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「新しい日常」のコンサートマナー [パンデミックな日々]

オリンピックは終わったといえ、パラリンピックに向けて晴海選手村は大改装大騒ぎの真っ最中であろうニッポンでいちばん暑い残暑が続く今日この頃、皆様、いかがお過ごしでありましょうかぁ。

ともかく暑すぎて頭が動かず、今日は朝っぱらにプラド音楽祭のカザルスが復帰し、シュナイダー翁やグリーンハウス爺さん、はたまたゼルキン・パパやゴールドベルク先生などが60余年前に集った懐かしい教会から、やたら見慣れた、でもこいつらに次にいつライヴで会って呑んだり出来るかまるで判らない懐かしい顔ぶれをパソコン画面で眺めていたわけですが…その風景の余りのいつもっぽさに、ちょっと違和感すら感じてしまったです。聴衆は、ヨーロッパ人が大嫌いなマスクをしてる姿はともかく、他はいつもと同じ。ステージの上も、ペンデレツキの六重奏で指定通りにホルンが遠くにひとり離れて吹くところがあっても、特にいつもの夏と違う感じはない。小さな画面から覗ける遙か5千マイル彼方のピレネーを臨む田舎町は、あれぇ、コロナ・パンデミックはどこにいっちゃったの、って風景でありました。

なんでそんな風に感じるのかと言えば、横浜は紅葉坂を登り切った場所から港を臨む(って、今は文字通りの高層ビルの壁が出来てしまい、レンガ街もノースピアもまるで見えない)神奈川県立音楽堂に昨晩流れていた空気が、随分と独特というか、特殊というか、いかにも「今は非常時」というものだったからなのですね。

思えば6月半ばに「再開実験」という形でコンサート専用ホールでのライヴの演奏会が手探りで始まり、幸いにも大きなクラスターやらの発生源にはならずに無事に二ヶ月近くが流れた。御上は完全に「政府崩壊」で、あちこちで感染が広がり、GOTOキャンペーンが隠されていたものを顕在化してしまった東京首都圏と地方各地の意識の違いが「コロナ差別」みたいなものを生んでいるニッポン鎖国列島にあって、それぞれの会場や主催者さんが、それぞれの事情に沿って独自のガイドラインで演奏会を開いているのが現状でありまする。

昨晩の神奈川県立音楽堂も、御上仰るところの「新しい日常」の風景の中での開催でした。そもそも、会場となった場所は、226アベ要請の日に記念年事業のバロックオペラの最終仕込みが始まる瞬間にストップがかかり、悲劇的とも言える状況で中止に追い込まれた。日本でのコロナ禍の始まりともいえる埠頭は、みなとみらい地区の高層ビル群がない昔ならばクルーズ船が停泊している姿が眺められたかも、というような場所です。今回、神奈川芸術協会という地元の民間主催者に県立音楽堂が共催する形での開催となったYamato弦楽四重奏団のベートーヴェン中期以降サイクル、川崎市が全面的にバックアップして市の文化財団が主催するフェスティバルとはまた違った、民間のプレゼンターによる演奏会であることが、会場の空気にも大きく影響していたようです。

なにより驚いたのは、これです。
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コンサートというものに行くようになって半世紀、正直、こんなものが舞台上に出ているのを目にしたのは初めてでした。吃驚したというよりも、あああこれはただ事ではない状況なんだなぁ、とあらためて背筋が寒くなった。演奏前にはかたづけられ、換気のためか各曲毎に設けられた休憩のたびに持ち出されていたこの告知、なかなかインパクトがありましたです。

そもそも春から始まり、毎月1回4ヶ月かけて演奏されるはずの企画が、客席収容人数が半減されたため昼夜の2公演、それも日本列島がいちばん暑い灼熱の季節となる残暑に毎週1回ずつ、とされた。気楽に「された」なんて書いているけど、一頃は落ち着いたかと思ったコロナが7月になって盛り返し、神奈川県知事は8月いっぱいは公共ホールを使用禁止にする、などと言いだし、おいおいおい、と主催者側が驚き呆れて…すったもんだの挙げ句に、なんとか公演まで辿り付いた。

そういう厳しい状況ですから、再開以降のコンサートの中でも個人的にはいちばん厳格な感染防止策を採っている。中でも、ホールの中では絶対に喋らないでくれ、というのは大きなポイントのようで、当日プログラムには、「5日の第1回目の演奏会ではホール内での会話中止が徹底されていないようでした、今日は絶対に静かにして下さい」という主催者さんからの刷り物が挟み込まれていたり。ほれ。
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ニッポン国のベートーヴェン弦楽四重奏受容の伝統からすれば、そんな極めてストイックな環境でみんなスコアを眺めるように集中して聴く、というのはありなんでしょう。けど、ぶっちゃけ、YamatoQの聴衆は普段の弦楽四重奏演奏会とは随分違って、女性客が半分くらいでいつものオッサンたちは多数派ではないんじゃないか、という感じ。真っ暗な中で暗譜で演奏していたプロムジカQ、みたいな「聖なる儀式としてのベートーヴェンの弦楽四重奏曲」という空気とは、本来ならば醸し出される空気はまるで違っている筈なんだろけど…

まあ、それだけに、この強引に静けさを強制されるような空間で、世界一雄弁な音楽家がしゃべくりまくるような音楽を静かに聴き、感想を口にすることも禁止されるというのは、なんとも不思議な状況でありました。

中身については、言葉の最良の意味での「ローカルなチクルス」で、これはこれであり、と思った次第。一応、短い商売原稿があるので、それ以上はご勘弁を。なお、最終回の9月6日も夜の部が設定されたとのこと。作品131と135をやったあとに、山響チェロさんを迎えてシューベルトの大五重奏が最後に演奏されるという、これまたとんでもない演奏会でありまする。夜の部はまだチケットがあるようですので、ご関心の向きはどうぞ。

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