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歴史を書くことについて [売文稼業]

もの凄く壮大な話にきこえるけど、ま、気楽な茶飲み話でありまする。

数日前、東京都交響楽団の定期演奏会で無料配布冊子「月刊都響」最新号を手にしました。
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むかぁし、やくぺん先生も数年連載をしていたことがある媒体なので、毎月バックナンバーを送付されてくるけど、やっぱり会場じゃないとなかなか隅から隅まで眺めることはないなぁ、こいういうもの。

んで、どういう風の吹き回しか、今月は所謂「演奏史もの」が2本も掲載されており、そのうちのひとつの若杉さんとわたなべあけさんを回顧する作文など延々6ページもある。連載ものの「オリンピックと音楽」という3ページの記事も、いよいよ本丸、都響設立についてが始まりました。演奏史というのはある意味で極めてマニアックなもので、余りページをとってもらえることがない。たまたま今月は若杉&あけさん回顧の定期演奏会が組まれたからなのでしょうけど、冊子54ページで本来の目的の当日プログラム曲目解説や出演者紹介が大半を占める中で6分の1もが演奏史なんて、ちょっと普通ではないバランスでんがなぁ。

さても、この「演奏史」ってジャンル、非公開のコンサートやプライヴェート主催者のイベントが関わってくると面倒もあるだろうけど、基本的に不特定多数の聴衆を相手に宣伝して開催される公開イベントだから事実関係のデータを調べるなんてちっとも難しいことなかろーに、とお思いでしょうねぇ。

ところがどっこい、それがそうもいかないんだわ。

なによりも、細かい情報量が多いので、データそのものの記録間違いが多い。それから、かなり頻繁に起きるのは、「事前告知された情報と、実際に演奏されたコンサートの細かい事実関係が異なっている」という事例が珍しくない、ってか、演奏者や曲目やらのギリギリの変更なんぞ日常茶飯事。その辺りのチェックなしに公式な記録集が出来てしまうこともある。だけどオソロシーことに、という一度公式なデータが出来てしまうと、それが事実であり実際に起きた方が間違いと多くの人が信じてしまう。これ、実際にN響公式史なんぞでも起きていることで、戦後のある時期にN響コンサートマスターを務めていた故岩淵龍太郎氏となんかの機会にそんな話になり、自分が弾いている筈の演奏会がそうなっていない、と目の前で激高なさり始め、どうしていいものやらオロオロした記憶があるっけ。

話が面倒なのは、「ちゃんと調べてくれなかったんですねぇ、困ったもんですねぇ」と相づちを打っているしかない場合はともかく、天下のベルリンフィル公式100年史だかの場合など、もしかしたらこれは史実ではないと判っているけど意図的にやってる(やってた)んじゃないか、と邪推せざるを得ないような状況もあること。
手元に現物があるわけではないので詳細は記しませんが、ナチス時代政権下の演奏会データでは、もうそのときにはベルリンを脱出している筈の演奏者の名前が記されている箇所がある、と関係者の方が洩らしていらっしゃいる。その方の推察では、その音楽家がベルリンを捨てたことを当時の人々に悟られたくないので、実際にはいないのに当日の印刷物や公式発表はその人が弾いているようにした。それを誰も直さないままにアルヒーフに収められ、公式史を作成するときにはもうその頃を知った人などいないわけですから、担当者は疑問の持ちようもなく、事実と信じて作業をしたのだろう、とのことでした。怒ってるというより、仕方ないでしょうねぇ、ああいう時代でしたから、という感じでした。

つまり事々左様、一次資料が案外と役に立たないジャンル。事実チェックをしようとすると、まず「これは本当かなぁ」と当たりを付け、同時代の新聞とか批評とかを探さねばならない。学生の論文とか、助成金が出ている研究ならともかく、普通の事務的な作業としては手間がかかりすぎるわけですわ。

なんでこんな話をしてきているかというと、この「月刊都響」9月号のふたつの記事の「演奏史」を書くスタンスの微妙な違いが興味深かったからであります。

若杉&あけさん特集は、我が業界のスター書き手氏の著名記事で、客観的なデータをバランス良く拾いながらも、記事としてのハイライトは「私が聴いてきた、私が接してきた若杉さん&あけさん」となるようにしてあります。つまり、「客観的とされるデータはこういうものでそれはそれ、私が実際に知ってるお二人はこういう方」というものです。きっちり読むほど意外に(といっては失礼だけど)誠実で、流石に大手新聞スター記者が長かった方だと思わされるテクニックに溢れた記述になってます。当時を知ってる読み手は、「おお、私の知ってるあけさんは…」とか思わず誰かにいいたくなるような記事。

もうひとつのオリンピックの方ですが、これはまあぁ、とても難しい部分に触れてるなぁ、と感じざるを得ませんでした。「都響の創設」という、日本のオーケストラ史でもあまり語られない部分を、都響の公式機関誌が扱ってるわけです。つまり、著者名があろうが「あくまでも個人の見解です」なとどとすっとぼけるわけにもいかぬ。「へえ、これが都響の公式見解なわけか」と人々に思うなと言う方が無理でしょう。

著者さんは可能な限り客観的に記すようにしていらっしゃいますが、やはりこういう記述は当時の都議会議事録とか、創設時のミッションステートメントとかを引用しないと危ないんじゃないかなぁ、と思ってしまいます。市場に流れ販売される出版物ではない、国会図書館には入らないかもしれないけど、上野東京文化会館音楽資料室には確実に収まるでしょう。そして、後に「都響とオリンピック」について調べる人は、必ずやこの記事を検索し引用したり、都響の公式なステートメントに準ずるものとして扱うことになる。

著者を批判しているのではありません、誤解なきよう。だから、もの凄く慎重に典拠を示してこないとまずい、大変な仕事になるよなぁ、と思わざるを得ないのであります。

正直言えば、やくぺん先生は学生券で三桁台の値段のチケットを買って天井桟敷で聴いていた70年代終わりのあけさん時代から、お嫁ちゃまが「都響創立20周年記念合唱団」でまらはち歌ったりなんなり。その後も合唱団に裏曲目解説書いてまわすみたいなことしてたり、なんのかんのお付き合いをしていた中で、「都響は東京オリンピックのレガシーとして創設された」なんて話を一度として聞いたことがありませんでした。実際にそうだったかどうかを疑うわけではないにせよ、少なくともこの団体がそういうものだなんて思ってる奴は、周囲にはいなかった。事務局のDさんなんかがどう思っていたか知らぬけど、あけさんからアツモン、コシュラーなんぞの時代、コンマスが小林健次さんから、信じられないかも知れないけどあの古澤巌氏だった頃に、普通に都響と接していた庶民一般人が「都響がオリンピックに関係ある」なんてまああああったく思ったこともなかった。

だからこそ、創設のミッションステートメント、もしくはそれらしきものがどんなものだったのか、是非とも現物の文書なりで知りたいと思うわけです。

「演奏史」が歴史である以上、読み物としてのストーリー性はあってはいけないとは言わぬ。でも、1964年にブルーインパルスの五輪の輪を遙か彼方から眺めた記憶があるガキとすれば、そのときの自分が感じようがなかった「オリンピックの文化活動」なんてものがあったなら、是非とも確かめてみたいのでありまする。

ちなみに、昨今の一部の「前のオリンピックのときには…」ストーリーで「オリンピック・パラリンピック」と1964年の都民が口にしていることがあるけど、あれは全く歴史捏造です。当時、パラリンピックなんてだーれも知らなかった。あれはマズいよなぁ…

当たり前過ぎることだけど、歴史を語るのは難しい。唯一の現実的な対処策は、「誰の立場から語るか」を明示すること。この「月刊都響」9月号は、その点では極めて明快だから、これはこれであり、なんですかねぇ。

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