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トンデモが許された人 [演奏家]

クリスマスの朝、ギトリス御大の訃報が世界中を飛び交っております。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201225/k10012783311000.html
人の命の重さが報道の多い少ないで決まるわけではないことは百も千も承知ながら、天下のNHKが普通に報道するレベルの訃報は、コロナばかりではない理由で数多くの巨匠が逝かれた2020年の我が業界にあっても、数少ないもののひとつでありましょう。

正直、やくぺん先生はギトリス氏との接点は晩年で、それもホントに純粋に「お仕事」で何度かあっただけで、個人的にどんな方かを知ったり、影響を受けたりするには余りにもわずかなお付き合いだった。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2012-03-11
幸いにもギトリス翁の場合は周囲にいろいろな方が常にいらっしゃったので、イダ・ヘンデルばあちゃんとか岩淵龍太郎先生みたいな「この状況じゃしょーがないから、猫の手みたいなあたしなんかであれ、ともかくお手伝いしなきゃならんぞ」みたいな現場に巻き込まれたわけでもなかったし。

とはいえ、そんな小さな接点しかなかった方とはいえ、その成熟期から晩年の音楽がまんま人格になったような傍若無人っぷりというか、なんでもありが許されちゃうっぷりというか、破格の無茶苦茶さは嫌でもビシビシ伝わってまいりました。

そう、「他人がどんなことを言おうが、そんなの関係ない。俺がやるといったことはやるし、やってもいいのだ」というあり方。これこそ、正に「スター」であり、「巨匠」であり、「アーティスト」なのでありましょう。その人であることそのものが「価値」となる。そんなあり方。

皮肉ではありません。ホントに、凄いなぁ、と驚嘆し(そして勿論、周囲は大変だろうね、と呆れ哀れむわけですけど)、その存在を賞讃するのであります。

そういう人が居ないと、困る。だって、津波で流された木を用いてヴァイオリンを作ってみても、その楽器を実際に使って絶賛してくれる演奏家がいなければなんにもならない。ぶっちゃけ、最高の楽器が作れる筈なんてないことは誰にでも判っている。だけど、その意義を認め、実際に弾き、絶賛してくれる「スター」があってこそ、そんな活動は世間に日の目を見る。当然、「なんであんなことをするんだ」と批判する人は山のように出てくるだろう(そうでなければ、それはそれでアヤシい)。だけど、そんなの言わせとけ、と笑って(あるいは怒って)言えるもの凄い人が、ひとりでもいらっしゃれば良い。

ギトリス氏は、あらゆる意味で、そういうことが出来る人だった。スターとは「価値を創る人」である、と万人に思わせてくれる人だった。

どうしてそうなれたのかは、また別の話だけどさ。

コロナの年のクリスマスに、ほんまもんのスターが逝った。そして、春に向けて明るくなり始めた筈の世界が、またちょっと、暗くなった。

合掌

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タッチ

こんにちは。何故か職場のトイレの前の本棚に40年前の音楽現代8月号(vol.10.no.8 August 1980)(昭和55年8月1日発行)が納められており、たまさかパラパラめくっていたら、グラビアページ(モノクロ)に以下のように掲載されているのを見つけました。「イブリー・ギトリス ー80・6・10 東京文化会館小ホール 初来日、52歳でパリ在住。日本では殆ど未知の存在が人伝手に評判を伝え、会場は立見が出ても入れず帰る人が出た程。生命力の溢れる音の世界を名人芸で展開。強烈な印象を残した」
合掌
by タッチ (2020-12-31 12:41) 

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