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大誤植あれこれ [お詫びと訂正]

もしかすると、この世間に何の役にも立たない無責任私設電子壁新聞で唯一役に立つカテゴリーかもしれない「お詫びと訂正」です。始めるとキリがないのカテゴリーなんだけど、ちょっとガッツリ落ち込む酷いやつが連発してしまったので、記させていただきます。

まずは、この週末くらいからニッポン国津々浦々書店に並んでいる(のかなぁ…)「音楽の友」誌11月号、やくぺん先生の世を忍ぶ仮の姿の人間体が商売作文を入れているページに、こんな妙な誤植がありました。
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お判りかな。リード部分に「弦楽五重奏二百出版騒動」とありますね。これ、なんじゃらほぃ、でしょ。

こういうもう誰の目にも明らかな「校正ミス」系の誤植って、この媒体では案外珍しいんだけど(某浅草橋の専門系出版社では年中行事、というか、校正のやりとりをする度に間違っている場所が新たに出現する、という謎の校正校閲セクションを誇り、流石に付き合いがあった編集者さんが別の会社に移ってからは限りなく同人雑誌のあそことはもう商売はしてません…いやはや)、これはなかなかですな。なんせ、刷り上がってきた現物を見た瞬間らしき担当編集者さんから、「ごめんなさあああああい!」という悲鳴のようなメールが来ましたから。なかなかないことです。

正直、報告を受けてからさっきまで「弦楽五重奏作品29出版騒動」の数字の部分がおかしなことになったんだろうと思い込んでいて、お嫁ちゃまには「だから半角数字使っちゃダメでしょ」と叱られたんだけど、原稿のワードファイルを眺めてみたら「弦楽五重奏出版騒動」になってら。うううううむ、なんでこんな不思議な誤植が起きたんだろうなぁ。

まあ、幸か不幸か、これは「なんだこれ?」と思われるだけで、それ以上の被害はないから、ゴメンナサイと言えばオシマイ。特殊な場合を除き書き手に校正チェックはまわってこない媒体なんで、こちらとしては字数をけちって半角数字は使わないようにしましょう、と反省するしかないわね。

んで、もうひとつはかなりマズく、発見以降、大いに落ち込んでるもの。去る水曜日に新浦安駅前の浦安音楽ホールで始まったクァルテット・エクセルシオのベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏会の総合プログラムであります。これ、コロナ下での日程混乱だけでも済まない諸般の事情があり、作業が進まねばならぬ時期に誰が編集責任者かよくわからない、奇妙なお見合い状態になってしまった。で、これはしょーがないなぁ、とたかが作文担当者が勝手に動いて、ともかく事態を進めなければならないことになってしまったお仕事だったんで、本番開始前日に納入されるまでいろいろと不安がありました。最後の最後にも校閲レベルの事実関係間違いを発見し(無論、一種の誤植なんですが、校正さんには直せない)、それはなんとか修正が出来、あとはそう酷いものはなかろうと思ってたら…ウルトラ級の「校正」ミスがありました。これ、まあ、校正レベルのミスなんだろうが。

隠すも隠さないも、第2回の日付が間違ってるんです。

ああそーですか、で普通ならオシマイなんだけど…この演奏会の日はベートーヴェンさんの250回目のお誕生日なんですよぉ!選りに選ってそんな「日付」に大きな意味がある日の演奏会の日程が、何故か一ヶ月ずれて11月になってる。

これ、終演後に発見し、腰を抜かしました。何人もの人が何度もやりとりをし、目を通した筈なのに、看板にでっかく書いてあるよーな数字の間違いに誰も気付かなかった。こうなるともう、心理学の問題になっちゃうんでしょうねぇ。みんなまさかこんなところを間違えているなんて考えもしなかったので、視覚の中に入っていても見えなかった、ってことなんだろーなぁ…

これに関しましては、次に配布される前に浦安の事務所に行き、在庫のプログラム全てを手書きで直すしかないだろうとマジで思ってます。いやはやぁ…

ついでに、終演後に聴衆の方から指摘されたもう一カ所、「校閲」レベルの数字の間違いがあります。こっちは判る人なら一発で判るんで、そんなに心配はしてません。とはいえ、これは避けられたよなぁ。ま、敢えてどこのどれとは言いませんので、お手元にブツがある方は探してみて下さい。絶対に判りますから。

以上、これでもう落ち込むのはやめよう、前向きに生きていこう、という「お詫びと訂正」でありました。商売作文まで「書いてあることはみんな嘘、信じるなぁ」になったら困る。

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18禁コンサート…ではないが [演奏家]

本来ならば一年でいちばん陽気が良い神無月半ば、今年は晴れの特異日オリンピック記念国民体育の日頃から新帝都周辺は秋の長雨みたいな陽気で、天気が良かったから今日から「JR全線各駅停車三日間乗り放題秋の鉄道の日パス」を購入し、今日は水上辺りで小さな飛ぶ方々を眺め夜は群響眺め高崎、明日は横須賀、明後日は三鷹のロータストリオなんで朝から延々中央線の奥までダラダラ足を伸ばし、この人生空前絶後であって欲しいウルトラ貧乏な瞬間に大枚$500も出して修理した一眼レフのテストを思いっきりしてやろう…なんて考えてた凡人閑居して的予定は取りやめ。雨に濡れる柿の実眺めながら、大人しく月末締め切りの短い原稿の初稿を作ってます。高崎線各駅停車の車窓を眺めながらでもやれた仕事なんだわなぁ。

さても、お天道様までおかしなコロナの秋、昨日は、コロナがなんだまだまだ若いもんには負けられんわぃ、とぐぁんばる超長老お二人の演奏会にはしごしたのでありました。

まずは昼間はすみだトリフォニー、新日本フィルの定期に登場なさった外山雄三89歳でありまする。6月のコンサート再開からはや4ヶ月も経つというのに、新帝都のオーケストラの演目は相変わらず古典派から19世紀ロマン派が中心。いろんな事情があるのは分かるが、流石にちょっとなぁ、と思っている病人たちが泣いて喜ぶこんなプログラム。
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メインに据えられたのはベートーヴェンの第7番で、もしかして再開後に最も頻繁に演奏されている楽譜じゃないかしらね。

国境越えた音楽家の移動が実質出来なくなってる今、オーケストラのポディウムは若手から長老までの国内拠点指揮者ばかりになっているわけで、そんな中でも最もご高齢な現役が外山先生でありますな。自作の交響曲って、1960年代くらいに書かれた若書きだろうと思っていたら、一昨年に大阪交響楽団のために書かれた近作でビックリ。10分ちょっとの三部形式みたいな、実質上の「序曲」で、20世紀の半ばのソ連圏で書かれた、と言われても信じそうな作品。とはいえ《管弦楽のためのラプソディ》みたいな聴衆へのサービスは一切無く、ひたすら真面目に鳴りまくります。大阪、という媚びも感じられず、中間のクラリネットだかのソロの歌だって大阪古謡とかじゃあないだろうし。なるほど、これが巨匠89歳の一筆書きエッセイかぁ。大澤とトマジのサクソフォン協奏曲は、小回りが利き音色への配慮が過剰な若手才能キラキラ系指揮者で聴いてみたいなぁ、また。

で、正直、オマケと思って座ってたベトななですが、これがもう「巨匠技」としか言い様がないもの。クレンペラー級のテンポで、中間楽章はどんどん遅くなる。終楽章も、アッチェルランドで盛り上げちゃうよ、ってんじゃない。でも、リズムは崩れていないし、なによりも中音域がやたらとよく聞こえて、もしかしたらこの年齢の巨匠になるともう耳に刺激の強い高い音なんて聞いてない、関心が無いってことなのかしら、と妙に納得したりして。もしかして、耳が聞こえていなかったベートーヴェンの響きに対する印象などは、こういうものなのかもねぇ、なんてしっかり説得させられましたとさ。

んで、会場を上野に移し、文化会館小ホールでは、敢えてお歳を記せば齢83歳のもうひとりの超巨匠、自作自演ばかりを並べたリサイタルでありまする。
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運動量、というか、実際に体の動きが直接音になるという意味では指揮者さんとはちょっと質が違った「巨匠」でありまする。ともかく、あれだけ動ける、というだけでビックリしては失礼なのは百も承知で、それでもやっぱりビックリです。無論、くにちゃんさんとか會田氏なんてバリバリの連中の音立ちとか切れの良さなんぞとは違う世界。この鍵盤楽器から低い響きを中心に豊かな倍音をコントロールし、お弟子さんらを巻き込んだ世界を作っていきます。全て自作自演というのも興味深く、自分の周囲で響いている様々な音楽に素直に反応していく音のエッセイという意味では、外山巨匠交響曲と似たような世界が広がっている。ってか、鍵盤打楽器の巨匠の音楽を聴いて、昼間の外山作品の意味も違って見えてきた、ってのが凡人やくぺん先生のホントのところなんですけど。

この演奏会、なぜか聴衆がやたらと若く、ロビーもこんな感じ。
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文化会館は客席を通常に戻していることもあり、こんなに聴衆で埋まったコンサート、2月の頭くらいから見たことなかったぞ。正直、久しぶりの満席の空間に、三密回避に慣れた我が身はちょっと恐怖感を覚えてしまった程でありました。いやはや。ま、爺さん婆さんしか来ないと言われる「クラシック」の世界、若い人が溢れるのは有り難いことでありましょう。こんな若者お断りのコンサートもあるみたいだけどさ。
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このコンサート、なんで「18禁」なんねん。スタッフに尋ねたら、オーケストラ側は知りません、とのことでした。なんなん。

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巴里やら北京やらでもベートーヴェン [演奏家]

昨晩は、遅ればせながらやっと東京新帝都首都圏でも始まった秋のベートーヴェン生誕祭のひとつ、新浦安でのクァルテット・エクセルシオの全曲演奏会も初日を開け、いよいよ次回はお誕生日。当日配布物にとんでもない誤植が発見されている朝ながら、まあ、ともかく、このコロナ禍でも始まってよかった。

なにやら夜の10時過ぎまで飲み屋飲食店が開いていて、深夜前の国電にそれなりに人が乗っているコロナなんてどこにいったんだムードの新帝都首都圏はどうあれ、世界はまだまだコロナ禍の真っ最中。今週になって北米のオーケストラが「2020-21シーズンは完全にキャンセル」という悲鳴のような通達を次々と出してます。例えば、昨日朝にはNYPからこんなんが来ました。
メール - Important Announcement from Deborah Borda.pdf
オケマンばかりか、これまで連絡をしていた広報担当者などの裏方さんの雇用はどうなるのか、ちょっと想像もつかない事態で、逆にこういうことが起きていないニッポンの現状が不思議になってきますね。アジア圏は欧州諸国に比べると各国とも遙かに厳しい実質上の鎖国状態、それが上手くいっているということなのか。なんだかもう訳が分からない世界であります。

そんな中、流石にもう250回目のお誕生日も2ヶ月に迫ったベートーヴェン祭り、こんな状況であるからこそ自分らの現状でやれるものはやろーではないか、と他人様の迷惑顧みぬ(2020年のベートーヴェン研究では、「ベートーヴェンは聖人どころかもの凄く嫌で迷惑な人」というのが基本認識でありまする)不屈の魂クラシック音楽業界であることよ。

まずは、華の都パリでは、本来ならば世界中で行われていた筈のエベーヌQのサイクルが始まりましたです。
https://philharmoniedeparis.fr/en/activity/musique-de-chambre/21497-beethoven-quatuor-ebene
無事に演奏会は開催され、ライヴでのストリーミングも行われました。して・ド・ラ・ムジークの、クァルテット・ビエンナーレでお馴染みの会場。お馴染みの横配置ですな。まだarteでの録画が視られます。いつまでかは判んないけど。
https://www.arte.tv/fr/videos/RC-020181/integrale-des-quatuors-a-cordes-de-beethoven/
んで、次回はお誕生日に近い12月17日ということ、まるでエクみたいな日程なのでありますな
https://philharmoniedeparis.fr/en/activity/musique-de-chambre/21511-beethoven-quatuor-ebene
がぁあああ…今朝になって、フランスの大統領がこんな発表をなさったぞぉ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201015/k10012663821000.html
エベーヌQの次回のサイクルは2ヶ月後だから現時点では大丈夫ということなんだが、おいおい、やくぺん先生ったら、数週間前間まで本気で今月24日の《光の火曜日》を眺めに行くことも考えていたわけでぇ、コロナ不景気で持ち出し仕事が出来ないどころか、葛飾オフィス固定費だってまともに払えない開闢以来空前の貧乏人状態でなければ、ええええぃ帰国後2週間隔離なんてなんぼのもんじゃい、と無謀な決断しパリ行きの払い戻し不可の安い航空券を購入しパスカルくんに受け入れ手配を頼んでたに違いないぞっ。これこそ常日頃から懇意にさせていただいていた貧乏神様のお陰、としか言いようがないでありまするな。いやはや…

恒例の秋の北京国際音楽祭も、なんとか23回となる2020年シーズンがやれるようで、これまた本日、やりますよ、という案内が来ました。無論、「ああそうですか、じゃあ…」ってわけにはいかないけどさ。去る月曜日にこんな記者会見があったそうな。
https://www.tellerreport.com/life/2020-10-14-young-performers-at-beijing-international-music-festival-pay-tribute-to-beethoven.ByMSP3T7DP.html
海外のプロダクションが関わるオペラなんぞは出来ないにしても、今の中国なら「若い中国のヴァイオリニストによるベートーヴェンのソナタ全曲演奏会」なんてのは簡単にできるだけの才能が揃っている。こういうときだからこそ、正にやられるべき企画でありましょうぞ。どうも、Facebookがいちばん情報が早いみたい。北京発情報でもフィスブック、使えるんだなぁ。外国向け、ということなのかしら。
https://www.facebook.com/BeijingMusicFestival

パリのあの人この人はどうしているのか、北京のあの方やあいつは無事にやってるのか、なんだか全然判らない今日この頃、すっかり鎖国だろうが、それでもぐぁんばれベートーヴェンっ!

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3年目の日本フィル&落合陽一コラボ [現代音楽]

敢えて「現代音楽」ジャンルにします。

2018年の秋から、年に1度のペースで展開している「落合陽一×日本フィル」の演奏会、コンサートホールでモダンなシンフォニー・オーケストラが今時の若者に影響力あるインフルエンサーさんのメディア・アーティストとコラボする、という今風でおっされな企画。そして、敢えてこのポスター。広報さん曰く、「ポスターは作ってないんです」。うううん、おっされだぁ!
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実態はどうあれ、分裂後に各地の組合が支える今やご隠居世代メンタリティのオーケストラであると思われがちがこの団体が思いっきり異なる世代への聴衆開拓を狙って始めただけあって、会場はコバケンのブラームスやらに大いに盛り上がる聴衆とはまるっきり異なる空気。チケットの値段やら、クラウドファンディングのやり方やら、限りなくポップスなんぞに近いものになっている感もあり。

正直、やくぺん先生の同業者さんらとすれば、この演奏会をどう考えて良いかよーわからん、というのが本音で、まああまり関わらないようにしておこう、って空気が流れているのは事実。やくぺん先生も昨年は2回も行われた演奏会に出かけ、ううううんこれは語りにくいなぁ、と思った次第。《木挽き歌》をフィーチャーしたり、近衛版の《越天楽》やったり、さりげなくいろいろ面白いこともしようとしていたんだけど、あんまりそういう部分が話題になることもなく、別業界では「あの落合さんがオーケストラとコラボ」という視点で褒められたりしているわけでありまする。

かくて今年で3年目となるこの企画、他のどのイベントとも同じくコロナの世界での開催ということになってしまい、この3月以降の世界の流れを見ているに、かえって相応しいやり方になっている可能性もあるだろー。さても、どうなることやら。

なお、終演後の日本フィル広報さんに、今年の内容なら必要があれば商売作文もやれます、と伝えてあるので、ことによるとなんか動きがあるかもしれないから、以下は表の作文が入った場合にもバッティングしないような「昨年の演奏会に座っていた方に、今年はどんなもんだったかちょっとだけお伝えします」というもんです。ホントに関心がある方は、10月24日に以下のサイトでオンライン再配信があります。有料でアーカイヴはない、という「ライヴ」に近いものです。この売り方そのものが、この演奏会がどういうものかを示してるんでしょう。演説も付いてるから、ま、そっちをお読みあれ。
https://eplus.jp/sf/detail/2996680001

で、どんなもんだったか、一言で言えば、「落合さんチーム、3年目ともなったからか、自分らが何をやるのがいちばん良いかはっきり割り切ったな」ってのが感想。ぶっちゃけ、昨晩の池袋はウェストゲートパーク横のコンサートホールで起きていたことは、PC画面上を通して世界のどこからでも眺められるメディア作品のライヴ素材です。正直、会場にいても、ホントに何が起きているのか、メディアアーティストさんと楽屋裏に膨大な数が動員されているというチームが何をしているのか、殆ど判りません。知りたかったら、上のURLで10日後の配信を購入し、眺めるしかない。ってか、そっちが本番。

じゃあ、げーげきのホールに居た奴らはアホか、ということになるのだが、ヘタすりゃそうなりかねない演奏会をかけがえのない一期一会の体験にしてくれたのは、夏の企画発表では「その他」になっていた藤倉大の《Longing from afar》でした。この1曲、10分もかからないこの曲を聴く、というか、経験するだけで、この演奏会はホールで聴く意味があった。この曲だけは、どんなに頑張ろうとPC画面で聴くものはホールで聴くものにはなり得ないし、恐らくは、ホールでの体験には迫れないでしょう。

この藤倉作品、コロナの世界的なロックダウン時に急速に発達した画面分割上でのリモートのテレワーク奏者合奏のための新作であります。それを、作曲者が協力しver.5という楽譜を提供(もう存在していたのかもしれないけど、そこは当日プログラム記述からは判らない、事務局に尋ねれば良いんだろうが、スイマセン)、世界各地からの16人の奏者がリモートで参加、ホールでもステージばかりか「距離を取って」リモートに拡散されたオーケストラとライヴで共演する、というものでありました。これが当日プログラムに挟み込まれたリモート出演者名簿。おおお、知り合いの名前もあるじゃあないのぉ。
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これはもしや、と直ぐに開演前のロビーからハノイに連絡すると、あっという間に返事がありました。今、PCの横に控えてます、って。

リモートの画面の前でオーケストラが鳴り、ホールに配された楽器があちこちから聞こえ、電子音と生音がミックスされ、池袋西口の夜に響き渡る。最後は旋法を拾うみたいな歌が流れ、消えていく。終わったあとには、16分割された画面の中から、世界中の音楽家たちが手を振っている。

少なくとも7ヶ月前には、こんな「音楽作品」が生まれ、ここで披露されるとは誰も思っていなかった。コロナの状況に最も影響を受けなかったのは「現代音楽」ではないんかい、やっぱり。

もの凄い手間と時間とお金をかけてたった7分かい、と言われればそれまでだけど、《誰も寝てはならぬ》や《私のお父さん》よりは倍くらい長いぞ、と敢えて強弁し、この話はオシマイ。関係者の皆様、特に裏方の皆様、お疲れ様でした。

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ベートーヴェン作曲ヴァイオリンと鍵盤のソナタ全曲演奏会って… [演奏家]

昨晩は、秋とはいえまだ上野の杜の紅葉は色づく気配もなく、台風が来なくて妙に湿っぽく爽やかじゃあない空気が流れ込む中、文化会館小ホールで桐山建志&小倉喜久子というニッポンを代表するオリジナル楽器系巨頭に拠る「ピリオド楽器で聴くベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ集[全3回]」の2回目となる演奏会を拝聴して参りましたです。
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先週末からやくぺん先生的には勝手に開催中の「新帝都神無月の勝手にベートーヴェン記念年祭」の目玉公演のひとつでありまするな。
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-10-12

この楽曲の全曲演奏会、そもそも「全曲演奏」なんてものが意識的に行われるようになったのはそれほど歴史があるものではないような気がするし、昨晩斜め前に座っていらっしゃった大権威者のH先生にお尋ねしようと思いながら、タイミングを逸してしまった。

そんなことドーでもいーといえばそれまでですけど、ベートーヴェン生誕200年祭りが大阪万博と一緒に盛り上がっていた1970年に、果たして「ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会」なんてやられたんでしょうかねぇ。なんか、昨日来、とても気になってます。交響曲全曲やピアノ協奏曲全曲はいくらでもあっただろうし、実際に日本でもあったわけだが、アントン・ヴァルターのピアノフォルテでやる、なんてことは楽器博物館なんかはともかく、普通のコンサートとしてはまずなかったろう(コレギウム・アウレウムは1961年からやっていたそうだが、《エロイカ》が話題になったのは70年代後半で、生誕200年騒ぎには間に合っていないと思うし)。1970年といえば「レコード巨匠時代」の真っ盛りなわけで、SP時代からの20世紀前半から半ばの「往年の名演奏家」達が引退し始めていた頃。ジュリアードのディレイ女史教室から日本を含む様々な文化背景の若手スターが出始めていた頃ですから、やりそうな人がいたとすればスターンとかかなぁ。でも、やらなそうだなぁ。《春》と《クロイツェル》やって、10番やって、あとはハ短調なんぞをちょっとやる、ってくらいだったんじゃないかしら。全曲チクルスも、なんせ後期作品がないので、弦楽四重奏曲みたいに全曲をやることで作曲家の個人史的な展開が見えてくるジャンルではないし。

なお、コロナがない世界だったら、この時期にこのような大イベントが企画されており、恐らくは我が業界は「ベートーヴェン記念年のヴァイオリン・ソナタはこれでオシマイ」って感じになっていたのでありましょう。
https://www.suntory.co.jp/news/article/sh0324.html

もとい。んで、なんとなくとっても21世紀っぽいイベントの「ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏」でありまするが、コロナ禍続くニッポンの国境封鎖状況での記念年を代表するに、これ以上相応しいチームはないでありましょう。会場は、正直なところトッパンどころかハクジュホール級でも大丈夫なくらいの状況でありましたが(一人空けまだら状態でしたし)、やくぺん先生の席の真ん前には去る土曜日に巨匠スタイル代表でここで巨匠らが弾くレパートリーを奏でて下さった和波先生がお座りになり、斜め向こうには日本のベートーヴェン学の巨匠H先生が鎮座。その向こうには桐山さんとチームを組むエルデーディQの花崎夫妻がいらしてる。要は、居るべき人は居る、という会場。

この桐山チーム、この10月に2回で、最後の人気曲は来年、というやり方。スタッフに尋ねたところ、これはコロナ故ではなく、そもそもこういう予定だったそうな。

というわけで、やっと話が本論になるのじゃぞ(この無駄話電子壁新聞本論なんてあるのか、と突っ込まないよーに!)。このジャンル、ベートーヴェンさんがヴィーンに上京しそろそろ修行も終わり、作品18という「そのまま出版可能な立派な博士論文」みたいなもんを出す前に出した「ちょっと無茶もあるけどちゃんと出版可能な修士論文」みたいな作品12という3曲セットがあり(ちなみに「そのまま出版可能な卒論」は作品1のピアノ三重奏かな)、作品18の完成直後にイ短調作品23と《春》という実質セットの2曲があり、「ハイリゲンシュタットの遺書」後から五重奏出版騒動の頃に所謂《アレクサンダー・ソナタ》と呼ばれる《ラズモ》の先駆けみたいな位置づけの3曲があり、まだまだバリバリのピアニストとしてやれると思ってた頃にブリッジタワーとの共演のために慌てて書いた《クロイツェル》があり、あとはポカンと飛んで《ハープ》なんかの頃に弟子のルドルフ大公が初演したというまるでキャラが違う圧倒的に「室内楽」っぽい10番が来る。全曲をやるとなると、案外とやりにくいキャラの作品が並んでるわけですな。

んで、桐山チーム、どうしたかというと、3回の演奏会で基本、作曲順に近い感じでやっていく。詳細な作曲順番など、なんせ相手が相手なんでスケッチ帳に拠る詳細な研究がガッツリ成されているジャンルでしょうから、知りたい人は勝手に調べておくれなもし。ともかく、先週の第1回は作品12全部と作品23。昨晩は作品24《春》と作品30全部。このままでは最終回が《クロイツェル》と第10番だけで、一晩のコンサートには短くなり過ぎる。んで、桐山チームはボンに出てきて直ぐに出版されたWoO40の変奏曲を最初に置いてます。

なるほど。この辺り、上のURLでミドリさんの処理と比べていただくと、ミドリ&ティボーデというスターのプログラミングとの作り方の違いが興味深いことでありましょうぞ。へえ、ミドリさんはプログラミングの切り札になりそうなふたつの短調作品を、あっさりと初日で使い切ってしまうんだなぁ。

中身についてちょっとだけ触れておくと、昨晩の桐山チーム、正に「ピリオド楽器」でやる意味を大真面目に追求している再現で、最初の音が鳴った瞬間からズッカーマン&ナイグルとか、20世紀後半のスタータイプとは違う響きがしてる。当たり前だけど、その当たり前がちゃんと文化小ホールという空間で出来てる。近江楽堂とか昨今ピリオド系流行のサロンやらコンサートスペースではなく、この帝都の室内楽の殿堂できっちり出来てる。無論、「あれ、音小さいかな」とは最初は感じるけど、直ぐに慣れてしまうのはコンサートホールという空間の利点。いちばん面白かったのは6番で、ヴァイオリンと鍵盤の音色がモダン楽器みたいに極端には違わないことの意味、ヴァイオリンを旋律楽器として歌っちゃえば良いだけではないし、旋律がモチーフの素材なだけでもないけど、かといって「音楽的な対話」だけに徹するわけでもないなんとも微妙な感じが、上手い具合に伝わってきたでありまする。ハ短調作品をチクルス2日目最後に置くことで、なるほどやっぱりこの曲はモダン楽器でガンガンに弾かれるだけの質の違いがあるなぁ、とも思えるし。

で、こうなると、やっぱり妄想しちゃうのは、「第6番の終楽章を《クロイツェル》終楽章でやったらどーなるか」ですね。第6番や《クロイツェル》の曲目解説には必ず記される「ブリッジタワーとの初演に作品が間に合わなくて、そもそもは第6番の終楽章として書かれたフィナーレをまんま慌てて転用した」という事実。これ、見る度に「じゃあ今の終楽章になる前の、6番のオリジナル構想ってどんなんだったんよ」と思っちゃうのが人情というものでしょ。実際に楽譜はあるし、やろうと思えば誰にだってやれるのだけど、流石に6番の第3楽章を《クロイツェル》の第4楽章で弾いちゃった、という話は聞いたことない。全集CDがあれば、今、この瞬間にも簡単にできるんですけどねぇ。

ベートーヴェンの記念年、山のように演奏される中で、こんな叱られそうな無茶をやってくれる奴が誰かいないかしら。だってさ、3回でソナタ全部を弾くなら、10曲終えた後のアンコールみたいに「ベートーヴェンが当初構想した幻の第6番」をアンコールみたいにやれば、演奏会の時間には丁度良くなるじゃん。

なーんて、どーでも良いことを考えながら上野の山を下りる神無月半ばの新帝都ベートーヴェン生誕記念250年音楽祭の中日でありましたとさ。さて、中一日の休みを挟んで、明日はエクの弦楽四重奏初日でプチ祭りはひとまずオシマイ。その次は遙か九州は黒崎での「1日でヴァイオリン・ソナタ全曲」という空前の無茶な演奏会でありまする。

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ローカルにして味わい深いベートーヴェン記念年 [演奏家]

コロナの日常に慣れたとは言わないけど、いつの間にか出かけるのにマスクをし、スーパーでレジに並ぶときには前をしっかり開けるのが当たり前になりつつ神無月も半ばの今日この頃、新帝都は晴れの特異日の筈が、なくなってしまった五輪を悲しんでか秋の長雨みたいな陽気、葛飾巨大柿の木の実も一気に色づく筈がちょっと足踏み状態な今日この頃、皆々様はいかがお過ごしでありましょうぞ。

やくぺん先生ったら、相変わらず、というか、金になる原稿はますます減って、書いた原稿も納入先が経営不振は目に見えていていつ支払われるか定かではないものもある。冗談じゃなく、これはもう葛飾オフィスの固定費を維持するのが精一杯、親の墓の前で土下座して柿の木切り倒して売り払うのを許して貰うしか生きる道はない状況に追い込まれておりまする。いやはや。まあ、幸か不幸か、持ち出し額の大きな取材はまるっきりないわけで、取材費やらチケット代が最低限であるが故になんとか生き延びられているだけ。御上が「原稿を発注したら原稿料の4割を発注側に補填するGOTO作文」キャンペーンなぁんて、支持者の大手旅行業界さん方になさってるような手の差し伸べ方は絶対にしてくれない特殊な零細業界。偉い学者さんでさえ税金の無駄遣いと叩かれ、税金で選挙民買収やった責任者がソーリ大臣やってル我らがニッポン、いやはやぁ。

もといもとい。そうはいっても「演奏年鑑」の概論執筆やら、某社の年間コンサートベストテン選びなどを考えると、電気代と税金払ったらチケットを買うお金がありません、というわけにもいかず、粛々と会場には足を運ぶのであーる。漁師さんが魚が売れなくても漁をせねばならぬ、農家が台風でやられそうでも畑に種は蒔かねばならんのと同じでんな。

かくて、去る金曜日から連日連夜、新帝都各地で賑々しく開催されている「とーきょー秋のベートーヴェン250年記念大フェスティバル」としか言えぬようなもんに通っているのであります。以下。

9日金曜日:小山京子リサイタル(ブルーローズ) 《月光》、幻想曲作品77、《ハンマークラヴィア》
10日土曜日:和波夫妻デュオ(文化小ホール) 《クロイツェル》、ソナタ第10番、ロマンスト長調
11日日曜日:神戸室内管東京公演下野&清水和音(紀尾井ホール) ピアノ協奏曲ト長調、《英雄》
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12日月曜日:桐山&小倉ソナタ全曲第2回(文化小ホール) 《春》、作品30全曲
14日水曜日:Qエクセルシオ弦楽四重奏全曲第1回(浦安音楽ホール) 《セリオーソ》、ラズモ3番、作品127

明日火曜日だけは日本フィルさんと落合息子氏のインスタレーション型演奏会があるのでベートーヴェンはお休みだけど、去る金曜日からだだだだだだあぁ、っと聴いてるのはベートーヴェンばっかりなのでありまする。これをフェスティバルと言わず、なんとゆーべきであろーかっ!

この「みんなで勝手にやってるコロナ下新帝都秋のベートーヴェン祭り」ですけど、ご覧になってお判りのように、所謂「日本の中堅から巨匠」が演奏者。所謂「外タレ」とか「世界を股にかけるスター」とかではありません。

コロナの鎖国状態で、本来ならばこの時期、溜池の大ホールではミドリさんがベートーヴェンのソナタを披露、プラジャークQが日本中でチクルスを含む演奏をやりまくり、ジュリアードQまでやってきて後期作品なんぞを披露していた筈。わしら同業者も、そういう状況ならば、そっちに多くの方々が行かされてなんのかんの言ったり言わなかったりしていた筈でありましょう。でも、鎖国のお陰でそういう状況は一切なくなり、結果として、この列島に拠点を置き、引き籠もりの間には家でしっかり勉強したりせいぜいがネットで個人発信していた音楽家の皆さんが、そろりそろりと出てきて半分ほどの聴衆を前に成果を聴かせてくれるのを拝聴することになっている。

ピアノソナタから協奏曲まで各ジャンルバランス良く並び、演奏も20世紀巨匠様式を今に伝える長老からピリオド系演奏の最先端、そして「古楽器」や「ピリオド奏法」の響きを知った上で敢えてロブコヴィッツ伯爵邸で初演された規模(よりも全然大きいんだろうけど)のモダンなアンサンブルで今時の研究を踏まえた総譜を再現する意味を真っ正面から問うような交響曲再現まで。声楽はないけど、ニッポンのベートーヴェン受容の中心は器楽だったわけだから、これはこれでローカルなあり方としてはあり。そう、これぞ正に、コロナがあったからこそ可能になった「遙か極東の島国で150年くらい積み上げられたベートーヴェン受容の2020年の姿」を俯瞰させてくれるラインナップでありまする。

聴衆も、こんなテイストの特別ではない、でもちゃんとしたベートーヴェンをちゃんと聴きたいと思ってホールまで足を運んでいる方々ばかり。数は多くはないけど、そもそも多くの人に強引に聴かせなきゃいけないようなもんではない。日本に入ってきた洋食がしっかりと「トンカツ」とか「カレーライス」とかになって定着し、それをもう何世代もが栄養にして生きてきている、ミシュランガイドに掲載されるような特別な物ではない当たり前のトンカツ定食やオムライスを丁寧に、ガッツリ食わせてくれるような、そういうじみぃでローカルな音楽が、ちゃんと鳴っている。

勿論、若きローカルなスターが若い(のかなぁ…)聴衆を集めるインなベートーヴェンだって鳴ってるわけで、そっちにはそっちを聴きたい人がちゃんと来ているようだし。ニッポンの新帝都、捨てたもんじゃないじゃああーりませんかっ。

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BRTに乗って第一生命ホールからサントリーホールに行こー! [新佃嶋界隈]

去る10月1日、目出度くも有り難くも、トーキョーオリンピック開発のおこぼれで、銀座東京駅から最も近い田舎佃島界隈にも新たな素晴らしい交通機関が登場しました。こちらですぅ。
https://tokyo-brt.co.jp/
一見したところ都バスと誤解しそうだけど、お江戸は東地区半分千葉の住民を運び続けて一世紀、我らが京成電車が運営する新交通システムでありまする。当面開通したのは、ここ。
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晴海から虎ノ門を結び、昼間は15分に1本くらいで運行中。1時間に1本、新橋止まりの長大な連結バスも1両だけ走っておりまする。

さあ、これでもう、第一生命ホールが終わって慌ててサントリーホールに向かう、案外と半端に動きにくいルートにワームホールが開いたようなもんじゃわい。花電車でも出したいような目出度さよ、まずは乗車してみよーではなかろーか。晴れの特異日10月10日は国民体育の日を前に、台風が新帝都に迫る碌でもない空模様とはいえ、それ故に佃月島豊海方面の新開地住民はこぞって新交通システムを利用するに違いないぞっ!

まずは晴海のBRTターミナルを探さにゃならぬ。どうやらトリトンの中ではなく、再開発され高層縦長屋立ち並ぶ晴海通りを東側に渡った辺りのようなので、ともかくトリトンスクエア最北端の江戸バス停留所の辺りから、それらしき方向に向かってみましょ。
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T字路のながああああい信号を待ち、反対側に渡っても、それらしき案内もバスのターミナルらしき雰囲気もない。Googleマップさんを信じてちょっと豊洲側に歩けば、工事中の柵がすこし途切れ、中に入れるようになっていて、その向こうったら、こんなん。
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ううむ、バスターミナルというのだから、発券所や案内所、はたまた、コンビニとは言わぬも自販機、せめて屋根付きのベンチくらい並んでるかと思えば、単なる広っぱじゃあないかい。今時のハイテク駆使して次のバス到着案内するよーな固定式ポールもない、物の見事な「仮停留所」っぷりなんだけど…

ともかく、目の前の短いバスが乗客皆無のままに発車しようとしているのに飛び乗ります。普通の都バスみたいに前乗りで、PASMOをタッチ。降車扉は真ん中で、前半分はひとりがけ、後ろ半分が二人がけの、前に客が溜まってしまうタイプですなぁ。要は、お馴染みのニッポンの都市バス。

さて、ゆるりゆるりとやくぺん先生のみを乗せたBRTは出発。晴海通りに出て
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このまま真っ直ぐ、選手村という名の晴海ゴーストタウン方向に直進するかと思ったら
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なんと、トリトン横で右に曲がり、勝どき駅方向に向かいます。あれぇ、勝どき駅には停留所がなかったんじゃないかい、と思ってたら、留まらずに駅の上で左に曲がって、勝鬨橋ではなく豊海方面へと向かう。ま、そりゃそーじゃろ。
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延々と南下し、東京タワーズの横を豊洲市場へとマッカーサー道路が抜けて行くところまで至り、おもむろに右折。ここで最初の停留所となります。まるで上海の市内バスみたいに、停留所の間の距離は滅茶苦茶長いなぁ。ここから乳母車含め5名の乗客が乗ってきて、この公共交通機関、総計1320円也の売上でありますな。京成電車、なかなか大変そうだなぁ、これじゃ。

ここからは動画でお楽しみあれ。BRT最大のハイライト、マッカーサー橋を渡る車窓風景。
って、市場跡地に入った辺りから、朝日新聞のところでの合流で渋滞じゃわい。おいおい、BRTって、専用路線で渋滞無し、ってのが売り物だったんじゃないんかい。これじゃ、単なるバスじゃないかっ。

浜離宮横から汐留新橋の永遠の工事区間は、右に曲がって電通ビル南下に入り込みます。ここにBRT新橋バス停がありまする。ゆりかもめの下を行けば、JRや地下鉄の新橋駅まで濡れずに行ける…のかなぁ。

さても、あとはノーカットでマッカーサー道路を突っ走るBRTの車窓をお楽しみあれ。
新橋駅駅ビル前で左折し、JR大ガード下で延々と信号待ち。そこから地下に突っ込み一気に虎の門病院前まで抜けるのかと思ったら、地上をノンビリ進みます。途中、反対側をBRTがやってくる。
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この道、横の自転車専用レーンを走っていると広く感じるが、バスがすれ違うと、そう広くもありませんね。

かくて晴海ターミナルから虎ノ門ヒルズターミナルまで、時間にして24分也。これは立派に速いというべきなのか、微妙だなぁ。
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さあ、サントリーホールに向かおうかい。地上階のバスターミナルから南に抜けようとしたら、おねーさんから、そっちには抜けられないので一度ビルに入ってくれ、と言われました。おいおいおい。バスターミナルは北側のビルの下で、目指す溜池方面はまだ丘ひとつ向こう。
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延々とビルを上がったり下りたり、日比谷線虎ノ門ヒルズ駅の開発地区までやっと辿り着き
https://yakupen.blog.ss-blog.jp/2020-08-16
ここを突き抜けてくると思ってた新橋からの地下トンネル出口を眺め
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ううううむ、サントリーホール、未だ遙かなり。実際に歩けば、解体作業迫る(のか?)JTホール眺め、立派になった虎ノ門病院とニューオータニの間の公共空間抜け、アメリカ大使館をどういう法律的な根拠があるやら知らぬがまるで米軍憲兵みたいにがっつり守るニッポン官憲に捕まりながらぐるりと巻いて、サントリーホールの下手側に自然に出ちゃうまで10分もかからないんだけど、なんだか凄く遠く感じるぞ。

結論。このルート、無茶苦茶急いでないなら使えます。第一生命ホールで4時に終わり、サントリーが7時開演とかなら、ま、一度くらいご利用なさってみてはいかがかな。それよりもなによりも、せっかく今は月島駅の上を通ってるんだから、臨時で良いから停留所を作ってくれんかしらね。新佃嶋住民には悲願…でもないかぁ。

なお、BRTについて純粋に乗り物として喜んだり怒ったりしているバスマニアの皆さんが、YouTube上に全線の車窓映像などやまのようにアップなさってます。ご関心の向きは、「東京BRT 虎ノ門」でググってみて下さいな。沿線利用者地域住民とマニアさんの視点の違いが面白いですよ。

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「ニューノーマル時代の新演出」とはなんだったのか [音楽業界]

目出度くも2020-21シーズンの初日を迎えたニッポンのナショナルシアターは初台、「ニューノーマル時代の新演出版」という触れ込みで上演された《夏の夜の夢》を、4階上手側隅っこの貧乏人席から見物させていただきましたです。
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このような立派な舞台を税込み€30もしないお値段で提供して下さるのですから、今や巷の話題の「公金投入」という意味ではもう有り難いとしか言い様がないです。はい。

中身に関しましては、基本的には「こんな時期によくぞここまでやった」という賞讃で溢れているようなので、そういう話はそちらにお任せ。当無責任電子壁新聞では、毎度毎度の「感想にもなってない感想」以前の、「で、要はニューノーマル時代のなにやら、ってのは何だったんじゃ」というところだけ、後のメモとして記しておきます。だから、ホントは「パンデミックな日々」カテゴリーにしておくべきなのかな。

まず話の前提は、このブリテンが1960年にまだ今のホールがなかったオールドバラ音楽祭で初演するために書かれた作品、極東の島国が江戸時代だった頃から様々なジャンルで無数に作られているシェイクスピアの二次創作(敢えてそう言いますが)の中でも最も成功した作品のひとつである、という事実。なんせ、オペラなんて詰め物がたくさんある状態にして、アーデン版のオリジナルテキストを朗読した全5幕の長さとほぼ同じになってるなんて、ブリテン絶頂期の音楽劇作家としてのトータルな能力の高さに驚嘆せざるを得ません。オリジナルの第1幕をまるまる削ってモテモテちっちゃい美女ハーミアのパパとの状況説明を省き、長さを調節。そのぶん、音楽を付けるという意味ではいろいろやれる最後のアテネ市民のおバカ劇の部分がアンバランスなまでに大きくなるのをどう処理するか、無駄とも思える劇中劇の存在をどう解釈するのか、演出側に放り投げる(演出家の挑戦意欲を刺激する、というべきか)舞台作家としての仕掛けの周到さ(悪辣さ、というべきか)もあっぱれだし。

シェイクスピアをオペラ化する際の「今の言葉とは些かかけ離れた古い文章をどう処理するか」という最大の問題は、饒舌すぎる部分は削るけど基本はオリジナル、という開き直ったやり方で処理しちゃう。丁度60年前の英国では、わざわざ遙かオールドバラまでブリテンの新作を眺めにくるような聴衆観客なら『A Midsummer Night's Dream』なら最後のパックの口上を暗唱できるくらい知り尽くしてて当然でしょ、って前提があったんだろうなぁ。アデスの《テンペスト》なんぞでは言葉の処理に苦労してるのがミエミエになっちゃって、この半世紀でいかに世界人類の文学的教養が衰退したか嘆きたくなるけど、ま、それはまた別の話。

さても、やっと初台の「ニューノーマル演出」の話になるのだがぁ、そんなとても特殊な作品の10数年前にモネ劇場で出たプロダクションの改定演出、感想をまるっと言っちゃえば、「なるほど、ニューノーマルって、要は作る側の問題ね」でした。つまり、「ニューノーマルの日常の中で新しく感じたことや見えてきたことを、舞台に反映させた」試みではない。「イースター以降のニューノーマル時代の制約の中でも、これだけオリジナルに近いものが作れますよ、これだけ違和感なく舞台が作れますよ」ということだったみたい。「みたい」ってのは、やくぺん先生はモネ劇場のオリジナル舞台をどんな形であれ眺めてはいないので、判断のしようがないからです。スイマセン。

実際に舞台にどのような条件が課せられたかは、「ぶらあぼ」さんに掲載されているゲネプロのレポートをご覧いただけばよろし。こちら。
https://ebravo.jp/archives/68507
舞台作成上の技術的な制約があった、ということです。

いちばん大きな制約は「出演者間の距離を取る」だったのであろうことはどんなシロートにも判る。初台の大劇場のようなアホみたいにデカい空間で、そもそもがオールドバラで上演することを考えて作られた舞台をやるわけです。ホントはせいぜいが日生劇場くらいでやるべき作品、ってこと。オリジナルの構想とは異なる規模の舞台での上演ですから、舞台上に配置される歌手やら役者、合唱団なんぞの距離って、演出家にとってはとても大事な文法のひとつとなる。つまり、表現の重要な要素に制約がかけられてしまってる状態。さらには、声楽作品上演では盛んに論じられる飛沫防止もあるでしょうから、近づくばかりかある程度以下の距離で向き合って歌うなんて御法度でしょうし。

幸いにもこの作品に限れば、「歌手二人が接近して歌い合う」必要があるとすれば、駆け落ちを決行した愛し合う二人が暗い森の中で道に迷ってるところくらいしかない。大喜びして抱き合い歓喜の二重唱を高らかに響かせる、なんていかにもオペラっぽいシーンは全くありません。アテネ市民たちのドタバタも、「しらじらしいまでの演劇ごっこ」に様式化することが出来る。横一列に並んで客席に向けて歌おうが、しろーと演劇をやってるのだから、これはオペラのお決まりなんだから、と納得させられるし。

そうはいっても、やはり横一列並び客席向いて歌唱って、今時のムジークテアター系の舞台からは一掃されてしまった一昔前の「オペラ」の舞台風景だなぁ、と妙に懐かしく見えたりしましたね。キャストが全部日本の歌手や役者であることもあって、それこそ1980年代くらいまでの二期会の舞台を上野東京文化会館の天井桟敷から眺めているような、みょーな懐かしいデジャビュ感があったのは否めませんです。そう、前世紀のニッセイ劇場プロダクションのモダンオペラみたい、ってかな。

幕の間の休憩では、ロビーに並ぶ椅子が全て甲州街道側を向き、まるで学校の教室みたいに座ってる不思議なニューノーマルの世界。
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これが舞台の中身に反映されていくのは、これからになるのでありましょう。とにもかくにも、スタッフキャストの皆様、お疲れ様でした。

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2週間の闘いの記録 [パンデミックな日々]

秋の長雨なのか、はたまた台風の前触れなのか、そろそろ柿の実も落ちなくなった(安定してきた、ということ)葛飾巨大柿の木が冷たい雨に打たれる朝、こんな情報が。
https://www.tpo.or.jp/information/detail-20201005-01.php
南フランス在住のチョンさんの定期、「入国制限措置(=入国後14日間の待機)が解除されないことから」ダメで、息子殿に交代になった、とのこと。チョンさんって、韓国の大使館パスポートだったという話だったけど、外交官特権でなんとかならないものなのかしらねぇ。

2020年のニッポンを実質上の庶民にとっての鎖国状態にしているこの「入国制限措置」、ニッポンが新政権になって解除されるのではなどという根も葉もない憶測というか希望的観測が業界内には(特に列島の外で)広がっていたようで、実際、昨日くらいから「ビジネスに限って解除」という話が流れています。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020100701310&g=soc
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20201006002700882
2週間隔離がなくなる、という憶測記事も出ていますが、ま、それらは敢えて貼り付けません。ともかく、いろんな噂は連日浮いては消えていくものの、まだ普通の意味で予定を立てられるような状況ではないようですな。なんせ、「会話はできる限りお控え下さい」のホールロビーでは、わしら同業者が集まるとまず出てくる話題はこれですし。無論、誰もホントの情報なんて持ってる奴はおらず、某超大物外来オーケストラの既にチケットは完売になっている公演スタートまで丁度一ヶ月となった今日この頃、これからの10日くらいが業界雀のピーチクパーチクのクライマックスなんでしょうねぇ。

我が業界でも流石にもうしびれを切らした、とばかりの動きは始まっていて、今やニッポンで活動する方としては「やり手」という形容詞が最も適切な某マネージャー氏(皮肉ではなく、心から褒めてます!マネージメント会社がどんどんイベント会社になりつつある昨今、こういう方は絶滅危惧種なのかも)のところが、こういうリリースを出してます。
http://www.kojimacm.com/index-j.html
もしかしたら、この3月以降、初の「海外アーティスト来日公演ツアー」になるのかしら。勿論、日本国籍のある外国拠点がある方で、2週間隔離をクリアーして往来を繰り返してらっしゃる演奏家さんは何人もいらっしゃるようですが。

このような実質鎖国状況はニッポンだけではなく、いろいろ話題の香港では、先月このようなことがありました。
https://hksl.org/covid-countdown-journal/
香港シンフォニエッタの首席客演指揮者ポッペン御大が、丁度一ヶ月前の9月8日から香港入りして、香港湾を眺める立派なホテルに2週間隔離になり、未だに聴衆が入る演奏会は出来無かったけど、9月26日のベートーヴェン250年記念演奏会第1回を行った、という話。この間の隔離生活は、ご本人自身のiPhoneだかでの撮影で紹介もされております。これ、五日目の映像。
https://www.youtube.com/watch?v=amkSxdQV6oY
これ、纏め記事のひとつ。
https://sg.news.yahoo.com/coronavirus-german-conductor-christoph-poppen-074038319.html?guccounter=1&guce_referrer=aHR0cHM6Ly93d3cuZ29vZ2xlLmNvbS8&guce_referrer_sig=AQAAAGSd61sl1LT1_4tqliXSnNlI_yd_Un_oKgd724-wD355I88X5q4HdLf_KQ7A6PR9myNQa47HoZFmSmfL3rOCLJxzZKpPP-aqoTi9QoTfFi_zjUhBxNm2uljOp704Sq5GkJmfJq1OnXILLr9HHHxT05qatyS_lv7ShnD8rksf6-pR
日本だったらNHK特集一本作れるだろし、ヤルヴィ社長なんぞでやりたいだろうなぁ。元ケルビーニQ第1ヴァイオリンのミュンヘンの賢人ポッペン御大だから出来ること、なのかしら。

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日本でも「長老」が聴ける [弦楽四重奏]

お彼岸も過ぎてあれよあれよと神無月となり、御上がやってる芸術祭も知らぬうちに始まっている今日この頃、コロナ禍で中止になっていた新帝都首都圏の室内楽シリーズもそこここで再開しています。

そんな秋の夜長、2020年冬までの首都圏では「弦楽四重奏のメッカ」となっていた横浜の東の隅っこ、鶴見はサルビアホールで、2011年の311後に始まり、226アベ要請直前まで続いていた「SQSサルビアホール・クァルテット・シリーズ」が再開されました。みなさん、コロナ時代対応でいろいろ大変です。
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これが歴史。
https://musikverein-yokohama.jimdofree.com/%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88/%EF%BD%93%EF%BD%91%EF%BD%93%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%82%AF%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%88-%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA/

んで、これが当面のこの先。
https://musikverein-yokohama.jimdofree.com/%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88/%EF%BD%93%EF%BD%91%EF%BD%93%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%82%AF%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%88-%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA/

なんだか当電子壁新聞のような0年代からの古いブログ編集では、もの凄いリンク先アドレスになるようですが、呆れたデジタルレトロとお見逃しあれ。

昨晩の演奏会、本来はプラジャークQの現メンバーによるサヨナラ演奏でもあるベートーヴェン弦楽四重奏全曲演奏会のひとつが予定されていたもの。当然、100席のホールは満席だったわけですけど、ギリギリまで頑張ったけど中止。その交代公演として、ニッポンの長老、我らが上野の学長さん率いる澤Qがこの小さな空間に登場なさった次第でありました。

澤Qといえば、意外にも、と言ったら失礼だけど、創設から30余年、メンバーがひとりも交代せずに続いている珍しい団体。日本には長い時間続いている団体ってそれなりにあるのだけど、続いている理由は「年に1度か2度、演奏会を前提に集まって普段はやれないクァルテットの楽譜を(半ば持ち出しで)弾く」という状況が殆どだから。つまり、嫌になって喧嘩になって誰かがこれはもう無理だと辞める、などという状況にまで追い込まれないので続いている、というのが殆ど。それを悪いとは言わないし、若い世代にはもうそういうものだと割り切っている団体もあるようですな。

澤Qが凄いのは、アマデウスQに澤先生が習いたいから、というある意味で無茶苦茶な理由で結成され、そのメンバーでアマデウス・アンサンブルやら(欧州ではアルバン・ベルクQがやっていた役回り)、アマデウスの弟子筋のヘンシェルQとの付き合いやらが出来、欧州公演もしたりして、しっかりと常設メンバーの団体としての活動を続けてきていた。流石にこのところ、市坪さんを含めてみんな大長老になり学長クラスが並ぶとてつもないことになってしまったわけで、かつてほどの活動は出来ないにせよ、きちんと団体として機能している。いやぁ、こういう「長老」団体が日本にもあるんだなぁ、って。思えばプロムジカは岩淵御大のワンマン団体で次々とメンバーが交代したわけだし、今や伝説どころか神話レベルの巖本真理Qにしても実質的な活動期間は60年代後半から70年代いっぱい、20年くらいなものだった。澤Qがどんなにすげぇか、お判りかな、皆の衆。

そんなニッポンが誇る長老の奏でる古典派とドビュッシー、ぶっちゃけ、「押さえるポイントはきっちり押さえ、あとはその瞬間に任せる」という音楽。つまり、エベーヌとかベルチャとかの世界的に売れてる団体の「CDみたいだぁ」って作り込んだもんとは真逆、もう判ってるからあとは舞台でやろうぜ、ってもんです。

もう大フィル首席を退いてからどれだけになるのか、すっかり背筋の曲がり具合など往年のロヴェット御大っぽくなってきている林さんが角度の浅いチェロのかまえ方からブンブンと響かせ、澤先生は安心してデル・ジェスの許容量デカすぎと呆れそうな表現に身を任せる。若い連中だったら「それ、やりすぎ」と叱られかねないことも、この人達なら、なんか格好が付いちゃう。ホント、冗談じゃなく、ブレイニン御大にも迫る無礼人ギリギリの境地。《不協和音》第3楽章のトリオとか、この狭い会場には収まりきらない表現力。っても、パシフィカなんぞがここで弾いたときの会場壊れるかというような物理的なパワーとは、まるで異なるんだけどさ。

《ラズモ》第3番の終楽章フーガも、若い連中がやるような速さ比べは鼻で笑って、きっちり深い歩みを維持しつつ、物理的ではなく感覚的なスピードをひたすら盛り上げていく。どうやったらああいうことが出来るのか、細かく眺めていくとこれはキリがないけど、やれちゃうんだから仕方ない、ってか。終わって、市松模様、半分の客席で満員の聴衆は大拍手。
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こういう芸を見せてくれる団体が、この列島にも生息しております。若い人は真似しちゃダメな巨匠芸、皆さんおいそが氏なので次はいつの機会があるのか判らないけど、チャンスがあったら、是非どうぞ。

サルビアホールのシリーズ、コロナがどうなるか見えないけど、ともかく、次々と若手中堅が来演いたします。乞うご期待。

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