《ジークフリート》の日に会場でバッタリ会って、終演後に飯を喰いに行ったっけなぁ。

世間では「国際化が進み…」と気楽に言うけど、世界中の同業者と当たり前のように主要会場で顔を合わせるようになってくると、枕詞じゃないわなぁ、と思う今日この頃でありましたとさ。

日本の聴衆では、そう、ソウルで《パルシファル》があったとき、顔見知りにお会いしたっけ。ま、なんのことはない、「ヴァーグナー狂とシュトックハウゼン信者は世界のどこにでも行く」って別のネタになっちゃいますな。ちゃんちゃん。

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