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世代交代の季節? [弦楽四重奏]

大晦日東京名物、ベートーヴェン記念年であろうがなかろうが、今年で15回目となる「ベートーヴェン後期中心主要弦楽四重奏演奏会」が無事に開催され、年が暮れていきます。
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この企画を夢物語から構想し、実現し、続けてきたミリオンコンサート協会の小尾プロデューサーがコロナの最中に没し
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-07-29
とはいえ、記念年の締めくくりということもあり中止しようなんて話はまるでなく、それどころか天国の小尾さんのためにもなんとか今年は全曲をやっちゃえないだろうか、なーんて無茶なことまで考え始め頃もあったりしたわけですがぁ…その後もコロナは衰える気配はなく、なにはともあれ例年通りにきちんと今年も開催し、逝ける「最後のマネージャー」に捧げようではないか、ということになった。

無論、本日のプログラムにも、会場にも、「追悼」なんて言葉はひとことも書かれていません。でも、弾いている人達も、裏で走り回っている連中も、みんなそう思って弾いていたことでしょう。

ステージの上を眺めれば、今や古典Qは日本の長老団体。エクやアルコだって、団体としてのあり方はまるで違うものの、今や油ののりきったアラフィフの立派な中堅団体。自分らのやりたいことはハッキリしてきており、でもまだ崩れてはいない。とはいえ、「正しく弾かなきゃ」なんて、もう思っちゃいない。何が「正しい」か、自分らが決められる連中。

そんな充実した世代の音楽が奏でられている会場のロビーに、こんなチラシがさりげなく置かれておりました。
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今や新帝都首都圏の弦楽四重奏のメッカとなっている鶴見はサルビアホール、来シーズンのラインナップです。

来年の来日情報は出ているけど、所謂著名どころ海外団体が本当にこの極東の島国までやって来られるのか、判ったもんじゃない。公共ホールとの共同主催とはいえ、実質的には赤字は主催者の音楽協会が被らねばならぬこのサルビアホールのシリーズ、いつまた半分のキャパに制限されるかわかったもんじゃない現状、安全やらコストやらを考えると、こういう猛烈に大胆なラインナップを展開するなら、今しかないのかも。

やくぺん先生なんぞ爺初心者からすれば、こういうことが出来るタイミングになってきたのだなぁ、といろいろ思うところ多いのでありまする。古典やエクのような「弦楽四重奏を生活の中心に据える」という無茶な決断をし、ここまで来てしまった連中もいる。アルコのように、それぞれがオーケストラでの生活の基盤を作った上で、本当にやりたいことをする時間として弦楽四重奏の楽譜に対峙する団体もある。どちらが良いということもない、ともかく、それぞれのやり方でこのジャンルを続けてきた。

それらの姿を見てか見ないでか、20代から30代の世代で本気で弦楽四重奏をやりたいと模索する連中が、それなりの数揃ってきて、アルディッティやらタカーチュやら、パヴェル・ハースやらプラジャークやら、パシフィカやらミロやらを当たり前のように聴いてきている猛烈に厳しい耳の100人の前に出しても良い、とプロデューサーが考えられるようになっている。えええい、もう、出してしまえ、とやけくそなのかもしれないけど、ともかく、出してしまった。

理由がどうあれ、明らかに次の世代がしっかり出てきている。

そう思いながら、とんでもない2020年が暮れていく。東京駅は深夜のように人がおらず、まあるい月が明るい大晦日。

いいもわるいも、新しい年が来る。さらば、ベートーヴェン記念年。

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浦安ベートーヴェン当日プログラム正誤表 [お詫びと訂正]

ベートーヴェン記念年が終わってしまう前に、完全な事務連絡。

現在、新浦安の浦安音楽ホールで進行中、全5回のうち2回までが終わっているベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏チクルスの当日プログラム
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お恥ずかしいことに、かなりの誤植があります。ある関係者の方が正誤表をつくって送付してくださいましたので、以下に貼り付けます。数字ばかりやなぁ。最後までめっからないのは数字、ということなんでしょうかね。

読者の皆様、関係者の皆様、スイマセンでした。

※※※

P4
第4段3行目
1913年→1813年
P5
第2段1行目
25年→1825年
第2段9行目
1925年→1825年

第2回
日程 12月16日

第10番
1行目
1910年→1810年

第4回
第5番
1行目
1899年→1799年

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文化大革命世代の巨匠逝く [演奏家]

いくらCOVID-19で明け暮れた2020年とはいえ、まさか当電子壁新聞が三連発で訃報をアップするとは…

先程、上海の同業業者さんから教えていただきました。
http://www.chinadaily.com.cn/a/202012/29/WS5fea8716a31024ad0ba9f290.html

今の日本の音楽愛好家がどれくらい覚えてらっしゃるか判りませんが、20世紀末くらいには日本の音楽事務所にも所属していて、今世紀になってからはアルゲリッチがらみで別府にも来ていたような。

上海の同業者さんは、「ラン・ランの前に国際的なキャリアを作った中国人ピアニスト」という言い方をしていたけど、まあ、天安門以降の世代には一種の「戦前」の音楽家なのかもしれませんね。周囲にメニューインとか所謂「レコーディング巨匠時代」の著名人の名前がたくさん出てくるのも、この世代らしい。

個人的にはジャンルもジャンルだし、とりたてて接点があったわけではありません。ただ、何故か、ほんとにどうしてだか判らないんだけど、京響の東京定期で上の文化会館でショパンのコンチェルトを聴いた記憶が猛烈に残っている。そのあとに、ゴールドマルクの交響曲《田舎の結婚》が演奏されたというのもこれまた何故か猛烈に覚えている。

今、慌てて文化会館のアルヒーフを調べたら、なんとまぁ、1982年のことだったのかぁ。うううむ、不思議だ、なんで覚えているのか。
https://i.t-bunka.jp/pamphlets/12457
とにかく、猛烈に堅い響きの、これぞモダンピアノ、という音がバリバリしていた、という記憶が…

どういう風に追悼したらいいかすら判らない、こういう人に一度出会った、その後はメニューイン絡みでいろいろ名前が出てきたけど、結局、接点はなかった…

そんなホンの一瞬の出会いでも、不思議な大事な記憶になってしまうのが、音楽の凄いところ、というか、オソロシーところ、というか。

実は、今、ある別の老ピアニストの原稿をやっている真っ最中。芸風としては対極みたいな方なんだけど、今から、ソースを探して久しぶりに聴かせていただきます。

知り合いの某弦楽四重奏団が4人中3人がコロナに罹った、という話を聞いた直後。ひたひたと何か嫌なものが迫ってくるような年の瀬の午後。

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パンチャス氏逝く [演奏家]

年の瀬に連日のろくでもないニュースで、ちょっと嫌になってしまうのだけど、ギトリス翁とは対照的に日本のみならず世界でも殆ど報道がないようなので、当無責任電子壁新聞くらいには大きな訃報として記しておきます。

アジアユースオーケストラ(AYO)の創設者で、香港在住(多分)のアメリカ合衆国(多分)の指揮者リチャード・パンチャス氏が、お亡くなりになったそうです。

といっても、クリスマス休暇の真っ只中とはいえFacebookは9月に「カリフォルニアからやっと香港に戻れます」という書き込みがあったっきりで更新されておらず、日本語のAYO公式サイトにもなんの情報もなく、ソースが「書いてあることはかなりやばい、信じるなぁ」で有名な世界一早耳の業界ゴシップサイトSlipped Discなんで、ちょっと危ない気持ちもするんですけどぉ…一応どこから引っ張ってきたかわからぬオーケストラ総監督の引用まんまが張り付けてあるし、元メンバーの方がフェイスブックで情報を挙げていたりしますから、まさか訃報の捏造はないでしょう。
https://slippedisc.com/2020/12/orchestra-founder-dies/

リンク先が消えちゃったら困るから、総監督さんのステートメント、張り付けさせていただきます。

Dear AYOers and friends,
It is with deepest sadness and a broken heart that I inform you our beloved Mr. P has left us this morning due to the complication caused by pneumonia.
Over the past 25 years I worked with Mr. P side-by-side in AYO to create special opportunities to the young people. Going through rough time and good time. Experiencing many adventures. Before his departure, Mr. P wished all of the AYOers to carry on his mission to nurture the young people. He wanted to tell you all how much he loved you and missed you. He wanted so much to be there in 2022 to conduct the AYO’s 30th anniversary concert with all of you.
Mr. P is my best friend, my mentor and my boss. Life ahead without him will never be the same.

発足時期がPMFと微妙に被っているので、初期においては両者の混乱もかなりあったこの団体、毎度ながらのメニューイン御大の名前は出ているものの、実質上はポンチョス氏がほとんど一人で、組織のバックとかもなく、返還前の香港を拠点にスタートしたアジア圏の若手を集めるユースオーケストラです。PMFや、はたまたフロリダのニューワールド・シンフォニーや兵庫のPACオーケストラみたいな、「プロフェッショナル一歩手前のオーケストラ専門家育成団体」に特化していたわけでもなく、もうちょっと「アジア圏のよく弾けるアマチュア若手のサマーキャンプ」みたいな緩い感じでした。卒業生には勿論プロのオーケストラ奏者になっている方もたくさんいるのでしょうが、例えばドイツで活躍するオペラ演出家の菅尾友さんなども、AYOでヴァイオリンを弾いていらっしゃって、さっそくフェイスブックに訃報を挙げてらっしゃいます。

90年代半ばくらいには、わしらのような連中まで香港に呼び寄せてキャンプの最初から見物させ、日本ツアーにも同行させ、なんて派手な動きをなさっていた。香港併合後はどうなることやらと周囲には思われつつも、併合のときはいろいろ記念のお仕事もやってたようだが、その後は大陸とは関わってはいたものの、そっちへの積極的な展開というよりも、インドシナ半島から極東部までの各地での展開をしっかりと続けていた(なんせ、いかにもありそうなロン・ユー先生の名前など、全く出てきませんから)。指揮者としては、英国植民地だったわけで起ち上げにこういうことが好きそうなメニューイン翁を引っ張ってくるのは当然としても、以降はPMFみたいな超有名スター指揮者を看板にするわけでもなかった。セルジュ・コミッショナーとか、ジェイムス・ジャッドとか、なかなか渋い味わい深い方々を招聘し、地味な仕事はパンチェスおじさんがやる、というやり方をしてた。確か、カザルスホールに盛んに来ていた頃のシュナイダーじいちゃんも指揮してたような気がするが、ちょっと調べが付かないなぁ。

どんどん本土と一体化し、昨年だかには経済でも北京政府大プッシュの隣の深圳にも追い抜かれ、政治的にも日本では民主化運動弾圧ばかりが伝えられ、NYTの東アジアヘッドクオーターもソウルに移動したと伝えられる香港が、このような国境を越えた活動の拠点としてどうなっていくか、やくぺん先生なの視点からすれば、この団体などが眺めていて最も空気が判る組織だったんですけど…カリスマおじさんを失い、ますます見えないことになりそうだなぁ。ご関心の向きは、8年前のこのインタビュー、ご覧あれ。「ミュンヘンのオケの奴が、20年のうちにヨーロッパのオーケストラ団員の3割はアジア系になると言ってるよ」なんて、冗談じゃないですからね、実際。
https://www.youtube.com/watch?v=EPspA5ql-yE

正直、この方がどのような考えで、何を最終目標に、この団体を生涯の仕事としてやっていたか、あたくしめはいまひとつ、いや、いまみっつくらい判ってません。故人の業績をきちんとまとめてくれる方が出てきて欲しいものです。もういらっしゃるのかも知れないけどさ。

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トンデモが許された人 [演奏家]

クリスマスの朝、ギトリス御大の訃報が世界中を飛び交っております。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201225/k10012783311000.html
人の命の重さが報道の多い少ないで決まるわけではないことは百も千も承知ながら、天下のNHKが普通に報道するレベルの訃報は、コロナばかりではない理由で数多くの巨匠が逝かれた2020年の我が業界にあっても、数少ないもののひとつでありましょう。

正直、やくぺん先生はギトリス氏との接点は晩年で、それもホントに純粋に「お仕事」で何度かあっただけで、個人的にどんな方かを知ったり、影響を受けたりするには余りにもわずかなお付き合いだった。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2012-03-11
幸いにもギトリス翁の場合は周囲にいろいろな方が常にいらっしゃったので、イダ・ヘンデルばあちゃんとか岩淵龍太郎先生みたいな「この状況じゃしょーがないから、猫の手みたいなあたしなんかであれ、ともかくお手伝いしなきゃならんぞ」みたいな現場に巻き込まれたわけでもなかったし。

とはいえ、そんな小さな接点しかなかった方とはいえ、その成熟期から晩年の音楽がまんま人格になったような傍若無人っぷりというか、なんでもありが許されちゃうっぷりというか、破格の無茶苦茶さは嫌でもビシビシ伝わってまいりました。

そう、「他人がどんなことを言おうが、そんなの関係ない。俺がやるといったことはやるし、やってもいいのだ」というあり方。これこそ、正に「スター」であり、「巨匠」であり、「アーティスト」なのでありましょう。その人であることそのものが「価値」となる。そんなあり方。

皮肉ではありません。ホントに、凄いなぁ、と驚嘆し(そして勿論、周囲は大変だろうね、と呆れ哀れむわけですけど)、その存在を賞讃するのであります。

そういう人が居ないと、困る。だって、津波で流された木を用いてヴァイオリンを作ってみても、その楽器を実際に使って絶賛してくれる演奏家がいなければなんにもならない。ぶっちゃけ、最高の楽器が作れる筈なんてないことは誰にでも判っている。だけど、その意義を認め、実際に弾き、絶賛してくれる「スター」があってこそ、そんな活動は世間に日の目を見る。当然、「なんであんなことをするんだ」と批判する人は山のように出てくるだろう(そうでなければ、それはそれでアヤシい)。だけど、そんなの言わせとけ、と笑って(あるいは怒って)言えるもの凄い人が、ひとりでもいらっしゃれば良い。

ギトリス氏は、あらゆる意味で、そういうことが出来る人だった。スターとは「価値を創る人」である、と万人に思わせてくれる人だった。

どうしてそうなれたのかは、また別の話だけどさ。

コロナの年のクリスマスに、ほんまもんのスターが逝った。そして、春に向けて明るくなり始めた筈の世界が、またちょっと、暗くなった。

合掌

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33年前の誤植 [お詫びと訂正]

このところ私事でバタバタしており、当私設電子壁新聞がほったらかしになっておりまする。書きかけが山積みで、気が向いては慌ててアップしている状態。ま、それで誰が困るわけでもない「書いてあることは嘘ばかり、信じるなぁ」がモットーの無責任メディアですから…っても、アベ政権以降は主要日刊全国紙だって「書いてることは嘘ばかり」状態であると人々が察してしまったからなぁ。いやはや。

もとい。年末年始&クリスマス休暇というコロナだろうがなんだろうが締め切り感覚がおかしくなる今日この頃、いくら暇で困るとはいえ「今年の回顧」みたいな原稿が入る時期で、案外やることはある。予定していた作業が繰り延べになったので、では慌てて先の締め切り原稿をやってしまおうと必要な資料を引っ張り出し、実質、「これでいこう」とさえ決めれば2時間でやれる仕事なんだけどねぇ…なんて思って作業を開始、必要な資料の必要な部分を眺めていたら

目が点になりました。ってか、あれ、って思った、というのが正しいかな。
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さて、マニアさんに問題です。このプロフィルの人物は誰でしょう?

なーんだ、簡単じゃないか、と思った方はマニアさん。と、思って、じっくり眺め、おや、やっぱ違うかな、と不安になった方は、ウルトラマニアさんでありまするぅ。

正解は、ミエチスラフ・ホルショフスキーというピアニスト。その方の簡単な略歴。掲載されている媒体というか、書籍は、こちら。
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ううううむ…

お判りでしょうか。このホルショフスキー略歴、とんでもない誤植があります。これ、広報のAさんも、総合プロデューサーの萩元氏も、勿論、気付いていたんだろーなぁ。

何が大変かって、このホルショフスキーの来日公演、最大のポイントは「95歳の現役ピアニストの初来日」だったわけです。生年の数字は、いろんな意味で決定的なわけですわ。無論、そんなもの音楽には関係ない、という正論過ぎる正論はあるのは判ってるけど、そうはいっても、やっぱり「95歳」なんですよ、大事なのは。

それがね…これ、生年が10年違ってるねん!ホルショフスキー老のお誕生年は、1892年でありまする!

いやぁ、ちょっとビックリしました。流石に33年前の話、まだやくぺん先生が商売で原稿なんかをレギュラーに書いていない頃。諸般の事情でこの来日公演にはいろいろとボランティアとも言えぬ裏ボランティアで、伝説では満員御礼と言われているけど、実は全然売れてなかった公演に慌てて仮チラシが作られ、あたくしなんぞまでが今は亡き本郷三丁目の某大学の付属ホールの前で配ったりしてさ。最終的には何をやったかしらないけど、格好がつくくらいには席は埋まったようだったけど。

こういう誤植の怖さは、33年も経った今、当時の状況を何も知らずに接する人は、まさかこれが誤植とは思わず、「へええええ105歳のピアニストがフィラデルフィアからお茶の水に来たのかぁ、オープニングとはいえ無茶するなぁ」なんて考えちゃうだろう、ということ。判ってる人は判る誤植だけど、こういう記念誌とかの後に基本文献資料とされることが運命付けられた出版物とすれば、絶対にやっちゃいけない類いの誤植だわなぁ。

誰を非難してるわけでもありません。ともかく、33年ぶりに誤植を発見してしまった、というだけのこと。ただ、ホルショフスキー老は、この誤植は気付かないだろうなぁ。だって、これまたホントかどうか判らぬ与太話だけど、正確な生年は判ってない、って伝説もあったんだから。いやはや、いやはや、いやはやぁあああああ………

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2020年を代表する3人の作曲家? [音楽業界]

湯気が立ち上る暖かいお風呂にプカプカ柚が浮かぶ冬至の晩、皆様、いかがお過ごしでしょうか。あたしゃ、遙か神田川沿いの大曲から都バスで上野まで出て、京成電車に乗って荒川放水路向こうの新開地までやっと戻ってきたところ。なるほど、こういうルートがあったんだなぁ。何を隠そう、半世紀も昔の高校時代に通っていた土地勘のある場所なんだが、台風が来れば氾濫して通りに鯉が泳いでた神田川を潜り開通したばかりの営団地下鉄有楽町線で池袋に出て、山手線で大塚辺りから富士を眺めつつ、日暮里経由で京成電車に乗ってたっけ。まあ、小さな印刷所や取次店だらけの大曲から後楽園辺りへとごみごみした路裏道ばかりみたいなところを抜けるバス通りなんて、あの頃はなかったからなぁ。

果たして激動の年2020年に何度足を運んだやら、久しぶりのトッパンホールでありましたが、ま、入ってしまえばスタッフの顔ぶれも、座ってる聴衆も、いつもと同じ。ただ、コロナ前と大いに違うのは、ステージ上や客席に、やたらとヴィデオカメラが並べられていること。

おっと、話が前後してしまった。こんな演奏会でありまする。
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https://www.toppanhall.com/concert/detail/202012211900.html

《藤倉 大、イェルク・ヴィトマン、ベートーヴェン!》って、とても演奏会のタイトルとは思えぬ直球過ぎる名前が並んでビックリマークが付いてる。ご覧のように、演目も文字通りで、ベートーヴェンは最初と最初の絶頂期のピアノ・ソナタ。ヴィドマンはいちばん有名で、恐らくこの作曲家の弦楽四重奏のみならず室内楽作品の中では最も頻繁に演奏され、あらゆる若手弦楽四重奏団が競って取り上げる21世紀にこのジャンルで書かれた中でも最大のヒット作。そして藤倉大の若書きとちょっと前の、いかにもなパワー系の作品。

うううむ、不思議と言えば摩訶不思議な演奏会。休息後の後半にプロデューサーのN氏が舞台に出て来たので、この演目の絵解きでもしてくれるのかと思ったら、手を痛めて休演、三味線奏者さんが代演となった若きチェロくんを紹介し、ゴメンナサイ,2月にはここで予定されていた藤倉作品弾きますから、と喋るのを紹介するだけでした。ま、なんでこの演目、この3人、というのは、演奏を聴いて自分で考えたり感じたりしろ、ってことなんでしょうな。

てなわけで、つらつらやくぺん先生なりに考えるに…ベートーヴェンはどうこう言うもない。正に「今年の作曲家」でありまする。演目は、敢えて後期を外し、パワーみなぎるもんを並べてきた。ヴィドマンは、そうねぇ、些か穿った見方になっちゃうけど、ホントは3月にここ大曲に登場し、エクが本日弾かれた《狩》を弾き、これまた盛んに演奏されるクラリネット五重奏をヴィドマンご本人のクラリネットで披露されるという演奏会があったわけで、それがコロナでなくなっちゃったプロデューサーとしてのリベンジ、かしらね。で、藤倉氏は、もう「2020年の作曲家」を挙げるならば問題なくこの人、という今年大活躍した時の人。コロナのお籠もりの間はWeb上で対談から新作発表から,画面をはみ出さんばかりの大活躍。そして11月には、圧倒的な賞讃から「なんでいまさらあのリブレット」といういぶかしげな声まで、各方面での話題となった新作オペラを初台で初演なさっている。

確かに、「この3人が2020年の作曲家ですよ」と言われても、なるほどねぇ、とは思ってしまう。そりゃ、こんなコロナのお籠もりの年だから癒やし系の心優しい音楽を、と考える方も多かろうが、敢えて時代の状況を真っ正面から受け止めて闘うぞ、いぇい、って連中が並んでるのは、これはこれでひとつの考え、なのかな。

全くどーでもいいことなんだけど、アマービレの連中はヴィドマンを全員がタブレットで、更にはチェロ以外はみんな立って弾いて、へええ、ニッポンの若手もこうなってきたかと思ったら、続く第1ヴァイオリン篠原嬢のヴィドマン独奏作品は、ずらりと何本も譜面台横一列に並べ、楽譜をべえええええっと並べ、演奏者が移動しながら弾いていく、というゲンダイオンガク演奏会伝統の手法を採っておりました。タブレットに楽譜入れちゃえば、あんなことしなくても良いと思うんだけど、もしかして作曲家が楽譜のデータ化、タブレットへの読み取りを禁止でもしているのかしら。タブレット楽譜って、ああいう作品のためにこそあるような気がするんだけど。

ま、それはそれ。パワーの作曲家ばかり3人、ドカンドカンと並べる冬至の晩、250年前のベートーヴェンさんのお誕生日が夜がドンドン深くなっていく真っ只中だったというのは、なんだかとってもこの作曲家さんらしい。闇から光へっ!

明日から、日が長くなる。もうすぐ春がやってくる…筈だ。

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49回目の就眠音楽 [演奏家]

冬至に向け昼が短くなっていく最後の日たる本日師走20日午後、上野は東京文化会館小ホールで、年末恒例の「小林道夫《ゴールドベルク変奏曲》演奏会」が開催されましたです。
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今年で49回目を迎えるこの演奏会、始まった頃はどこでやっていたか良く知らぬのだけど、ともかく主催者の故小尾マネージャーとの関係が深かった津田ホールが出来てからは千駄ヶ谷で行われていて、幻の五輪を前に津田ホールが廃館となってからは上野に戻っていた。

道夫先生と小尾マネージャーが二人三脚でやってきた、というか、なんせ自分で何かをやりたいと仰る方ではないので、小尾さんが尻を押すような形で始まり、ここまで続いてきた企画。誰が言っていたのか記憶は定かではないのだけど、「まあ、50回まではやりましょうか」という話だったとのこと。そしたら、コロナ禍の真っ只中で小尾マネージャーが齢90で大往生なさり
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-07-29
道夫先生としても、小尾さんも先に逝っちゃったし、今年はコロナだしもういいんじゃないですかね、という感じだったそうだけど、ま、なんのかんのでやることになった。どうやら来年まではおやりになるつもりらしいです…が、ま、どうなるかは誰も知りません。ご本人含めて。

三密回避にはしていない会場を埋めるのは、道夫先生や小尾さんと一緒に年を重ねてきた熟年ファンが殆どだけど、お弟子さんというわけでもなかろうに、若い人の姿も少しは見受けられる。足取りはおぼつかないということはないものの、バリアフリーという意味では最悪のあの文化小ホールの楽屋ともいえない舞台裏から足下を確かめるように出てくる道夫先生は、チェンバロの前にちょこんとお座りになり、譜面を眺め、淡々とアリアを弾き始める。

グールド流のデジタルサウンド先取りみたいな音楽では勿論なく、今時の若い指まわりバリバリのアクロバットでもなく、古楽サウンド一般化以降のあれやこれや作品の構造や声部の入れ替えをこれ見よがしに強調する意識高い系でもなく…淡々と、としか言いようのない音楽。短調の変奏で前半を終えて、20分の休みを挟み、始まった後半も劇的な盛り上げの欠片もない。そんな時間の流れとはいえ、後半二つ目の短調の変奏を終え、若いバリバリくんたちがクライマックスに向け大いに盛り上げていくオシマイの辺りの変奏では、何をするでもないのに自然と音楽の内容が無性に濃くなっていくのは、いかにもこの賢人らしいところ。

長い時間をいろんな姿形で過ごし、やっと戻ってくるアリアだって、「俺は大変な旅をしてきたぞ」って人生を回顧する空気を醸し出すとか、コロナの年を振り返るとか、無論、小尾さんとの過去を懐かしむとか、そんなロマンティックな思い入れは一切無し。さて、また頭からやりましょうかね、って素っ気なさに、全曲が終了。アンコールにBWV698の短いコラールを弾いて、はいオシマイ。舞台の上から「最期のマネージャー」への追悼の言葉があるわけでもなく、冬至イブの日が暮れかかる中に、人々は上野の杜を去って行くのであった。

終演後、実質上事務所を継いだ「ポスト最期のマネージャー」氏と立ち話していると、サイン会もなければ集まって喋るのもはばかられるコロナ時代のロビーからはさっさと人影が消える。と、楽屋扉からそっと道夫先生が出てきて、目立たぬように待っていた小尾未亡人と談笑なさってます。
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いろんな人が去って行った2020年、いろんなことがあった筈なのに、この湯布院町在住の老賢人の奏でる音楽は、ひたすらに音楽でしかない。弾けば弾く程、極めれば極める程、先が見えなくなるのが音楽でねぇ、と仰ってるような。

クリスマス翌日には、名古屋は宗次でもういちどお弾きになるそうです。闇が最も深いときを挟み、また日が長くなり始め、もう一度、30の変奏が始まる。
https://munetsuguhall.com/performance/general/entry-2081.html

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ゆふいん遙かなり:亀の井路線バス編 [たびの空]

先程、新帝都は大川端縦長屋に戻って参りました。新公民館がオープンし、音楽祭がどうなるのか、空気を読みに行った、というだけ。

さても、朝から旧音楽祭ボランティア・スタッフのマダムの車に揺られ、クラスターが発生したとローカルには誰も騒がない騒ぎになっている我が陸軍駐屯地を横目に町内を動いたりしてなんのかんの。町民が天下の上野は東京文化会館小ホールに登場するというのに新帝都に来られない元音楽祭実行委員長なんぞにバイバイし、列車が走ってないのに何故か観光客が三々五々やって来るJR九州由布院駅の手前のバスターミナルに至ったのは午後2時前。ここから由布岳の足下ぐるり、別府経由で遙か国東半島の先っぽ、頭の上の空域は治外法権岩国のヤンキーマリンコが支配する大分空港に向かうのであーる。

定刻の2時5分に、何故か若いカップルをいっぱい乗せたがっつりローカル路線バスっぽい亀の井バスは、さらば旧公民館、ぐぁんばれ新公民館と両方に挨拶するように間を抜け、土曜午後の湯布院町を由布岳に向けてノンビリと走り出す。K先生のお宅を眺める町外れまで来て
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金鱗湖を右手に眺め、いよいよ右へ左へ、ヘアピンカーブを重ねながら高度を取っていくと、由布院盆地が右手左手にどんどん深くなっていく。
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このゆふいん行きを決めた日に貼り付けた当電子壁新聞で引用した、中谷宇吉郎の「由布院行」の続きの部分。これを反対側から100年後にやってるわけですわ。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-12-07
由布院の盆地の斜面にかかると、自動車はエンジンを止めて、緩ゆるやかに降り始める。由布院が見える頃になると、この斜面一帯に牛が放牧されている。自動車の行手ゆくてにも平然としていて、怪訝けげんそうにこちらを見ていることもある。そしてずっと近くになってやっと愕おどろいて逃げ出す。時には、道の反対側で草を喰くっていた仔牛こうしまで、親の逃げる方へ飛び出して轢ひかれそうになる。運転手は慌あわててブレーキをかけながら、「馬鹿!」と大声でどなりつける。その仔牛の周章あわて方には思わず吹き出させられる。」(中谷宇吉郎)
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牛が寝てた辺りを、1日一本の中谷号とは逆向きに、亀の井バスやくぺん号はクネクネと昇り盆地を去って行くのであった。さらばゆふいん、また直ぐに来なきゃならないんだけどさ。

由布岳登山口の近辺がバスが至る最も標高がある場所のようで、数日前に降ったという初雪がまだ消えずにのこってら。誰も乗らず、誰も降りず、モノレール乗り場やらゴルフ場やら、観光地っぽいバス停名をどんどんスキップしていると、亀の井バスの運転手さんの肩越しに、短い冬の光をキラキラ映す別府湾が見えてくる。
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市内に入り、今日は朝と昼に藤森氏が率いるチェロ四重奏で空港ロビコンを仕掛けていたアルゲリッチ音楽祭の本拠地、ビーコンプラザが聳える横を抜け
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ずーっと坂を下ってる感じのままに、JR別府駅西口に到着したのは2時56分。思えば30年近く前、未だ福岡から久留米を経て大分に至る高速道路が完成していない頃、初めて由布院盆地を訪れ空港からのお迎えの車で辿ってから数年の間は使ってた山越え表道、ホントに久しぶりにこっちの道を通ったなぁ。
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さても、とはいえまだまだ空港は遠い。だらりだらりと大分からの大分交通空港行きバス停まで歩くと、次のバスは直ぐに来るではないかい。だけど、このまま1500円也払って1時間弱で空港に行っちゃっても、なーんにもないわい。眺めてるヒコーキも、勝手に飛んでる小さな飛ぶ方々も殆どおらぬ場所。まだ時間もあるから、ここでなんか喰らっていくかいな。で、その次の空港バスは…なんと1時間5分後かぁ、いやはや。

かくて大分ローカル大デパート地下フードコートで元祖とり天の店の「とり天定食」800円也を喰らい
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大阪弁の若いカップルやお嬢さんらばかりで、ホントにこんなにみんな乗れるのか心配になった行列を飲み込んだ大分交通リムジンバス(バス停の切符売りおばちゃん、行列を見るや即座に連絡し、別府発の臨時便をさっさと出しておりました!流石に大観光地、手慣れておるわい)は冬至も近い別府湾を眺めつつ、ほぼ海上空港へと突っ走るのであった。

結論。直行の空港バスが運休中の今、大分空港を利用し由布院に出入りするなら、やっぱりどう考えても実質走行時間1時間を切り、幸か不幸かあまり渋滞もない亀の井路線バス940円也のご利用をお勧めいたしますです。天気が良い昼間なら、ほぼ観光バスですぅ。

っても、やっぱり毎度ながら、ゆふいん遙かなり。

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湯布院町の新公民館3月に竣工 [ゆふいん音楽祭]

35年の夏を音楽祭メイン会場として過ごし、実質上音楽祭が終演した2009年以降も「ポスト音楽祭」の小さな演奏会の会場となってきた由布院駅前バスセンター駐車場隣の真っ白い公民館がその役割を終えて数年、今も建物としては健在で、由布市の一町村となった湯布院町の臨時町役場及び図書館としての機能は果たしており、なんとホールも映画祭やこども音楽祭などが細々と使ってるそうな。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-04-10
そんな竣工以来半世紀に近い年を重ねてきた(敢えて言えば)戦後インターナショナル様式のモダンな公民館が、いよいよ引退となります。道を挟んで向かいのセブン・イレブンの隣、かつての由布院市(最後は町)役場が取り壊され、新たに由布市の湯布院町内の総合庁舎として生まれ変わり、いよいよ来る3月に竣工。現在、工事の進捗状況はこんな感じ。
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この新しい市の施設には、有り難いことに、ちゃんとホールも設置されているとのこと。旧音楽祭関係者も含め、仕様に関する説明会やご意見伺い会はあったそうです。残念ながら「予算不足」といういずこも同じ問題で、現時点では昨今のリッチな自治体が建てる総合巨大コミセンみたいな新施設に備わる「音楽専用ホール」にも匹敵するクオリティの音響や、はたまたある程度以上にまともな演奏会の開催に使えるクラスのピアノが備えられる、という状況ではないそうな。

この300席だかのスペース、21世紀になってやっとニッポン国にも制定された文化芸術基本法に謳われる「国民が享受する権利がある文化芸術」の拠点となり公共が何かを積極的に仕掛けていく「劇場・音楽堂」…ではありません。あくまでも役場の集会所です。町民の中で、何かやりたいという奴らがいれば、まあ勝手に使って下さいな、というこれまでの公民館の状況が、問題点も含め、半世紀経った21世紀初頭の水準でリニューアルされた、ということ。つまり、問題点は結局、先送り。我がニッポン国の御上らしい…と言えばそれまで。正直、音楽祭はともかく、映画祭にはちょっとデカくないかしらね。300席の映画館って、滅茶苦茶大きいぞ。

ま、旧音楽祭シニアスタッフとすれば、それならそれでいい。そもそも、御上がなんのかんのやってどうなってきたフェスティバルではないわけですし。

現時点では、オープニングに町民のK先生がお披露目をする、なんて話もあったりなかったりで、きちんとは動いていないそうな。音楽祭にしてもこのコロナ禍の現状で、会場が新しくなったから再び…という機運が盛り上がってるわけでもない。ですから、現時点で、この新しい公民館のオープニングに合わせて「ゆふいん音楽祭」復活、なんて話は、まるっきりありません。勿論、ゆふいんのことですから、いきなりなんかかやると決まって2ヶ月でやっちゃうかもしれないけど、そう無茶をやって今やすっかり爺になってる旧スタッフは、今更自分らがそんなことやっちゃマズかろうに、と考えてます。

いずれコロナ騒動も収まり、ホントにまた由布岳を眺める新公民館でなにかやりたいな、と思う町民が出てくれば…始まるものであれば、自然と始まるのでありましょう。

世間はどう思っていたか知らないけど、別に観光業界が温泉地盛り上げの為にやってたわけでもないし、シーズンオフの集客イベントだったわけでもない。実態は、町内や周辺の音楽を聴きたい奴らが勝手に集まってやってただけの音楽祭。ノンビリ、風がどこかに集まるのを待てば良い。

ま、そんなことを確認に行ったゆふいん詣ででありましたとさ。こういう空気は、絶対にオンラインでは判らないんだよねぇ…

とにもかくにも、復活祭の頃にはハコは湯布院町に戻ってくる。それは、事実。さあ、どうする?

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