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今なにを成すべきか [売文稼業]

今世紀になって最も無茶な商売原稿作成量となった20年代最初の年の最初の月、隠居前だったら香港からパリ、ハイデルベルク、アムステルダムといつものように弦楽四重奏業界を追いかけてまわっていた筈の厳冬期の始まりにずーっとこの極東の島国に籠もり、ひたすら作文生産作業を続けていた頃から、なにやら世間は怪しい雲行きとなり、あれよあれよという間にニッポン国を実質上やってる企業さん連合がおやりになる世界大運動会関連以外(!!!)の公的なイベントは自粛、街に出るにはマスク着用義務、って奇妙な風景が広がっております。やくぺん先生におきましても、なんせ世を忍ぶ仮の姿の人間体とすれば家に高齢者の家族がおるもので、可能な限り不要不急な危険箇所への接近を避けねばならず、チョンさんの《カルメン》、芸劇が主催する現在のニッポン文化圏では唯一のぶっ飛んだクロスオーバー演出が許されるオペラ新演出シリーズの《椿姫》と、堂々たるラインナップを熟慮のあげく訪れないことになりました。スイマセン、チョン・ファミリークラブの皆様!ゴメンナサイ、芸劇裏方スタッフの皆々様っ!

そんな中、当初は当電子壁新聞でも可能な限り情報を拾おうかと思ってもいたわけですが、ぶっちゃけ、これまた熟慮の結果、原則、触れていません。

というのは…今起きているパンデミック騒動、やくぺん先生がこの業界に関わる前から眺めれば70年代半ば過ぎくらいに始まり、業界に直接関わるようになり内部のいろんなことがある程度見えるようになった80年代終わりくらいから初期高齢者の初心者隠居爺になっちまうまでの間に何度か起きた戦争、紛争、テロ、パンデミックなど業界を震撼させる「事件」の中にあっても、ちょっとフェーズが異なるところがあると感じられるからであります。

ぶっちゃけ、情報伝達、です。

街往くほぼ全ての人がポケットやら懐やら鞄の中に情報伝達端末を確保し、その気になればその瞬間にその場所から世界中の不特定多数、それもわしらの業界が相手にする単位の百からせいぜいが数千のレベルではなく、ちょっとした発信源さんでも最低でも万単位に向けて文字データや映像、画像までが校正校閲、無論検閲なく(多分…ってか、我々末端庶民はそう思っている)、という状況が生まれている。なんせ道を歩いていて何かが起きれば逃げ出す奴は半分、あとの半分はスマホ取り出し近くに寄っていき、なんか書き込み始めたり、写真を撮影したり、はたまた現場からSNS上でライブ中継を始める奴も出てくる、って世界ですからねぇ、西暦2020年の我らが地球は。

湾岸戦争のときも、911のときも、イラク戦争のときも、SARSのときも、新型インフルエンザのときも、既に当無責任私設電子壁新聞が機能し始めてからの311&312のときも、このような状況はありませんでした。我々末端一般庶民情報消費者に提供されるのは、マスメディアを通して流されるある程度以上の校正校閲、はたまた検閲を経た「情報」、それもデータというよりもインテリジェンス化されたパッケージの情報でありました。それに、世界各地を動き回っていたり、政府関係はとのコネクションがある音楽業界関係者からの口コミたれ込みなど、校閲検閲はないけれどデータもインフォメーションも、ましてや情報としての価値判断を含めたインテリジェンスとしてもどれほど評価すべきか判らぬもんが周囲をうごめき、それらから状況を自分らなりに総合的に把握していたわけでありまする。

2020年、その状況が決定的に変わっている。ひとつは10年代後半以降、日本国の官製情報への信頼度が著しく低下している状況が当たり前になってしまったこと。ぶっちゃけ、今の御上はデータレベルで事実を隠匿破棄するとみんな思ってしまい、御上の情報に対しては旧共産圏や香港、シンガポール並みの注意が必要になってしまっていた。そこにもってきて、究極の口コミ伝搬システムのSNSというものが既存メディアよりも遙かに重要な情報伝達、獲得のシステム中枢に陣取ってしまった(だって、日経は機関投資家の株価コントロール媒体、讀賣とNHKは政府官報状態ですからねぇ)。その結果、情報へのリテラシーが不可欠な媒体を通して世界を眺めることになってしまっている。なんせ当電子壁新聞のモットー「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」がどういう意味なのか判らない、なんてオソロシー方もいらっしゃるみたいだし。まあ、一国の国家首脳が校閲校正なしで瞬時に情報発信してしまう時代ですから、おそろしや…

面倒になってきたのでもうそろそろ止めるけど、要はそういう状況下では、「プロの校正校閲してませんよ、裏取ってませんよ、裏は取れませんよ」と一万回繰り返してもまだ足らぬ当電子壁新聞みないなへっぽこ媒体ですら、裏が取れないネタを流すのはあぶない、と判断しているということ。みんながみんな「人前に出るにはマスクをせねばならぬ」って同調の空気を漂わせているのに、どうして情報面では「人前に出すには害毒拡散の危機を防ぐ努力せねばなりませんよ」って風には成らぬのかなんとも不思議だけど、ともかく今は情報の多様性やリダンダンシー確保としての側面よりも、不要不急の情報伝達は避けましょう、って方が大事かなぁ、と思う次第でありまする。

って、ながぁああい前置きをして、これだけは後のために記しておくべき現状。時事通信さんが出している報道(どこが伝えているか、を常に配慮せねばならないなんて、典型的な報道の自由下位国の風景なんだけどねぇ)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020022100627&g=soc
この「東京都は21日、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、22日から3月15日までの3週間、都が主催する500人以上の大規模な屋内イベントは、原則延期か中止にする方針を発表した。」という報道で、東京都としての発表のリリースなどはなく、TBSさんに拠れば
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3910739.html
「21日、東京都で新型コロナウイルスの対策本部会議が開かれ、都が主催する屋内イベントについて、大規模なもの、食事を提供するものは、原則として延期または中止される方針が示されました。」って。主語の「東京都」ってのは誰なのか、誰の下した判断なのかはもうちょっとは判るようにはなってるんだが、やっぱりこの都議会を経ていないから条例ではない「方針」ってのがどういう拘束力を持つのかは良く判らない。なんにせよ、結果として「都」よりも「市区町村」レベルでの自主的な中止の動きが目立ってるなぁ。ちなみに、本日東京都が指針を出すという話が関係者から伝わってきているので、やっと安心してこの記事を記している次第。

いちばんの問題は、イベント主催者側はともかく末端消費者側とすれば、「誰が主催者なのか」なんて考えてないし、知らない、ってこと。「都」が中止を決めても、じゃあ「東京都歴史文化財団」はどうなるのか、「東京都交響楽団」はどうなるのか、「都民響」はどうなるのか、共催イベントはどうなるのか、なんだか良く判らぬ。何より困るのは、都が主催やら共催していても実質上は民間に乗っかってるだけの名義イベントはいっぱいある。そういうものの中止の判断に東京都は財政的な責任が取れるのか…

ちょっと考えただけで、もう頭はクラクラしてくるぞ。

ともかく、小生らの出来ることは、後の人が今の状況を出来るだけ客観的に時系列で眺められるようなデータをきちんとしておくことしかなだろーなー、と思う如月も終わりの春の空なのでありましたとさ。面白い時代に生きていたなぁ、と思えるのか…

[追記]

「売文家業」というより、「新佃嶋界隈」ネタなんですが。本日夕刻、こんなリリースが電通から出ました。
https://www.dentsu.co.jp/news/release/2020/0225-010021.html?fbclid=IwAR3YAOwyIVf5MOv4UBOEZxOCakJ4qUrc2TgM1H-F0JWe7V0DgyvqhIOdhTI
実質上、新橋の電通ビルの封鎖宣言ですな。

いつも、佃縦長屋の勉強部屋から、シン・ゴジラ視点で眺めている新帝都のスカイラインの中、それも感覚的には大川向こうの直ぐのところが、今回のパンデミック騒動で封鎖になりました。先頃の羽田新夏の着陸ルートをテストする夕方、東京タワーの上の着陸機を眺める電通ビルの勇姿。
YAK_6870.JPG
いよいよ日常インフラ維持を本機で心配すべき状況かもしれませんねぇ。今は葛飾にいるのですが、佃からの移動は基本、しばらくは自転車。それより遠くは、原則、行かない。

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