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「1997年の当日プロに掲載された文章が…」 [ゆふいんだより]

各地から梅雨末期の線状降水帯大雨被害のニュースが伝えられる文月半ば、皆様いかがお過ごしでありましょうか。やくぺん先生ったら、昨日、やっと新帝都は大川端から婆さんアヒルと一緒に背負子ひとつでお嫁ちゃまも温泉県半島先っぽ空港に到着、湿気モリモリの曇り空の中、無事に未だ博多からの列車通わず静かな日々が続く厄遍先生温泉県盆地オフィスに蟄居しておりまする。お嫁ちゃまは来週末の音楽祭の後まで滞在し一度新帝都に戻り、やくぺん先生は来月頭に関空から独立記念日前に沸くシンガポールを経由、何年ぶりだかの佃の例大祭が願わくば大盛り上がりで終わり、毎年の深川の水祭りが盛り上がっている立秋後の新帝都大川端に、1週間程滞在の予定で戻りまする。

さても、嗚呼疲れたぁ、と叫んでひっくり返ってるお嫁ちゃまのところに、20数年来の旧友であり今は某松本のホール館長だかも引退し新帝都の業界関係会社に戻っている旧カザルスホール関係者某氏から、急ぎのお願いが舞い込みました。曰く、「1997年にカザルスホールにアーレント・オルガンが入ったとき、アーレント氏が当日プログラムに書いた記事を引用したいという方がいる。明日(本日15日)夕方までに必要なんだけど、あんたんとこにないかしらね。」

うううむ、正直言えば…多分、あります。問題は、探し出せるか、でありまするな。

思えば、2021年9月末の天高く晴れ渡った日に、でっかいトラック2台が遙か新帝都湾岸月島と豊洲の貸倉庫を出て、東名名神中国道を突っ走り、関門海峡跨いで九州道に突っ込み、湯布院インターからの急坂を下って盆地の隅っこの久大本線線路際に至り、山のような段ボール箱を落としていき、それらがとにもかくにも畑の隅の倉庫の床にどかすか積み上げられる前だったら…「そんな資料、捨ててはないだろうから月島の貸倉庫に入ってるだろうけど、ひっくり返して探すにはどう考えても数日かかると思うよ、それより、今、藝大で准教授やってる広報だったAさんに尋ねた方が可能性あるんじゃないかしら」と苦笑して応え、はいそれまでよ、だったでありましょう。

なんせカザルスホール企画室アウフタクトが解散となり、ずっと一緒にやっていたテレビマン・ユニオンとアウフタクトとの分断工作を経営側が行い、主婦の友社に直接雇用されていた企画室スタッフは追い出され、トッパンや紀尾井、新たに帝都湾岸に再興された第一生命ホール、更にはサントリーホールへと散らばって行った。それからこの方、旧カザルスホール企画室アウフタクトの資料ってば、20年以上も貸倉庫の中に積まれてた紙束だったわけでありまする。

コロナ禍で収入激減、新帝都新開地のオフィスを捨て、ここ由布岳を眺める温泉県盆地の田圃の真ん中に拠点を移すときの大きな目標のひとつは、「ともかく、手元にある資料を全てアクセス可能にする」ことでありました。「毎月を生活費5万円で過ごす」ことを考え敢行された一足早めの老後移転計画、もう当地に住み着いたら街にも出ず、昔の資料をひっくり返し自費出版の単行本をやる隠居爺となり、取材費資料代なんぞは一切かからぬ日々を淡々と過ごし、あとは庭で馬鈴薯と西瓜を育てるだけ…というのが理想でありましたです。

ま、そういう生活にはなっていないという現実はさておきぃ、昨年秋からまた国境が開いてバタバタ動き回る日々、「過去資料をアクセス可にする」って方は、まだ本気で対応する事態に迫られたことがなかった。

かくてこれも何かの縁、本日久しぶりに朝から太陽の光も照り付け由布岳もくっきり爽やかに聳える梅雨もそろそろ終わりの土曜日、このオフィスが本来目的で機能するかのテストを兼ねた壮大な(アホな)ボランティア仕事、この倉庫に山積みになった段ボールの中から、求められた資料を発掘する作業に着手する爺婆なのであったとさ。

まずはそれらしき巨大段ボール箱に目安を付け、倉庫から引っ張り出し、床の上に広げられる場所に持ち込むのであーる。よっこらしょ。
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んで、ともかく、昨年の台風で水没の危機、先月末も濁流畑を流れまくったものの、湿気は吸っているが紙が張り付いたりはしていない、とはいえ段ボールはもう湿っぽくて抱えると底が抜けそうな状態でありまする。ううむ、やはり湿気が多いこの盆地、紙もの保存には適さない場所なんだよねぇ、と頭を抱えつつ、ひとつひとつ中身を引っ張り出し、まずは年代順に積み上げていく。
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ひとつひとつを眺め始めると大変なことになるので、心を鬼にして、ただ日付だけを注視すること数時間。おおお、さすがにこんなものが出てくると、手が止まってしまうのは仕方あるまいて。
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1992年、やくぺん先生ご夫婦がカザルスホールのレジデント・クァルテットだったハレーQと共に初めてこの地を訪れたときの資料がごっそり出てきたではないかぁ。うううむ、あれから31年の年月を経て、この地でこんなことしてるなんてなぁ…

もといもとい、作業を続けねば。とはいえ暑さの中の年寄りの肉体労働、ちゃんと栄養補給をせねばと、昨日スーパーで買ってきた日田焼きそばをちゃちゃっと調理して喰らう、夏の真昼なのであったぞよ。
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最初のふたつの段ボール箱を全てカラにしても、何故か1997年近辺だけは出て来ない。もういちど倉庫に潜り込み、あれやこれやとひっくり返し、やっとカザルスホールのオープンから企画室アウフタクト解散スタッフ解雇のときまでのチラシを時系列で整理したファイルを発見。まさかと思ったら、なんとなんと、当日プログラムではなく、オルガン設置を報ずるチラシだかリリースだかに、問題の文章が収められていることを発見したのは既に作業開始から6時間以上経過し夏のまだまだ長い太陽が九重の山の向こうに姿を消そうとする頃なのであったとさ。
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てなわけで、当温泉県盆地やくぺん先生終の棲家&オフィスってば、調布市深大寺のアパート、根津は藝大下三段坂麓、目白の巨大オフィス兼住居、佃路地の地べた長屋、葛飾巨大柿ノ木下オフィス、と過去30年余に転居を重ねた塒の中で、実質初めて「膨大な過去資料にアクセス出来る」という宿望は多少なりとも叶う場所であると判明した、目出度き1日なのでありましたとさ。

あああああ疲れた疲れた、風呂入るぞぉ!

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