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コロナの時間が生んだ名盤 [現代音楽]

イースター前くらいからのコロナ・パンデミックで世界一斉お籠もりになった2020年春から秋まで、音楽業界関連で最も影響がなかった、というか、この特殊な時間を上手い具合に意味のあるものに出来たのは、所謂「現代音楽」の世界だったように感じられます。どうしてなのか、考察を本気で始めればそれはそれで面白いことになるのでしょうが、ま、興味のある奴が殆どいない話ですから、商売作文にはならんなぁ。いやはや…

コロナの時代、お籠もりであらためてあれやこれやと自分を見つめたり、普段はない時間を使って深掘りしたりしたひとりの音楽家と作曲家連中が、そんな時間を素敵なディスクにしてくれました。こちら。
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https://www.hmv.co.jp/en/artist_Percussion-Classical_000000000061855/item_%E3%80%8E%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%8B%E8%81%9E%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%86%E3%81%9F-%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%81%A7%E5%A5%8F%E3%81%A7%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8F%99%E6%83%85%E3%80%8F-%E6%9C%83%E7%94%B0%E7%91%9E%E6%A8%B9%EF%BC%882CD%EF%BC%89_11318654

打楽器奏者の會田瑞樹氏が、コロナお籠もり中の友人知人の作曲家に頼んで、あれやこれや「日本のメロディ」をヴィブラフォン独奏用の小品にして貰い、緊急事態があけた夏にかなっくホールで一気に録音した2枚組ディスクです。この辺りに記事があるかな。
http://www.fukushima-yorihide.com/08_blog/10310
いろいろな意味でとっても趣味的にセンス良く作られたこのディスク、どういうものなのか、ご本人が語っているので、こちらをお読みあれ。
https://spice.eplus.jp/articles/277387

去る月曜日、小さな家族の出棺を終えたあと、近江楽堂で會田氏がこのディスクの中身を一気に披露する演奏会を聴かせていただきました。ヴィブラフォンとたくさんのマレットが置かれた狭い空間には、聴衆ばかりかたくさんの作曲家が座り、まるで新作共同発表会みたい。もちろんこのメンツです、みんなが良く知る旋律をヴィブラフォンで叩いてみました、という気楽なもので終わるはずもなく、お題の旋律は辛うじて判るか判らないかの凝ったものから、比較的ストレートにこの楽器の響きを鳴らすものまで、ホントに様々。個人的にはやはり楽器の性格、なによりも様々な倍音が空間を包んでいくような響きの美しさを完璧に把握した演奏者ご本人の編曲作品には、なるほどなぁ、と思わされましたです。

あとはもう、なんのかんの言わずにディスクを聴いてくれ、といえばオシマイ。余計なお節介を記しておけば、やっぱりどんなに頑張ってもデジタル再生ではこの楽器の層になった倍音の響きの再生は無理です。ってか、この楽器、ライヴと再生音、スピーカー音はそもそも別物と考えるべきなんでしょうねぇ。その意味では、ディスクとして聞こえてくる歌達は、ライヴよりもっと整理された輪郭のハッキリした美しさを醸し出してくれています。良し悪しの問題ではなく、事実としてそうなんだ、ということ。

2020年というおかしな年が生んだ、唯一無二の歴史的名盤誕生。アーティストたちは、こんな滅茶苦茶なときに、こういうものを作りました。

だからよかったね、とは言わないけどさ。

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新開地の干し柿屋敷 [葛飾慕情]

霜月の光が溢れる葛飾オフィス南側の町工場に面した窓は、今、こんなことになってます。
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うううむ、こういうもんが12個ぶら下がってると、なんかの音列に並べたくなってしまうなぁ。

秋恒例の葛飾巨大柿の木の収穫祭、今年はコロナ騒動で知人友人の子供たちを集めることが出来ず、さらには今年唯一の実質2週間の取材ツアーがこの週末から勤労感謝の日まで続くことになってしまい、「柿の実を取らせてください」と連絡してくるタクシー運転手さん夫妻が3日にしてくれとのことで、昨日行ってしまいました。

っても、こちらも午後から遙々与野本町に今をときめく時代ピアノのニュースター川口くんが、19世紀半ばの楽器でアルカン弾く、なんて「お勉強」な演奏会をしてくれるので流石にこれは出かけねばならず、助っ人さんが来る前に爺初心者のオッサンひとりで小雨落ちる中に粛粛と作業を行ったのでありました。なんせ、公道に面し大きく突き出した枝はこんなん。
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今年は天候不順でちょっと遅いんで、まだ葉っぱも多く、良く判らないかも知れませんが、見上げながら数えれば50個くらいはある重さ300グラムから500グラムに迫る巨大な固形物が地上に落下してくる可能性があるわけで、木枯らしビュウビュウの頃までほおっておいたらそれこそ何が起きるかわかりゃせぬ。んで、ともかく淡々と高枝切りばさみなんぞで処理を続け、昼頃までにこのくらいの収穫量。
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これに、落下させて潰してしまったものが6、7個。それらは拾い集め、いい加減にチョップし、砂糖とレモン汁ぶち込んで火にかける。
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どうするんじゃ、この食い物らしきもん。

いつも葉っぱや落ちた柿の実のお掃除をしてくださってしまうお隣さんに、綺麗なやつをいくつか持って行き、穫り入れ作業中に通りががった方々にどうぞどうぞと配り、なんのかんので真っ当な「渋柿」として形があるものは40個弱ほどになったわけでありまする。

んで、ともかく慌てて与野本町に行き、ううううむ、時代ピアノでショパンとかやると、いっぱい残ってしまう倍音をどう処理するか、そういう雑音みたいな響きをどうやって「作品」や「表現」にしていくか、弾く側も評価する側も難しいことが随分とあるものだなぁ……などと思いながら埼京線から武蔵野線、常磐線乗り変えて亀有駅まで戻ってきて、肉のハナマサで35度以上の焼酎を購入し渋み抜き処理をするべぇと思ったら、何故か売ってる焼酎は25度以下の軟弱なものばかり。ヴォッカでも良いのか、よくわからぬわい。しょーがないから手ぶらでノコノコ柿ノ木下まで戻ってきて、ううううむ、これはもう仕方ない、幸か不幸かほぼ失業者、扶養家族一歩手前の商売原稿レス状態。武士の傘張りみたいに干し柿作りに精を出すべぇかい。ううううむ…

かくて、来る日曜日のベートーヴェン作曲ヴァイオリン・ソナタいちにち全曲演奏会の予習を兼ね、深夜過ぎまで延々と干し柿作り作業に勤しむ哀れ極貧やくぺん先生なのであった。 一夜明け、なんのかんの、総計24個の柿の実が、干し柿になるべく川向こうのかつての町工場街を眺める日向の窓際にぶら下がることになった次第。Webサイトを眺めると、干し柿用の渋柿は4キロで2000円弱くらいでネット上で取引されているようじゃのぉ。ううむ、この老木全体で今年の売上は2万円くらいにはなるのかっ…っても、ヴィーンフィルのチケットは1枚も買えないけどさ。

てなわけで、諸処の事情でことによると最後になる可能性もある葛飾巨大柿の木の収穫、一応は終了。とはいうものの、シジュウカラ・レストラン近辺の公道に落ちない辺りや、どうやっても取れない高いところの実はちいさな飛ぶ方がのために残してあり、総計40個程はありそう。
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なんせ、朝から脚立や高枝切りばさみを持ち出すと、「わしの場所に何をするんだぎゃぁ」とヒヨちゃんが叫び、既に実ったまま熟れ切った奴らを盛んに喰らいに来ているムク軍団も、なにごとぞと眺めに来てら。
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親から実質勘当されて以来、最も長くここ新開地は葛飾に滞在していた2020年春から秋、面倒看る奴はいるからとシジュウカラ・レストランを撤収せずに出しっぱなしにして、気が向くと佃のセレブなブンチョウの食い残しを雀やほーほーさんに提供しておったからか、ムクどもも堅い頃から柿の実の存在は確認していたらしい。いよいよメジロン夫妻も巻き込んだ、柿の木上空制空権争奪戦が始まるわい。

生きてるやつらは、勝手に生きろ。
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.

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ヴァイオリン・ソナタ《運命》 [演奏家]

昨日は午前中に家族の急逝という思いもかけない事態があり、出かけても聴いているだけの精神的なパワーがあるか疑わしい中を、ともかくこういうものをちゃんと聴くのが俺が神様にまだ生かして貰っている理由なのであろうとぐぁんばって、上野の杜は藝大奏楽堂に出かけて参ったでありまする。流石にお嫁ちゃまは無理でした。そりゃ、仕方ないわね。

ホントは当電子壁新聞でも事前に宣伝したかったのだけど、学内&関係者限定非公開イベントになってしまったため、そういうわけにもいかなかった演奏会。こういうもんです。
https://www.geidai.ac.jp/container/sogakudo/93604.html

第2回となっておりますが、いずこも同じ第1回はコロナ禍でキャンセルになってしまい、実質上第1回。4回シリーズが3回になってしまい、随分と長いコンサートになってしまったそうな。なお、藝大奏楽堂は既に有料入場者を入れたコンサートも再開しており、週末だかのオルガン演奏会は目出度くも売り切れだそうであります。

上の公式URLを眺めていただければお判りのように、要は「ベートーヴェン生誕250年記念落ち穂拾い集」のひとつ。ホントならこのようなアカデミックというか、趣味に走ったというか、よほど興味がある人じゃないとわざわざ会場まで来ないだろう、って演奏会は、たくさん予定されていたんでしょうねぇ。なんせ「ベートーヴェンではない人が編曲した管弦楽曲の家庭用室内楽版」を並べたわけですから。

演奏家は、ご覧のように永峰先生以下、藝大だけでなく国立音大の先生なども加わったアンサンブル。永峰先生が集めたメンツだそうで、一昨日にハクジュでトリオ弾いてた人とか、先週荻窪で弦楽四重奏弾いてた人とか、2020年の東京首都圏の現役バリバリばかり。

大きな奏楽堂にパラパラと聴衆がばらけ、舞台上には空気清浄機らしきもの(なのか?)が取り囲む中に音楽家達が座ります。
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来週には天下のヴィーンフィルがチャーター便でやってきて天下のサントリーホールで満員の客席を前に演奏するというのに、藝大はとっても慎重だなぁ。

まずは《エグモント序曲》から。っても、ヴァイオリンとチェロ、それにピアノ連弾、って妙な編成。だってさ、このような同時代の編曲って殆どが連弾で、どんな複雑な管弦楽曲でもともかくこの形に落とし込んでどんなもんか知る、というものばかり。そこに弦楽器ふたつ入るわけですから、なんだろうなぁ、響きが豊かになるというのでもないし、ま、とても聴きやすくなることが確か。ただ、正直、モダンなピアノで大ホールでこの楽譜を鳴らすと、どうやってもチェロのバランスはおかしくなります。それはコンサートをプロデュースした沼口隆准教授も百も承知で、これはこれと思って聴いてくれ、と舞台の上から仰っておりました。

大事な家族に不幸があったというのにわざわざやくぺん先生が上野までやってきた目的は、続くJ.アンドレなる作曲家がヴァイオリンとピアノの二重奏のために編曲した《交響曲第5番》ハ短調op.67 にありました。なんのことない、ヴァイオリン・ソナタ《運命》ですわ。こういう楽譜が出版されて、欧州各地の家庭で弾かれていたんですねぇ。演奏を担当した都響で矢部ちゃん隣に座る吉岡麻貴子さん曰く、「技術的には難しくないかもしれないですけど、譜捲りがしにくく、なによりもパワーが…」とのこと。

なんせ丁度一週間後の日曜日は、遙か北九州は黒崎で午後から夜までベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全10曲を1日で聴こうというやくぺん先生とすれば、こういう楽譜が音になる以上、聴いておかないわけにはいかんでしょうに。ま、感想は…へえええええええ、ですかね。「なかなか興味深い」としか言いようがないもんでした。ピアノ編曲にオブリガートのヴァイオリンが付いた、というもんではないにせよ、ううううむ、なんだか摩訶不思議なものを聴いた、という感じでありました。吉岡様、お疲れ様でしたです。

後半の九重奏版交響曲第2番は、この編成なのにホルンが2本入るとか、フルートとヴァイオリンのパートが入れ替わった箇所があるとか、いかにもプチ交響曲って響きの箇所と、おっとぉそりゃ無理でしょ、って部分とがまだらになった音楽。一応、リースというこの中では最も知られた名前の音楽家が編曲を担当しているわけですけど…ま、なにより若きヴィオラ名手ふたりがやたらと過剰な仕事をさせられるのが印象的でありました、って情けない感想かしら。とはいえ、流石にオケマンばかりを集めた室内楽とあってか、案外とそれっぽい盛り上がりで終わりましたとさ。

さあ、この演奏会、無性に聴きたくなってくるでしょ。そんな貴方の心を見透かしたかのように、東京藝大さんは来る12月2日からこの演奏会をWebで配信してくださるそうな。詳細は未定だそうですので、ご関心の向きは、足繁く藝大ホームページを見にいってくださいな。

死んでから200年近くも経つと、ポケットの中にこれらの作品の映像と音がみんな詰まっていて、世界のどこからでも聴けるなんて、楽聖は想像だにしなかったでしょうねぇ。尤も、この頃まで自分の曲が演奏されているかどうかなんて、まるで関心はなかったろうけどさ。

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ちいさな訃報 [新佃嶋界隈]

本日2020年11月1日午前10時、佃在住、箕口ぶん、急逝いたしました。

朝、いつものように「♪ピヨピィーヨ・ピヨピヨピィヨ」と鳴いて塒の扉を開けろ開けろと騒ぎ、寝てる住民を叩き起こし、いつものように週末朝飯定番のスパゲッティを食い散らかし蜂蜜を舐め、足下で生後半年の若造と喧嘩し、足の裏をつっついたりしてた。ちょっと席を外し、あれ、追いかけてこないなぁ、慌てて扉を閉めなくて良いのでラッキー、と思って戻ってきたら、若造がごろんと寝転がった爺さんの姿を横でぼーっと眺めておりました。

愛してたんだか良く判らない嫁さんを失って半年、特に病気でもなく、若い頃の大冒険で片足のツメをひとつ失っているので脚力は弱っていたものの、どうすればカバー出来るかちゃんと知って自分の世界を朝から深夜まで問題なく飛び回ってた。何を思ったか、急に嫁を追いかけあっちの世界に行くことにしたようです。いきなり、パタンと、大川端から新帝都を見晴らす小さな世界から去って行きました。
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享年8歳8日。驚くほどの長寿というわけではないものの、この小さな命に神様が与えられた時間は充分に使い切った大往生でありました。

2012年11月、うちのお嫁ちゃまが前の職場でひとつ大きな仕事を終え、一気に反動が来たかのように体調を悪くし長期休暇を取っていた頃、小さな命の責任をとってみるのはどうだ、という医者からのアドヴァイスを真にうけ、ある日突然、豊洲のホームセンターから生後2週間ほどで毛も生えていない小さなブンチョウを連れてきました。「来るか?」と尋ねたら、目が合ってウンと応えた売れ残りだった。今の自分に新しい命の世話など出来るか心配だったそうですけど、ともかく、お嫁ちゃまが付き合ってきた歴代ブンチョウの定番命名方式により「ぶん」と名付けられた男の子は、お嫁ちゃまから直接食い物を与えられ育ち、狭い縦長屋の中を起きてからお嫁ちゃまの腕の中で寝るまでずっと勝手に飛びまわる生活になり、すっかり「ヒト」として育っていきました。

ちいさな命を育て、物理的な大きさが違う生命体に配慮しながら一緒に暮らすことで、うちのお嫁ちゃまも病からから恢復したばかりか、80年代半ば過ぎからやってきた職種を離れ、若い人を育てることに専念する(=現場を去る)決断も出来ました。まだ自分にもやれることがある、という自信を与えてくれた、人生の小さな恩人であります。

いつまでもひとりでは可哀想ということで、3年のヒトだけとの付き合いを経てお嫁さんを迎えたものの、結局、形は同じで自分より弱い別の種族に敬意をもって接する、という夫婦関係だったようです。奥さんの方はダンディで礼節を弁えたぶんに首ったけだったんですけどねぇ。

コロナ禍に嫁さんに先立たれ、直ぐにひよっこ坊主がやってきて、なんじゃこの騒々しい奴は、と思いながらも歌だけは仕込み、あとは、やくぺん先生が縦長屋に戻ってくるとさっさと掌や懐に入って来てはうとうと寝てしまう、気楽な隠居爺生活をしておりました。お互い、どっちが先かな、とは言わないけどさ。

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ライフスパンの違う命と一緒に生きていくとは、日常の中に常に死を意識すること。ありがとう、ぶん、わしらはもうちょっとこっちの様子を眺めていくよ。

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