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「げーぶん」が30年経って… [音楽業界]

昨晩、池袋は西口、東京芸術劇場上層階のコンサートホールに出向き、賑々しくもお目出度くも開館30周年を祝う野田秀樹版《フィガロの結婚》を見物させていただいたでありまする。
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中身に関しましては、一言で言えば「人口10万から30万人くらいのICEが停まるくらいのドイツ地方都市の、劇場とオペラハウスが一緒になって、自前の歌手と合唱団、50人くらいのオーケストラがあるムジークテアター系の市立劇場で、オペランヴェルトの今年の劇場ノミネートを狙ってるくらいの勢いがあるところが、気鋭の演出家で自前のスタッフキャストで出したプレミア」ってテイストの舞台でありましたね。

いろいろなことをやっていて、当然ながら賛否両論、ってか、接した人が接した人それぞれの関心から好き勝手なことを言ってワイのワイの盛り上がれているようです。やくぺん先生も、いつもの「感想になってない感想」を始めれば、がががががががぁ、っていくらでも書き流していけますわ。つまり、「ローカル・ガヴァメントがやってる劇場での、公金を使ったプロダクション」としては成すべき仕事をきちんとやった、ということ。

今から30年前、池袋の立教大学側のしょーもない場所に長距離エスカレーターを備えたガラス張り建築
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上層階に据えられた音楽専用ホールに収まるオルガンは表裏回転、なんてアヤシげな都立の新文化施設「げーぶん」(当初は東京芸術文化会館という名前だったので、業界ではげーぶんと呼ばれており、未だに爺はげーげきじゃなくてこっちで呼んでしまう)が出来たとき、これは一体なんじゃらほい、と思わざるを得なかったものです。やたらと楽屋がデカい大ホールはあるものの、下層階には室内楽ホールなどではなく規模を違えた劇場スペースがいろいろあるようだし、同じ財団が運営するなら上野との棲み分けがどうなるのか、都響がここに移ってきて上野はオペラハウス専門になるのか、だって二国、出来るんでしょ…

シノポリ指揮マーラー全曲演奏会で賑々しくオープンし、《嘆きの歌》はなあんとなんと、当時はまだナクソスに駆逐されておらずやたらと権威があった天下のDGから晋友会が歌うライヴが発売されるビックリ仰天もあった。とはいえ、いろいろ噂があったレジデントのオケが来るでもなく、都響が常駐する様子もない。

やくぺん先生とすれば、20世紀末から世紀転換期の数年、西武線沿いの目白に庵を結んでいたこともあり、ある時期は自宅から歩いて通える、ってか、池袋方面から戻ってくるときには横を通るホールになっていた。とはいえ、根津に居た頃に上野文化会館に通ったように足繁く訪れることもなく、人と待ち合わせに使うには良い場所なんですけどねぇ…ってかさ。

そんな「げーげき」が、いつの間にやら演劇の方から活性化されていき、それに引っ張られるように上のコンサートホールでもオペラっぽい企画が始まったり。ふと気付くと、ニッポンのポンピドーセンターを狙っていた筈のオペラシティの向こうを張るような「ゲンダイオンガク」企画もそれなりに出されるようになったりして。

かくて時流れ30年、世界の超一流の舞台を札束積み上げて引っ越し公演するんじゃなく、「ホールオペラ」のひとつの集大成として、この劇場の芸術監督が自ら演出したニッポン文化圏以外では作れない、それでいてイロモノではなくまともな、オペラ演出史の流れに沿った議論にも値するプロダクションを、きっちり出せるまでになった。あらゆる面から眺めて完成度が高い、というわけではなく、カンパニーを持たないプロダクションとしての限界をあちこちに感じさせるでこぼこのある舞台であることが重要。まだまだダメだ、という伸びしろがあちこちに感じられるステージ。

いやぁ、まさか、あの「げーぶん」がこんな場所になるとはねぇ。生きてみるもんだなぁ。

祝、げーぶん30年。

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葛飾オフィス柿の実収穫は11月3日午前となりました [葛飾慕情]

ローカルイベント告知です。
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秋恒例の葛飾オフィス柿の実収穫大会、今年はコロナ禍故にお子様方を呼んで派手に行うのは避けることにいたしました。で、当電子壁新聞とFacebookにのみ、細々と告知いたします。ってか、これ以上は壁に張り紙するだけなんだけどさ。

なお、諸雑の事情で、葛飾オフィスの老柿の木の収穫は今年が最後になる可能性が高くなっております。これまで半世紀、勘当状態だった親から譲られてからも早10年弱、周辺の皆様には秋になるたびに大いにご迷惑をかけて参りました柿の木。ここに長らくのご愛顧と、こんな町工場街の中に無節操にデッカくなった木を茂らせておくことを黙認してくださっていたご近所の皆様にあらためての感謝の意を表明させていただきます。ありがとうございました。

例年はもう少し秋が進んでからのイベントなんですが、今年は11月8日から勤労感謝の日まで2週間の国内ツアー状態になってしまい、適当な週末がありません。柿の実が公道にボタボタ落ちる事態は避けたいので、ちょっとまだ固めのところでの収穫となります。お許しを。

やくぺん先生葛飾オフィス柿の実収穫祭

2020年11月3日午前10時半~12時(多少の雨天決行)

なお、手元の天気予報では火曜日は降水確率五割となっております。とはいえ、なんせ午後3時には彩の国埼玉劇場でアルカン大会なんてトンデモな演奏会があり、やはり眺めておきたいので、昼過ぎには終わりたいのです。場合によってはアルカンは諦めざるを得ないかなぁ。

ご参加ご希望の方は、直接連絡くださいませ。
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っても、僕たちは参加はせず、ただ熟れたやつを突っつくのを待っているでちゅん。

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コロナ後の日本列島でベートーヴェン弦楽四重奏全曲完奏さる! [弦楽四重奏]

昨晩、初台は近江楽堂で古典Qが弦楽四重奏作品18の後半3曲を演奏したことを以て、去る6月半ばから再開したコロナ禍での新たなる日常が続く日本列島で、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲番号付き16曲と索引133《大フーガ》が、全てライヴで演奏されました。やくぺん先生としても、なんとかライヴで全曲が聴け、よかったよかった。特定の外来団体の集中的な全曲演奏が全てキャンセルになった生誕250年の記念年ながら
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-10-21
このジャンルに関しては国内拠点奏者らの手で無事にお祝いが成ったわけでありまする。

勿論、コロナのお籠もりで家庭でやってるアマチュア団体が実は密かに完奏している、なんて誰も知らないことは起きているかもしれないけれど、プロの団体に拠る客の入った有料公演としては、昨日で完奏だったと思います。

ちなみに、やくぺん先生が実演に接したデータは以下。

7月1日札幌キタラ小ホール Qエクセルシオ 作品132

7月14日池袋自由学園 エルデーディQ 作品132

8月12日神奈川県立音楽堂 YamatoQ ハープ、セリオーソ、作品127

8月16日JTアートホール アミティQ 作品131

8月20日神奈川県立音楽堂 YamatoQ 作品130、作品132、大フーガ

9月12日小石川教会 Qオリーブ 作品18の1、ラズモ1番

9月22日近江楽堂 古典Q 作品18の1,2,3

10月5日サルビアホール 澤Q ラズモ3番

10月14日浦安音楽ホール Qエク セリオーソ、ラズモ3番、作品127

10月26日蕨フェリーチェ音楽ホール マルシェQ ラズモ2番、作品135

10月28日近江楽堂 古典Q 作品18の4,5,6

うううむ、こうして眺めてみると、やはりコンサート再開直後に作品132が並んでいるのが目を引きますねぇ。なお、やくぺん先生が体を出していない演奏会では、YamatoQのラズモ全曲及び作品131と作品135、大分のウェールズQが作品18の1、セリオーソ、作品131を披露しています。他にも見落としはあるかもしれないけど、こんなものじゃないかしら。蕨みたいな、コンサートスペースでの演奏もあるからなぁ。

ちなみに、来る土曜日にはハクジュホールで東京クライスアンサンブルがこんな演奏会をなさいます。
http://www.sonare-art-office.co.jp/schedule.html
本来なら、記念年でこういうタイプのあれこれてんこ盛り型演奏会がいっぱいあって、なんのかんの細かいものが聴けたのでありましょうが、このご時世、貴重な機会になってしまいました。ご覧のように、紀尾井室内管のコンミスでいろいろクァルテットの頭にも座るゆふいんでもお馴染み玉井さん、知る人ぞ知る初代ロータスQの第1ヴァイオリンゆんゆんさん、巖本真理Qヴィオラの超重鎮菅沼先生、そしてAOIQで来月に1つのコンサートで《ガリツィン・セット》全曲というとてつもない企てに挑む我らがゆふいんの監督だった河野さん、ってメンツが、なんとなんと作品14をサラッと弾いてくれます。恐らく、この作品は今年はこのひとつしか演奏例がないんじゃないかしら。この作品を以て、ホントに細かい作品を除けば、ベートーヴェン本人が書いた弦楽四重奏の完成作品は網羅。ニッポンのクラシック音楽、流石に演奏し続けはや百数十年の演奏伝統が重なるベートーヴェンともなると、層の厚さを感じさせますねぇ。

先頃、ロータスQの弦楽トリオがうち漏らした作品8も披露されるし、この演奏会、かなり貴重でありまする。ってか、ホントのこと言うと、この記事、これを宣伝するのが裏の目的で書いてるんだけどさ。奏者も「ゆふいん音楽祭」ってカテゴリーにしたいような顔ぶれだし。

蛇足ながら、今年、3月までに外国団体が演奏したベートーヴェン弦楽四重奏は案外と少なくて(全ては秋以降、ということになってたからでしょうねぇ)、ベネヴィッツQが作品132を弾いたのしか、やくぺん先生としては聴いてません。思えば、現時点で最後の「外来弦楽四重奏団」のライヴじゃないかしら。

とにもかくにも、一足早く、遙かニッポン列島から、祝ベートーヴェンさん250歳!

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はやGOTO疲れ [たびの空]

実質、関係者の皆様への業務連絡です。

先週末に久しぶりのまともな原稿をひとつ初稿を入れ、金になる仕事がない状況とあって妙に終わった終わったって達成感があり、人生最大のウルトラ貧乏というのに金が入ってくると思った途端にそれまで控えていた11月の日程(取材日程、と言いたいところだが、取材として決まっているのはひとつだけで、現時点では他は全部が「仕込み」という名の持ち出し)をポコスコと作り始め、今、勤労感謝の日というかサンクスギビングディ休暇過ぎの師走前辺りまで埋めたら…一気に旅疲れが出てしまった。まだパズルは完全に埋まってないのだけど、ちょっとこれで一休み。

北九州に始まり関東平野の最北端で終わる今回の霜月半ば2週間の国内ツアー、なんと30数年ぶりに一度もニッポン列島を出ることがなく終わりそうな初老の爺にとっては2020年最大の移動で、あれこれ出向いて拝聴するのは以下。

11月8日:黒崎(福岡県)福崎ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ1日全曲演奏会
13日:京都アルティ エク京都定期 ベートーヴェン弦楽五重奏曲
14日:静岡AOI AOIクァルテット《ガリツィン・セット》一挙全曲演奏会
16日:魚津(富山県) 葵トリオ
17日:富山県立美術館 葵トリオ
18日:富山教育文化会館 葵トリオ
21日:宗次ホール 葵トリオ
22日:びわ湖ホール 葵トリオ オール・ベートーヴェン
23日:那須野が原ハーモニーホール 昴21Q オール・ベートヴェン

ふうう…この間に東京首都圏でもそれなりに演奏会があり、初台の世界初演も入ってくるので、なかなか大変な日程でありまする。外来演奏家が全くなくなっても、これだけ充実したベートーヴェン生誕250年記念の演奏会がやれてるニッポン、凄いものではないかと素直に喜ぼうではないかぁ、ニッポンちゃちゃちゃ、ベートーヴェンががががぁ!

この日程を作る中で、話題のというか、問題のGOTOを4カ所で利用しております。北九州1泊往復、静岡から京都1泊往復、名古屋1泊往復、それに富山の宿連泊。他の移動はJR東日本のフィックス半額新幹線チケットなんで、これも額面の半額。わしがチケット屋の社長だったら、真剣に廃業も考えざるを得ない官製不況の大襲来でんなぁ、マジで。

昨日は朝の11時開店前から東京駅のJR東海ツアーズに並び
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GOTO商品購入終了までなんと2時間以上というオソロシー状況を経験し、さらにはいただいたGOTOクーポンとやらを眺めてどうにも旧日本軍占領地の軍票みたいにしか思えずに背筋が寒くなり、いろいろと言いたいことはありますが、ま、とにもかくにも現政権の貧乏人担当公明党さんはこの類いの金券バラマキがお得意なわけで、想像される無数のトラブルにも対処する自信があるのでしょう…と、自分に信じたいことだけを信じるポストファクト時代を生きる金欠庶民なのであったとさ。

なんか、日程書いたらまた疲れてしまった。行く先々の皆々様、特に富山の皆様、よろしくお願いいたします。自らは保菌者と考え、マスクして隅っこで静かにじっとしておりますので、お許しを。

[追記]

その後の展開で、短いながらツアー道中のあとネタふたつが取材になりました。今、公共ホールが取材ですら招待状を出さない状況なんで、切符代くらいにしかならないとはいえ、お仕事になって良かったよかった。

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《光の火曜日》無事上演されました [現代音楽]

あとは死ぬだけの老いぼれ爺、人生最後の楽しみのひとつが「シュトックハウゼン《光》チクルス 全作舞台上演をライヴで眺める」という野望でありました。わずか数年前には可能かどうか、なんとも判らなかったのだけど、それが案外あっさりと実現しそうに思えてきたのは、一昨年秋から天才マキシム・パスカルくんが「自分が結成した電子音響やダンサーまで含んだアンサンブルで毎年1曲づつ作曲順に上演、最後は一週間で全曲上演する」という誇大妄想かって呆れてしまうようなプロジェクトを始めたことにありました。
http://www.lebalcon.com/?page_id=2029&lang=en
一昨年の《木曜日》はオペラ・コミックで、昨年はフィルハーモニー・ド・パリのオンドレ社長も見守る中、シテ・ド・ラ・ムジークや40度越えの酷暑の中に運河向こうの教会を舞台に《火曜日》を上演。これはいける、と周囲の大人達も思ったみたい。こちらが一昨年の《木曜日》のとき。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2018-11-18
んで、こちらが昨年の灼熱地獄の中での《土曜日》。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2019-06-30

今年はフィルハーモニー・ド・パリの大ホールというメイジャーな場所に舞台を移し、いよいよ地味に難物で、恐らくは完全な舞台上演はスカラ座での世界初演以来試みられてはいないと思われる《月曜日》を上演することになっていた。

ご存じの方はご存じのように、この《月曜日》って、電子音の「こんにちわ」や「サヨナラ」は恐らく全曲でもいちばん綺麗なんだけど、なんせ子供の合奏団やら合唱、それどころか子供のソリストが役者もやらねばならぬ、普通のオペラ・カンパニーの枠組みではやれない作品。一年かけて子どもらのアンサンブルを創り上げて…という予定が、このコロナで春から夏にかけ人が集まるなど不可能になってしまい…

比較的早い段階で《月曜日》を諦め、一年入れ替えて《火曜日》を先にやってしまう、という決断が下された。まあ《火曜日》なら短いし、第2部の戦闘員の規模を小さくすれば充分にパスカルくん自前のアーティストだけでもやれなくもない。若社長、なかなか現実的だな、と遙か遠い巴里の動きを漏れ聞いていたわけでありまする。

なんせパスカルくんとその団体、コロナがなければトーキョー五輪開会式の日にザルツブルク音楽祭で、ニッポンの某団体が委嘱したのにニッポンでは未だ上演出来てない《イノリ》をやって世界大運動会を祝う(わけでもないんでしょうけど)予定だったのが、当然ながら中止。でも、夏の終わりすぎに連絡したとき、「《火曜日》に向けて大忙しで、ゴメンゴメン」って感じだったので、ああああこれはやる気満点だなぁ、と安心したというか、驚いたというか。

その時点でやくぺん先生ったら、なんとか帰国後二週間隔離を前提に10月24日の巴里に特攻するか、とマジで思っていたのでありまするがぁ、9月に入りあれよあれよと巴里のコロナ事情が悪化し、なんせ老人家庭でなによりも家庭内感染を恐れるやくぺん先生んちとしては、家族の縁を切らにゃ渡欧なんて無理な情勢になってきて、9月半ばには諦めました。ったら、政権代えたらまるでコロナも終わったみたいなニッポンはともかく、欧州は事態がどんどん酷くなり、先週にはとうとう巴里では9時以降外出禁止例が布告され…

そんな中、去る土曜日に開演時間を夕方に繰り上げ、無事に《火曜日》が上演されたようであります。どんなもんだったか、パスカルくん率いる音楽舞踏集団Le BalconのFacebookタイムラインに、写真をなんぞがいっぱい上がってますので、ご覧あれ。
https://www.facebook.com/LeBalcon
「オペラ」という切り口でもそれなりに関心があったようで、半公式やら非公式の個人やら、いろんな人がいろんな感想やらレポートをWeb上に揚げてます。例えば、これとか。写真もいっぱい、キャストもちゃんと書いてあるし。フランス語は、英語ドイツ語なら無料翻訳ソフトで問題ないですから、頑張ってね。
http://www.musiquecontemporaine.fr/blog/?p=32005
こういう「勝手に口コミ評価拡散」ってのも、今時の若い世代の仕事だなぁ。爺には、権利だのなんだの、心配になってしまうけどさ。

舞台写真を眺める限り、「スカラ座のロンコーニ演出世界初演の21世紀テクノロジーを用いたリブート版」というのが基本だった最初の2つとはちょっと異なり、ライプツィヒ初演版の再現が基本というわけではないようですね。無論、コロナ禍で、昨年のアムステルダムでの抜粋上演で第2部をまるまる取り上げたアウディ演出みたいな、膨大なラッパ奏者を動員し客席での市街戦を繰り広げる、なんて派手なことはやれていないみたい。《光》チクルスの中で若い世代に向けて最もアピールしそうで、長さもいちばん短く(多分、《金曜日》は良く知らないので、もしかしたらあっちの方が短いかも)音楽としても入門に最適なコンパクトで判りやすい作品をやったのは、良い判断だったと言えましょう。

パスカルくんの《光》チクルス、来年は11月に《月曜日》のリベンジが発表されているそうな。それまでに世界がまともになっているのやら。なお、パスカルくんご本人は12月に芸劇で読響、名古屋で名フィルを振るために来日予定ですが
https://www.nagoya-phil.or.jp/2020/0128132611.html
…果たしてどうなるんでしょうねぇ。

[追記]

10月29日、パリのロックダウンが宣言されました。現地の方に拠れば、春からのロックダウンに比べると緩いそうですが、事態は悪化していることは確かなようです。ううむ、こうなると《火曜日》がやれたのはエヴァの奇跡に思えてくるわい。

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マルシェQ頑張ってます [弦楽四重奏]

本日は、遙々荒川越えて埼玉は蕨まで行って参りましたです。トリトンのアウトリーチ・セミナーで結成され、地域創造の鹿児島セッションで派遣アーティストとして活動した経験もあるマルシェQのベートーヴェンを聴くため。
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https://i-amabile.com/concert/marche_sq201026

会場となるフェリーチェ音楽ホールは、蕨駅の東口を出て、延々と東に歩き、ちょっと曲がったところ。「首都圏のJR駅から歩いて行けるくらいの一戸建て住宅地」の中にある100席程のクラシック音楽ホール、典型的なコンサートスペースです。
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6年ほど前に竣工なったそうで、やくぺん先生の世を忍ぶ仮の姿が『コンサートスペースに行こう』という連載を某神楽坂音楽雑誌にやっていたのが終わってから、正に郊外コンサートスペース建設ブームの中で出現したものですな。


裏に低層マンションが連なるビルの角地部分で、yamahaホールの設計さんの仕事だそうな。コンサートスペースにありがちな些か強過ぎる残響の教会みたいな空間ではなく、天井は高すぎず低すぎず、適度の容積を持った真四角な平土間空間。
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二階席を作るには高さがないけど、無くて良かったんじゃないかしら。関係者らしきおじいちゃんは、「ホントは長方形にしたかったんですが、真四角になっちゃって」と仰ってましたけど、これはこれでありなんじゃないかな。
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ピアノもきちんとしたものがあり、妙な出っ張りとかもなく、使いやすそうな空間。今時の空間らしく、配信用の設備なんぞも無理なく配置できるようになってるし。
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京浜東北線の埼玉南の方には、なかなか便利な場所でしょう。こちらが公式。詳細はご覧あれ。コンサートスペース、ホントに10年代に進化しましたねぇ。ニッポンの個人社会貢献って、どこかのアーツ団体に数千万単位の寄付をするというよりも、自分でヴェニュを作っちゃうという面白い展開になってるなぁ。
https://felice-hall290.com/

さても、わざわざ蕨までやってきた理由は、「このコロナ禍で若いクァルテットがどうやって維持してきたか」を少しでも眺めるため。なんせ、20年以上コアメンバー固定でやってる連中なら、若い頃に死ぬほど一緒に合わせていて基本は出来ているから、数週間合わせていなくてもなんとでもなる。実際、世間で言うところのメイジャーな「常設クァルテット」というのは、年がら年中一緒にいるなんて団体は例外中の例外。20年も経てば、年に何回かのまとまったツアーがあり、その他のときはそれぞれが別々の行動をしているのが当たり前ですし。

だけど、若いクァルテット、というのは、極端なことを言えば、「どれだけ自分らで練習のマネージメントが出来るか」が全ての勝負。合わせまくってなんぼです。ですから、この半年は業界的には極めて危険な状況なんだけど…

んで、日本の若い団体がどうやっているのか、ちょっとだけ関係者さんやご本人らと出来た立ち話によれば、はやり春から初夏はまるでダメ。その後は、アウトリーチやらこの演奏会やら、いくつかの本番のチャンスがあって、そこに向けて活動をすることになったようですね。

当たり前といえば当たり前だけど、要は「本番をどう作るか」。その意味で、こういう地域密着のコンサートスペースがあちこちに出来てきたのは、状況としては少しは良くなってはきているということなのかも。

音楽は、無論、やらにゃならんことが山積みなのは本人達がいちばん判っているでしょう。トークも、いきなりラズモ2番の最初の3つの楽章を貫くモチーフの話を始めて、これはどうするんだぁ、とビックリしてしまった。地域創造鹿児島セッションのレポートも後で眺めたり、関わっていたコーディネーターさんからの話を漏れ聞いたりしたんですがぁ
https://www.jafra.or.jp/library/letter/backnumber/2012/211/1/1.html
そのときも、ラヴェルのクァルテットのアンサンブルとしての構造について説明する、という難題に挑戦していたらしく、本日のやり方もこの団体としてはありなのかな。第1ヴァイオリンばっかり聴いてればいいわけではないのですよ、というアピールは良く伝わる演奏ではありました。演目がラズモ2番と作品135だから、綺麗な旋律聴いててね、というわけにはいかないしさ。

てなわけで、これくらいの世代の若手も頑張っておるのじゃぞ、というお話でありました。課題は、次の演奏会を作ることなんだろうなぁ。

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初の国内仕様「北京音楽祭」無事終了 [音楽業界]

ちょっと纏まった大きさの原稿をやっていて、世間の動きをフォローしていない間に、コロナの世界の秋はドンドン深まり、せめて「やってるよ」というくらいのお知らせはしようと思っていた第23回北京音楽祭も終わってしまったじゃないかぁ。

今年は世界いずこも同じパンデミックの中、期間も10月10日から20日と短めに設定され、この音楽祭の最大の売りであるロン・ユー監督の人脈で世界のメイジャーな団体や演奏家、オペラプロダクションを持ってきて北京市民に提供する、というやり方とはちょっと違うものに鳴らざるを得なかった。こちら。
https://blogcritics.org/beijing-music-festival-2020-virtual-covid-19-10-day-online/?fbclid=IwAR2SbjITcA6Mxv4vFcBSqUunipaqOCcV5Htys_HrNlSu2SbfG7d89M_ZlSE

恐らく、外国団体や著名外来演奏家、指揮者がいない「北京音楽祭」って、始めてなんじゃないかしら。やくぺん先生は、数年前の「NYフィル新監督指揮香港フィルがピットに入るザルツブルク音楽祭カラヤン演出《ヴァルキューレ》復活上演」というこれ以上派手な演目も考えられないもんを見物に行ったっきりなんですけど、その後も一昨年は《Written on Skin》アジア地区初演やったり、いろいろ頑張ってました。今年の演目は、上のURLから英語の紹介記事をご覧になっていただけばお判りになるように、メインはオンライン。初日に武漢響が披露する「2020年に捧げるシンフォニー」というベートーヴェンの第九編成に近い委嘱新作があったり。勿論、コロナ関連作品ですな。こちら。全曲聴けますよ。
https://www.facebook.com/BeijingMusicFestival/videos/2636183796598481

とはいえ、やはり最も興味深いのは、中国の若いヴァイオリニストだけを集めてベートーヴェンの10曲のヴァイオリンとピアノのためのソナタ全曲を演奏する、という演奏会じゃないかしら。いろんな意見はあろうが、ともかく北京で、というか、中国で、これだけの数の時前の若い演奏家が出てきて、これだけのことが出来るようになっている。有名な外国人演奏家が来なくてもここまでやれるようになった、ってこと。

これが今時のこの国らしい「愛国的」なイベントなのか、なんとも判らぬけど、「西洋クラシック音楽」のこれだけデカいフェスティバルが時前の演奏家でやれるようになったんだから、今年生誕100年がすっかりすっ飛んでしまったアイザック・スターンが上海Qの李兄弟を発見したり、小澤氏がオケの誰もまともに弾いたことないブラームスのニ長調交響曲を北京で奏でたりしていた文革直後から半世紀、こういう世界になったのだなぁ。

こちらのFacebook公式ページから、コロナ交響曲世界初演からベートーヴェンのソナタまで、全て視聴可能です。コロナ交響曲は、23rd Beijing Music Festival: Opening Concertってとこをスクロールして探してちょ。
https://www.facebook.com/BeijingMusicFestival
「中国共産党が第九禁止」なんて良く判らぬ情報が流れてビックリしていた皆様も、これらを眺めて少しは安心する…かしらね。

それにしても、やはり北京は遙かに遠し。

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ニッポン列島2020年にベートーヴェン弦楽四重奏チクルスなし [弦楽四重奏]

札幌の関係者の方からは数週間前に漏らされていた話だったんですが、どうやら数日前にふきのとうホールの公式ホームページで11月17日からの1週間6公演で告知されていたベルチャQのベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏会が、正式に中止と発表になったようです。
https://www.rokkatei.co.jp/hall/fukinoto/?fbclid=IwAR1IlZzHcocDf9nyROQgBrSxaiw6NVEEnWyUTF7_OgRXlr_En84yvDxKBkE

なにしろチケット発売が北海道に緊急事態宣言が出た4月頭だったわけで
https://www.rokkatei.co.jp/news/hall/20200411-3000/
その後はチケット発売は停止していたみたいで、やくぺん先生が7月頭にコンサート再開を先鞭を切ったエクの定期のお手伝いにいったときも、ふきのとうホールでの直接販売は現時点では停止中、ということでありました。結局、それっきりだったようです。売り切っちゃって、さあどうするんだぁ、ってヴィーンフィルみたいなことにならなくて良かったですな。

きちんとしたデータは調べても判らないのだけど、少なくともキタラ小ホールやらふきのとうホールやらが出来て、札幌でもあの時計台のホールとか教育文化会館だっけとかで細々と室内楽やってた状況が変化して以降も、このような短期集中型のベートーヴェン弦楽四重奏サイクルはやられたことはなかったようです(00年代半ばから暫くPMFが東京Qを講師に迎えアメリカの夏期室内楽セミナー型の専門コースをやっていたけど、演奏会としてベートーヴェンを纏めて取り上げたことはなかったし)。札幌の音楽関係者もベートーヴェン250歳記念年最大のイベントと盛り上がっていたようで、残念なことであります。

蛇足ながら、東京首都圏ですら室内楽の演奏史は極めて記録が曖昧で、日本全土となると過去にベートーヴェン弦楽四重奏全曲チクルスですらやられているか、案外と判らない。古い音楽年間や演奏年鑑を端からひっくり返すしかないのでしょうが、それでも学生やアマチュア団体によるチクルスとかがあり得るジャンルですから、うち漏らしは確実にあるでしょう。山形なんてアマチュアの某団体がやってそうだし、富山も地元団体がショスタコ全曲やったりしてるわけだからやってる可能性は大いにある。九州だって福岡モーツァルト・アンサンブルの記録が完全に残ってるとは思えないし。関西に至ってはいろいろな可能性がありすぎてどこから手を付ければ良いやら判らぬ。その意味で、旧第一生命ホールで岩淵先生率いるプロムジカQが日本の団体初のチクルスをやってると判明しているのは、例外的なことなんでしょうねぇ。

もといもとい、ともかくこのベルチャQのサイクル、実現していれば勤労感謝の日に向けた1週間に真ん中1日だけ休みを挟んで6回公演で完奏する、なかなかヘビーなプログラムだった。そもそもやってることがイギリスというマーケットの、室内楽の楽譜を読み込んで、自分も演奏するような、ある意味でベートーヴェンの創作を取り巻いていたサロンの貴族連中に近いハイエンドのエンスー聴衆(東京Qなんてなんの「解釈」もしてない綺麗な音楽をやるだけとネガティヴに評価し、リンゼイQなんぞを世界一の団体と讃えるような嗜好の聴衆ですわ)をターゲットにし、そこで生き残ってきた団体なので、よく言えばいろいろと仕掛けてくる、悪く言えばあれやこれや細かくいじり回してきて疲れる演奏をしてくれる。個人的にはこのような短期集中全曲演奏には最も向かない、ホントなら記念年の1年を通して3週間に1度くらい1曲づつじっくり聴かせてくれるのがいちばん良いと思う団体なんだけど、まあ、それが出来るのは英都とか、英国国内くらいでしょうねぇ。

エベーヌQなんぞの場合は、そういうマニア聴衆向けの部分もきっちりと押さえながらも、いろんな風に聴きたい聴衆を広くつかまえられるようにしているけど、ま、それはイギリスとフランスの室内楽聴衆の違いなんでしょうねぇ。なんであれ、アルテミスQが実質的にもうまるで別物になってしまっている今、もしも2020年に20世紀後半の「メイジャーレーベルから次々と新譜録音が出て、その演目で世界ツアーを繰り返す国際的なクァルテット」というフォーマットが生き残っていれば、恐らくはDGのアルテミスQ、エラートのエベーヌQ、EMIのベルチャQ、SONYのパシフィカQ、スプラフォンのパヴェル・ハースQ、ってところが「クラシックファンなら常識として知ってるメイジャー弦楽四重奏団」だったことでしょう。要は、かつてのアルバン・ベルクQとかアマデウスQとかスメタナQとか、ってこと。

弦楽四重奏の世界は、幸か不幸か20世紀末からすっかりインディーズ化が進み、今や「クラシックファンならなんとなく知ってる弦楽四重奏団」というものは存在しなくなってしまった。2020年に唯一懐かしのメイジャー感を伝える団体の来日公演、それもサントリーでもいずみホールでもなく、ふきのとうホールという場所での公演がコロナ禍でやれなかったというのは、「ベートーヴェン生誕250年はこういう年だったのだ」と象徴的に示す現実でありまする。

というわけで、2020年のニッポン列島では、ひとつの団体に拠るベートーヴェン弦楽四重奏全曲短期チクルスは、一切行われないことが確定しました。勿論、これはマズいと今から12月17日のお誕生日に向けて慌ててチクルスを企画し、開催してしまう熱血マネージャーさんやコンサートスペースの個人オーナーさんなんかがいるかもしれませんし(実際、ここだけの話、やくぺん先生もそういう相談を受けました)、ニッポン拠点でそれが直ぐに出来る団体も片手の指全部とまではいかないが、なくはない。とはいえ…いかんせん、そういう意欲ある個人マネージャーさんや主催者さんがコロナで青息吐息、会社存続の危機に喘いでいる現状、流石に無理でありましょうなぁ。公共はいかにお金が余っちゃってても、数ヶ月でこんな大企画はやれんしね。どこかが配信と絡めてやる、なんてないかしら。ピアノ・ソナタ全曲なら、急遽開催ネットでもライブ、なんてあり得るだろうけど。

初夏のサントリーが敢えて選んだこれまでにないロシア系団体チクルスとしてのアトリウムQ、スメタナQ以降のチェコでヴィーハンQのモダン土着路線とはちょっと違う道を歩んだ団体の実質最後の大仕事だったプラジャークQ、そして2020年のメイジャーな弦楽四重奏再現とはこういうもんだと見せつける予定のベルチャQ、これらが全てなくなって…でも、案外、お腹が減ってる感がない秋なのは、どうしてなのかしら。

ちなみに、ニッポンの浦安でのエクと同じような日程で、パリでは来年にはみ出す形でエベーヌがチクルス始めてます。来年頭までこちらで眺められますので、パリのローカルな祝い方をご覧あれ。
https://www.arte.tv/en/videos/097909-002-A/ebene-quartet-plays-beethoven/

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弦楽三重奏を聴いてみよう [演奏家]

昨晩は、ちっとも秋らしい天高く馬肥ゆる空とならない中を、遙々東京都下三鷹なんぞまで足を運び、ロータスQの3人が奏でる記念年のハイライトのひとつ、ベートーヴェン弦楽三重曲作品9一挙全曲演奏を聴かせていただきましたです。
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当然小ホールと思い込んでいたら、コロナ対応で一人空け席の大ホール。ロータスの皆さんにとっても武蔵野のロイヤルな聴衆にとっても、1000席を越える大ホールで弦楽器3本だけのアンサンブルって、これまでもこれから先もそうはない経験なんじゃないかしら。

なんせメロスQやアマデウスQにガッツリ習っている世代(ううむ、今や長老感が漂いますね、こんな経歴にも)ですから、今時のピリオド奏法や古楽器の弾き方を前提にした若い欧州のアンサンブルの一部にあるような「大ホールでは全然ダメ」ということはなく、どんなに物理的に音が小さくても暫く付き合っていればそれなりにちゃんと聞こえてくる今時の「音楽ホール」の特性と相まって、音が小さくて判らないということは全くありませんでした。無論、来る木曜日のサルビアホールみたいな環境とはまるっきり違うでしょうけど。マネージャーさんも延々と歩いてセッティング。なんせトリオだし、立って弾いてたから位置調整もいつもとは違うし。
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一挙全曲演奏とはいえ作品9は3曲しかないし、どれも真面すぎる古典派4楽章を踏襲した文字通りの作品18の露払いみたいな位置付け。ましてやスケルツォやメヌエット楽章はホントに短いものもあるので、休憩含め8時半過ぎには終わってしまう。でも中身はもの凄く充実しるので、もうこれで充分と感じさせてくれる一晩でありました。

とはいえ情けなくも、最初に演奏されたト長調作品では、慣れない大空間に響く楽器のバランスやら響きやら音量やらに聴衆のこっちが戸惑っているうちに終わってしまった、というのが本音。うううん、もう一度全部やってくれ、とはお願いできないしなぁ。やっとしっかり聴けたニ長調とハ短調しかなんのかんの言えんのではありまするが、誠に立派極まりない再現でありました。立派、というのは、「この音楽がどういうもんで、どういう限界があるかをしっかり判らせてくれた」ということ。

正直、合わせも達者なソリストが力任せに自分の声部の魅力を最大限に聴かせてくれる、という音楽ではありません。その結果、この作品独特の「非力なエンジンで限界までギリギリに突っ走らせてる」感がはっきり聴こえてくる。ネガティヴな印象ではなく、ああこの楽譜はこういうもんなんだ、と納得させられながら、であります。ともかくぎっちりと線で埋め尽くされ、書き込み過ぎちゃった線画みたいな圧迫感すら感じるほど。ニ長調のアンダンテ楽章でも、このメディアでは歌をたっぷり奏でてる余裕なんかないぞ、って割り切った歌の楽章だし。そのギリギリ感がひしひしと伝わって、なんともスリリング。んで、それなりに演奏されるハ短調作品になると、アレグロの冒頭楽章でも音色的にちょっと違うことをなんとかやろうとしてみたり、息の長い旋律が書きにくいことを敢えて逆手に取ろうとしてみたり。スケルツォ楽章なんかな妙に填まった感が漂って、かえって拍子抜けだったり。

ともかく、若者を終わろうとするベートーヴェンくん、敢えて自分に課した厳しくも無茶な課題の中で、ギリギリやれるところまでやってみた、という音楽であることがよーく判りましたです。ああ、これはもう一生やらんでいいなぁ、とベートーヴェンが思ったのも納得しちゃったりしてさ。

音楽を楽しむという意味では、後のこの作曲家さんがお得意とする「最後に向けて大きく盛り上げていく音による壮大な物語」みたいなもんが一切ありません。その意味で、「人間の意志の勝利」みたいなヒロイズムとはまるっきり無縁。とはいえ、ロココ趣味ともちょっと違う微妙な立ち位置なんで、味合わせ方として扱いにくい作品群であることは確かだなぁ、とも思わせてくれました。

この作曲家の弦楽四重奏や室内楽を熟知している方であればあるほど面白がれる、貴重な演奏会であります。木曜日の鶴見は、モーツァルトの晩年の傑作がいかに奇跡的な超名曲かが逆に良く判るんじゃないかな。売り切れだそうですけど。ちなみに、モーツァルトはIIJさんが無料ストリーミングのライヴをやってくれるようです。
https://www.iij.ad.jp/news/concert/2020/1026.html

ベートーヴェンをガッツリ聴きたいお暇な方は、週末土曜日に名古屋までどうぞ。GOTOもあるでよぉ!
https://munetsuguhall.com/performance/general/entry-2052.html

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室町時代と20世紀半ばの間には [現代音楽]

流石にこのカテゴリーか、と思わんでもないが、他に適当なもんがないので…

昨日は賑々しくも首都圏ばかりか日本各地の業界関係者も多数出席するなか、我が亡き母の故郷横須賀は軍港を眺める大劇場で、《隅田川》&《カーリューリヴァー》というダブルビルがフルサイズステージ上演されましたです。コロナ下、関東圏では最初に発売になったオペラ公演のひとつ。
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右側の入場者に対する指示が面白くて撮影したショットでありまするが、この指示、あまり徹底していなかったようです。こんなの知らなかった、という声も聞きました。コロナ下での客席管理は、良くも悪くも館だか主催者だかのキャラが出るもので、コイズミのお膝元横須賀市は、いろいろ指示は出すけど現場は案外緩い、って感じ。ちなみに後半は英語上演作品ながら、ベースへの告知は特にされていないようで、未だ一席空けの客席には、第七艦隊旗艦ブルーリッジ付きの知的な芸術好き情報系佐官、なーんて方のお姿はありませんでした。隣のCoCo壱じゃ、ヤンキー兵隊ねーちゃんがデッカい全部のっけみたいなカレー食ってたけどさ。

もといもとい。ともかく首都圏の書き手やら業界関係者がみんないるんじゃないか、と思えるような状況で、舞台の出来そのものに関してはあらゆる皆様がSNSやらで好き勝手なことを仰ってますから、今更それに何か加えるようなことはありませんです。なんせ人生最大の貧乏状態で、こんな天井桟敷のいちばん後ろの席を購入するのがやっと
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ステージ正面に枠があり、舞台奥のスクリーンは上半分が見切れてしまう状況ですので、何が起きていたか完全には判らないこともありましたし。

それはそれとして、このニッポン国文化圏じゃないと絶対にやれないダブルビル、過去には能楽堂なんかでは案外やられている。今回も、当然「秋の芸術祭参加公演」だと思ってたら、どうやらそうじゃなくbeyond2020の企画だったんですな。今年の芸術祭、審査員をなさった経験のある同業者さんに拠れば古典芸能系はそれなりにやられているそうなのだが、所謂「クラシック」系はなんだか全然やってないみたいなんで、一体どーなってるのかしら。そもそもオリパラ後のアパシー時期だったのかしら。

もといもといもとい。で、作品から聴衆観衆が個々人で何を感じるかはそれぞれでありましょうけど、能《隅田川》とブリテンの教会向け室内歌劇《カーリューリヴァー》を並べて上演する以上、その関心が「20世紀英国の天才オペラ作曲家さんは、室町時代の早世の能の天才の何に刺激され、何を弄って第二次大戦後の世界に提示したのか」になってしまうのは仕方ない。それが目的のアカデミックな上演でないことは百も承知であれ、そこに関心を持たないのは無理ってもの。

そんなわけで、今やすっかり貧乏な初老のオッサンになり物事に新鮮な感動を覚える柔軟な心も魂も失ってしまったやくぺん先生ったら、隅田川の東の芦原に(なのかな?)亡き子の魂を察しよよと泣き崩れる母親の哀しみに涙するよりも、へええ、ここまで同じ物語構造でこんなに違うことを言えるんだなぁ、とブリテンの手腕にひたすら関心しつつ、やはり俺は「オペラ」っぽい過剰な感情表現は苦手で能みたいな様式化されたものの方が有り難いなぁ、なって思ったりしてさ。

このようなきちんとした舞台(演出家さんなんぞの妙な衒いやハッタリがない舞台、ということ)で両作品を並べられると、やはり際立つのはブリテンが20世紀の人間なのである、という当たり前に過ぎる事実。祈りの声の中から死んだ子供の声が聞こえるという現象(無論、フィクションですけど)を前にしたとき、ブリテンは「奇跡」という教会的な思考の枠組みの中に落とし込むことで受け入れた。ってか、そうでしか受け入れられなかった。だからこそこの作品は教会三部作である必要がある。一方の観世元雅は、子供を舞台に出すことを巡ってパパ世阿弥と喧嘩になったという有名な逸話はあるものの、亡き子がどんな形であれそこに出現しちゃうことそのものは、ああそうですか、でオシマイ。奇跡、などという理由は、特に必要とされていない。

ああああ、「合理性を保証するための非合理装置としての宗教」という世界に生きてるんだわなぁ、わしらわ、とあらためて思った次第。20世紀の半ば、信じる、ということはいかに難しいか。

だから、この作文は「現代音楽」カテゴリーでいいんだよ、というオチにもならんオチで、あっさりオシマイ。スタッフの皆様、お疲れ様でした。

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